メッセージ:「あなたは一人で戦っているのではない」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

3月11日

担当:若竹孝行

メッセージ:「あなたは一人で戦っているのではない」(10分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:ヨシュア記22章〜24章

23章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:23:9-11

「主は、大きくて強い異邦の民をあなたがたの前から追い払われた。だから今日まで、あなたがたの前に立ちはだかることのできる者は、一人としていなかった。あなたがたは一人で千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」

おはようございます。そして、お帰りなさい。

この23章は、ヨシュアの告別の言葉です。老いたヨシュアが、残っている民を励ますために、自分の命が尽きようとも、主は必ず民と共にいてくださると告げます。ただし、もし民が心を尽くし、いのちを尽くして、イスラエルの神を神としてあがめ、主が民についての約束されたすべての良いことは、一つもたがわなかったことを民が覚えるなら。(14)

ヨシュアは、民を信頼しつつも、人間は目に見えるものに弱いことを知っていて、口酸っぱくなるほどに、民に、主に従うことを、主に仕えることを、主にすがることを、主を愛することを訴えるのであります。

9節10節の「主は、大きくて強い異邦の民をあなたがたの前から追い払われた。だから今日まで、あなたがたの前に立ちはだかることのできる者は、一人としていなかった。あなたがたは一人で千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。」は、ヨシュア記1章5節の約束の成就を記しています。1章5節には次のように記していました。「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

ヨシュアの生涯は、戦いに次ぐ戦いでした。難攻不落のエリコの城も、主が告げるとおりに城壁の周りを一日一周し七日間続けることによって、主が城壁を破り、ヨシュア軍は勝利を収めることができました(6章)。また、アイの城を攻めた時、ヨシュア軍は自分たちの力を過信し大敗しました。それは、ユダ族のアカンが敵の分捕り物を隠し持っていたからでもありました。主は「明日のために自らを聖別せよ」おっしゃいました。ヨシュアたちは、主に悔い改め、アカンを石打にし、隠し持っていた分捕り物を焼き尽くしました(7章)。

その後、主は「恐れてはならない。おののいてはならない。」とヨシュアを励まし、アイの町をヨシュアの手中に収めさせました。主が、ヨシュアとともに戦ってくださったのであります。

ヨシュアのように、私たちはいま、私たちの人生において、一人でいろいろな困難と戦っているのではありません。もちろん、家族や友人や知人、それに教会の兄弟姉妹も、祈りによってまたそれぞれの賜物によって、援助をしてくださるでしょう。しかし、最も頼りにしないといけないお方は、私たちの主であります。主は、おっしゃいます。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」(1:9)

また、イエス様も次のようにおっしゃいました。

「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

主は、いつもわたしたちと共におられ、私たちを励ましてくださいます。

また、イエス様はこうもおっしゃいます。

「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。、、、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしたあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14章)

私たちには、聖霊様が、私たちの心にお住まい下さり、つねに共にいてくださり、私たちを導いてくださるのです。私たちに知恵をくださり、私たちと共に、困難を打ち勝つように、また、困難から逃れられるようにしてくださるのです。

ヨシュアは、私たちに忠告します。「あなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」(23:11)

「自分自身に十分に気をつけなさい」とは、どういうことでしょうか。それは、ユダ族のアカンが犯した、主の命令を守らないという罪でした。主は、「明日のために自らを聖別せよ」おっしゃいます。自分の行動や思いを、常にチェックしなさい、とおっしゃるのであります。そのためにも、私たちは、心にお住まいくださる聖霊様に問わなければいけません。「わたしは本当に主を愛していますか、主の喜ばれることをしていますか、主が悲しまれることをしてはいませんか。」

私たちは一人で戦っているのではありません。主がいつも共にいてくださいますが、心が正しくない方向に向かえば、主はわたしたちを直ちに罰せられる方でもあるのです。どうか、主を恐れ、敬い、その上で、主を愛し、主に助けを求め、主を賛美し、感謝し、主を喜ぶものとさせていただきましょう。

お祈りいたします。

主のいのり