メッセージ:「素晴らしきかな、主の道」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

4月1日

担当:若竹孝行

メッセージ:「素晴らしきかな、主の道」(10分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:2サムエル記7章〜9章

7章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:7:16

「あなたの家とあなたの王国は、わたしの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」

おはようございます。そして、お帰りなさい。

今日の中心聖句は、神が預言者ナタンを通して、ダビデに祝福の約束をされました。実はダビデは、王である自分が家に住み、主が周囲の敵から守って、ダビデに安息を与えられたことを、感謝し、主はいまだ天幕の中の神の箱に住みたもうことを、心苦しく思い、主のために、住む家を建てようと決心します。

しかし、神はそのダビデの申し出を断り、神はダビデに対して、ダビデのしなければならないことは、神の神殿を建てるこのではなく、イスラエルの統一、そしてその国民に住む所を与え、敵を一掃し、民が平和に暮らせるようにすることであると告げます。

神はご自身のことよりも、神の民の平和を造られる方であります。

そして、この神の意志は、イエス・キリストにあって成就されました。ルカの福音書には次のようにあります。「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はことしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」(1:31-33)

イエス様はおっしゃいます。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

イエスを信じる者は、ヤコブの家に住み、イエスはそのヤコブの家である御国、新たなるエルサレムの主(あるじ)であり、永遠にすべ治めることとなります。

ヨハネは、この新天新地のまぼろしを、主から見させていただき、黙示録にそのことを記しました。21章1節~7節までをお読みいたします。

「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きい声が御座から出て、こう言うのを聞いた。『見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から、涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。』すると、御座に座っておられる方が言われた。『見よ、わたしはすべてを新しくする。』また言われた。『書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。』また私に言われた。『ことは成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。』」

これが私たちの天での住まい、新しいエルサレムであります。主は、これを私たちに得させるため、私たちの思いや願いをかなえたりかなえなかったりされます。

事実、ダビデの願いである神殿建設は、ダビデの代ではかなえられず、ダビデの息子、ソロモンによって完成されます。私たちは、この世での願いや希望は、私たちの代でかなえられるかどうかは分かりません。それに、それ自体が主のご計画のうちにあるとは限りません。いくら、主のためだとして頑張ったとしても、ダビデの神殿計画のように、主が祝福してくださるとは限りません。私たちは、つらい選択を強いられることもあります。しかし、覚えておいていただきたいことは、私たちが主に心から感謝し従うのであれば、主が導く選択は、結果的に私たちにとって素晴らしい道であるということです。もちろん、最終的には天のエルサレムであります。しかし、この世にあっても、主は最高のものを導いてくださるはずです。自分の願いが、主の導きでありますようにと祈りつつ、しかし、常に主の声に耳を傾けつつ、前を向いて進もうではありませんか。

今週は受難週、次の日曜日は復活祭イースターです。私たちは、主の十字架を覚え、また主が死を克服し、復活して、私たちに天のエルサレムで永遠のいのちを約束されたことに感謝いたしましょう。

お祈りいたします。

主のいのり