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主日の証し 「ねたみ、そねみ、やっかみ」

2021.4.11 主日の証し

主日礼拝ですが、結婚式の司式のため、そして、土曜日に疲れすぎていて、夜遅くまで頑張りましたが、メッセージが完成いたしませんでした。このメッセージは来週させていただきます。その代わり、落語口調の証しを短くさせていただきます。

 

「ねたみ、そねみ、やっかみ」

 

人にはなかなか切っても切れないものがございます。生まれながらの弱さであります。人間は弱さゆえに、群れることが必要となります。群れないと生きていけないのです。しかし、群れることで、人は摩擦が生じたり、プレッシャーを感じることもあります。また、格差ができてしまうこともございます。プレッシャーや格差が生まれますと、ねたみやそねみ、ハラミにやっかみが生まれてくるのが、人の常でございます。ん、ん、なんかいい匂いがしてきますね。あ、ハラミは焼肉でございましたね。焼肉ではなく、焼きもちでございます。いえ、食べる焼き餅ではございません、食えない焼きもち、つまりは、ねたみやそねみであります。私にもこの弱さがございます。人が私よりもいい思いをすると、ムクムクとねたみねたみねたみが湧いてくるのでございます。そねみ、いえ、それに、人が褒められると、正直に喜べない、私とは何にも関係ないのに、どうしてか、嫉妬してしまうのであります。そんなのはシカトすればいいのでしょうが、嫉妬してしまう、どうしようもない私の弱みでございます。そんなやっかみは厄介払いしたいのですが、そうは問屋が卸しません。なぜなら、私は劣等感のかたまりだからです。なぜ、劣等感のかたまりになってしまったのでしょうか。私は、人ばっかり見て、人と較べていました。私より劣った人には優越感、私より優れた人には劣等感。人を見て、人と較べた結果でした。ところが、ある言葉に出会いました。神様からのプレゼントです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)あ~、私は愛されてるんだ。そこで、私は、ハタと気が付いたんです。人ばっかり見るから、較べるんだって。でも、神様はそんな私でも愛してくださる。高価だと言ってくださる。人じゃなくて、神様を見つめてみようと思ったんです。こんな劣等感のかたまりの私を、嫉妬深い、ねたみ、そねみにやっかみいっぱいの私を、愛してくださる。この神様の言葉、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」これは、私にとっては、効果てき面でした。それ以来、なるべく神様の方をみて、神様にもっと愛されるようにしようと、上を見上げて歩いております。まあ、上を向いてあるいていますので、つまずいたりすることもあり、まだまだではございますが、いつか、きっと、嫉妬もちっともしなくなるでしょう。

 

お祈りいたします。