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メッセージ主題:『お見合い結婚』

ぶどうの木キリスト教会

2021時年5月23日

聖書拝読:ヨハネの福音書14章16節~27節(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(26-27)

メッセージ主題:『お見合い結婚』

おはようございます。そして、お帰りなさい。

と申しましても、この日は、結婚式の司式に出かけております。先週に続きまして、前日録画でございます。

今朝は、ペテロの手紙第一の5章からではございませんが、いつものように、できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

のっけからなんなんですが、私は、先週、少し残念なことがございました。それは、ガッキーこと新垣結衣さんが結婚なさったことでございます。なにも熱烈なファンということではございませんし、ガッキーロスをしているわけではございませんが、なにかいいなと思わされている女優さんでございましたから、ちょっと残念でした。まあ、明石家さんまさんのように「ショック」ではないのですが。、、、

最近分かったことなんでございますが、私が心惹かれる女性の方は、口が大きい、ということであります。以前、芸能界の女性で結婚して残念だと思いましたのは、山口百恵さんでしたでしょうか。私が23歳ぐらいの時でございます。百恵さんは、どちらかといえば、おちょぼ口でございましたから、40年も経ってくると、好みも変わってくるものだなと、ガッキーさんの結婚報道をききながら、つらつらと思っておりました。ガッキーさんも、幸せな結婚生活をしてほしいと願うばかりでございます。

今日の私が司式する結婚式のお二人も恋愛結婚ですし、新垣結衣さんと星野源さんも恋愛結婚でございます。

さて、今朝は、結婚は結婚でも「お見合い結婚」というお題でお話をさせていただくわけでございますが、まずは、今日はペンテコステの記念日でございますから、「ペンテコステ」とは、なんぞやということを先に触れておきたいと思います。ほとんどの教会では、使徒の働き2章からペンテコステのことを語っておいでになるのではないかと思います。この2章の1節~4節を少しお読みいたしましょう。

●「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖書に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

五旬節とは、別名ペンテコステと呼ばれます。ユダヤのお祭りの一つで、過越しの祭りから五十日目であることから五旬節と呼ばれております。この祭りは、もともと、大麦の収穫を祝う祭りでございました。そのペンテコステ五旬節の日に、弟子たちが集まっていたところに、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまったのでございます。するとどうでしょう。弟子たちは、それぞれに異なる言葉、この聖書の訳では、他国のことばと訳されておりますが、異言のことでございます。異言とは、神様と直接話をすることのできることばで、舌がもつれたような声で話します。まあ、だからではないでしょうが、その声の描写が「炎のような分かれた舌」とも解釈できるかも知れません。しかし、その言葉を聞いた人には、理解不能でございます。まあ、その言葉を発している本人も理解不能なようですから、いたって難解な言葉のようでございます。その後が重要でして、、、その異言を話した時というのは、聖霊がその人たちに下ったことを意味し、大胆にイエス・キリストを証しする者とされるのでございます。ペテロがいい例であります。2章では、ペテロはとうとうと大胆に語っております。そして、38節39節に大切な言葉を残します。

●「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊をうけるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマ、つまり洗礼のことですが、そのバプテスマを受けると、もれなく聖霊をうけ、聖霊は私たちの心に宿ります。「聖霊を受けた」顕著な例が、さきほどの異言でございますが、「聖霊を受けたからといって、必ずしも異言を語る」とは限りません。異言も神様からのプレゼントの一つだと考えてもよいのかと存じます。まあ、ここのところはいろいろと議論のあるところでございますが、「イエス・キリストを信じれば救われる」のですから、その救いに密接に関係しているのが聖霊であります。私なんぞは、父・御子・御霊つまり聖霊のことですが、その方々にはそれぞれに神格がありますから、神様、イエス様またはキリスト様、そして聖霊様と、「さま」をつけて呼ぶ時がございます。とにかく、「イエス・キリストを信じて、洗礼を受ければ、聖霊が下り、宿ってくださって、私たちは救われ、神の宮とされる」のですから、信じる者には、心の内から聖霊様が働いてくださるのです。

イエス様は、この聖霊様のことを、天の父、神様がおおくりくださる「もうひとりの助け主」と呼ばれました。もちろん初めの助け主は、御子であられるイエス様ございます。そして、聖霊様のことを「真理の御霊」とも呼び、「イエス様ご自身の平安」だとも呼ばれておられます。イエス様の平安でありますから、世の中にある平安ではございません。

この洗礼とほぼ同時に聖霊様が私たちの心に送られてきて、お住まい下さり、私たちは神の宮として、私たちの主であるイエス様を証しするものとされるわけでございますが、、、私は、この洗礼を「お見合い結婚」だと思っております。

「お見合い結婚」は、相手のことをあまりよく知りません。釣書や仲人さんからの情報などを信用して、何回がデートをする中で、「この人だったら、まっ、いいか」と自分を納得させて、結婚という契りを結ぶわけでございます。恋愛のような、「惚れた晴れた」感情はあまりございませんが、そろばん勘定は十分できているのでございましょう。

イエス様との出会いも、お見合いみたいなものです。仲人のような先輩クリスチャンが、イエス様を紹介するのでございます。聖書は、釣書のようなものでございましょうか。イエス様や神様のことがこと細かく記されております。おそらく記されていないのは、年収ぐらいなものでしょうか。ですから、イエス様との結婚は、こちらの一方的なそろばん勘定ではうまく行きません。

イエス様とのお見合いをして、数か月、礼拝や祈り会や聖書の学び会やいろいろな交わり会を通して、デートを重ね、「このお方だったら、まっ、いいか」と、中には「このお方しかいない」と思われる方もいらっしゃるでしょう。あまり深く考えない私なんぞは、前者の「このお方だったら、まっ、いいか」と、洗礼という結婚式の日取りを決めてしまったものでございます。

この洗礼の結婚式には、世の結婚式と変わらず、家族や友人知人も参列してくださいます。私はアメリカで洗礼を受けましたので、教会の方々だけでありました。その結婚式は日本の家族には内緒でした。結婚式の形には、浸水式と滴礼式とがございます。浸水式とは、水の中に後ろ向けにザブーンと倒れて、牧師に起こされます。一度水の中で死に、そして起こされて、新しく生まれ変わる、ということの象徴でございます。水の中ですから、海や湖や川であったり、はたまたプールやふろ場であったり、また教会堂の中に特別に設置してあったりします。一方、滴礼式は、膝まづいて、頭にチョロチョロっと水を落とす感じで、儀式っぽく見えます。私は、小学校のプールでさせて頂きました。「このお方だったら、まっ、いいか」という感じで結婚式をさせていただいたのですが、ザブーンときて起こされた時には、なぜか嬉しくなって涙を流しておりました。私はいたって涙もろいほうですから、自分に感動してしまったようでございます。ほかの先輩クリスチャンの方々は、「その涙は聖霊様の働きやで」とおっしゃるのですが、あ、もちろん大阪弁ではございませんが、そのようにおっしゃるのですが、当の本人は、見合い結婚ですから、イエス様のことも聖霊様のことをあまりよく分かっておらず、「聖霊様の働きね、ふぅ~ん」てなもんです。私が花嫁で、イエス様が花婿ですから、それ自体もピンときません。今でも、頭では分かっておりますが、そのイメージは拒絶しております。ウェディングドレス姿の私を想像しただけで、ゾゾッと鳥肌が立ちます。こんな時、女性クリスチャンをうらやましく思いますなぁ。まったく自然にウェディングドレスを着ている自分を嬉しく想像できるのですから。

さて、イエス様との結婚生活でございますが、何せ相手は、神様の御曹司。いつも絶対的に正しいことばかりをおっしゃいます。相手に悪気がないのは分かっておるのでございますが、こちとら生身の人間でありますから、そうそう矢継ぎ早に責めたてられても、消化できるわけもございません。時には、ふてくされたり落ち込んだりするのであります。結婚生活が辛くなってしまうこともございます。結婚生活に赤信号がともるわけでありますな。ここでイエス様も折れてくださると、こちらも「あまりすねても、ごねてもな」と思って仲直りのきっかけを模索するのでありますが。イエス様は、神様の一人っ子でありますから、ご自分の正しさを曲げるということはなさいません。しかし、その代わり、「言いたいことがあるんなら、ぜんぶ吐き出してごらん。」って、やさしく愚痴をきいてくださることもあります。また、後ろからギューっと、不意打ちに抱きしめてくださることもあるんです。そして、耳元で「いつも大切に思ってるよ」と言われると、すねている自分がばからしくなってくるのであります。そして、時たま、ほんの時たまですが、「壁ドン」があったりいたまします。この「壁ドン」、まったく避ける手立てがありません。そして、おっしゃるのです。「逃れる道はないんだよ、わたしのほかに。あなたはわたしが必ず守る。だから、わたしを信頼してついてきて。」そして、気が付くと、イエス様の背中には、鞭の傷がいっぱいで、はれ上がって、肉が見えているところもあるのです。そんな時、私は確信します、イエス様に愛されていることを。お見合い結婚だったけど、逃げ出したくなることもあるけど、スルメイカのように、噛めば噛むほど味でてきて、少しずつ、相手の良さが分かって来る。イエス様の偉大さが、やさしさが肌で感じられるようになってくる。結婚してよかった、本当によかった、と、私なんぞは思わされるわけでございます。

人間同士の結婚もそうですが、相手への信頼がなくなれば、うまく行くはずもございません。イエス様との結婚もそうです。山あり谷あり。相手がイエス様だったらうまく行くんじゃないか。大間違いであります。イエス様はいつも変わりません、また融通という言葉を知りません。いつも変化し流されやすいのは私たちの方です。移りやすい自分の心と力を頼りにするのではなく、変わらぬイエス様を頼りにしましょう。結婚生活で一番大切なのは、相手を信頼すること。

皆さんの、イエス様との結婚生活はいかがでしょうか。

ただいまより、黙想に入りたいと思います。今日は八さん、熊さんは結婚式のお手伝いです。

今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと思わされたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇37篇1節~9節をお読みいたします。

また、黙想の前に、ヨハネの福音書3章3節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

(詩篇37篇1節~9節)

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お祈りいたします。「どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。かみは、われらの避け所である。」愛する天のお父様、主の御名をほめたたえます。今朝は、「お見合い結婚」という神様からのメッセージで、ペンテコステの今日、洗礼を受けることによって、信ずる者に、イエス様の平安である聖霊様が下り、私たちの救いが現実のものとなりました。どうか、私たちがイエス様をいつも信頼し、イエス様との結婚生活が豊かなものとなりますよう、私たちを守り導いてください。

このお祈りを、私たちの助け主、主イエス・キリストのお名前により、おささげいたします。アーメン。

黙想時の曲

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https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。