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メッセージ主題:『あなたは赦されている』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヨハネの手紙』

2021時年7月18日

聖書拝読:ヨハネの手紙第一2章1節~17節(新改訳聖書)

中心聖句:

「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」(1)

メッセージ主題:『あなたは赦されている』

おはようございます。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週、アメリカのプロ野球では、オールスターが行われました。日本のオールスターと違い、たった1試合、アメリカンリーグとナショナルリーグのスター選手の夢の競演であります。通常に行なわれているリーグ戦の妨げにならないように、1試合だけのファンサービスでもあり、お祭りであります。今年は、そのオールスターで、ルールを変えてまでも、監督がそして、選手たちが、観客が出場させたかったひとりの選手がいました。ご存知、エンジェルスの二刀流、時速160㌔超えの豪速球ピッチャーでもあり、ホームランバッターでもある、大谷翔平選手であります。大谷選手は、プロ野球の常識を変えてしまいました。日本の高校野球では、よく見かけますが、背番号1番ピッチャーでもあり4番バッターでもある、しかし、日本でもましてアメリカでも、プロに入ると、これまではどちらかを選択しないといけないような常識がありました。ピッチャーかバッターか。その常識を大谷選手は破ったのです。アメリカ球界では、いままで存在しない選手であり、二刀流 two-way player という言葉まで認知されるようになりました。これからは、アメリカでも日本でもそのような選手を目指すちびっ子たちが増えてくるでしょう。また、私なんかはひそかに、大谷選手は三刀流 three-way playerではないかと思うぐらいです。ピッチャーがあまりしない盗塁も積極的にするからです。恐らく大谷選手は、少年野球の楽しさをプロでそのまま続けているような気がします。彼は、もちろん体格に恵まれてはいますが、人一倍努力もしていますし、なにより野球を愛し楽しんでいるようです。彼の野球人としての実績はもちろんのこと、甘いマスク、そして礼儀正しさ、あたたかい心、なによりもあの笑顔。それが、野球ファンのみならず、すべての人を魅了しているのでしょう。

私は、大谷選手のそのような姿を見て、ふと思ったのです。私は、クリスチャンとしての常識にがんじがらめになっているのではないか。牧師という形にはまろうとしているのではないか。本当に、神様を喜んで、私の回りの人に、希望を与えているだろうか。キリストに興味をもってもらえているだろうか。もちろん私はスタープレヤーでもありませんし、民衆の中で、メッセージを語るエバンジェリストでもありません。風がふけば、消えてなくなりそうな者です。まあ、風がふいて消えてしまってもいいのですが、その跡に、ちゃんとイエス様の愛を残していけるか。いや、ちゃんとイエス様の愛をおひとりおひとりに丁寧に届けて行きたい。それを大谷選手の姿を見ながら考えていました。

さて、7月17日、昨日でありますが、4年前の昨日、この「ぶどうの木キリスト教会」は、主の憐れみにより開所され、同時に私は牧師として任命されました。それから、4年。いろいろなことがありましたが、存続させていただいていることに、心から主に感謝するものであります。また、今は具体的なことは申せませんが、東大阪の小坂に、「小坂チャペル」を造るよう、主がおっしゃっておられるようで、そのために祈り動いています。どうして、今の大阪市の南森町から遠くはなれた、東大阪市の小坂なのか。実は、たった一人の方のためにチャペルを開設しようとしております。チャペルの開設後の明確なビジョンがあるわけでもありません。無謀といえば無謀です。しかし、祈りの中で主がおっしゃるのです。その方のために、集会所を求めなさいと。経済的にも、今の英語教室と教会のスペースを維持しながら、「小坂チャペル」を開設し存続させていくだけの蓄えはございません。正確には、今の蓄えでは1年しか持ちません。これがビジネスなら、破綻するのは目に見えているでしょう。しかし、それは、私が約20年前に、この南森町のオフィースを選んだ時と同じです。JRの東西線、大阪メトロ、堺筋線と谷町線が交差し、しかも駅から1分以内で、商店街アーケードの中で、雨知らず。家賃もまあまあするオフィースを、主がお選びくださり、その場所を借り続けて来られたのも、すべて20年前に、主の声にしたがったからであります。不思議なことに、この20年の間に、南森町では、英語教室や英会話教室は、何軒も現れては消えて行きました。小学校も近くにあるビジネス街ですが、小学生を取り込むことも社会人を取り込むことも、非常に難しい土地なのです。その中でほそぼそではありますが、なんとか続けて来られたのは、奇蹟としかいいようがありません。主の憐れみに、本当に感謝であります。

そして、この度の「小坂チャペル」も同じであります。教会はビジネスではありませんが、そこに集会所を造れとおっしゃる主に、期待しております。救われる方が、それで一人でも起こされるのであれば、私はテントメーカーとして、より一層、老体にムチ打って働きましょう。

今朝の礼拝メッセージをお聞きの方にも、「小坂チャペル」のことを祈っていただければと思います。

短くお祈りいたします。

さて、先週は、ヨハネの手紙の第一、1章から、「交わり」というタイトルでメッセージを取り次がせて頂きました。コロナ禍にあって、私たちクリスチャンの交わりが希薄になっています。交わりは、聖霊様の働きを助け、わたしたちを、罪の誘惑から遠ざけ、惑わしや間違った教えを気付かせてくれます。そして、ただ単に交わるだけではなく、罪をも告白し、祈り合う交わりが持てればよりよいでしょう。リモートであれ、リアルであれ、交わりを密にすることが、クリスチャンとしてこの世で生活する中で、とても大切であることを学ばせていただきました。

今朝は、ヨハネの手紙の第一、2章から、「あなたは赦されている」というタイトルでメッセージに耳を傾けさせていただきます。この2章は、「弁護者であるキリスト」と「イエス・キリストによる新しい約束と掟」そして「反キリスト:キリストの恵みを知りつつ、キリストの教えに敵対する人々」のことが、おもに記されています。使徒ヨハネは、「天の父なる神の御前で、私たちを弁護してくださる、つまり、私たちの罪をご自身の命によって帳消しにし、赦してくださる方、イエス・キリストがいらっしゃる」ことを強調しています。反キリストが現われ、間違った教えを説き、民を惑わす人たちから、キリスト者を守るために、この2章はしたためられています。

私たちは、次のことを知っています。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

●「人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」(ルカ24:7)

これは、主の復活を知らせる御使いの言葉です。イエス・キリストご自身の言葉ではありませんが、パウロはこれを信じ、次のように、主の復活を信じなければ、イエス・キリストへの信仰は空しいことを説いています。

●「そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(1コリント15:17)

イエス様が「あなたの罪は赦された」とおっしゃって、罪が赦されるためには、イエス様を救い主として信じなければいけません。イエス・キリストが十字架にかかり、自らの命を、私たちの罪のためのいけにえとしてささげられたことを信じる必要があります。しかし、それだけでは全く不完全であり、キリストのささげられた命は無駄になります。つまりキリストは無駄死にしたことになります。死を克服し、復活され、父の御許に帰られ永遠の方(かた)に戻られたからこそ、私たちの過去・現在・未来における罪は帳消しにされ、キリストの犠牲は永遠に有効となるのです。復活がなければ、動物のいけにえの犠牲と同じく、イエス・キリストの命による贖いの効果は、1回限りのものとなってしまうのです。つまり、1回の罪しか赦されなかったことになります。私たちの罪が赦され続けるためには、キリストが永遠のかたである必要があります。

パウロは続けて主張します。

●「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。ですから、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(1コリント15:19-22)

キリストが十字架にかかり、自らの命を私たちの罪の代価として肩代わりしてくださり、死を克服して復活されたことにより、その贖いの効力は永遠となり、つまり私たちの罪は永遠に赦され続け、私たちは、神から「罪なき者」と見なされ、滅びから免れ、永遠のいのちを受けるにふさわしい者とされるのです。

私たちは、私たちが何か良いことをしたから、『赦される』のではありません。ただただ、主の一方的な愛と恵みと憐れみによって、私たちが罪を主に告白すると、キリストの白い衣によって、神には私たちの罪が見えなくなるのであります。または、キリストの聖なる血によって、私たちの罪は消し去られ、キリストの民と認識されるのです。それは、あたかもモーセの民が、小羊の血を、玄関の二本の門柱とかもいに塗って、災いを免れたのと同じであります。

●「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためのしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。」(出エジプト12:13)

私たちは、よく「何回も同じ罪を犯してしまい、もう赦されないのじゃないか」と不安になることもあるかもしれません。しかし、そんな心配はご無用です。主は、あなたのことを、あなたよりご存じです。誘惑に陥りやすく、罪を犯しやすいこと、また時々裏切ってしまう弱さをもっていることも、百も承知で、あなたを招いてくださっているのです、赦し続けてくださっておられます。「わたしはあなたを赦します。あなたは赦されていますよ」とお声をおかけくださっておられます。私たちは、赦される条件ではなく、赦されている応答として、主に感謝をささげ、主の御名を賛美する、それは義務ではありません。喜んで感謝をささげる、喜んで、互いに祈りあい、支え合うのです。

さて、今日は、八さんも熊さんもいらっしゃいますので、お話しをお伺いしましょう。八さん、熊さん、今日の「あなたは赦されている」から、何を思われますか。

―――――

八: ええなぁ、「赦されている」って。わてらには、もどるところがあるんや。

熊: はむこうて、神様の家から、家出したとしても、もどるところがあるって、うれしいなぁ。

八: イエス様の放蕩息子のたとえ話、覚えてるかぁ。

熊: あたり前田のクラッカーや。世の中の華やかさに目ぇがいってしもて、

親の財産、前借して、出て行ったはええけど、放蕩三昧で、金はすぐのぅなった。

八: そや、金のない人間には世間は冷たい。金の切れ目が縁の切れ目や、ちゅうこっちゃな。

熊: それから、その息子はおちるところまで落ちて、豚のえさまで食べるようになってしもた。

八: ユダヤ人は豚食べへんから、異国の社会で、ひどい暮らしやったんやろな。

熊: そんで、はた、と気が付くんや。親父殿のところに帰ろって。

バツ悪いけんど、今の生活よりましやろぅって。

八: そんな息子でも、帰る家があったんや。よかった。

熊: 親父殿は、息子が遠くから帰ってきよるのを目にして、迎えに行くんやなぁ。

八: 放蕩三昧の罪を赦されるどころとちゃうで、垂れ幕なんか用意してあって、

「おかえりやす!ウェルカム・ホーム!」とか、もう大宴会や!

熊: 「おかえりやす!ウェルカム・ホーム!」か、

なんかそんなようなこと、まいど聞いてるなぁ。

八: 牧師さんが、ゆうてるやないかいな。教会にくるたんびに。

熊: あ、そうか。「お帰りなさい」ってゆうてはんな。、、、とうことは何かい。

わてら、毎日曜日、放蕩息子やったんやなぁ。

八: と言うことになるなぁ。毎週、教会にくることで、メッセージ聞くことで、

また賛美することで、放蕩息子の恵みを受けてんねんや。

大宴会はないし、垂れ幕もないけど、なんか、教会来たらほっとするわ。

熊: 世の中でて、心がかさついて来て、日曜日に「お帰りなさい」か。

八: そのためにも、教会の礼拝では、ほっと、心が休まるところでないとあかんなぁ。

心をひらいて、神様を受け入れる、って言うか。

熊: ほんまやで、教会がぎすぎすしてたらあかん。教会堂がえろう荘厳なところもあるけど、

わてら、しもじものもんには、気遣わなあかんねんやったら、ちょっとしんどいなぁ。

よそ行きの服きてたら、肩凝るのといっしょで、心もよそ行きやったら、

「ただいま」ってゆうて、いろんな話でけへんのは、こまったもんや。

八: その点、ここは、アットホームやし、気つかわんでええから、助かるわ。

熊: 正直に神様とお話しできるさかい、ええんやろうなぁ。

八: なんか牧師さん、ちょろっとゆうてはったでぇ。

教会も交わりの時間に喫茶店みたいにくつろげたらええなぁって。

熊: 牧師はんが、蝶ネクタイのマスターか。それもええかもな。

八: よっ! 蝶ネクタイのマスター! 応援しまっせ! 喫茶室作ってや。

「赦されてる」って、「お帰りなさい」って迎えてくれるっていうことかも知れへんねぇ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。今日は、放蕩息子の話がでましたねぇ。確かに私の教会では、荘厳さのかけらもありませんけど、神様を賛美し、喜んでいることは間違いないでしょうね。「赦されてる」あかしが「お帰りなさい」って言われること。確かに、うちの教会は「ウェルカム・ホーム」です。心がからからになったら、すぐ来てくださいよ。心が安らぎ満たされるまで、じっくり、お祈りいたしましょう。それに、喫茶スペース、なんとか実現したいと思ってます。八さん、熊さん、今日は今から、結婚式のお手伝いですか、ご苦労様です。「いってらっしゃい」。

さて、今から黙想の時を持ちたいと思います。どうか、今朝の学びの中で、示されたこと思わされたことをもう一度振り返ってみてください。

黙想の時に、詩篇4篇をお読みいたします。

黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。ヨハネの福音書14:18-19です。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」

では、黙想いたしましょう。

詩篇4篇。

お祈りをいたします。

愛する天のお父様、主の御名を賛美いたします。今朝は、「あなたは赦されている」と題しまして神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。教会やクリスチャンの集まりが、「ただいま」「おかえりなさい」「いってらっしゃい」と声をかけられるような雰囲気となり、いつも、悔い改めて、イエス様の方を向き直して、新しい心をもって、主の御前にちかずぐ者とさせてください。

私たちの主、イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。