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メッセージ主題:『神の子どもとして』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヨハネの手紙』

2021時年7月25日

聖書拝読:ヨハネの手紙第一3章1節~24節(新改訳聖書)

中心聖句:

「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」(2)

メッセージ主題:『神の子どもとして』

おはようございます。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週から東京オリンピックが始まりました。開催については、賛否両論あり、また直前のごたごたもありましたが、選手はベストをつくして競っておられます。結果はともあれ、彼らがコロナやケガや事故からも守られ、彼らの純粋なる熱心が、応援し見守っている人々に勇気をあたえてくださることを、オリンピック・パラリンピックの開催中、神様に祈りたいと思います。

短くお祈りいたします。

さて、先週は、ヨハネの手紙の第一、2章から、「あなたは赦されている」というタイトルでメッセージに耳を傾けさせていただきました。この2章は、「弁護者であるキリスト」と「イエス・キリストによる新しい約束と掟」そして「反キリスト:キリストの恵みを知りつつ、キリストの教えに敵対する人々」のことが、おもに記されています。使徒ヨハネは、「天の父なる神の御前で、私たちを弁護してくださる、つまり、私たちの罪をご自身の命によって帳消しにし、赦してくださる方、イエス・キリストがいらっしゃる」ことを強調しています。反キリストが現われ、間違った教えを説き、民を惑わす人たちから、キリスト者を守るために、この2章はしたためられています。

私たちは、「赦されない者」であった罪人でありましたが、イエス様の恵みにより、私たちは、「罪赦された者」となりました。「罪赦された者」として、大いに主の御名を賛美し、交わりの中で、

「ただいま」「おかえりなさい」「いってらっしゃい」と声をかけられるような、そのような親密な関係を築き、いつも、イエス様の方を向き直して、新しい心をもって、主の御前に近づく者とさせていただけることを再確認させていただきました。

今朝は、ヨハネの手紙の第一、3章から、「神の子どもとして」というタイトルで、神様からのメッセージを賜わります。この3章は、「神の子ども」と「互いに愛し合うこと」そして「神への信頼」が、記されています。私たちは、「神の子ども」であるから、神の戒めである「互いに愛し合う」ことを守る、また、「神の子ども」であるから、神の御前で安心でき、神に信頼をよせることができるのです。そして、その戒めを守ることによって、私たちが神の内にいつもとどまり、また神もその人のうちにとどまる、そのことを確信できるのです。今朝は、それらのことを黙想したいと思います。

私は、このヨハネの手紙第一の3章を読むと、ヨハネの福音書の15章の前半のイエス様の言葉を思い起こすのです。

●5節「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」

ぶどうは挿し木で増えて行きます。挿し木する箇所を堅く結ぶことで、枝に水分と栄養が届き、枝はぶどうの木の一部として生きるのです。これはイエス様への信頼を表しています。また、イエス様がお送りくださる平和であり助け主である聖霊様が、私たちの心の内に働いてくださることを表しています。その聖霊様の働きが、私たちを、罪を犯しにくい性質へとかえてくださるのです。そのことを、ヨハネの手紙第一3章では、6節に記されています。

●「だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。」

「罪のうちを歩まない」とは、「罪を犯さない」という意味ではありません。私たちは、この世で生きている限り罪を犯してしまいます。悲しいかな、これが、私たちの父祖である「アダム」が犯した原罪、神から目をそらし、神の戒めを守らないという罪なのです。この原罪は、私たちの体のDNAのように、私たちに入り込んでいて、それを取り除くことは、私たちがこの世を生きている限り、不可能なのであります。「罪のうちを歩まない」とは、「罪を習慣的に犯し続けない」という意味です。まさに、これが聖霊様の働きなのです。聖霊様は私たちの良心に働きかけ、私たちを罪から遠ざけようとしてくださるのです。

●12節「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15章)

ヨハネは、イエス様がこの戒めをしばしば唱えられておられたのを、覚えていたのではないでしょうか。ヨハネの福音書13章34節でも次のように、イエス様のお言葉を記録しています。

●「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

これが、イエス様の私たちに伝えたい最も大切な戒めです。イエス様が愛されたようにとは、イエス様の言葉をお借りすれば、

●「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)

罪のないイエス様が、私たちの罪に対する支払いを肩代わりするために、ご自身の命をささげられました。このイエス様の大いなる愛に応えるには、イエス様の戒めである、互いに愛し合うということを、私たちは真剣に、しかし喜びをもって追い求めていかないといけないのではないでしょうか。

●14節「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ15章)

イエス様が私たちを愛し、私たちに仕えてくださったように、イエス様の戒めである、互いに仕え合い、互いに愛し合うことで、イエス様は私たちをイエス様の友と呼んでくださいます。

また、神様は、パウロを通して、私たちが、イエス様の友という立場が、実はイエス様との、神の共同相続人であることを明かされました。そして、それはまさしく、私たちが神の子どもとされるためのものなのです。(ローマ人への手紙8章14-17)

●「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」

聖霊様に導かれる人、つまり、イエス・キリストを神の子であり救い主と信じる人に聖霊様をお送りくださり、私たちの心にお住まいくださるのでありますから、その時点で、私たちは神の子とされます。つまり、天の御国で永遠のいのちを得ることになります。天の父の平安と喜びを共有することもできるのです。それは天の御国でのことでありますが、それだけではありません。キリストの平安であり助け主である聖霊様の働きによって、私たちは、天の御国での父である神の平安と喜びを、今この世でも、垣間見ること、味わうことができるのです。もちろん、この世では、その平安と喜びは瞬間瞬間のものでしかないかも知れません。が、しかし、前もって味わえるのです。味見できるのです。その恵みをイエス様は、聖霊様をとおしてご用意してくださっておられるのです。

神の子どもとして、まず、天の御国での平安と喜びを、前もって味わうことができ、その上で、互いに愛し合う、つまり、天の父との縦の愛の関係、そして信仰を同じくする兄弟姉妹との横の愛の関係を強くさせていただく、それには聖霊様の働きが必要であります。この二つの愛を追い求めていきましょう。

さて、今日は、八さんも熊さんもいらっしゃいますので、お話しをお伺いしましょう。八さん、熊さん、今日の「神の子どもとして」から、何を思われますか。

―――――

八: 「神様の子ども」かぁ。わてらみたいなもんが、神様の子どもとされる、うれしいいなぁ。

ええ、熊よ、そう思わんか。

熊: 神様を「親父殿」と呼んだり、ちょっと申し訳ないかもしれへんけど、「おとっつあん」と

呼べるのは、ええよなぁ。それに、イエス様から友と呼ばれるということは、

イエス様との共同相続人となるっていうことや、ということも、ワクワクするわ。

八: けんど、相続するって、いったい何を相続するんやろか。

熊: そりゃ、パウロはんのゆうてた、神様の栄光とちゃうか。

八: 神様の栄光なぁ、なんか分からんようで、やっぱ、分からんわ。

熊: なんやそりゃ、神様の本質とちゃうかな。

八: 神様の本質ゆうたら、神は愛やろ。それに永遠の方や。

熊: そや、神様の本質は、永遠の愛と平安、それに英知と力やと、わては思うねん。

それが、神様の神様たるゆえんやな。

八: それやったら、御霊の実もそうか。ガラテヤ書5章に書いてあるの。

熊: 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、やな。それも神様の本質やろな。

八: その神様の栄光を、受け継ぐんか、わてらは。

熊: 受け継ぐゆうても、神様とまったく、同等であるわけやないでぇ。

だって、そやろ。天の親父殿は永遠や。永遠にわてらのお父上や。

八: 天のおとっつぁんの、ちょっとでも相続できたら、わては満足やわ。

愛と平安、これでじゅうぶんかもしれん、神様の御名を賛美するにはな。

熊: 「アバ、父」と神様を賛美するんやったら、喜びもいただいていた方がええんとちゃう。

八: しやなぁ。でも、ちょっとがめつくないか?

熊: 神様は、ごうきなお方やで、「求めよ、さらば与えられん」ゆうねんから、気前ええはずや。

八: なるほどなぁ、せやったら、喜びももろとこかいな。

熊: 八、なんかさぁ、おでん、もらうように言わんといてくれるか。

神様が、おでん屋の大将みたいに聞こえるやないかいな。

八: かんにん、かんにん。かんいんやで。そういうつもりはなかったんやけどな。

けど、神様の愛や平安や喜びを相続できるって、楽しみやわ。

熊: 八、喜んでばかりもおられへんねんで。

八: なんでやねん。

熊: だって、そやろ。神様の子どもちゅうことは、神様からのしつけもあるんやで。

八: あぁ~、しつけなぁ、それが試練ちゅうもんかいな。

熊: ん~、試練もしつけかも知れへんな。それも感謝せんとな。だって、神様は、、、

八: 神様は、すべてのことに感謝しなさい、ってゆうてはるからやろ。

いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する、、、これが、神様の望んでおられること。

熊: そや、試練は神様のしつけや。つらいけど、忍耐せんとな。

神様が、「私をもっと信頼しなさい、私により頼みなさい」ってゆうてはんねんから。

イエス様が、その辛さからの逃れの道やゆうことが、

もっともっと分かるようになってくる、それが神様の愛のしつけや。

八: 愛のしつけなぁ、、、、なんか話が重たくなりそうやから、ここらへんでやめとこか。

牧師さん、あとはよろしく、おたのもうします。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。天国のイメージは、賛美と祈りです。平安と喜びです。それでいて、満たされ、全く幸せなのです。そして、私たちは神様の子どもとして、この世でも、賛美と祈りをささげ、平安と喜びに満たされ、天国での雰囲気を前もって味わうことができるのです。永遠のいのちもイエス様からのプレゼントですけど、天国の平安と喜びを、今、前もって味わえる、これもイエス様からのプレゼントなんです。どうか、賛美と祈りをささげ、平安と喜びに一瞬でも満たされる時間を増やしていただきましょう。

さて、今から黙想の時を持ちたいと思います。どうか、今朝の学びの中で、示されたこと思わされたことをもう一度振り返ってみてください。

黙想の時に、詩篇16篇をお読みいたします。

黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。ヨハネの福音書15:7-8です。

「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」

では、黙想いたしましょう。

詩篇16篇。

お祈りをいたします。

愛する天のお父様、主の御名を賛美いたします。今朝は、「神の子どもとして」と題しまして神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。神の子どもとして、まず、天の御国での平安と喜びを、前もって味わうことができ、その上で、互いに愛し合うことができますよう、お導きください。そして、天の父との縦の愛の関係、信仰を同じくする兄弟姉妹との横の愛の関係を強くさせていただくために、聖霊様に働きが妨げられることがありませんように、私たちをお守りください。

私たちの主、イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。