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メッセージ主題:『キリスト者は神の愛の現われ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヨハネの手紙』

2021時年8月1日

聖書拝読:ヨハネの手紙第一4章1節~21節(新改訳聖書)

中心聖句:

「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(12)

メッセージ主題:『キリスト者は神の愛の現われ』

おはようございます。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

7月は、私はポロシャツ月間でした。8月はこのとおりアロハシャツ月間です。9月はまたポロシャツに戻ります。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

さて、テレビではコロナ感染者数の最悪更新と東京オリンピック2020とのニュースで、もちっきりでございます。オリンピックの競技者の活躍に励まされつつ、それとは相反して、コロナ禍での自粛、蒸し暑さゆえのマスク着用離れ、今年の夏はいろいろと中途半端になりそうな感じでありますが、これにつけくわえて、8月はお盆休みがございます。ワクチンによる安心感もあって、昨年の自粛反動で、人流が劇的に増えそうです。神様のお守りを祈るばかりであります。

まず、主のお守りと今朝のお導きをお祈りいたしましょう。

さて、先週は、ヨハネの手紙の第一、3章から、「神の子どもとして」というタイトルで、神様からのメッセージを賜わりました。この3章は、「神の子ども」と「互いに愛し合うこと」そして「神への信頼」が、記されています。私たちは、「神の子ども」ですから、神の戒めである「互いに愛し合う」ことを守る、また、「神の子ども」ですから、神の御前で安心でき、神に信頼をよせることができるのです。そして、その戒めを守ることによって、私たちが神の内にいつもとどまり、また神もその人のうちにとどまる、そのことを確信できるのです。私たちは神様の子どもとして、天の御国での永遠のいのちのキップを頂いていますが、この世でも、賛美と祈りをささげ、平安と喜びに満たされ、天国での神様の祝福を前もって味わうことができるのです。永遠のいのちもイエス様からのプレゼントですが、天国の平安と喜びを、今、前もって味わえる、これもイエス様からのプレゼントであります。そのことを、先週は覚えさせていただきました。

今朝は、ヨハネの手紙の第一、4章から、「キリスト者は神の愛の現われ」というタイトルで、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。この4章は、1節から6節は「反キリストの霊」、そして7節から21節までは「神は愛である」ことが、記されています。反キリストの霊とは、イエス・キリストを告白しない霊のことで、神から出ていない霊であります。反キリストの霊は、他の宗教に存在するのではなく、広い意味でクリスチャンと呼ばれる人の中に潜んでいます。真のクリスチャンを惑わす霊、真理の道から私たちをそれさそうと試みる霊であります。それは、一般的には、異端とも呼ばれる存在でもありますが、一番簡単な見分け方は、「使徒信条」であります。使徒信条とは異なる見解を示すのは、反キリストの霊ともいえるでしょう。今朝は、反キリストのことには詳しくはふれませんが、私たちの教会が、毎週、礼拝の中で、使徒信条を告白するのは、そのためであります。私たちの信仰がそれていないか確認する上でも、毎週「使徒信条」を告白することで、信仰の原点に戻る必要があるのです。

さて、ヨハネの手紙第一の4章は、「神は愛である」ことが記されています。7節では●「愛は神からでている」と証しされています。そして、神がその愛を示されたのは、まず、神のひとり子であるイエス・キリストをお送りくださり、私たちの罪をその方の命によって償われたことによります。9節10節にそのことが記されています。

●「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

私たちは、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったということは、理解しています。しかし、残念ながら、今の私たちには、神様も、御子イエス様も、聖霊様も見えません、見ることができません。もちろん、私たちは、「見ずに信じる者は幸いです」というイエス様のお言葉を知っています(ヨハネ20:29)。これは、復活のイエス様に会えなかったトマスに対しての言葉でありました。しかし、トマスも弱い人間であり、私たちも輪をかけて弱い。できることなら、神様にも、イエス様にも、聖霊様にもお会いしたい。しかし、それは、この世ではかないません。そのことが可能のは、天の御国でです。私は、永遠のいのちもそうですが、天の御国で、神様にも御子イエス様にも、お会いできることを楽しみにしております。

さて、使徒ヨハネはそのような私たちの気持ちを知ってか知らずか、12節で次のように述べます。

●「もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」

私たちが互いに愛し合うことによって、神が私たちうちにおられることが明らかにされ、愛が私たちのうちにおいて、完成する。つまり神の愛は、私たちキリスト者が互いに愛し合うことができることの上に現われるのです。もっと言えば、私たちキリスト者が互いに愛し合うことによってのみ、神の愛が現れ、まわりの方々が、私たちに神の愛を見ることができるのです。実に、私たちがよく耳にし口にする、「キリストの香りを放つ」とは、私たちが愛し合うことで、実現すると言っても過言ではないでしょう。

もちろん、奇蹟や不思議によって、神の力と威厳を示すことはできるでしょう。また、神もそのようになさるのかもしれません。しかし、キリスト者全員が、奇蹟や不思議の賜物を与えられているわけではありません。キリスト者全員が与えられているのは、神の愛であり、互いに愛し合うことの素地であります。ヨハネは4章16節で次のように説いています。

●「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

キリスト者は、新たに神によって造り替えられているのです。神の愛の作品であります。私たちは、このことを心にとどめておかなければいけません。私たちキリスト者がお互いに神の愛の新しい作品であるならば、私たちはお互いを尊重し、尊敬しあい、神が私たちを愛してくださるように、お互いに愛し合うはずであります。また、イエス様が私たちに仕えてくださったように、私たちはお互いに仕え合う存在であるはずであります。

しかし、残念ながら、私たちは、お互いを尊敬できず、愛し合えず、仕え合えない、そのようなことがあるのではないでしょうか。ヨハネはこのような現状を見て、注意喚起を促しています。

●「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」

私たちは、神の愛の新たなる作品であること、それを肝に銘じておかないといけないのではないかと思うのであります。そして、神の愛は私たちに現われており、お互いに愛し合うなかで、私たちはキリストを証しすることができるのです。つまり、一人でイエス・キリストを証しするよりは、私たちの交わりの中において、イエス・キリストご自身が現れてくださる、そのような私たちでありたいと願わされるのであります。

さて、皆さまお待ちかねの、八さんも熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、今日の「キリスト者は神の愛の現われ」から、何を思われますか。

―――――

八: わてらは、神様の新しい作品って、ええひびきやぁ。

熊: わてらには、神様の愛がいっぱいつまってる、うれしいなぁ。

八: けど、お互いに愛し合っている中に、神様の愛が現れるっていうの、あぁ、きびしいなぁ。

熊: 八と愛し合ってる?って、ちょっと気持ちわるぅ!

八: わてかて、いややわ。、、、愛し合ってる、ゆうから、あかんねやわ。

熊: 大切におもってる、ぐらいでええんちゃうか。

八: せやなぁ。愛し合う、ゆうてしまうから、わてらには、ミスリードなんや。

熊: なんや、そのミス何やって。おなごはんのコンテストかいな。

八: なにゆうてんねん。ミスリードちゅうのは、誤解をまねくちゅうこっちゃ。

熊: いややなぁ、ええぇ、カタカナ言葉つこて、どっから、そんなん仕入れてきたんや。

カタカナ言葉つこたら、ええっちゅうもんとちゃうで。

ひとつ覚えの、どこぞ政治家みたいやないか、漢字もよう読まれへんのに。

八: でも、デンデンは云々(うんぬん)って読めるでぇ。

熊: 八、ちょっとネタが古すぎひんか。ところで、愛し合うちゅうのが、誤解まねくねんな。

八: はいな。クリスチャンが愛し合う、ゆうのは、助け合うということもあるけど、

それだけやないで。祈り合うちゅうこっちゃ。

それに、ええ交わりをもつゆうこっちゃろやろな。

熊: それやったら、このみ言葉やないか。

●「もし、あなたがたのうち、ふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

八: おお、ヨハネの福音書の18章19/20節やな。

熊: そや。わてらが集まって、祈ったり、交わったりしていると、

イエス様がその中にいらっしゃるわけや。ということはやな、神様は愛やし、

神様のひとり子であられるイエス様も愛や。

せやから、わてらの交わりには、神様の愛があるんや。

祈り合ったり、交わったりすることが神様の愛の現われなんや。ちゃうか?

八: 熊、おまはん、さえてるやないか。

クリスチャンが愛し合うちゅうのは、惚れ合ったり、好きになったりするのとは

ちゃうねん。クリスチャンの中でも、性に合わへん人もおるやろ。

愛し合うちゅうのは、それを無理に好きになりなさいと言っているわけやない。

まずは、相手のことを祈る、同じ神様にあっての兄弟姉妹なんやからな。

だから、クリスチャンが愛し合うちゅうのは、祈り合ったり、交わりをもつ、

ちゅうことなんやな、そこに、神様の愛が現れる。これが大事なんや。

熊、あんたに、愛はあるんか!

熊: 何ゆうてんねん、やぶからぼうに。

たしかに、ヨハネはんの言うように、わてらは不完全やから、

クリスチャン同志で憎み合うこともあるかもしれへん。

けど、わてらは、神様の愛の新しい作品やから、祈りをもって赦し合わなあかんわな。

むずかしいとは思うけど。

八: そやな。聖霊様に、ひと働きもふた働きもしてもらわんと、

わてらの力では、でけへんやろな。

熊: しかし、ヨハネはんの、「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、

その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、

目に見えない神を愛することはできません。」という言葉は、いやぁ、きびしいなぁ。

八: けど、それは、真理やで。見えるものを愛されへんのは、見えんものも愛されへん。

熊: とにかく、祈り合うこと、交わりをもつこと、助け合うことが、

愛し合うことの一つやと思うし、

イエス様がそこにいらっしゃるんやから、神様の愛がそこに現われるんやろな。

牧師はん、こんなもんでどうでっしゃろか。

愛し合うちゅうのは、相手を、神様の作品として大切に思い、祈り合い、

交わりをもちつつ、助け合うちゅうことでええんでっしゃろな。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。愛し合うとするなら、ちょっと荷が重たいかもしれませんな。けど、祈り合うとか、良き交わりを持つというのが、愛し合うことのひとつやとしたら、私たちがいつもさせてもらっていることですから、ホッとしますね。その、私たちの祈り合い、楽しい交わりをもつ中に、神様の愛が完成する。うれしいやないですか。そのことによって、本当の意味で、主を喜び、キリストの香りを放つ者となることが成就するのでしょうね。今朝は、このことを学ばせていただき、また励まされました。

さて、今から黙想の時を持ちたいと思います。どうか、今朝の学びの中で、示されたこと思わされたことをもう一度振り返ってみてください。

黙想の時に、詩篇138篇をお読みいたします。

黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。ルカの福音書6:31です。

「自分にもしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」

では、黙想いたしましょう。

詩篇138篇。

お祈りをいたします。

愛する天のお父様、主の御名を賛美いたします。今朝は、「キリスト者は神の愛の現われ」と題しまして神様からのメッセージをたまわりました。私たちクリスチャンが愛し合う、つまり祈り合ったり、交わる中で、イエス様がそこにいらっしゃり、神様の愛が現れます。キリストの香りが放たれます。私たちは聖霊様にはげまされ、主にある交わりをもち、祈り合いながら、神様の愛の証し人として、この世に主の光を放つ者とさせてください。

私たちの主、イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。