ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『ヨハネの手紙』
2021時年8月22日
聖書拝読:ヨハネの手紙第三 1節~15節(新改訳聖書)
中心聖句:
「彼らは御名のために出て行きました。異邦人からは何も受けていません。ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。」(7-8)
メッセージ主題:『同労者』
おはようございます。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
今週から、パラリンピックが始まります。コロナ禍で、感染者が毎日最高値を更新している不安な中での開催ですが、それぞれが気をつけて、パラリンピックを応援したいと思います。
お祈りしましょう。
(祈り)
さて、先週は、ヨハネの手紙の第二、「愛とは」と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。八さんと熊さんのことばを借りれば、「愛とは、決して後悔しないこと」。イエス・キリストを信じて、後悔することなどありません。イエス・キリストを通して、永遠のいのちを約束され、天の喜びと平安を前倒して経験させてくださり、感謝に絶えません。それは、神の愛からでたものでした。私たちは、その感謝のお返しとして、イエス様の御名をほめたたえ、また人に親切にし、イエス様の愛を実践させていただきたいと思わされました。また、イエス・キリストの証し人として、神様の愛を伝えるものとさせていただくことを導いていただきました。
今朝は、ヨハネの手紙の第三から、「同労者」と題しまして、神様からのメッセージたまわります。
このヨハネの第三の手紙は、「ガイオ」という人にあてられたものですが、そのガイオのという人は特定できておりません。しかし、彼が、巡回伝道者たちをもてなしていたことを、この手紙の5節で、ヨハネが称賛していますので、恐らくエペソやその周りの諸教会の長老か教会員だっただろうと推測されています。
この手紙の目的は二つあり、一つは、デオテレペスという教会員が、使徒たちをののしり、服従せず、欲しいままに振舞っていたので、ガイオが彼に従わないようにと注意することと、そしてもう一つは、今まで通り、巡回伝道者の世話をしてくれるようにお願いすることです。
今朝はその中で、「同労者という意識で、クリスチャン同志が接する」ことを学ばしていただきたいと思っています。
まず、初めに「同労者」とは何でしょうか。私が、牧師になりたての頃、ある牧師から「君も同労者になったんだね」と言われました。私は、その時、少し違和感を覚えました。私のもっている漠然とした「同労者」のイメージとはずれがあったからです。
私の「同労者」のイメージは、牧師や伝道師だけではなく、「神の国のために働く、主に仕え、同じように労する仲間」だったからです。つまり、積極的に主に仕えるクリスチャン全員であります。
ちなみに、この際ですから、新約聖書中にでてくる「同労者」をすべてピックアップしてみましょう。まあ、すべてと言っても、新改訳聖書では、ぜんぶで8か所しか出てこないですし、旧約聖書では皆無ですから、特別な用語なのかも知れませんが。
ここから、しばらく礼拝ではなく、バイブルスタディのようになってしまいますが、お許しください。これも、今日は必要なことだと思っております。
●ローマ16:3-4
「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」
●2コリント8:23
「テトスについて言えば、彼は私の仲間で、あなたがたの間での私の同労者です。兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光です。」
●ピリピ2:25
「私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。」
●コロサイ4:11
「ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。」
●1テサロニケ3:2
「私たちの兄弟であり、キリストの福音において神の同労者であるテモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。」
●ピレモン1
「キリスト・イエスの囚人であるパウロ、および兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンへ。」
●ピレモン24
「私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。」
●3ヨハネ8
「ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。」
パウロが同労者と紙面上で認めたのは、
プリスカとアクラ、テトス、エパフロデト、ユスト、テモテ、ピレモン、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカ、です。
★プリスカとアクラは、夫婦でパウロのよき協力者として働いた熱心なクリスチャン。
★テトスは、ギリシャ人で、パウロが導いた熱心なクリスチャン協力者で伝道者でもあった。
★エパフロデトは、ピリピ教会の信徒で、パウロの友人でもあった。
★ユストは、パウロの獄中、パウロを慰め、コロサイ教会にパウロの手紙を届けた。
★テモテは、ギリシャ人で、パウロの愛弟子として、パウロを助けた。
★ピレモンは、パウロによる回心者のひとりで、コロサイ地方のクリスチャン。
★マルコは、イエスとイエスの弟子たちをよく知っており、パウロやバルナバとも行動をともしたこともあり、マルコ福音書の著者である。
★アリスタルコは、テサロニケ出身のユダヤ人で、パウロによく仕え、パウロのローマ囚人旅行にも同行した。
★デマスは、パウロの友人で、アジアでは名の知れたクリスチャンであったが、後に、信仰をすててしまったと、パウロにいわれた人。
★ルカは、ルカの福音書と使徒の働きの著者で、パウロに同行していた医者。
このように、同労者とは、熱心に主に仕える、主のしもべでありますから、それ以上でも、それ以下でもありません。つまり、当時の巡回伝道師に匹敵する牧師や伝道師、また教会の長老だけでもなく、熱心で誠実な信徒はすべて同労者なのです。
ヨハネはそのことを、端的に述べています。8節です。
●「「ですから、私たちはこのような人々(巡回伝道師たちのことです)をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。」
ヨハネは、巡回伝道師たちをもてなすことが、彼らの同労者となると説いています。同労者とは、牧師や伝道師や長老たちだけではなく、その人たちをサポートするクリスチャンも同労者なのです。そして、同労者の集まりが教会なのだと、私は思うのであります。
パウロは、エペソ人への手紙で、次のように述べています。
●「神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:22-23)
パウロのいう教会とは、すべての真のクリスチャンが属する、目に見えない、唯一の包括的、普遍的な教会を示していて、この教会に属するには、聖霊のバプテスマが必要です。そして、その教会の信徒は、すべて同労者なのです。実は、その目に見えない教会の不完全な形として存在するのが地球上にある教会ではないかと、私などは思うのであります。
目に見えない教会もそして、この地上にある教会も、教会はキリストのからだであって、またキリストは教会のかしらです。
●「御子は、万物より先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」(コロサイ1:17-18)
教会がキリストのからだであるなら、教会はキリストの恵みで満ち満ちているはずです。救いの感謝と喜びと、主の御名の賛美で満ち満ちているはずです。キリストの恵みとは、ただキリストを信じるだけで、罪赦され救われ、永遠のいのちを約束されるということです。救いにあずかるためには、主を信じ信頼するということ以外なにもありません。
しかし、救われた私たちの教会には福音的使命があります。キリストの恵みを、世に伝えるという使命です。イエス様はおっしゃいます。
●「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(ルカ10:3-4)
福音の種をまく人も必要なら、収穫する人も必要です。種が成長し実るのは、神様です。私たち教会は、キリストのからだとして、福音的使命をおびています。その福音的使命を教会が一致団結して、果たそうとしなければいけません。それが同労者です。教会にはさまざまな機能があります。体の機能にいろいろなものがあるように。しかし、キリストによる統率がとれていないと、また各機能がそれぞれバラバラに考え、バラバラに行動するならば、それはもはや同労者の集まりではなくなります。
教会の各機能に調和がとれていないのは、その各機能が、自分の頭はキリストであるということを忘れてしまっているからではないでしょうか。また、お互いに心を合わせて祈っていないからかもしれません。イエス様はおっしゃいます。
●「まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:19-20)
ふたりや三人というのは、集会や教会の最小単位でしょう。そこに頭であるイエス様がいらっしゃいます。そして、そこにいる二人や三人の心ひとつとなって祈る人たちは、みな同労者なのです。イエス様は、私たち同労者を次のように励まされます。
●「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
同労者として、福音を宣べ伝えるのは、容易なことではないのかもしれません。しかし、イエス様が共いてくださって、平安を与えてくださいます。そして、ご自身が世にも死にも勝利されたように、私たちに必ず勝利をもたらす方なのです。そして、いつも私たちと共にいてくださいます。勇気をもって、また喜びをもって、同労者として教会がひとつとなって福音を宣べ伝えるものとさせていただきましょう。
イエス様は私たちに期待されておられます。
●「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父・子・聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18-20)
さて、皆さまお待ちかねの、八さんも熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、今日の「同労者」というメッセージから、何を思われますか。
―――――
八: 「同労者」か、わては「同労者」というよりも、
ピリピ書にあった、「戦友」の方がまだピンとくるなぁ。そう思えへんか、熊。
熊: せやなぁ、けんど「戦友」っていうのもなぁ。わてら「戦争知らない子どもたち」やし。
八: 先週につづいて、また歌かいな。たしか、北山修さんの曲で、ジローズがうとてたっけ。
歌うなよ、熊。
熊: 歌えへんがな。それに、そこがポイントとちゃうやん。「戦友」やろ。
「戦友」というより、、、、「同志」やな。同じ志をもつ。
神様の愛を伝える、イエス・キリストの恵みを伝える、「同志」や。かなぁ、、、
八: なるほどな。ところで、英語ではなんてゆうてるんやろな「同労者」って。
熊: 横丁のご隠居はんは、fellow worker って言うてたな。けど、決まった言葉はないんやて。
Fellow は「同志」、worker は「働く人」や。
八: そうか、日本だけの言葉かいな。日本人らしいな、なんか「特殊な働きをする人」のように
あつこうて、「同労者」っていう言葉作って。
この「同労者」っていう言葉、明治のころのエリート意識が作った言葉かもしれへんな。
知らんけど。
熊: わてら、エリートとちゃうし、fellow worker 「共に働く人」それでええやん。
わてらの神様のために、イエス様のために、いっしょに働くんや。ある人は、牧師や。
ある人は、音楽担当や。ある人は、食事担当。これも大切やでぇ。交わりにはかかせへんからな。教会は交わりあってなんぼのもんやから。
八: そやったな、わてら二人とも、食事につられて、教会の敷居またいだんやもんな。
熊: あんときの、カレーライス、美味しかった。二杯もお替りしたで。
八: それに、ほら、リンゴのデザートと、なんか手づくりのプリンもなかったか。
わて、二つもろたで。
熊: いっしょに、知らん歌うとて、手拍子したな。
お土産にお菓子と新約聖書もろた。楽しかったわ。
牧師さんの説教は、チンプンカンプンやったけど、証しはよかった。
聞き入ってて、涙でたわ。
八: あれからや、毎週日曜日、通わしてもらってんのは。
あんときの「おもてなし」。うれしかったなぁ。
なんか、教会のみなさんが、「ようこそ」って挨拶してくれて。
熊: そや、これが、イエス様にあって、「共に働く、共に喜んで、神様をお伝えする」
ちゅうことなんやろな。たしかにしんどい時も、悲しい時もあるやけんど、
イエス様がともにいてくださって、心に平安をくださるんや。
イエス様は、勝利者や。わてらもいっしょに勝利に導いてくださるんや。
八: 「同労者」ってちょっとイメージ暗いわ。それにさっきのわての「戦友」も撤回や。
「同志」もわてらには似合わんかもしれん。もっと明るくないと。
熊: なんかええフレーズが浮かばへんな。「神を喜び、神に仕える友、いや神の家族」
牧師はん、わてら「同労者」っていう言葉、あんまり好かんは。
なんか、ええのん、考えて。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。「同労者」ねぇ。なんかいい言葉が見つかるといいですね。いっしょに考えましょう。英語圏の教会でしたら、fellow worker っていう平凡なことばですむんですのにね。だけど、よかったです、「同労者」ということを考える機会ができましたから。私たちは、イエス・キリストを頭とする、神の家族です。これまでも、これからも。それぞれが、それぞれの賜物をもって、助け合って、慰め合って、喜びあって、イエス様の愛と恵みをお伝えしていきましょう。ぜったいに一人だけに負担がかからないよう、配慮していきましょう。
さて、今から黙想の時を持ちたいと思います。どうか、今朝の学びの中で、示されたこと思わされたことをもう一度振り返ってみてください。
黙想の時に、詩篇33篇をお読みいたします。
黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。マタイの福音書25:21です。
「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
では、黙想いたしましょう。
詩篇33篇。
お祈りをいたします。
愛する天のお父様、主の御名を賛美いたします。今朝は、「同労者」と題しまして神様からのメッセージを賜わりました。「同労者」とは、特別な任務を授かった人ではなく、教会という神の家族のもとにあって、共に福音的使命を共有する人たち、つまりクリスチャン全員であることを学ばせていただきました。どうか、私たちが、それぞれの賜物を求め、その賜物を忠実に使って、福音の種をまき、収穫する者となりますよう、また喜んで、その下働きをする者とさせてください。
私たちの主、イエス・キリストのお名前により、喜びと感謝をもって、お祈りいたします。アーメン。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。