ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『ヨハネの黙示録』
2021時年9月12日
聖書拝読:ヨハネの黙示録1章 9節~20節(新改訳聖書)
中心聖句:
「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている物である。わたしは死んだが、身よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」(17-18)
メッセージ主題:『最初であり、最後である:リスクフリーの道』
おはようございます。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
さて、先週は、ユダの手紙から、「主のあわれみを待ち望む」と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。「主のあわれみを待ち望む」とは、私たちの周りの方々に対する主の救いの御業を祈り待ち望むということでありました。主は、ユダを通して、私たちに、主の証し人として、主の愛と恵みを伝えなさい、その人が信じるか信じないかは主の選びの領域であることを明らかにしてくださいました。私たちがいつも主を喜び、キリストのかおりを放ちつつ、主の恵みをお伝えすべきことを学びました。
今週からは、ヨハネの黙示録を22週にわたって、見させていただきます。なんか、とうとう主日礼拝のメッセージとして、ヨハネの黙示録に手を付けることになったかと、身が引き締まる思いと、主に導いていただかないと私には無理という感情が入り乱れています。
ヨハネの黙示録のことをほんの少しだけ触れておきたいと思います。
ヨハネの黙示録は、紀元90年代に書かれたものであると推測されています。この時代は、紀元64年に起こったローマの大火に端を発したネロの迫害から、キリスト教への弾圧が激しさを増して行った時代であります。ヨハネの執筆の目的は、もちろん、主が直接、ヨハネに書き送るように命令したもので、迫害にあっていた当時の教会にあてたものです。信者たちを励まし、後に起こることを示して、主の再臨の時を、信仰と忍耐をもって待ち望むよう勧めるものでありました。
今朝は、その第1章から、「最初であり、最後である:リスクフリーの道」と題しまして、神様からのメッセージを賜わります。主は「アルファであり、オメガである」と、また「最初であり、最後である」とおっしゃいます。つまり、主は永遠であるということでもあるでしょう。永遠ということは、完全ということでもあり、リスクがない、とも言えるのではないでしょうか。今朝はこのことを黙想し、主に導いていただきたいと思います。
まず、お祈りをさせていただきます。
コロナの第5波は少しずつですが、収まる気配をみせておりますが、ここで油断すると、どんどんひどくなっていくことは目に見えているようなきがします。インドでは、人口が多すぎて、ワクチンが行き届かず、40万人という死者をだして、ようやく、ワクチンによってではなく自然集団免疫ができてきて、収まりつつあるようです。つまり、国民の大半がコロナウィルスに感染し、コロナにたいする抗体ができた人が生き残ってきているということらしいです。これまでも、どの時代でも、そのように、ウィルスに強い者が生き残り、集団免疫を造り出してきているわけですが、今回のインドのように40万人という大きな犠牲が払われてしまいました。しかし、神様は私たちに、ワクチンという知恵を与えてくださって、ワクチンによる集団免疫を造り出すことを許されました。もちろん、ワクチン接種による健康の不具合や死者もでていますから、リスクはないわけではありません。
私たちは、生きていく上で、常になにがしかのリスクを背負っています。リスクとは、自分の思いに対する障害でもありますが、どのような道を歩もうとも、100パーセント安全な道はありません。しかし、その道は自分の思いの道です。もしこれが神様の御心の道であれば、どうでしょう。神様はまったくの義の方であり、神の教えは完全であります。詩篇19篇7節8節では次のようにあるとおりです。
●「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」
この詩篇の言葉には、リスクは何も存在しないように思われます。当り前です。神に、また神の教えにリスクは存在しません。神様が私たちのために示されるリスクはないはずです。しかし、私たちの人間的な思いが、私たちが生きている限りリスクを生むのではないでしょうか。もし、私たちが生きている限りリスクが伴うのであれば、それを最小限にすることが望ましいでしょう。そのためには、神様の道に私たちが限りなく近づく、また聖霊様によって近づかせていただくことが必要なのでしょう。リスクフリーの道は、神の道なのです。
主は、黙示録1章17節18節で次のようにおっしゃいます。
●「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」
ハデスとは、死後、未信者の霊が一時的にいる場所であると解説書にはありました。イエス様は、死を克服し、永遠のいのちを得、裁きをつかさどる方であります。イエス様は次のようにおっしゃいました。(ヨハネ5:21-24)
●「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。また、父はだれもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」
イエス様には、罪によって死にいたる私たちに、永遠のいのちを与える権威を、父である神様から授かっておられる方です。そして、その権威は永遠であります。つまり、神の道がリスクフリーの道であれば、イエス様の示される道もリスクフリーであります。永遠のいのちへの道はリスクフリーの道であり、イエス様がその道なのです。
●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
イエス様こそが、いのちへの道であります。そして、それは、リスクフリーの道なのであります。そして、私たちが自力でこのイエス様の道を歩むのではありません。イエス様がその歩みを可能にしてくださるのです。
●「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14:13&14)
私たちは、イエス様を信じ、イエス様に「イエス様の道をあゆませてください」と求めるしかないのです。イエス様の道とは、イエス様の戒めを守ることです。イエス様の戒めとは、これです。
●「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)
イエス様はご自分の命をかけて、私たちの罪を帳消しにされ、私たちを救ってくださいました。私たちはそこまでできないかもしれませんが、完全でなくても、お互いを愛そう、お互いに祈り合おうと努力することはできるでしょう。また、イエス様のなされたことを、他の方にお伝えしようとすることはできるでしょう。それが、私たちの責任ではないでしょうか。それが、イエス様のわたしたちに望まれていることではないでしょうか。
さて、今朝は少し早いですが、八さんも熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、今日の「最初であり、最後である:リスクフリーの道」というメッセージから、何を思われますか。
―――――
八: なるほどなぁ、イエス様の道は、リスクフリーの道か。こりゃええなぁ。なあ、熊。
熊: わてらの道は、リスクばっかりの道や。そう思うと、生きるのもしんどいわ。
ええかげん、つかれんで。
八: だから、イエス様いいはったんやな。
●「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
熊: ほぅ、マタイの福音書の11章28節でんな。わて、このみ言葉に癒されまんねん。
イエス様のところに行ったら、イエス様、ぎゅーっと抱きしめてくれはんねんから。
疲れもふっとぶちゅうもんや。チョコラBBやサロンパスやユンケルもええけんど、
やっぱりイエス様のギューがいちばんやで。
「静まって、我こそ神であることを知れ」(詩篇46:10)
イエス様のもとに行くと、平安がある。安らぎがある。何にも代えがたいもんやで。
八: リスクがない、ちゅうのは、ストレスがたまらんな。
あれやこれやと考える必要がないんやから。
熊: そやなぁ、イエス様にしたごうてたら、たとえ、問題があっても、
イエス様が解決してくださんねんからな。
八: 熊、ええことゆうたな。イエス様にしたごうてるからって、問題がないことはないんや。
そこを勘違いされるお人が多いから、なんぎやわ。
熊: わてらは、ストレスの多い世界にすんどる。
せやから、クリスチャンであろうがなかろうが、問題はある。
八: ストレスも問題もリスクもないのは、天の御国だけや。あそこでは、白い服着て、
賛美と祈りが、四六時中されてて、平安と喜びで満たされているんやから。
熊: けど、ほんまに、イエス様の道はリスクフリーかいな?
八: 当たり前やないかいな。リスクちゅうのは、危ない橋や不安定な橋を渡るから
リスクなんや。まったく危なくない橋渡るんやったら、安心やろ。
さっき、牧師さんもゆうてはったやないか。「主の教えは完全」やて。
完全なものには、リスクはあらへん。永遠のものにも、リスクはあらへん。
永遠やないからリスクちゅうのは出て来るんや。この世の人生も永遠とちゃう。
そやから、リスクだらけなんや。
熊: リスクの多いものに人生かけてもしゃぁないな。例えば宝くじに人生かけてもあかんわな。
八: ほんまや。はずれの方が多いんやから、そんなことしたら、人生、はずれっぱなしや。
損するばっかりや。そんなアホくさい人生、あゆみたぁないわ。
熊: イエス様信じたら、はずれなんかないんやから。いつ引いても、天国いきやで。
八: もれなく、天国行きのチケットの聖霊様、いただけるんやから。空くじなしやで。
熊: ある人がゆうとったな。空くじのない人生は、おもろない。
勝ったり負けたりするから、おもろいねんて。
八: たしかに、ギャンブルみたいなもんはそうかもしれん。けど、生きるか死ぬかの選択やで。
だーれも、死にとうない。死ぬか生きるかのリスクなんてまっぴらごめんやろ。
熊: イエス様のくじ引いたら、みんな当たりや、景品は、天の御国での永遠のいのちや。
ごうせいなもんなんやねんけど。
ああ、それを、みーんなが分かってくれたらええんやけどなぁ。もったいない話や。
イエス様のくじは、ただなんやでぇ。
八: そやなぁ。みんながイエス様のくじ、ひいてくれたらええなぁ。
牧師さん、リスクフリーってええでんなぁ、ストレスなく平安そのものや。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。イエス様の道はリスクフリー。ストレスの多いこの世の中で、イエス様との交わりは、ホッとします。八さんがゆうてはりましたな。●「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」この言葉には、嘘はありませんし、リスクもありません。みことばは真理です。まったくのリスクフリーです。どうか、みなさんもイエス様のリスクフリーを楽しんでください。
イエス様くじ、ひいてみませんか。
さて、今から黙想の時を持ちたいと思います。どうか、今朝の学びの中で、示されたこと思わされたことをもう一度振り返ってみてください。
黙想の時に、詩篇49篇をお読みいたします。
黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。ヨハネの福音書14:27です。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
では、黙想いたしましょう。
詩篇49篇。
お祈りをいたします。
愛する天のお父様、主の御名を賛美いたします。今朝は、「最初であり、最後である:リスクフリーの道」と題しまして神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。ただ、イエス様を信じる、イエス様により頼む、それだけで、私たちはまったくリスクなく、救われます。永遠のいのちに導いてくださる聖霊様が、私たちの心の内にお住まいくださいます。私たちは、聖霊様の働きによって、天の御国にある平安と喜びに、この生きている間に満たされるという特権を得ることができます。まことに感謝いたします。どうか、私たちを主の道へと導いてください。
私たちの主、尊いイエス・キリストのお名前により、感謝をもって、お祈りいたします。アーメン。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。