大阪エリム・キリスト教会
木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)
9月16日
担当:若竹孝行
メッセージ:「エゼキエルもびっくり」(15分間メッセージ)
今朝の聖書通読箇所:エゼキエル40章〜42章
40章を交読。(新改訳2017)
中心聖句:40:4
「その人は私に話しかけられた。『人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべてのことを心に留めよ。わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。」
おはようございます。そして、お帰りなさい。
今朝も比較的短いメッセージとなります。お赦しください。
バビロン捕囚中のエゼキエルに、神は神の神殿を見せられました。この40章から最後の48章までその神殿の描写が克明に記されています。このエゼキエルに見せた神殿は、イスラエルの霊的復活の中心であると思われます。神はエゼキエルに神殿の幻を見せ、イスラエルの民に希望を伝えよとおおせになられました。
このイスラエルの復活の象徴である神殿の幻を見せられたエゼキエルは、どんなに感謝し、驚嘆したことでしょうか。バビロン捕囚から苦節25年、ようやく神が、預言者であり祭司であるエゼキエルにイスラエルの復興の兆しを知らせたのです。そして、このイスラエルの復興は、神礼拝の回復でもあります。
さて、私は、この神殿の詳細には触れたくありません。なぜなら、イメージがつかめないからです。そのことはまた、他の方におまかせすることにいたします。
バビロン捕囚という暗黒の時代、エルサレムの神殿は完璧に破壊され、バビロン捕囚の民は、生きてはいますが光は見失っていました。しかし、エゼキエルを通して、民はイスラエルの復興という希望を見せられ、そして、再び、自らの神への信仰に目覚めたのであります。
イエス様が宣教を開始する時、イエス様はナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれました。これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであったとあります。(マタイ4:13-16) マタイはイザヤ書9章2節を16節で引用しています。
●「闇の中に住んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」
この時の闇の中に住んでいた民、死の陰の地に住んでいた者たちとは、バビロン捕囚の民のことを指していますが、イエス様の宣教が始まったときに、このイザヤ書の預言が引用されたということは、イエス様ご自身が、ローマ支配に苦しむ民に対する大きな光であり、そして現代の私たちにとっても、イエス様が死の陰の地から、私たちを救い出される私たちの光であることを暗示しています。
使徒ヨハネは、イエス様のことを光と表しています。ヨハネの福音書の1章です。
●4節「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。」
●5節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」
●9節「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」
使徒ヨハネによると、イエス・キリストはこの世に来るべき光であり、イエス・キリストを信じる人は、神の子どもとなる特権が与えられるのであります。
●12節「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」
福音書の筆者たちは、「イエス様が神の子」であることを記していますし、またイエス様ご自身も、自分は神の子であることを否定はしませんでした。祭司長たちが、イエスを陥れる口実を見つけたところです。(ルカ22:70)
●「彼らはみな言った。『では、おまえは神の子なのか』イエスは彼らに答えられた。『あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。』」
イエス様は、神の子であり、イエス様を信じた人たちと神の子どもとなる特権を得ます。
このことは、パウロもローマ人の手紙の中で力強く説いています。少し長いですが、私の大好きな御言葉の一つなので、読ませてください。(ローマ書8章14節~17節)
●「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」
実に、エゼキエルが神によって見せられた幻の神殿は、イエス様によって建てられた、天の御国であり、イエス・キリストを信じる私たちは、その天の御国である神殿をイエス様と共同相続する者なのです。この良き知らせを、もしもエゼキエルが聞いていたなら、小躍りして喜んだのではないでしょうか。神によって見せられた神殿が、自分のものとなり民のものとなる。この知らせは、暗闇の中の一筋の光どころではありません。暗闇が、一瞬のうちに消え、光に包まれている状態とも言えるのではないでしょうか。イエス様の恵みはそのようなものなのです。私たちは、幸せです。そのイエス様の恵みのまっただなかにいるのですから。どうか、その幸せを私たちの周りの人に、暗闇の中でもがいている人たちに、お伝えし、共に、天の御国の相続人とさせていただきましょう。
主の約束 (acoustic ver) - Ruah Worship
https://www.youtube.com/watch?v=cn23KJI73pQ&list=RDmdbvkPkj7i8&index=2
お祈りいたします。
主のいのり