ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『ヨハネの黙示録』
2021時年9月19日
聖書拝読:ヨハネの黙示録1章 9節~17節(新改訳聖書)
中心聖句:
「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない。新しい名が書かれている。」(17)
メッセージ主題:『勝利を得る者は』
おはようございます。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
先週金曜日の朝、テレビで台風情報を見ようとしていましたら、NHKの朝ドラがやっていて、「人を助けようとするのはいい、しかし成果を求めてはいけない」というような台詞が飛び込んできました。そこから、次の言葉をいただきました。『人を助けようとするのは大切、しかしそれに成果を求めない。それは主の御業。もしも成果を知れば、主の御名を崇めよう。』
「成果」というのは、ここでは、例えば、助けようとしたが助けられなかったとしても、助けようと努力したことが尊い。成果である「助かる」ということは神の領域だということです。また助けることができて、その人から「ありがとう」の言葉がなかったとしても、気にしない。助けることができたのは、神の御旨だから、ということです。
ある人に神さまの事をお伝えしても、教会にお誘いしても、その事自体は尊い。しかし、その人が神さまの事を受け入れるか、教会に来られるかは、私たちの責任ではない。神さまのご計画のうちにある。もちろん、私たちはその方の応答がどうあれ、主に期待し、その方のために祈り続けることが大切だ、ということです。
聖書のみことばは、成果主義、合理主義、効率主義の反対側にあるものなのかもしれません。障害者の就労を支援されている牧師先生が、「非効率の追求こそ、個性を生かし、その方の役割を見いだす」というようなことをおっしゃっておられました。実は昨日18日の「福音の光」の特集でのお話しの中でした。障害者であろうが、健常者であろうが、教会にひとりひとりの居場所をつくることができれば、嬉しいですね。
さて、今朝も成果主義とは正反対にある御言葉を学ばせていただきましょう。
お祈りいたします。
先週は、ヨハネの黙示録第1章から、「最初であり、最後である:リスクフリーの道」と題しまして、神様からのメッセージを賜わりました。主は「アルファであり、オメガである」と、また「最初であり、最後である」とおっしゃいます。つまり、主は永遠であるということでもあるでしょう。永遠ということは、完全ということでもあり、リスクがない、とも言えるのではないでしょうか。イエス様の道はリスクフリー。ストレスの多いこの世の中で、イエス様との交わりは、ホッとします。●「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」この言葉には、嘘はありませんし、リスクもありません。みことばは真理です。まったくのリスクフリーです。私たちは、イエス様のリスクフリーを楽しむ特権を得ているのだと学ばせていただきました。
今朝は、つづいて第2章から、「勝利を得る者は」と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。黙示録の2章3章にかけて、7つの教会にあてた手紙が記されています。2章では、エペソ、スミルナ、ベルガモ、テアテラの教会へ、3章では、サルデス、フィラデルフィア、そしてラオデキヤの教会へあてた手紙です。一つ一つの教会への手紙の最後には、勝利を得る者への励ましが書き送られています。
●「勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」(7)
●「勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」(11)
●「わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。
その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」(17)
●「勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、
諸国の民を支配する権威を与えよう。」(27)
●「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。」(3:5)
●「勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出ていくことはない。」(3:12)
●「勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。」(3:21)
2章の27節以外のこれら6つのことばを要約すると、『勝利を得る者は、最後まで主のわざを守る者であり、主とともにあり、永遠のいのちにあずかる。』ということです。では、2章27節のみことばも同じなのでしょうか。●「わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。」とはどういうことでしょうか。
マナとは、モーセの民がエジプトをでてから約束の地カナンに到着するまで、日々、神によって与えられた不思議な食べ物でした。(出エジプト記16:4)
●「主はモーセに仰せられた。『見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。』」
このマナと呼ばれる天からのパンは、民の食料でもありましたが、それと同時にイスラエルの民を試みる、つまり神に毎日従って生きるかどうか、神への服従を試されるためのものでありました。また、現代の私たちには、イエス様によって、イエス様ご自身がいのちのパンとしてささげられました。(ヨハネ6:35)
●「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
●「わたしは、天から下って来た生けるパンです。それでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:51)
イエス様のパンは霊的なものです。イエス様はおっしゃいます。
●「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)
御言葉は、私たちにとって、日々の糧であり、霊的なパンなのです。そして、そのパンがいのちとなるのです。
ヨハネのいうところの「隠れたマナ」とは、霊的な栄養である、御言葉であり、聖霊様でもあるでしょう。
また、勝利を得る者には、「白い石」が与えられます。この「白い石」は、意味ははっきりとしません。一説では、ギリシヤでは、被告が無罪であることを示すために陪審員は白い石を用いたというところからきているとあり、また他の説では、大祭司がその胸当てにつけていた白い石で、それは神のみこころをうかがったものであった、その白い石は神の義のしるしであるとあります。また、当時、公的な宴会場への入場許可書がわりの白い石であることから、天の御国への許可書、つまりいのちの書の対となるもので、それゆえに、「その石には、それを受ける者には、新しい名が書かれている」のであるという説。
●17節「白い石には、それを受ける者のほかにだれも知らない、新しい名が書かれている」のであるから、その名は神と本人しか知らないわけで、キリスト者は、神に個人個人の名を知られていることになります。全く嬉しいことであります。イエス様がシモン・ペテロのことをケパと親しみをこめて呼ばれたように、私たちひとりひとりに、主が親しみを込めて名付けてくださるのです。それは、私たちが新しく生まれ変わったことを意味します。
そして、「生まれ変わる」というのは、天の御国に入る時のことだけを意味してはいません。ベルガモにある教会の信徒にたいして、「悔い改めなさい」(16節)と主はおっしゃいます。つまり、日々マナが与えられるように、日々悔い改めが必要なのです。日々主のもとに帰る必要があります。日々新たにされるのです。
「悔い改め」とは、イエス・キリストを信じ受け入れた人々に対する、神の大いなる恵みであります。日々の悔い改めに導かれるからこそ、私たちは日々新たにされ、罪を犯しにくい性質へとつくりかえられていくのです。
今朝のメッセージから、「勝利を得る者は、日々主と御言葉によって、悔い改めに導かれ、日々新しくされ、つまりは主とともにあり、最後まで主のわざを守る者であり、ゆえに、永遠のいのちにあずかることのできる者であります。」日々の生活において、御言葉に大切にし、主に目をとどめておきましょう。勝利を得る者は、ここから始まるのです。
さて、八さん、熊さんにも登場していただきましょう。八さん、熊さん、今日の「勝利を得る者は」というメッセージから、何を思わされましたか。
―――――
八: 「勝利を得る」っていうのは、天の御国に招かれ、永遠のいのちを約束されてる
っていうことなんやけど、牧師さん、ゆうてはったな、
「勝利を得る」ゆうのは、毎日のことなんやって。
熊: そうや、毎日に勝利するゆうことや。毎日、イエス様の方向いて、御言葉たべて。
八: モーセの民のように、毎日マナたべて、
熊: けんど、あのマナ、おいしくなかったやろなぁ。
八: そうでもないかもやで。蜜をいれたせんべいのようやったゆうて、
出エジプト記の16:31に書いてあるらしいでぇ。
熊: せんべいなぁ、密をいれるんやから、コーフレークみないなもんかもしれへんな。
八: コーンフレークやったら、生で食べても、ミルクかけてもおいしいけど、
同じ出エジプト記の16章には、「焼きたいものには焼き、煮たいものには煮よ」
って書いてあるそうやから、煮ても焼いても食えるんやな、マナは。
熊: 煮ても焼いても食えるか、、、八と正反対やないか、煮ても焼いても食えん。
八: わて、そんなにどうしようもない男なんか?
熊: 冗談やがな、冗談。まにうけんといてぇ。
八: けど、なんぎやで。煮ても焼いても食えるせんべいって。どんなんやろ。
熊: 話が、マナになってるけど、勝利の話やろ。わてら、イエス様いのちや。
イエス様こないゆうてはるやん。
●「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです。」って(ヨハネ16:33)
八: イエス様は十字架にかかって死なれはったけど、三日目によみがえられて、天に昇られた。
イエス様は死に勝利しはったんや。
熊: 勝利宣言されたイエス様を信じ続けたら、わてらもその勝利にあずかることができるんや。
ありがたいなぁ。
八: まっこと、信仰は勝利や。ヨハネのだんなもおっしゃってるで。
●「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に打ち勝つ者とはだれでしょう。
イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(1ヨハネ5:4-5)
熊: そうか、イエス様を信じ続けるだけで、勝利なんや。ええなぁ。
八: イエス様を信じているわてらは、やっぱり、毎日が勝利なんや。
牧師さん、はじめのころにゆうてはったな。
成果主義とは正反対のところに御言葉があるって。
確かにそうかもしれへんなぁ。イエス様信じたら、勝利が先にある。
前倒しの勝利宣言や。
熊: 信仰は勝利、毎日が勝利やな。牧師はん、
わてら成果主義やのうて、聖い歌とかいた聖歌主義や。
神様に賛美して、毎日すごしまっさ。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。たしかに、イエス様信じただけで、勝利ですね。神様を毎日賛美して、勝利の歌声です。日々、神様の方を向き直して悔い改め、御言葉たべて、栄養つけて、勝利の歌声で、神様のほめ歌うたいましょう。
さて、今から黙想の時を持ちたいと思います。どうか、今朝の学びの中で、示されたこと思わされたことをもう一度振り返ってみてください。
黙想の時に、詩篇98篇をお読みいたします。
黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。ヨハネの福音書4:14です。
「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
では、黙想いたしましょう。
詩篇98篇。
お祈りをいたします。
愛する天のお父様、御名を賛美いたします。今朝は、「勝利を得る者は」と題しまして神様からのメッセージを賜わりました。世に勝利されたイエス様を信じることで、私たちも勝利に導かれます。どうか、私たちの主であるイエス様を信じ続け、悔い改めて、イエス様を見つめ直し、勝利の賛美を歌うものとさせていただきましょう。また、日々において、御言葉を食べ、私たちの霊的な血と肉とさせていただきましょう。
私たちの主、救い主イエス・キリストのお名前により、感謝をもって、お祈りいたします。アーメン。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。