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メッセージ主題:『恐れる必要のないこの世の終わり』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

礼拝シリーズ主題:『ヨハネの黙示録』

★小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。

●11時開会:ただいまより、2021年10月24日主日礼拝式を始めます。

賛美①:麗しの白百合

https://www.youtube.com/watch?v=VBVJIpGO_Iw

賛美②:聖歌560「心にあるこの安きを」

https://www.youtube.com/watch?v=MSRFtqLqexk

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:愛を伝えるために(カバー)歌詞付き - ルア・ワーシップ

https://www.youtube.com/watch?v=MR0tW7pWV8Y&list=RDGMEMMib4QpREwENw3_jAc0YgNw&index=2

賛美④:祈りまつるわが主よ

https://www.youtube.com/watch?v=BSZV-IwtP0U&list=RDMM&start_radio=1&rv=O1uG5h4eFPY

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

【YOUTUBE配信開始】

2021時年10月24日 主日メッセージ

●聖書拝読:ヨハネの黙示録6章(新改訳聖書)

おはようございます。そして、お帰りなさい。

中心聖句:

「地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山と岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」(15-17)

メッセージ主題:『恐れる必要のないこの世の終わり』

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

先週の金曜日、他の牧師先生たちや信徒さんたちといっしょに、釣りをしに、昼の12時に船にのって夕方6時に戻って来ました。私以外の全員が10匹以上の釣果。それでも、その日は釣れなかった方だと船頭さんはおっしゃいました。私はというと、4匹。イサギとシーラとタイとサバ。私自身は初めての船釣りで4匹でも満足、というか、沖にでてからは、船酔いで釣りを楽しむどころではありませんでした。港を出るときには凪だったのですが、沖に出たときには、風が吹き、波が荒くなってきていました。それでも私は強がって、空を見上げながら「沖へ出でよ」という歌を何回も繰り返し繰り返し歌っていました。「沖へ出でよ、岸を離れ、主の恵みのただ中へ、いざ漕ぎ出でよ。」新聖歌345番。この歌は、ルカの福音書5章4節が元となっています。イエス様はシモンペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」というお言葉に疑うことなく従って網をいれると、するとどうでしょう。網が破れそうなくらいに魚がとれたというくだりです。ペテロたちは夜中、網を打ちましたが何も取れませんでした。でも彼らは「おことばどおり、網をおろしてみましょう。」と従ったのです。この歌の中心は、「疑うことなく従って多くの恵みを得る」ということでしょう。

私は船尾に陣取っていましたので、アップダウンがすごくあり、一瞬のうちに気分がわるくなりました。その気分悪くなりつつあるなかで、口に出して、また心でこの歌を繰り返していました。主の恵みの中にいたいという気持ちで。実際、釣果は初めから期待していませんでした。おそらく船酔いするだとうと予想していましたので。しかし、そんな気分が悪い中、横になることももどすこともなく、かろうじて釣り糸を垂れ続けられたことは、主の憐みでしかありませんでした。また私にとっては十分すぎる4匹という釣果。それも4匹とも違うお魚さん。この違う種類の魚に主のご計画や意味を求めるつもりはありませんが、なぜかうれしくなっていました。4匹、今の私にはこれで十分。

そして、こんな気分が悪くなるようなアップダウンよりももっとひどい嵐で、イエス様は寝ていらっしゃって、弟子たちがイエス様を起こして、「なんとかしてください」と懇願します。そこでイエス様は風と湖をしかりつけ、大なぎとなるというところでありますが、そのイエス様のことを思っていました。私も弟子たちといっしょで、この風と波を一瞬のうちに鎮められるお方が、今ここに現れると、私はどんなリアクションをするだろうか。驚きもありますが、そのような方に恐怖を感じてしまうかもしれないなと、つらつらと、竿を上下に動かし、リールを巻きながら、上を向いて目をつむって、「気分よくなれ、早くよくなれ」と願っていました。釣れるかどうかも、船酔いが治るかどうかも、すべて主にゆだね切った、無力の私が、そこにいました。今回の釣りでは、とてもよい経験ができました。主に感謝いたします。

お祈りいたします。

さて、今朝は、黙示録6章です。この6章では、キリストである小羊が巻物の中の七つの封印のうち、六つを解きます。初めの4つを解くと、1つ目は白い馬が、2つ目は赤い馬が、3つ目は黒い馬が、そして4つ目には青ざめた馬が現れます。注解書には、それぞれの馬には騎手がのっていて、それが意味するのは、白い馬は、キリストとも、また武器をもった創造主に反対する者ともあり、赤い馬は流血の悲惨を表し、黒い馬は飢饉の災害を、そして青ざめた馬の騎手は、死とハデスの鍵をもっています。ハデスとは、陰府(よみ)であり、死者がねむりとどめられているところとされています。また、5つ目の封印を解くと、キリストがゆえに殉教した聖なる人々が現れ、6つ目の封印を解くと、自然の激変が起こり、最後の審判へと向かいます。17節に●「御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」とある通りです。

正直、私は結局この封印を解くことや解くことにおいて現れることをどう推測するのかということに興味はありません。最後の審判は、悲惨なものだと考えられます。17節の●「御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」と言われるからです。しかし、私はまったく心配していません。キリストにある者は、その時に起こる悲惨を恐れる必要がないからです。また、キリストの再臨があって、新天新地には、死もハデスもなくキリストとともにある永遠の世界があるだけなのですから。救われるということは、こういうことなのです。新天新地のことについては、21章以降に記されています。あらためて21章のときに見直してみたいと思います。

キリストの再臨は、キリスト者が望んでいることです。天に昇られ、神の右に座しているキリストが再びこの地に来ます。最初にキリストが来られた時は、キリストは憐れみ深く、つつましい姿で現れましたが、再び来られる時は、裁きの王として天の軍勢を引き連れていらっしゃいます。キリスト者は天に御国へと招かれ、神との親しい交わりを楽しむこととなります。しかし、キリストの再臨を望み、新天新地でのすばらしい生活に期待するあまり、今この世での生活を軽視するとすれば、とても残念だと思うのであります。もったいない事です。キリスト者は、聖霊様を通して、この世でも、天の御国での平安と喜びを前倒しで経験できる特権を得ています。それを経験できないのであれば、とても残念なことです。

また、キリストの再臨がいつなのかも私たちにはわかりません。今かもしれませんし、明日かもしれません。ですから、なおさらのことこの世での時間は、私たちのこの世での命が限られているように、とても大切なものであります。どうか、キリストの再臨を待ち望みつつ、キリストとともにある今を大切に生き抜いてください。キリストにすべてをゆだねるとき、あなたは、天の平安と喜びに包まれるでしょう。

さて、今朝は少し早いですが、天国長屋の八さんと熊さんにも登場していただきましょう。

八さん、熊さんよろしくお願いいたします。

――――

八: 『恐れる必要のないこの世の終わり』かぁ、アメリカの教会ジョークでこんなのがあったなぁ。教会でみんながメッセージを聞いている時に、イエス様が降りてこられ、キリスト者を次から次へと天に招待したんや。メッセージをしていた牧師は、「なんで、私が先に招待されないんだ」とちょっとムッとしたけど、気を取り直して、「次は私の番だ」と胸弾ませながら、待っていると、教会には牧師一人しかいなくなった。「私が最後か」と思っていると、いっこうにお呼びがかからない。牧師ほど、救いに遠い者はいない。

熊: それって、教会あるあるかもしれへんな。うちの牧師はん、天国行の箱舟に乗り遅れたら、

どうしまんねんやろな。

若: 八さん、熊さん、笑いごととちゃいまっせ。かなわんなぁ、そんなたとえだされたら。

八: 冗談やがな、若さん。ジョークやジョーク、気悪したら、かんにんやで。

若: 牧師あるあるかもしれん。牧師も高慢になりやすい。

いっつも、自分の中にそれを感じるわ。

熊: けど、黙示録は難しいなぁ。わてら、なかなかついて行かれへんわ。

若: わても、そやで。黙示録には、いろいろなことがオブラートに包んで書かれているから

なかなか分からん。知ったかぶりするのもいややし、いろんな偉い先生方が、

あーでもない、こーでもないって、頭ひねってんねんけど、答えはでん。

八: そりゃ、そうでっしゃろな。神さまは、わてらに、ご計画のほんの少ししか、

現わしてくれへんねんやから。

熊: だからって、読まへんちゅうわけにはいかんしなぁ。

若: 分からんことは分からんでもええから、一応、読み続ける方がええんちゃうかぁ。

そのうち、ちょっとずつ分かってくるようになる、、、かも、しれへんやろうな。

これや、っと決めつけへんほうがええと思いますでぇ。

聖書を読む、ちゅうことは神さまを求めるちゅううこととつながってると思いますねん。

だから、分からんくても、読むの諦めたらあかん。

八: へぇ、若さんも、、、さよかいな。ちょっと、気~、楽になったわ。

「諦めが肝心」ともいうけど、聖書の場合は、「石の上にも三年」

「諦めたらあかん」ちゅうこっちゃな。

熊: さっき、若さんが言ってたように、あんまり心配せんでもええんや。

八: わてらには、天の御国での生活だけやのうて、今この世でも、前倒しで、

天国の平安と喜びがじわじわと、あらわしてくださる。味あわしてくださるんやな。

なんで、はよ神さまを信じたらええのか、それは、このためやな。

若: 味あわんとまったくのそんでっせ。

八: けんど、それには、神さまへの従順さが求められんねんやろ。

熊: 言うは易し、行いは難し、やな。気が付いたら、

むくむくと自分の考えで行動しようとすることが、でてきよる。

若: 従順さなぁ、「従順さ」という言葉の中に、自分の努力でなんとかしよ、

という感じあらへんか。

八: 一生懸命、神に従おうとしているちゅう感じかな。

若: わたしはなぁ、それがちょっと違うと思うねん。

私の中では「従順」より「より頼む」感じやねん。

熊: ひょっとして、それって、溺れそうになった時にすることと同じかい?

八: 「溺れる者はわらをも掴む」ちゅうやつかいな。

熊: わら、掴むから溺れるんやないかい。じたばたするさかい、溺れるんや。

溺れそうになったときは、なんもせんと、力抜いて、まっすぐ、、、

八: まっすぐ、うつぶせ。

熊: あほ! うつぶせになったら、息でけへんやないか。仰向けや、あおむけ。

仰向けで、力抜いて、まっすぐ、水になじむんや。

そうすると、人間の体、自然と浮きよるらしいでぇ。

それが、「より頼む」ちゅう感じとちゃうか。

若: なるほどなぁ、そうかもしれん。じたばたせんと、神さまにすべてをおまかせする。

八: 聖書でゆうたら、●「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46篇10節でんな。

熊: 「神であること知れ」って、神はどんな方かちゅうのが、46篇の初めにある。

●「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」

若: イザヤ書にもこういう言葉があるで。

●「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。

わたしが神である。ほかにいない。」45章22節。

熊: 仰ぎ見るちゅうことが大事なんやな、やっぱりうつ伏せやのうて、仰向けや!

――――

なんか、黙示録からだいぶ、はなれてしまいました。けど、八さん、熊さん、ありがとうございます。私も、よせていただいて感謝いたします。

黙示録6章の中心は、最後の審判の日への前触れです。地上のすべての人、キリストを信じていないすべての人が、「私たちをかくまってくれ、助けてくれ」とどこに助けを求めたらいいかもわからず、右往左往するんです。まるで、ノアの箱舟の時と同じです。激しい雨が降り続き、大洪水から逃れようと箱舟に助けを求めますが、もう箱舟の扉はアスファルトで固められて開けることはできません。この時、もう人には助けられんのです。

だから、今しかないのです。イエス様の福音をお伝えして、その人の救いをお手伝いできるのは。どうか、周りの人々を、この世の終わりに、恐れる必要のない人々へと導くお手伝いをさせていただきましょう。目には見えませんが、ノアの箱舟へとお誘いいたしましょう。そして、ともに福音にあずかり、ともに賛美し、ともに祈り、ともに主を喜ぶ者とさせていただきましょう。

黙想いたします。

●黙想:詩篇85篇をお読みいたします。

黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。マタイの福音書5:9です。

「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」

では、黙想いたしましょう。詩篇85篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

●献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。)

賛美⑤:聖歌464番「罪とがをゆるされ」

https://www.youtube.com/watch?v=tVnYqdvCOJ4

●祝祷

●閉会

●連絡