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メッセージ主題:『御名によって祈る幸』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

礼拝シリーズ主題:『ヨハネの黙示録』

★小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。

●11時開会:ただいまより、2021年11月7日主日礼拝式を始めます。

賛美①:The Lord is the Vine-Japanese-主はぶどうの木‐Lyrics

https://www.youtube.com/watch?v=xdAClkSkCJo

賛美②:契約の虹#16 しゅのめぐみかたるはたのし

https://www.youtube.com/watch?v=_z2tNLol4jk&t=56s

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:イエスがいるから (Because He Lives) - A capella Cover by Ruah Worship

https://www.youtube.com/watch?v=yHraxLa3ZEg&list=RDMMyHraxLa3ZEg&start_radio=1

賛美④:【歌詞付】慕いまつる主なるイエスよ(聖歌557番)【賛美】

https://www.youtube.com/watch?v=GpPS49ihnA4

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

【YOUTUBE配信開始】

2021時年11月7日 主日メッセージ

●聖書拝読:ヨハネの黙示録8章(新改訳聖書)

おはようございます。そして、お帰りなさい。

中心聖句:

「また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。」(3-4)

メッセージ主題:『御名によって祈る幸』

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

11月から、第1主日に聖餐式を行うことにいたしました。つまり、今朝でありますが、礼拝のメッセージの後に聖餐式をさせて頂きます。ですから、今朝のメッセージは少し短くさせていただければと思っています。まあ、そうなるかどうかは、聖霊様の導きしだいでありますが。さて、今朝は、「祈り」「祈ること」がメインテーマです。私は、祈りは、神様との親しい会話だと思っています。ですから、たとえば、膝まづいて祈りの姿勢をとって、祈りの時間に祈ることも大切ですが、いついかなる時でも、またいかなる場所でも、神様と会話することが、一番大切だと思っています。「ありがとう」と感謝をしたり、「ごめんなさい」と悔い改めたり、また「~をしてください」と求める祈りをする。何も声をだして祈る必要はありません、特に人前ではそうです。神様は、人前で「私は祈っていますよ」とアピールするような祈りは、喜ばれません。

イエス様は次のような祈りに警告はされておられます。マタイ6章5節。●「祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」自己アピールの祈りは、神は報いられません。皆で祈る場合は、自己アピールではなく、心ひとつとなって祈るのですから、神はその祈りをお聞き届けくださいます。

また7節では、●「祈るとき、異邦人のように同じことばをただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。」唱えるような繰り返しの祈りは、意味がありません。流ちょうな祈りや理路整然とした祈りがいいわけではありません。肝心な心が伴っていなければ、神様はお聞きくださいません。また、効率の良い祈りや、効果的な祈りというような、人間的な知恵に頼った祈りにも意味がないと私は思っています。「幼子の祈りは、よく聞かれる」と言われますが、駆け引きのない素直な気持ちを率直に神様にぶつける祈りでいいのです。●「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」(6:8)

イエス様は祈るときには、こう祈りなさいと説いています。(6章6節)

●「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」隠れた所が、住まいにない場合はどうでしょうか。なければ祈れないのでしょうか。そんなことはございません。イエス様のこのお言葉の真意は、祈りを自分の見栄やプライドの道具として使ってはいけないということです。教会によっては、祈祷室を設けている場合もあります。とても良いことでもありますが、祈祷室に入って祈るという行為に、その人のプライドが加えられるのなら、祈祷室に入って祈る意味がありません。「私は祈るよ」とこれ見よがしに祈祷室に入るのだったら、献金箱にジャラジャラと硬貨を注ぎ(昔は紙幣なんぞはありませんから)、私はこれだけ献金しているよとこれ見よがしに献金するのと、まったく同じだと私には思えるのです。その意味では、私はカトリックの方々が、平日、礼拝堂に静かに入って、静かに祈り、静かに出て行く、この姿勢に頭が下がる思いなのです。まあ、この小阪チャペルのように、他に部屋がありませんから、そのことは難しいかもしれません。個人の祈りは、個人の部屋でやっていただくのは一番でしょう。小阪チャペルのこの空間は、もちろん祈りの場でもありますが、おもに交わりや学びの場にさせていただければと考えています。

さて、今朝の黙示録8章ですが、小羊であるイエス様が第七の封印を解くところから始まり、すぐに3節●「もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立つ」ことが記されています。「もうひとりの御使い」とは、おそらく主イエス・キリストご自身をさしているものと思われます。「金の香炉を持って祭壇のところに立つ」とは、イエス様の祭司職の面が表現されていると思われます。金の香炉を持って祭壇のところで、とりなしをなさる姿でありましょう。「たくさんの香が与えられた」という表現は、イエス様のとりなしの御業の多さが象徴されています。

しかし、4節のところにもありますように、イエス様のとしなしの御業は、聖徒である私たち信徒のとりなしの祈りや個人の祈りが付け加えられています。そして、「香の煙は、、、、御使いの手から神の御前に立ち上った」とありますように、イエス様の手から神様へと差し出されています。ここが今朝のポイントであります。私たちの祈りは、イエス様が取り次いでくださって、神様へとつながれています。

今朝、私の心にとまったのはここです。神様が、イエス様をこの世にお送りくださったことによって、神であるが故の漠然とした創造主、ヤハウェから、あがめる対象が、救い主、贖い主であるイエス・キリストとなり、すべてが御子イエス・キリストを通して、父なる神様へと取り次がれる、これはまことに新時代の恵みなのであります。また、イエス様が十字架にかかり、私たちの罪を帳消しにしてくださったことによって、死刑の象徴であった十字架が、救いの象徴となりました。主イエス・キリストの名を通して祈ることで、天におられる父に、その祈りが確実に聞き届けられることになりました。これは、恐ろしいほどの恵みであり、憐みであります。私たちが、最後に「主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします、アーメン」と祈りを締めくくるのも、この言葉によって、父なる神様に確実に私たちの祈りが聞かれるからであります。私たちの祈りは、「天のお父様」から始まり、「主イエス・キリストの御名によって」で、締めくくられます。これこそが、私たちの祈りが、生きて働いてくださっておられる、御子イエス・キリストのとりなしの祈りへと変わって行くのです。ゆえに、私たちの祈りは、確実に父なる神様に届くのです。実に、このことが、黙示録8章4節の●「香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。」の意味なのです。

イエス様はヨハネの福音書でおっしゃったことは、確実に父なる神様にとどく祈りの宛先をお与えくださってもいたのです。●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(14:6)

さて、ここで天国長屋の八さんと熊さんに登場していただきましょう。

――――

八: イエス様の名前によって祈る、その幸いがこの黙示録に隠されていたなんて、

いやぁ、知らんかったわぁ、なあ、熊さん。

熊: そうやなぁ。わて、イエス様のお名前によって祈ること、

ちゃんと考えてなかった気がするわ。こういう風に祈るもんやと思てたから。

八: イエス様の名前によって祈ることで、イエス様がとりなしてくださる、ありがたいねぇ。

熊: もし、わてらが、イエス様のお名前を使わずに、直接、神様に直訴したら、

どうなんねんやろなぁ。

八: そりゃ、あれやろ。「一人息子のイエスのたのみやから、聞いたってんのに、

誰ぞ知らんもんの頼みなんか、聞けるかい」って。

熊: 神様って、そんな薄情なんか? イエス様なしでは、わてのことも分からんのかなぁ。

八: 知らんでぇ、けんどなぁ、『イエス様を信じて、イエス様を通してでしか、

救いの道はないんやで』。そやったら、祈りもイエス様を通してでしか、効果ないやろ。

熊: そうやなぁ、ヘブル書にもそう書いてあんな。

●「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、

私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」(10:20)

わてらが、大胆に神様に近づけるのは、イエス様のおかげやて。

八: せやろぅ。祈ることも同じなんや。

けどな、イエス様を信じてへんのに、「イエス様の名前によって」って祈ってもあかんで。

信じてへんかったら、天のお父様は、ぜ~んぶ、お見通しや。

イエス様を信じてへんかったら、救いがないねんから、

救いのない者の祈りなんて、聞いてくださるかどうか、怪しいもんや。

熊: 思い出した。むかし、エクソシストっていう映画あったやろ。

たしか、エクソシストやと思うんやけどな。

あそこでな、神父さんが、十字架のネックレスかざして、悪魔に対抗するんや。

けんど、神父さん、イエス様の力を信じ切れへんかったんやろな。

悪魔が、「イエス・キリストは知っとる。だが、お前は知らん」

とかなんとかゆうて、その神父さんに襲いかかるんや。

あんときに、思たでぇ。信じ切れへんかったら、なんの効力もないんやて。

八: そうや、それやがな。なぁ、イエス様を信じ切れへんかったら、

いくらクリスチャンであっても、「イエス様のお名前によってお祈りします」ゆうたかて、

あかんちゅうこっちゃ。それが、いくら牧師はんでもあかんねゃ。

熊: さよか、牧師はんやったら、大丈夫やと思てたけど、そうでもないんやな。

八: 信仰の度合いは、神様しか見えへんからなぁ。けんど、わてらは「イエス様いのち」や。

やから、大丈夫とは言えへんけど、イエス様を信じて、信じて、とことん信じよ、

ゆうてんねんから、それをうたごうたり、不安なったらあかんで。

熊: 「イエス様いのち」やったら、牧師はんも入れたろうやないの。

わてら三バカトリオなんやから。かわいそうやないかいな。

八: 思い出した。ヤコブはんも、ゆうてたな。●「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

たしか5章の16節。この義人というのは、イエス様を信じ切ってる人のことや。

けどそんな義人の祈りかて、いっつもかっつも大きな力があるとは限らんねん。

「義人の祈りは働くと」とあるやろ、つまり「神様のみ旨にかなうと」というこっちゃ。

熊: なるほどなぁ、けど、もともと「義人」でないとあかんわけやけど、イエス様によって、

イエス様を信じて、イエス様を着ることによって、神様の目には、

罪なき者とみなされるんやから、イエス様を信じてないと義人にはなられへん、

イエス様を通してでしか、イエス様のお名前によってでしか、

祈りは聞かれんちゅうこっちゃ。

八: わてらは、幸せやでぇ。イエス様を信じて、イエス様のお名前によって祈ることで、

神様、耳傾けてくださんねんかなら。まあ、当然ゆうたら当然なんかもしれへんけど。

熊: なんでまた、当然っていえるんや。

八: そやかて、わてら、イエス様を信じて、イエス様の兄弟になって、

神様を「アバ、父」って言えるようにしてもろたんや。

いわば、神様の子どもやで。まあ、養子縁組の子どもやねんけどな。

熊: せやな。わてら、イエス様によって、神様の共同相続人にしてもろたんやから。

わてらの祈りに、天のお父様は、耳傾けてくれるわな。

これで、納得や。イエス様、さまさまやで。

八: 若さん、今日は入って来えへんかったけど、こんなもんでええでっか。

――――

八さん、熊さん、ありがとう、おおきに。●「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

まことにそうですね。「働くと」とは、「神様のみ心次第」ということですが、イエス様を信じての祈り、イエス様の御名によっての祈りが、私たちクリスチャンにとって、どれだけ大切か、ようわかりました。感謝いたします。さて、黙想の時間とさせていただきましょう。

今朝、神様からのメッセージを通して、学ばれたこと、導かれたこと、もう一度、思い返してみてください。

●黙想:詩篇30篇をお読みいたします。

黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。ルカの福音書11:13です。

「あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」義人の祈りには、聖霊様も働いてくださいます。

では、黙想いたしましょう。詩篇30篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

●聖餐式

●献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。)

賛美⑤:わたしをお使い下さい.wmv

https://www.youtube.com/watch?v=c7GhyHbT3j0

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●アーメン四章:新聖歌59.7

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡