大阪エリム・キリスト教会
木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)
11月18日
担当:若竹孝行
メッセージ:「それぞれの29章」(15分間メッセージ)
今朝の聖書通読箇所:使徒の働き25章〜28章
28章を交読。(新改訳2017)
中心聖句:30-31
「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
おはようございます。そして、お帰りなさい。
この使徒の働きは28章をむかえ、執筆者である医者のルカは、パウロが捕らえられてローマへ行き、そこで丸二年過ごしたというところで突然、この記録を終えています。そのローマでの幽閉生活の2年間の様子はつづられていませんし、パウロの殉教やローマの大火も記されていません。パウロは、この二年間に、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、またピレモンへの手紙を書いたとされています。その二年後には、有罪となる決定的な罪は見いだされず、釈放され、再び宣教活動をし、しかし、数年後には再び捕らえられ、ついにネロによるクリスチャンの迫害の中、殉教の死をとげます。
記録係のルカはなぜ、ここで筆を置いてしまったのでしょうか。少なくとも、パウロの殉教まで、責任をもつべきではなかったのでしょうか。いえ、ルカは、いえ、ルカというより、聖霊様はルカを通して、パウロの宣教活動をパウロの殉教まで記す必要はないと思っておられたのではないでしょうか。この使徒の働きを完結させる必要はないとされたのではないでしょうか。
この使徒の働きの主題は、1章8節だと思われます。6節から8節までお読みいたします。
●「そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。『主よ、イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。』イエスは彼らに言われた。『いつとか、どんな時とかということは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。』」
初めは、ユダヤ教の一宗派と見られていたキリスト教は、ユダヤ民族の救いだけに収まらず、全世界の人々を救わんとするイエス様の御心通り、その宣教の業を世界へと広げていくのです。
「使徒の働き」という書簡は、28章で突然終わっていますが、それは終わりではなく、世界宣教への新たなる一歩、使徒の働きが決して完結することなく、28章以降も継続され、そして発展されていくべきであると、ルカは聖霊様を通して悟り、それを示すために、あのような終わり方をしているのではないでしょうか。
つまり、わたしたち一人一人が、イエス様の弟子として、当時の使徒たちの働きを継承し、私たち自身で29章を書きなさいとおっしゃっておられるのです。皆さんはいかがでしょうか。皆さんの29章はどんなものであり、今後どのように展開していくと思いますか。
イエス様は、先ほどお読みいたしました1章8節で、「わたしの証人として」と語り続けなさいとおっしゃいます。これはイエス様の大宣教命令の一部であります。
福音書にも、イエス様の大宣教命令は記されています。
●マタイ28:19-20「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父・子・聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイでは弟子訓練が強調されているように思われます。
●マルコ16:15「それから、イエスは彼らに言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。』」マルコでは、私たちが、神の造像物であり、神は私たちを愛してくださっているがゆえに、救わんとされておられることが分かります。
●ルカ24:45-49「それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。見よ。わたしは、わたしの父が約束されたもの(つまり聖霊様)をあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」聖霊様を心に宿した上で、証し人として、イエス様の福音をお伝えすることが強調されています。
●ヨハネ20:21-23「イエスは再び彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。』こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残るなら、そのまま残ります。』」イエス様の平安である聖霊様を受けることによって、遣わされ、イエス様を証しすることができることが記されています。
私たちは、このイエス様の大宣教命令に、いま、どう応えているでしょうか。もし使徒の働きの29章目を書くとしたら、どのような報告がイエス様にできるでしょうか。
私は今、長生きはしたいと思っています。お一人でも多くの方に、イエス様の愛を知っていただき、天の喜びと平安を今味わっていただきたいと。そして、またその人たちが、イエス様をお伝えする弟子となっていただきたいと思っています。私は、生かされるまで生きます。私は自分の思いとは別に、イエス様によって、東大阪の小阪の地で、開拓伝道を始めさせていただいています。教会員が何人とか、新規来会者が何人とか、あまりこだわっていません。もちろん、来会者があることはとても嬉しいことです。が、しかし、そのことが目標ではありません。私の目指すところは、イエス様に喜んでいただくことであります。
マタイ25章14節から30節までの、しもべに財産をあずける人の譬えのようにであります。●「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(21節&23節)
あずかったタラントの金額(つまり、才能)にかかわらず、また増やした金額にかかわらず、主に忠実であったからこそ、ほめられます。わたしのあずかったタラントはいくらなのかさっぱり分かりませんが、主のご命令に忠実でありたいと願わされています。そして、もちろん、主にいただいた、生涯のわたしの宣教の言葉は、パウロを通して、聖霊様がおっしゃった言葉です。1コリント9:23(口語訳)
●「福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしと共に福音にあずかるためである。」
それと、同じくパウロのつぎの言葉です。2テモテ4:2。
●「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」
皆さま、皆さまのオリジナルの「使徒の働き」29章は、どのようなものでしょうか。また、どこまで書き進めておられますか。イエス様とどのように寄り添って歩まれておられるでしょうか。そして、そこにイエス様はどのようなあしあとを残しておられるでしょうか。
黙想いたします。
愛を伝えるために(カバー)歌詞付き - ルア・ワーシップ
https://www.youtube.com/watch?v=MR0tW7pWV8Y&list=RDyHraxLa3ZEg&index=4
お祈りいたします。
●主のいのり
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。