· 

メッセージ主題:『泣かなくてもよい』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

夕拝メッセージ

★小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。

●午後5時開会:ただいまより、2021年11月28日主日夕拝式を始めます。

賛美①:きよしこの夜 Silent Night (Japanese) - Cover by Ruah Worship

https://www.youtube.com/watch?v=P5p7bT95NE0&list=RDCMUCR5Yht1fKaRgKx5cXIJMH-Q&start_radio=1

賛美②:荒野の果てに (Angels We Have Heard on High - JP ver) - Ruah Worship

https://www.youtube.com/watch?v=Ri5sxktvVQA

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:イエスがいるから (Because He Lives) - A capella Cover by Ruah Worship

https://www.youtube.com/watch?v=yHraxLa3ZEg

賛美④:【賛美】み使いのたたえ歌う(What Child Is This?)/聖歌129番【日本語歌詞字幕】

https://www.youtube.com/watch?v=Qh86FDUz5DE

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

【YOUTUBE配信開始】

2021年11月28日 主日夕拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書7章11節~17節(新改訳聖書)

中心聖句:

「主はその母親を見て深くあわれみ、『泣かなくてもよい』と言われた。」(13)

メッセージ主題:『泣かなくてもよい』

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

今日入れてあと3日で12月ですね。12月はなんかウキウキします。もちろんクリスマスがあるからですが、クリスマスツリーの飾りつけをするのが、私は好きなんです。クリスマスツリーには、クリスマス基本の4色があります。常緑樹のクリスマスツリーは緑。緑は永遠のいのちを表しますが、春のおとずれでもある希望も表します。また、赤は、もちろんイエス様が十字架上で流された血の色であり、救いや愛や恵みを表します。白は、純潔さ、神様の正しさや清さを表します。そして、ゴールドは、キリストの高貴さや力や希望を表します。また、エルサレム神殿にも金が豊富に使われています。神が放つ光の色でもあるのでしょう。

それらの色を、イエス様に感謝しながら、クリスマスツリーに飾りつけ、そして、一番最後に、クリスマスツリーの上に大きな星を一つ飾ります。アメリカでは、昔は、その家族の家長が星を飾る役割だったそうです。私は、幼いころ、もっぱら、そのクリスマスツリーの下に置かれているプレゼントの箱に、興味がありました。25日の朝にプレゼントを空けることにワクワクしながら、眠りについたことを思い出します。その頃は、もっぱらサンタクロースを信じていました。

クリスマスがイエス様のお誕生をお祝いする日であることは、ずっと後になってから知ったことでございます。さて、今朝のメッセージのタイトルですが、「泣かなくてもよい」とは、一見すると、華やかなクリスマスには、らしくないタイトルのように思えます。

中心聖句はルカの福音書7章13節

「主はその母親を見て深くあわれみ、『泣かなくてもよい』と言われた。」であります。

しかし、私はクリスマスだからこそ、イエス様は私たちに「泣かなくてもよい」とおっしゃっておられるのだと思うのであります。この母親は、息子の死を悲しんで泣いていました。自分の最愛の人が死んで、悲しまない人はいらっしゃるでしょうか。では、なぜ、イエス様は「泣かなくてもよい」とおっしゃったのでしょう。

イエス様は、時折、憐みを感じて、死者をよみがえらせます。ルカ書8章では、ヤイロの12歳ぐらいの娘を生き返らせました。

●「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われます。」と人々に言い、

●「泣かなくてよい。死んだのではなく、眠っているのです。」と少女の死を泣き悲しんでいる人々に伝えます。そして、少女の手を取って叫ばれました。

●「子よ、起きなさい」。

また、マルタとマリヤの弟ラザロも生き返らせました。ヨハネ書11章にあります。死にかけていたラザロの様子を聞いて、イエス様は次のようにおっしゃいました。

●「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」そして、ラザロが死んだことを直感したイエス様は、

●「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」

●「ラザロは死にました。あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」 マルタとマリヤのところについたイエス様は、悲しみにくれている彼女たちをはげまします。

●「あなたの兄弟はよみがえります。」そして、マルタの信仰を確かめます。

●「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」 死んでもう四日もたって臭くなっていると訴えるマルタに、

●「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」と告げて、石で蓋をされているラザロの墓の石を取り除けさせ、おっしゃいます。

●「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」そして、イエス様は大声で叫ばれました。

●「ラザロよ、出てきなさい。」

イエス様が死者をよみがえらせたという最初の記述が、今朝のルカ書7章にある『やもめの母親の一人息子の死』でありました。イエス様は天涯孤独となった母親を見て深くあわれまれ、

●「泣かなくてもよい」とおっしゃったのです。そして、近寄って棺に触れ、

●「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」

イエス様は、数多くの病人を癒し、またこの3人の若者のように、死からよみがえらせました。死からよみがえらせたのは、聖書にはその記述にはありませんが、恐らく3人だけではなかったでしょう。もちろん、十字架の上で、私たちの罪を贖うために死なれたご自身も、三日目によみがえられ、天に上げられ、父なる神の右に座し、永遠のいのちを与える方とされました。

しかし、イエス様がいくら病をいやされても、死者をよみがえらせても、結局、全員この世での肉体の死を迎えます。誰一人、例外はございません。ヤイロの12歳の娘も、その後いくつまで生かされたのでしょうか、またラザロも余命はいつまでだったのでしょうか、それにあの一人息子は、老婆となった母親を看取ることはできたのでしょうか。聖書は、「彼らのその後」は語っておりません。なぜなら、そのことは重要ではないからです。重要なのは、主の栄光が現わされることだからです。癒され、生き返らされたことで、その目的は達成しているからです。

が、しかし、それでは、『主の栄光の現れという大義の前では、個人のこの世での営みはあまり重要ではない』、、、と言われてしまえば、ちょっとみじめな感じではないでしょうか。

もちろん、神様の前では、私たちは虫けら同然かもしれません。しかし、虫けらにも虫けらの人生があります。いや、「人生」ではなくて、虫ですから「虫生(ちゅうせい)」でしょうか。日本語には、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があります。「弱者を見下したり粗末に扱ったりすることへの戒め」の表現です。私は、私たちは、今を生きています、いえ、生かされています。そして、もちろん、いつかはこの世から消え去ります。「あなた」という人物は、しばらくの間は覚えてもらっているかもしれません。また、「あなた」が歴史的に重要な人物であるなら、教科書に名前は載って、名前だけは存続するかもしれません。しかし、「あなた」とう個人を知る人たちが死んでしまえば、「あなた」もその人達の記憶から消えていきます。しかし、お一人だけ、「あなた」を覚えていてくださる方がいらっしゃいます。それは、イエス様です。イエス様は私たち以上に私たちのことをご存じで、イエス様の中に私たちは生き続けます。イエス様が永遠である以上、私たちも永遠となるのです。「一寸の虫にも五分の魂」、イエス様にはこの戒めは当たりません。この世では、例えば私は若竹孝行という名前がついています。イエス様は私をどのように呼ばれるでしょうか。「若さん」「ワカチコ」「ジャッチク」 イエス様は、どこかユーモアのセンスもあってニックネームも使徒たちにもつけました。シモンは、もともと創世記のヤコブの12人の息子に一人「シメオン」から変化した名前です。そして、シモンの別名ペテロは、ギリシャ語で「小石」という意味です。イエス様はアラム語でシモン・ペテロのニックネームを「ケパ」と付けられました。「ケパ」とは「岩」のことで、「小石」から「岩」へ昇格した感じですね。ですから、天の御国で、私がどのように呼ばれるのか、どんなニックネームをつけられるのか、とても楽しみにしています。

さて、イエス様は、一人息子に先立たれたやもめの母親に、『泣かなくてもよい』とおっしゃって、母親を憐れみました。

★「泣かなくてもよい」『なぜなら、あなたの息子は息をふき返すから。』、

★「泣かなくてもよい」『なぜなら、あなたはその息子と平安に暮らせるから。』、

★「泣かなくてもよい」『なぜなら、あなたはその息子に安らかに看取られるから。』、

★「泣かなくてもよい」『なぜなら、あなたもあなたの息子もわたしが覚えているから。』、

★「泣かなくてもよい」『なぜなら、二人ともにわたしの中で、わたしとともに生き続けるから。』

たしかに、私たちは、この世での、病気や怪我の癒し、悲しみの慰め、苦しみからの救いを、主に願います。それは当然といえば当然のことです。しかし、この世でのいのちは長くても100年ちょっと。まして、この世で与えられているはずの命を全うできずに、事件や事故、自然災害によって、あっという間に、命の火が消されてしまうこともあります。しかし、本当にそれらの方々の命の火は消されたのでしょうか。イエス様は、あのやもめの母親の悲しみを見て深く憐れまれました。まして、天のお父様も同じで、憐み深い方であります。私は、イエス様の憐みは、私たちの想像をはるかに越えた、深く、広く、大きいものだと考えています。何らかの理由で、アッという間にこの世から消えてしまわれた方々、また大往生のすえ、この世での命を全うされた方々、それぞれにおいて憐れまれます。しかし、イエス様は残された私たちに「泣かなくてもよい」とおっしゃるのです。

『なぜなら、あとの事はわたしに任せなさい』とおっしゃられるからです。

私たちがすることは、故人を惜しみ、悲しみにくれて、泣き続けることではありません。イエス様は泣き崩れているマルタにおっしゃいました。

●「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」

『生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがない』とおっしゃるイエス様ですが、その真意は、「この世に生あるうちに、わたしを信じる者になりなさい。そうすれば、永遠のいのちがあたえられます。」だから、「泣くのをやめて、いま生きている人々に、わたしの福音を伝えなさい」と励まされるのです。

どうか、イエス様の福音を、特にこのクリスマスの時期に、喜びをもって、お伝えし、ともに福音にあずかるものとさせていただきましょう。

★「泣かなくてもよい」「あなたの愛する人は、わたしとともにいるのだから、あとの事はわたしにまかせて、あなたは顔を上げ、今を、精一杯生き、わたしを伝えなさい。ともに私から永遠のいのちを授かるものとなりなさい。」

さて、今朝も天国長屋の八さんと熊さんに登場していただきましょう。

―――――

八: イエス様は、「泣かなくてもええでぇ」とおっしゃっていただけるってちゅうのは、

うれしいやなぁ。だってそやろぅ。裏をかえせば、イエス様は、

わてらの悲しみを知ってるちゅうこっちゃ。

熊: せやな、涙をだして、いかにも悲しんでいるちゅうのが、悲しさだけとちゃうしな。

わてら、大阪人やから、「顔で笑って、心で泣いて」ちゅうことも多いやん。

八: そんな時でも、イエス様、わてらのことちゃ~んと知ってくれはって、

「泣かんでもええんやで」って、ぎゅ~っと抱きしめてくれはる。

熊: けんど、わてな、イエス様のこの「泣かなくてもええでぇ」というお言葉の中に、

「悲しい時には、泣いてもええねんでぇ。わたしが慰めたるさかい」って

おっしゃってくれてはるような気がするねん。

「気がすむまで泣いたらええ」って。

八: なるほどなぁ。じゃあ、この「泣かなくてもええでぇ」ちゅうのは、

「泣き続けなくてもええんやで」ということかもしれへんなぁ。

そうか、それやから、愛しい人を亡くした時、悲しみに暮れてて、

涙を流してても、イエス様がそ~っと涙をぬぐってくださる。

熊: 「涙をぬぐってくださる」で、思い出したけんど、

黙示録7章17節にこんな言葉があるなぁ。

●「御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、

いのちの水の泉に導いてくださるからです。

また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

八: 確かになぁ。けんど、あの御言葉は、わてらが、天の御国に行ってからのこっちゃで。

「わてらが、この地上で経験する、悲しみや苦しみ、痛みや悩みをすべて

心に留めておいてくださる」ちゅうこっちゃ。

熊: じゃあ、あかんやん。今、悲しいのに。今、しんどいのに。

八: だからこそ、イエス様は信じるわてらに、聖霊様をお送りくださって、わてらを

慰めてくださんねんやん。

熊: そうか。せやから、イエス様はおっしゃったんや。

●「助け主、すなわち、父がわたしのなによってお遣わしになる聖霊は、

あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話した

すべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)

イエス様が話されたすべてのことを思い起こすとは、イエス様のお優しさ、

慰めに満ちたお言葉、イエス様の憐れみ、すべてを思い出させてくださんねんな。

八: そや。イエス様は今も生きて働いていてくださる。

わてらの悲しみを受けとめてくださって、「悲しい時は、泣いてもええんやで。

でも、泣き続けてたらあかんで。すべてのことはわたしにまかせて、

上を向いて、歩き始めましょ。わたしがそばに寄り添ってあげるから。」

ゆうてくれはんねん。感謝やないかいな。

熊: 「上を向いて歩こう」か。「上を向いて、歩こう。なみだをぬぐうィエスさまそばに、

思えば~、いつでも、とも~にいてくださ~る~。幸せは、罪なき者とされ、神様を、

アバ父とよぶ。上を向いて、歩こう。なみだをぬぐうィエスさまそばに、思えば~、

いつでも、とも~にいてくださ~る。」

八: おお、すき焼きソングの替え歌かいな。

熊: そやで、わてのらしくないクリスマスソングや。

―――――

さあ、みなさんで歌いたいと思います。

お祈りいたします。

では、黙想に入りたいと思います。

●黙想:詩篇116篇をお読みいたします。

黙想の前にイエス様のお言葉をご紹介いたします。マルコの福音書12:25です。

「人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」

では、黙想いたしましょう。詩篇116篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑤:いざもろとも主を

https://www.youtube.com/watch?v=Eb3KRcduOZU

●献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●アーメン四章:新聖歌59.7

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡