メッセージ:「解放の主」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

12月16日

担当:若竹孝行

メッセージ:「解放の主」(15分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:ヘブル1章〜3章

2章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:14-15

「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」

おはようございます。そして、お帰りなさい。メリークリスマス!主の御降誕をお祝いの準備をするアドベント第3週の木曜日であります。今朝もイエス様の恵みについて語らせていただきたいと思います。

イエス様は神様の御子であるにもかかわらず、人の子としてお生まれになりました。どうしてでしょうか。創世記1章に記されています。神様は、この世界を、この宇宙をお造りになった創造主です。神様は天と地を造られ、人間をご自身のかたちとして創造されました。神様は霊ですから、霊的に神を知るものとして、人間をお造りになられました。神様は、ご自身の創造をみて、「良し」と見られました。

完全なる神様が「良し」と見られたということは、完全なる秩序がそこには存在していたことになります。しかし、人間の祖であるアダムとエバは、神様のご命令に従わず、また悪魔の化身である蛇にそそのかされ、食べてはならないと言われていた「知恵の木の実」を食べてしまい、「神に背く」という罪を犯してしまいました。これが罪の始まりです。そして、不老不死の世界であるエデンの園から追放されました。この時点で「死」が人間に入り込んでしまいました。罪の償いは死です。人間のうちにある神の霊的形である「良心」は麻痺し、知性は神をあがめず、自分を誇るようになりました。そして、神の時間での6日間の創造の世界は、人間の謀反ともよべる「背きの罪」によって、その完全なる秩序にあった世界を狂わせてしまいました。アダムとエバから生まれた人類は、神の目に義とは認められずにいます。使徒パウロは、そのことをローマ人への手紙3章23-24節で次のように記しています。

●「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」

神様は、ご自身のかたちに似せてお造りになった人間を、いとおしく思われ、また罪を犯してしまいましたが、それを憐れと思われ、御子イエス様をこの地上にお送りくださいました。

それは、聖なる義なるお方のいのちを、全人類の罪の贖いのためにささげるためであり、そのことによって、神は人類を義と認めることができるからです。罪人である人類の死をもって、他の人の罪をぬぐうことはできません。それは、あたかも汚い雑巾で顔をあらうようなもので、きれいにはならないのです。そして、私たちの罪をぬぐってくださるイエス様の十字架上での犠牲の血潮は、私たちが買うものではなく、私たちに無償でプレゼントされたものなのです。先ほどのパウロの続いて、使徒ヨハネの聖書中の聖句というわれる箇所も次のようにうたっています。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。」(ヨハネ書3章16-17節)

裁かれ永遠の死に陥るはずだった私たち罪人が無償のプレゼントである、イエス様の救いの恵みを受けるには、ただただ、「イエス・キリストを信じます」と告白するだけなのです。

救い主イエス様が人の子としてお生まれになられたのは、私たち人間の身代わりとなるためです。それは、私たちは、イエス様のいのちによって買い取られ、イエス様のものとなったということです。しかし、奴隷として買われたのではなく、友として、また兄弟として買われたのです。イエス様とイエス様を信じる私たちは、いわば義兄弟であり、神様を父とする共同相続人であります。そして、私たち、イエス様を信じる者は、天の御国の永遠のいのちへと導かれます。イエス様は、あたかも、ご自身がエデンの園の招待状なのです。神様が世界を創造されたときの、あの完全なる秩序の世界へのいざないなのです。

パウロはピリピ人への手紙2章5節~11節で次のように説きます。

●「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。

人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、

それも十字架の死にまで従われました。

それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。

それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、

地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、

すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、

父なる神に栄光を帰するためです。」

また、ヘブル人の手紙の著者は、2章をこのように締めくくっています。

●「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」

私たちは、御子イエス・キリスト様をこの世にお送りくださり、私たちを罪の奴隷の身から解放してくださったことを、心から感謝いたしましょう。

今朝は御言葉ばかり読んでいるような気がしますが、詩篇103篇6節から14節まで、皆さんと一緒にお読みし、その後、黙想したいと思います。

●「主は、義とさばきをすべての虐げられている人々のために行なわれる。

 主はご自分の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた方。

 主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである。

 主は、いつまでも争ってはおられない。とこしえに、怒ってはおられない。

 私たちの罪にしたがって、私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって、

 私たちに報いをされることもない。

 天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

 東が西から遠く離れているように、主は、私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。

 父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

 主は、私たちの成り立ちを知り、私たちが土のちりにすぎないことを

 心に留めてくださる。」

黙想いたしましょう。

イエスがいるから (Because He Lives) - A capella Cover by Ruah Worship

https://www.youtube.com/watch?v=yHraxLa3ZEg&list=RDCMUCR5Yht1fKaRgKx5cXIJMH-Q&index=2

お祈りいたします。

●主のいのり

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。