メッセージ:「最高の祝福」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

1月13日

担当:若竹孝行

メッセージ:「最高の祝福」(15分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:創世記37章~39章

39章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:2

「主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。」

おはようございます。そして、お帰りなさい。あけましておめでとうございます。2022年、新しき年を主に感謝いたします。

ヤコブの子ヨセフは、ヨセフを疎ましく思う兄たちによって、奴隷として売られ、最終的にエジプト人であるポティファルに買い取られます。しかし、ヨセフには、主がともなわれ、彼は成功する者とされ、主人の絶大なる信頼を得ることになります。

この39章は、ことあるごとにヨセフに主が伴われていることを強調しております。まあ、この39章に限ったことではありませんが。そして、ヨセフは主を恐れ、主人の奥さんからの誘惑をきっぱりと断り続けます。そのように神を恐れることの大切さも記していますが、それよりもまして、「主がともにおられる」ことの重要性を読者に訴えています。

私は、聖書がもっとも大事にしているメッセージがこの「主がともにおられる」ということではないかと思っています。

モーセが亡くなる前、ヨルダン川を渡る前に、イスラエルの民のリーダーの座を後継者のヨシュアにゆずる時に与えた言葉を紹介します。申命記31章7節8節です。

●「強くあれ、雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

これは、主がモーセに申し渡されたことばであります。

この中に「主がともにおられる」ということがもう少し具体的に表現されています。

「主は先立って進まれる」「主は見放さない」「主は見捨てない」ということです。

もちろん、ヨセフのように「神を神としてあがめ、恐れないといけない」のではありますが、主ご自身が「恐れてはならない」と申されます。つまり、私たちは、主を神としてあがめないといけませんが、父として親しく交わることを許されているのです。ですから「恐れてはならない、おののいてはならない」と申されるのです。

このモーセの遺言のようなことばは、今のわたしたちにも、主はおっしゃっておられます。

またイエス様の最後のことばを思い出してみてください。

イエス様は復活し、天に戻られる前に、弟子たちに次のようにおっしゃいました。マタイの福音書28章20節 大宣教命令でありますが、そこに主の約束が含まれています。

●「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」とは、なんという祝福でしょうか。

信仰生活とは、イエス様のこの地上での思い出を語り、従って生きることではありません。イエス様を歴史にしてはいけないのです。信仰生活とは、主イエス様とともに生きる生活であります。ヘブル人への手紙11章1節では、つぎのように信仰を表現しています。

●「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

信仰とは、過去ではなく現在そして未来の出来事に対して希望をもつことでもあります。私は、「神を信じる」ということが分からないという方に、いつも簡単なことばで答えます。「神さまに期待すること、イエス様に期待すること」だと。「主に期待する」とは「主に全幅の信頼を寄せている」からこそできることです。

そして、主なる神さまも私たちに期待してくださっています。ですから、「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」そして、今もそのように、伴ってくださっているのです。「先立って進まれ」「見放さなさず」「見捨てない」主が、私たちと共にいて下さり、寄り添っていてくださり、私たちに期待して共に歩んでくださるのです。

この最高の祝福をどうしてこばむことができるのでしょうか。どうして、わざわざ損する道を選ぼうとするのでしょうか。

詩篇23篇は有名な聖書の箇所ですが、これが、主の最大の祝福を確信した聖句です。

これを信じない限り、確信しない限り、あなたは大損をするでしょう。

今一度、一節ずつ、皆さんとお読みいたしましょう。

1「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」

2「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。」

3「主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道に導かれます。」

4「たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」

5「私の敵をよそに、あなたは私の前に食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています。」

6「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが、私を追って来るでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいます。」

そして、主ご自身が伴われるのでありますから、私たちはその主のご愛にお応えする必要があります。主の最高の祝福に感謝をささげることですが、詩篇1篇2節3節にそのことが記されています。

●「主のおしえを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」

神のことばである聖書の教えを進んで守り従い、また賛美を口に留めることです。主と常に会話し、交わりをもつことです。そうすることで、主のみこころが、私たちの思いとなり、私たちの行動は、主のみ旨にかなったものとなり、主が栄光を現されるのです。

どうか、「主がいつもともにいてくださること」「主が生きて働いてくださっていること」そして、「主が私たちに期待してくださっていること」それらのことを確信をもって歩ませていただきましょう。その時、あなたは何をしても栄えるのです。

黙想いたします。黙想の時に、「主はわれらの太陽」という曲を聴いていただきます。

主はわれらの太陽

https://www.youtube.com/watch?v=ZWktcXSPVCY&list=RDMMZWktcXSPVCY&start_radio=1

お祈りいたします。

●主のいのり

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。