ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2022.1.30主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2022年1月30日主日礼拝式を始めます。
賛美①:10000 Reasons
https://www.youtube.com/watch?v=EK73lRKSdKQ
賛美②:主に罪を赦され
https://www.youtube.com/watch?v=exRy7FEMd4s
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:「主を仰ぎ見て by ピアノコウジ カバー(ルア・ワーシップ)」(1月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=Viar5edeGzU&list=RDMM&start_radio=1&rv=chtzpOVUDWs
賛美④:詩篇100
https://www.youtube.com/watch?v=7O4BeAEDuaY
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
讃美⑤:主はわれらの太陽
https://www.youtube.com/watch?v=ZWktcXSPVCY&list=RDGMEMCMFH2exzjBeE_zAHHJOdxg&start_radio=1&rv=S7eZhG68gAs
【YOUTUBE配信開始】
2022年1月30日 主日礼拝メッセージ
メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節
●「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」
●聖書拝読:ヨハネの黙示録19章(新改訳聖書)
中心聖句:
「御使いは私に『小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。』と言い、また、『これは神の真実のことばです。』と言った。」(9)
メッセージ主題:『婚宴に招かれる者』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
●メッセージ
この19章では、主に小羊の婚宴と白馬の騎手のことが書かれています。小羊の婚宴の日とは、小羊であるキリストと神の民、広い意味での教会である花嫁が結ばれる祝いの日であり、それは、神がサタンをまさに完全に打ち負かすことを示唆しています。それは、20章に続きます。また、白馬の騎手の白馬は、戦いの勝利を象徴し、騎手はキリストで、燃える炎である目は、神の全知全能の力を現わしているようであり、騎手のかぶる多くの王冠は、キリストの権威を表しています。
さて、小羊の婚姻相手の花嫁ですが、先ほど神の民、広い意味での教会と申しました。この教会は、私たちが唱えています「使徒信条」にでてくる「聖なる公同の教会」のことです。個々個々の地上での教会ではなく、天における信仰者というそれだけのくくりです。天の御国では、教派も教団も関係なく、カトリックもプロテスタントも関係ない、主の御名を賛美する信仰者の集まりです。8節では、●「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された」者であり、「その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである」と記述されています。つまり、キリストの花嫁になる資格は、「正しい行いとした人」ということになりますでしょうか。
では、「正しい行い」とはどういうことでしょうか。「律法を守る」ことでしょうか。パウロは、異邦人が救われ、イスラエルが、つまづいたことについて、次のように述べています。ローマ人への手紙9章30節~32節。●「義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。」そして、パウロは10章4節で、●「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」と主張します。そして、9節10節では、●「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」13節●「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」と断言し、つづいて17節では、皆さんご存知の通り、●「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」とあります。
そうです。聖書を読み、主の声に耳を澄まし、主を求める人は救われるのです。そのお膳立ては、すべてイエス様がなさいました。使徒信条がそれを告白します。「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。」罪のないイエス・キリストは私たちの罪を一身に背負って、ご自身の聖いいのちをささげられ、私たちの罪を帳消しにされただけではなく、死に打ち勝ってよみがえり、永遠のいのちを私たちも受けることができるように、天の父にとりなしをして下さり、天に私たちの居場所をご準備くださいました。それだけではありません。キリストを信じ、キリストに希望をいだく人には、その信仰を告白した時点で、イエス様の平安であり助け主である聖霊様を私たちの心にお送りくださり、私たちを罪を犯しにくい性質へとかえ、イエス・キリストに似る者へと変えられるのです。なんと素晴らしい恵みでしょう。そして、神さまと私たちの隔たりをイエス様がなくしてくださいました。イエス様が十字架上で、最後の言葉である「完了した」と叫ばれ、息を引き取られました。「完了した」とは、すべての人の救いの準備が完了したことを意味し、また、私たちがイエス様を通して、神に大胆に近づくことができるようになったことをも意味します。ですから、神殿の中の神と人間の隔たりであった厚い幕が真っ二つに裂けたのです。マタイは次のように記録しています。27章50節51節、●「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」 私たち、信じる者は、いつでもどこででも、神の御前に大胆に近づくことが許されたのです。なぜなら、私たちには、聖霊様が心に宿り、私たち自身が、神の宮とされたからです。聖書での最大の祝福である「主がともにおられる」ことが、常時成し遂げられました。
イエス・キリストを信じ、主と仰ぐ私たちには、天の御国での永遠のいのちという希望がございます。しかし、それだけではありません。私たちが、天の御国で、キリストの婚宴に招かれ、キリストの花嫁とされるなら、今、この地上では、キリストと婚約状態にあると言えるのではないでしょうか。信仰告白をし、洗礼を受けた時、それはイエス様との婚約式です。イエス様が下さった聖霊様は、いわば、婚約指輪のような、いや本当はそれ以上のものですが、仮にそうだとしましょう。では、天の御国で花嫁として招かれるときに、その時に初めて、「光り輝く、きよい麻布の衣を着ることが許される」のです。私たちの地上での結婚式でいえば、ウェディング・ドレスみないなものです。ウェディング・ドレスは、試着は別にして、結婚式当日にしか着ません。また、花婿も花嫁のウェディング・ドレス姿を当日初めて目にするのです。ですから、「光り輝く、きよい麻布の衣」は、天の御国でしか着ることが許されません。ヨハネは「その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである」と述べています。使徒ヨハネが、「救いが信仰からくる」こと、「義人はいない」ことを知らないはずはありません。「信じる者は救われる」という真理を無視しているのでしょうか。いや、そうではなく、ヨハネは、天の御国での花嫁姿を見ています。つまり、私たちがイエス様の血潮で罪を完全に洗いながされ、神の目に「罪なき者」とみなされ、天の御国に招待された時の姿を見ているのです。ですから、「光り輝く、きよい麻布の衣」とは「義の衣」のことでもあります。そして、ヨハネは、その「義の衣」を少し前に見ています。黙示録7章9節10節。●「私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』」そして、15節●「彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。」16節●「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。」17節●「なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
私は、今日のメッセージの初めに、間違えた前提をしました。「キリストの花嫁になる資格は、『正しい行いとした人』ということになるでしょう。」と申しました。メッセージをここまで、お聞きくださっていて、もうお分かりのように、「正しい行いをした人」ではなく、イエス様によって、天の御国で、「正しい行いをしたとみなされる人」「義人」になったと言うことです。そして、キリストの花嫁になる資格は、私たちが努力して得るものではありません。イエス様からの恵み、プレゼントだと言うことです。天の御国においては、ウェディング・ドレスである「光り輝く、きよい麻布の衣」を着ることを許され、賛美と祈りをもって、昼も夜も、神に仕える私たちです。ですが、今は、その前の、地上での婚約期間とも言えます。では、私たちは、キリストとの婚約期間をどのように過ごすべきなのでしょうか。地上の人間的な婚約期間ですと、結婚式場や住む家をいっしょに探したりするかもしれませんが、それはすでにイエス様が天でご用意くださっています。女性の方ですと、結婚式前のエステなんかもあるかもしれません。なにせ、一世一代の大イベントですから。結婚式自体、主役は女性の方ですから、はりきっておられます。エステ、大いに結構。しかし、最近では、大きな結婚式はせず、ただ、婚姻届けを市役所に提出するだけというカップルも増えてきています。一方、婚約期間は総じて、恋愛期間ではなかった、何かいっしょに造り上げて行く共同作業が増えて行くのではないでしょうか。婚約期間は、結婚生活への準備期間であり、疑似結婚生活、または、結婚生活の予行演習とでも言えるようなことがなされるのではないでしょうか。
私は、信仰生活においても同じことではないかと感じています。信仰告白をし洗礼を受けることは、愛の告白をし婚約をして、指輪のかわりに、聖霊をいただいて、天の御国でのキリストとの結婚を前提に、予行演習が始まるのです。イエス様と、また神さまとの会話が増え、天の御国での結婚で満たされる平安と喜びが、この地上でも味わえることとなるのです。しかし、これもあくまでも疑似体験でしかすぎません。天での平安と喜びは、もっとすばらしいものであると確信しております。ですから、今味わっている平安と喜びよりもはるかに素晴らしく、また昼も夜もですから、皆さんの期待が膨らむのも当然ですし、そして、その期待は裏切られないでしょう。私も、ワクワクしております。このワクワク感を支えているのが、神さまとの密なる会話、深い交わりであります。もしも、神さまとの密なる深い交わりがなかったとしたら、皆さんは遅かれ早かれ、マリッジブルーに陥るでしょう。婚約はしたものの、相手となかなか意思の疎通がうまくいかなくなり、近い将来にある結婚生活に不安を覚え、落ち込んでいきます。同じことが信仰生活にも言えます。聖書を読むだけではなく、示された御言葉を自分の生活の中に取り込まなければいけません。そのためにも祈り、黙想することが大切です。また、周りのクリスチャンや牧師先生に相談相手になってもらい、良き交わりをもつことも、とても健康的でしょう。しかし、いくら信仰があったとしても、人間同志の交わりにはとても信仰的に危険なこともありますから、交わりの中に、祈りを欠かさないようにしたいものです。とにかく、今のこの地上での婚約期間を、主に導いていただき、主との密なる深い交わりをもち、天の御国での結婚生活の幸福を前倒しで、味わうようにさせていただきましょう。
さて、今日も天国長屋の八さんと熊さんにご登場いただきましょう。では、八さん熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: キリストの花嫁かぁ、意味はわかんねんけんどなぁ、どうもイメージしにくいわ。
熊: なんでやねん。イエス様とひとつになる、ちゅうこっちゃろ。
八: そこんとこは、分かんねんで。でもなぁ、ウェディング・ドレス着なあかんねんやろ。
熊: あほぅ、そんなきもちわること、口にしたらあかん。
八のウェディング・ドレス姿やなんて。うわぁ、想像しただけでも、
八: 想像したあかん、わるい夢みるでぇ。わてかて、いややし。
おなごはんは、ええよな。ウェディング・ドレス姿が自然やさかい。
男のウエディングドレス姿なんて、おぞましいだけでしかあれへん。
熊: けんど、むかし娘さんやった人が、ウェディング・ドレス着ても、似合わんでぇ。
あかん! あかん、想像してしもた。
聖書には、ウェディング・ドレスやのうて、「光り輝く、きよい麻布の衣」やろ。
男女関係ない、男もんでも女もんでもないからええんちゃうか。
八: わても、その白いおべべ、イエス様に着せてもらって、昼も夜も、賛美と祈りをささげる、
そんな毎日で、平安と喜びに満たされるんやったら、
はようあっちに行ってみたいもんや。
熊: これだけは、神さまのご計画にあることやから、なんともしがたい。
それに、わてらには、「証し人」としての役目があると思うで。
八: たしかに。わてら、若さんみたに牧師先生とちゃうから、説教はでけへんかもしれんけど、
神さまがわてらにしてくださったことを言えって言われたら、いくらでもある。
熊: せやなぁ。ここまで生かされているのも、イエス様のおかげやしな。
毎日が、ミラクルや。
八: ミラクルなぁ、熊はな~んも考えてへんから、ミラクルパーや。
熊: だれが、ミラクルパーや。それゆうんやったら、イエスバカってゆうてくれるか。
八: イエスバカなぁ。イエスバカになれたら、人生幸せやろなぁ。
なんでもイエス様感謝!イエス様感謝!って言うんやから。
熊: せやでぇ。これほど幸せなことあれへん。
わては、それが、イエス様との婚約期間のわてのすることやと思てんねん。
ほんならな、イエス様おっしゃってくれねん、わてに。
八: ほぉ、イエス様が、じきじきに熊にかい。
熊: 当たり前やないかいな。わてのハズバンドやで。
八: ハズバンド? きちょいなぁ。まあ、ええわ。それで、何言いはんの?
熊: 「熊はめんこいやっちゃ。いつも一緒やで、守ったるさかい、安心し。」ゆうて。
八: 関西弁のイエス様にあわんな。けんど、イエス様に、そんなこと言われたら嬉しいなぁ。
熊: 八も、なんでも感謝したらええねん。感謝することを見つけるのも楽しいでぇ。
そうするとな、毎日が、ミラクルやゆうことが分かるんや。
愛されてるゆうことが分かる。
八: じゃあ、そうすると、あれやな、マリッジブルーになることもないか。
熊: マリッジブルー? なんやそれ。結婚するときは、白いドレスにきまってるやないか。
何で青、なんや。
八: (ため息)熊、やっぱり、あんさん、青とちごて、あほやな。ミラクルパーや。
熊: ちゃう、ミラクルパーちゃう、イエスバカや!
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。イエスバカですか。イエスバカになれる人は幸いですな。イエス様との婚約期間に、できるだけ感謝することを毎日見つけて、イエス様とお話しする。よろしおますなぁ。実際の生活と信仰生活って、分けるからあきませんねん。そうやなくて、いつもが神さまと共にある生活やと思って、いま、婚約期間やと思て、天の御国での婚宴に希望をもちつつ、毎日を大切に過ごさせていただきましょう。イエス様との結婚に向けての心のエステ、させていただきましょう。
さて、今から、黙想いたします。
●黙想:詩篇45篇をお読みいたします。
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書22章14節。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
では、黙想いたします。詩篇45篇。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑥:詩篇23
https://www.youtube.com/watch?v=S7eZhG68gAs
●献金の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡