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メッセージ主題:『天の祝福』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.2.20主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年2月20日主日礼拝式を始めます。

賛美①:輝く日を仰ぐ時

https://www.youtube.com/watch?v=Jh8Sh1ZL-CI

賛美②:主を仰ぎて

https://www.youtube.com/watch?v=Viar5edeGzU&list=RDGMEMXdNDEg4wQ96My0DhjI-cIg&start_radio=1&rv=8dq4uQd8CjU

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:主はわれらの太陽 (2月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=ZWktcXSPVCY&list=RDGMEMCMFH2exzjBeE_zAHHJOdxg&start_radio=1&rv=S7eZhG68gAs

賛美④:神の家族

https://www.youtube.com/watch?v=DTWshVVZrc4&list=RDGMEMXdNDEg4wQ96My0DhjI-cIg&index=10

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:十字架の陰に

https://www.youtube.com/watch?v=8dq4uQd8CjU

【YOUTUBE配信開始】

2022年2月20日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を当たらにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:ヨハネの黙示録22章(新改訳聖書)

中心聖句:

「もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。」(3-4)

メッセージ主題:『天の祝福』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

2017年6月11日主日礼拝から始まった、新約聖書を中心とするメッセージは、「親子礼拝」として「イエス・キリストの生涯」を『まんが聖書物語』を中心に、四福音書を総合した形で、始まりました。福音書が終わってからは、「使徒の働き」から毎週1章ずつ、新約聖書を読み解いていき、示された箇所をメッセージに導いていただきました。2018年には、急性の心筋梗塞にて入院、しかし、日曜日の礼拝までには退院し礼拝を続け、その年の12月クリスマスの時期に心臓バイパス手術をうけましたが、その時にも、日曜日の礼拝メッセージを病院から発信することができました。今日、黙示録22章目をもってこの新約聖書を1章ずつ読み解き、メッセージをさせていただくのも、一区切りとなります。実に4年と9か月に及びました。神さまが辛抱強く私を励まし、導いてくださいましたことに、また、これまで、つたないメッセージに耳を傾け続けてくださった皆さまに心から感謝申し上げます。

この黙示録22章は、21章の後半からつづく、天の御国にある『新しいエルサレム』のことと、『キリストの再臨』がふたたび強調されています。『新しいエルサレム』には、水晶のように光るいのちの水の川が、都の大通りの中央を流れています。川の両岸には、いのちの木があって、つまり、人々は自由にいのちの木に近づくことが許され、永遠のいのちがえられることになります。そしていのちの木には十二種類の実がなり、毎月、実ができた、とありますから、常に実が豊かに実っていて、人々はそれを楽しむことができるのです。そして、いのちの木、その葉は諸国の民をいやしたと記述があり、人々は常に健康が与えられていることを示唆しています。私は、天の御国は、不老不死の世界だと思っておりますので、「いやした」という言葉は、「病気があるのでは」と思わされるような表現でありますが、そうではなく、この今の世界において病気や体に不自由さを覚えている人々には、天の御国では、「いやされた」体が与えられていることを暗示しているような気がするのです。実は、この1節から2節の表現は、神がエゼキエルに見せた幻と同じなのであります。エゼキエル書47章です。ヨハネがエゼキエル書を引用したとも考えられますが、そうかも知れませんが、天の御国はそういうものであるというではないでしょうか。ちなみに、エゼキエル書では、次のように描写されています。47章12節です。●「川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」私は、これらの描写が大好きです。想像してみてください。私たちが、このような新しい世界、新しいエルサレムに、永遠に住むことができるのです。なんと素晴らしいことでしょう。

しかし、もう少し考えてみてください。神の民である私たちは、天の御国の新しいエルサレムを夢見て、イエス様の再臨を期待して、「来てください」と天を仰いで叫んでいるだけでいいのでしょうか。この世における私たちの生活は苦しいだけでもいいのでしょうか。「苦しくったって~、悲しくったって~、御国の中では平気なの」(アニメ「アタックナンバーワン」)でいいのでしょうか。お許しください、ついつい小学生時代のアニメ大好き児童に戻ってしまいました。アニメ「アタックナンバーワン」のテーマソングでしたが、この世の生活が苦しいだけでは、悲しいだけでは、天の御国の生活がどれだけ素晴らしくても、雲をつかむような話で、なかなか忍耐もできないのではないでしょうか。

最近、レストランでは当たり前のようになっていますが、本物そっくりの食品サンプルが、ショーケースにあったりして、そのサンプルを一瞥しただけで、「お、おいしそうやないかい、入ってみよか」なんてことにもなります。その食事の素晴らしさを、食品サンプルで想像できれば、大成功です。その点では、さきほどのエゼキエル書や黙示録の天の御国の描写はすばらしい。しかし、その素晴らしさ、永遠のいのちにある喜びや平安が、すこしでもこの世で味わうことができれば、なおさら「お、天の御国もええとこやないかい、もうちょっと辛抱しょうか」てなことになるのではないでしょうか。実は、そのことは、この世で味わえるのです。

このエゼキエル書や黙示録の天の御国の描写とおなじよう描写が、詩篇の1篇にあります。3節●「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」とあります。ある方は、これは天の御国の描写だとおっしゃるかもしれません。しかし、よく見てください。「川」ではなく「水路」とあります。「水路」とは「人工的な灌漑用の溝」です。つまり、この描写はこの世のことなのです。実が豊かになって、葉が枯れない木、水路のそばに植わった木、水路のそばに、神さまが植えられた木。そういう人は、何をしても栄える。なんと嬉しくワクワクするような表現でしょう。

では、そのような人とはどのような人でしょうか。詩篇1篇の1節2節に次のようにあります。●「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、悪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった。その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」悪から遠ざかり、神さまの御心に熱心に従おうとする者は祝福されるのです。「主のおしえを喜びとし」とは、神さまのことばを信じ、自分のものとしようとすることであり、そこには、御言葉を黙想し、神さまのみ旨がどこにあるのかを敬虔かつ積極的に求める姿勢が浮かび上がってきます。また、「昼も夜もそのおしえを口ずさむ」とは、常に主の御心が自分の祈りとなるように願っている様子であり、また、ただただ、主は素晴らしい方であり、賛美されるべき方であることを告白しています。

「その人は、何をしても栄える」ことは、失敗や困難を回避できることを意味するものではありませんし、健康や富や幸せを保証しているものでもありません。聖書における繁栄とは、主の目に喜ばしいことであり、主がその人を通して、栄光を現すことであります。イエス様はそのことを、「天に宝を積む」という表現をお使いです。マタイの福音書6章17節~21節●「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」私たちが積むことのできる天の宝は、私たちの神さまを慕う心、神さまに従う心、賛美する心なのです。つまり、「その人は、何をしても栄える」とは、「その人は、何をしても、どんな状況におかれていても、主を慕い、主を賛美している、完全に主のものとなっている、その人の存在自体が、神さまの栄光を反映している」ということです。このことが、今、私たちが受け得る、天の御国での平安と喜びに通じるものであります。

また、このぶどうの木キリスト教会の1番目の御言葉、ヨハネの福音書15章5節●「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」の中の「多くの実を結ぶ」実とは、ガラテヤ書の5章22節23節の御霊の実のことであるとも考えられます。●「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」少し前まで、私も「多くの実を結ぶ」の実は、御霊の実だと思っていました。いえ、今もそうかもしれないと思っています。が、最近、すごく思わされていますのは、「多くの実を結ぶ」の実は、神さまの栄光を現す実だということです。ヨハネの福音書の15章5節は次のように言い換えることができるのではないでしょうか。●「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は神の栄光を現すことができます。」こういう考え方はできないでしょうか。御霊の実は、私たちのための実ではなく、もちろんイエス様によって、枝である私たちから実った実ではありますが、私たちのための実ではなく、神さまの栄光を現す実なのだと、思えないでしょうか。神さまの栄光を現す、そのことが神さまがもっともお喜びになられることなのだと私を思うのであります。

さて、この黙示録は、最後の最後に、イエス・キリストの再臨を期待し、また再臨はゆるぎない約束として、しめくくられています。つまり、黙示録で語られてきた難解で恐ろしい戦いは、キリストの再臨によって、神の民である私たちにとっては、ほとんど意味のないこととなると、キリストを信じる私たちに教えてくれています。私たちが天の御国に招かれるためには、主に対して、「来てください」とキリストの再臨を望む、その信仰だけが、私たちには必要であることを、私たちに伝えています。そして、このキリストを恋い慕う信仰「来てください」これこそが、神の栄光を現す最大のものであり、私たちの信仰は、神さまによって最高の祝福を受けるのです。

神さまに栄光を! 私たちはそれだけを望むべきなのであります。

「もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。」

これが、神さまの私たちへの最高の祝福です。

さて、今日も天国長屋の八さん熊さんに、ご登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: いやぁ、2017年からこのシリーズはじまりましたんやな。

ぶどうの木の教会の開所式が2017年7月17日やさかい、それよりも1か月前から、

若さん、毎週毎週ご苦労さんでした。

熊: まあ、牧師が毎週毎週、メッセージを取り次ぐのは当たり前のことなんやけど、

新約聖書1章ずつよそ見せんと進んでいくちゅうのは、ようやりはったね。

わてらは、途中出場やったけど。

まあ、わてらは気軽にチャチャ入れているだけやったけど。

八: ところで、今日の最後に、『キリストを恋い慕う信仰「来てください」これこそが、

神の栄光を現す最大のもの』やぁゆうってはったな。

熊: わてらや、わてらの信仰は、神さまの栄光を現すためのものや、って。

そう考えると、わてらの自分勝手な望みは聞かれへんというのも納得や。

八: せやなぁ。神さまの思いだけが現実のものとなる。

熊: わてらが生かされているのは、神さまの栄光がわてらの上に現わされるためや。

八: じゃあ、わてらは、神さまの栄光を現すために存在してるちゅうことかいな。

熊: 神さまはわてらをお造りになられた方や、この世界全部をお造りになられた方や。

そら、当然やろ。

八: けんど、神さまはわてらを愛してくださるために、お造りになられたんやろ。

熊: そうやで、ありがたいことにな、神さまは、●「人をご自身のかたちに創造された」って

創世記の1章27節には書かれてある。まあ、神さまは霊やから、かたちはない。

けんど、こう書かれてあるちゅうことは、わてらは神さまの創造物のなかでも特別や

ちゅうこっちゃ。だから、神さまは、神の栄光をわてらに現わしはんねんやろな。

八: なるほどなぁ。わてら人間は、特別やから、神さまはご自身の栄光を現されはんねんやな。

それは、とっても嬉しい話や。

熊: そやから、御子イエス様につながってたら、わてらは多くの実を実らすことができて、

神さまの栄光をあらわせるちゅうこっちゃな。

八: そうか、じゃあ、これがわてらの使命なんやな。

熊: ところでな、『新しいエルサレム』は、わて、『エデンの園の再創造』やと思っとってん

ねんけど、今日の話きいてると、ちゃうみたいやな。

八: 『エデンの園』も不老不死の世界やし、『新しいエルサレム』も不老不死や。

同じなんちゃうんか。

熊: そやねんけど、『エデンの園』には、悪魔の化身の蛇もおった。

けんど、『新しいエルサレム』には、悪はもう存在せん。

八: そうか。そやなぁ。

じゃあ、『新しいエルサレム』は『エデンの園』のバージョンアップやな。

熊: なんや、そのバージョンアップって。

八: だって、そやろ。いのちの木があるし。木の実は食べ放題やし。

熊: 食べ放題か、ええなぁ。なんか高級ホテルの朝食ビュッフェみたいで。

八: あ、若さん、ゆうてたけどな。むかし、タイにお手伝いでいったんやて。

そんときのホテルの朝食ビュッフェ、フルーツだらけやったんやて。

『新しいエルサレム』もそんなんやったらええなぁ。

熊: 『ホテル・ニュー・エルサレム』ええ感じやないの。そこでは、食べ放題だけとちゃうで。

祈り放題、賛美し放題や。

八: せやなぁ。祈り放題、賛美し放題か。けんど、喉いわさんようにせなあかんな。

わてら、すぐ喉枯れるし。この「小阪チャペル」でも、よう賛美してるけど、

礼拝ささげ終わったら、喉へろへろやもんな。ここで、鍛えとかなあかん。

八: 『新しいエルサレム』か、待ち遠しいなぁ。

『ホテル・ニュ~・エルサレム』(「ホテル・ニュー淡路」のリズムで)

熊: あほ、関西人にしか分からん、変な節つけるんやないで。

八: これの方が、身近に感じひんか。『ホテル・ニュ~、、、、』

熊: もう、ええちゅうねん。

八: イエス様、はよう「来たりませ」! 『新しいエルサレム』の招待券ください!

熊: そやで、そやさかい、日ごろからしっかりと、イエス様につながっておらなあかんねん。

八: ああ、イエス様がこられるのが待ち遠しいなぁ。イエス様、はよう「来たりませ」!

イエス様、「いらっしゃ~い」(「新婚さんいらっしゃい」風に)

そんときには、わてらの額には、神さまの名が記されてるんやろな。

熊: なにゆうてんねんな。イエス様を信じた時点で、もう、みんな、神の子として、

イエス様と共同相続人やで。わての額みてみぃな、神さまの名が記されてるやろ。

八: えぇ~。脂ぎってて、しわしか見えへんでぇ。

熊: 人間の目でみるからあかんねん。神さまは霊や、霊の目でみてみいや。

八: 熊、そりゃ、むりやわ。むちゃゆうたらあかん。

霊の目でみるためには、わてら、天の御国にいっとらなあかん。

―――――

八さん、熊さん、おおきに、ありがとうございます。たしかに、私たちがこの世で生かされているのは、神さまの栄光が現れるためですね。神さまのお喜びになられること、なんでもさせて頂きましょう。『ホテル・ニュ~・エルサレム』でっか。食べ放題、祈り放題、賛美し放題。

よろしおますな。イエス様、はよう「来たりませ」!ですね。イエス様がいらっしゃるまでに、

神さまのお喜びになられること、それはぎょおさんあるでしょうね。同じでなくてもいいんです。

それぞれで、神さまの喜びになられること、がんがえてみてください。

そこには、神さまのぎょうさんの祝福がまっていますよ。

では、黙想いたしましょう。黙想箇所は、詩篇144篇です。

●黙想:詩篇144篇をお読みいたします。

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書18章3節。

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」

では、黙想いたします。詩篇144篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:土の器

https://www.youtube.com/watch?v=8-cdd5jy4lc

●献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、悔いた心と共に捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡