メッセージ:「主の約束」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

2022年3月10日

担当:若竹孝行

メッセージ:「主の約束」(15分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:ヨシュア記19章~21章

21章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:45

「主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」

おはようございます。そして、お帰りなさい。

ヨシュア記21章では、祭司の部族であるレビ族に、町が与えられたことが記されています。民数記(18:8-24)や申命記(18:1&2)によりますと、レビ族には、土地は与えられず、献げ物の一部を受け取るという形で他の部族に養われていました。この21章では、レビ人に他の部族から放牧地のある48の町が与えられたとされています。41節42節●「イスラエルの子らの所有地の中で、レビ人の町は全部で四十八の町とその放牧地である。これらの町はそれぞれその周囲に放牧地があった。これらの町はすべてそうであった。」とある通りです。レビ人はこれらの町を支配したのではなく、そこで祭司として仕えたのであります。土地の分配によって祭司であるレビ人はイスラエル全土の諸部族の間に散って仕えることとなりました。主は、イスラエルのすべての部族に、祭司を置き、すべての部族が主を覚え、主を賛美するようにと命じられておられます。なぜなら、主は約束を守られたからであります。さて、その主の約束とは何だったのでしょうか。

43節にありますように、●「主は、イスラエルの父祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられ、、、彼らはそれを占領し、そこに住」みました。やっと、これで放浪の民から定住の民となったのです。父祖アブラハムへの約束が、長い年月をへて果たされました。アブラハムとの主の約束とは、創世記17章7節8節に出てきます。●「わたしは、わたしの約束を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」

たしかに、カナンの全土をイスラエルの所有とする約束は実現しました。しかし、これは約束の一部でしかありません。最も重要な主の約束は、「わたしは彼らの神となる」ということです。では、「わたしは彼らの神となる」とは、どういうことでしょうか。これは、聖書中の最大の祝福「神が共におられる」ということです。「神が共におられる」とは、神がその民を守り、平安と癒やしを与え、教育し、支え、導くということです。神は実はその約束をモーセの民がエジプトを出たときからずっと果たされてこられています。また「わたしが彼らの神となる」とは、神様からの一方的な約束ではなく、その約束を交わした民にも応答としての責任がありました。それは、神を主としてあがめ、仕え、主を賛美しほめたたえるという責任であります。ですから、神が「共におられる」という約束を守る限り、その民も「主に仕える」という約束を果たす必要があります。そう考えますと、偶像礼拝、他の神を崇めることは、契約違反であり、神は契約違反をした民を罰せられるのです。これは、今に至ってもまったく同じことがいえます。クリスチャンも他の神々を礼拝したり参拝したりしてしまいますと契約違反としての罰が与えられるのです。日本ですと、神社仏閣に行くだけなら大丈夫かもしれませんが、頭を下げたり、手を合わしたりすることはさけないといけないのではないでしょうか。

さて、話を21章に戻します。改めて今朝の中心聖句、45節を見てみますと、●「主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」と記されています。これは、歴史的な史実を述べただけではなく、現代の私たちに対しても、宣言している言葉です。このように言い換えることができるではないでしょうか。『主が私たちに告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現する』ということです。「私たちに告げられた良いこと」とは、もちろん、ヨシュアの時代でも同じように「主が共におられる」ということです。しかし、それだけではありません。この「良いこと」とは、現代の私たちにとっては、「福音」のことでもあります。ですから、『私たちに告げられた福音が、一つもたがわず、すべて実現する』ということでもあるのです。

では「福音、Good News」とは、なんでしょうか。それは、ヨハネの福音書3章16節に代表される主からのプレゼント、恵みです。●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」これは神様からの一方的な恵みであります。この福音を信じ、イエス様を信じ、口で告白して洗礼を受ければ、天の御国での永遠のいのちという切符をいただきます。しかし、それで終わりでしょうか。いいえ。これは福音の始まりでしかありません。私たちは、この世の生を全うするまで、継続的な福音によって養われなければなりません。イエス様を模範として、イエス様にならうものにしていただかなくてはいけません。それは、パウロが明確に伝えています。テモテへの手紙第二2章8節です。●「イエス・キリストのことを心に留めていなさい。私が伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった方です。」これは新改訳2017版の訳ですが、私は、口語訳の方がここではぴったりくると思っています。●「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」『イエス・キリストを、いつも思っている』ことが、継続的な福音でもあるのです。つまり、イエス・キリストを主としてあがめ、イエス・キリストの十字架での罪の贖いに感謝し、イエス様と会話することでもあります。「もしイエス様だったらどうされるだろう」と主の御声を積極的に聞こうとする姿勢も含まれます。

「福音」は一つですが、私は、二つの段階があると思っています。第一段階は、イエス様の十字架の贖いを信じ、天の御国での永遠のいのちのキップを頂くことです。

イエス様の十字架の贖いを信じることは、基本中の基本ですが、これだけにとどまるなら、皆さんは本当に信じたことにはなりません。いえ、まったく損をしています。イエス様を信じるとは、イエス様が私たちの罪ために十字架にかかり、私たちの罪を帳消しにしてくださったということだけではなく、イエス様と共に歩む、御言葉に聞き従うということです。これが「福音」の第二段階です。これら2段階が、あわさって福音の完成となります。そうすることによって、天の御国で味わう喜びと平安が、今、この世でも味わうことができるのです。そのことによって、人生は豊かになります。そして、これが今の私たちにとって、『私たちに告げられた福音が、一つもたがわず、すべて実現する』ということになるのです。イエス・キリストのことをいつも心に留めていきましょう。イエス・キリストを、いつも思っていましょう。

私の神学校卒業の時の決意表明で引用した聖句は、コリント人への手紙第一9章23節「私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」これは新改訳2017年版ですが、口語訳では、「福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしと共に福音にあずかるためである。」私は、こちらの方が私の気持ちを表すのに適切だと思っています。どちらにしても、この初めに記されている福音は、第一段階の種まき的福音であります。どんなことをしても、神様の深い愛とイエス様の恵みをお知らせするという宣教的働きであります。しかしパウロはそれだけでは終わっていません。「福音の恵みをともに受ける者となる。」「共に福音にあずかるため」とありますように、この福音は、おもに聖霊様の働きによって、私たちがキリストに似る者とされる、いわば生活に信仰が溶け込んでいく働きであります。

イエス様は最後の最後に次のようにおっしゃいました。マタイの福音書28章19節20節。●「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父・子・聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

これは、イエス様の大宣教命令でありますが、最後にイエス様は約束なさっています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」つまり、いつも共にいてくださり、守り、養い、助けて、導いてくださると約束されておられるのです。この約束は、聖霊様を通して、すでに実現しております。特に、悲しい時も苦しい時、重荷を負っている時、主は常に私たちの近くにいてくださり、私たちが主に拠りたのむのをまっていてくださいます。主はあなたを豊かにし、幸せにしたい、主の平安と喜びで、あなたを包み込んであげたいと待っていてくださいます。なぜなら、それがあなたへの主の約束だからです。では、その約束の私たちの応答は何でしょうか。「いつも主を思っていなさい」ということではありませんか。「いつも喜び、常に祈り、すべてのことに感謝する」ことではないでしょうか。主が約束を守られる限り、私たちもそうしようではありませんか。

これから黙想の時間をもちます。

わが心の岩

https://www.youtube.com/watch?v=r4G9vI0OkEs&list=RDZWktcXSPVCY&index=7

お祈りいたします。

●主のいのり

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。