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メッセージ主題:『あなたは、どこにいるのか』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.3.13主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年3月13日主日礼拝式を始めます。

賛美①:主我を愛す

https://www.youtube.com/watch?v=lr-xT4tXoGc

賛美②:告げよ主に

https://www.youtube.com/watch?v=HqV5xIb-ucI

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:花も (3月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=nLOKGTBm3ug

賛美④:神はわが力

https://www.youtube.com/watch?v=U2Qy6QFSqDE

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:主は良いお方

https://www.youtube.com/watch?v=Pap_uwrW1hE

【YOUTUBE配信開始】

2022年3月13日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記3章(新改訳聖書)

中心聖句:

「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか。』彼は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。』」(8-10)

メッセージ主題:『あなたは、どこにいるのか』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

むかし、子育て真っ最中のころ、USJの年間パスポートなるものを購入しました。3回行きますと入場料は元が取れます。毎月1回、地獄のような1日が待っています。朝の開園時間から、夜の閉園まで、みっちりとしごかれます。誰にかって?うちのギャングキッズにです。お茶もおにぎりも持って行きますが、そんなものはあっという間になくなります。パーク内での飲食はとても高い。各自の2000円のお小遣いはあっという間になくなり、一日の最後には、全くの赤字決済。その上、子どもたちは、「消える」天才です。ちょっとよそ見をしていますと、二人ともいない。今は、スマホや携帯で連絡を取り合うことができますから、いいですが。その時にはありませんでしたから、きがきでありません。今、思い出すとゾッとします。体力も気力も衰えている今は、決して孫と行きたくない場所のひとつです。

親は、子供の姿が見えなくなると、名前を呼んで捜し回ります。親が目を放すと、子供たちは必ず、姿が見えなくなります。彼らは自由奔放で、いろんなことに興味深々で、かつ怖いものしらずときています。ときには、親の注意をひくためにかくれんぼをすることもあるでしょう。かくれんぼは、見つからないようにするのがゲームではありますが、一方で見つかることも期待してかくれているというのも事実です。

しかし、今日のアダムとエバは、かくれんぼしているわけではありません。いえ、たしかに隠れてはいます、神様から。では、なぜ隠れたのでしょう。二つの理由があったのではないでしょうか。

一つは、「自分が裸であるのを恐れて、身を隠し」たとあります。動物はみんな裸であります。どの動物も恥ずかしいとは思わないでしょう。また、恥ずかしいという気持ちは動物にはないのでしょうか。私は、犬や猫を見ていて、「恥ずかしい」というよりは、「バツの悪さ」を感じているのではないかと思うときがあります。主人のいない時に、部屋の中をちらしまくった猫や犬が、主人が帰って来ると、隠れるのは、主人に怒られるからですが、そうではなくて、自分が猫として恥ずかしいことをしでかした時や、犬として自尊心を傷つけるようなことをやらかした時にみせる表情は、「バツの悪さ」を表しています。まあ、それが「恥ずかしい」という表現なのかは分かりませんが、動物たちは「裸を恥ずかしい」とは思っていません。では、なぜアダムとエバは「裸を恥ずかしい」と感じるようになったのでしょうか。聖書では、その原因は、「善悪を知る木の実、知恵の木の実を食べた」からであると記しています。6節7節です。●「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。」 知恵の木の実を食べることによって、自分たちが裸であることに気がついただけではなく、いちじくの葉をつづり合わせて、腰の覆いとする知恵も与えられました。腰に覆いをするということは、生殖器を保護するということでもありますし、また、視覚による影響を受けやすい人間にとっては、発情をおさえるという効果もあるでしょう。神様の御前には、裸では出れないと「バツのわるさ」も感じていたのかもしれません。その意味では、「知恵の木に実」は、「神を畏れる」という意識も植えさせたのかもしれません。

アダムとエバが隠れたもう一つの理由は、「罪を犯した」というものです。神様はアダムに次のように忠告しておられました。2章16節17節●「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」アダムは神様の命令に、蛇の誘惑によって、結果的に背いたこととなりました。その背きゆえに、神様の目から隠れようと試みたのであります。知恵の木の実を食べて、知恵がつきましたが、知恵はその程度のものだったのです。神様から見れば、蛇の誘惑によって食べてしまった、知恵の木の実の知恵も、「サル知恵」ごときのようでしかありませんでした。そして、その「サル知恵」は、「その場しのぎの言い訳をする、浅はかな自己防衛をし、罪を他人になすりつける」ということを、全知全能の神様の御前で、平気でするようにさせました。3章12節●「私のそばにいるようにとあなたがあたえてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」『私は何も悪くありません。あの女が差し出したから食べただけで、あの女がすべて悪いのです。』と言い訳をしました。またエバはエバで、13節●「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」と言い訳をしました。誘惑をした蛇に、すべての責任を負わせたのです。アダムとエバは、まず神様に謝りもせず、自分には罪はないことを主張したのです。知恵の木の実のもたらす知恵は、このように一時しのぎの浅はかなものでもあったのです。

しかし、神様は、アダムとエバの日ごろと違う様子を、すべてご存じで、居場所もごぞんじでしたが、しかし、それでも呼びかけられました。「あなたは、どこにいるのか」。 父親が迷子の子どもを捜し求めるように、「あなたは、どこにいるのか」と呼びつづけます。人間は神様を裏切って、園の木の間に身を隠しますが、神様は、その堕落した人間、出来の悪い、しかし最愛の創造物を「あなたは、どこにいるのか」と捜されるのです。

アダムとエバは、「園を歩き回られる神である主の声を聞いた」とありますように、園を歩き回り、「あなたは、どこにいるのか」と尋ね回られます。アダムとエバが自主的に主の前に現われることを期待しつつ、彼らが隠れているところのまわりをまわり、じょじょに近づいて行きます。そして、アダムとエバの隠れているところまできて、ふたたび、「あなたは、どこにいるのか」と尋ねます。

身をかがめて隠れていたアダムとエバは、観念したように、すくっと立ち、神様に申し開きをします。神様はそれを聞いてどう思われたでしょうか。言い訳をする二人を見て、賢くなった、成長したと思うでしょうか。あの知恵の木の実を食べて、みえみえの言い訳をするほどに、神様から離れてしまった二人を憐れに思われたのではないでしょうか。神様は、その義ゆえに、アダムとエバを赦すわけにはいかず、エデンの園から追放します。しかし、神様はアダムたちがエデンの園を出て行くときに、憐れみをかけられました。それは、アダムとエバに、一夜で使い物にならなくなるイチジクの葉でつづり合わせた腰巻ではなく、じょうぶな皮で衣を作り、彼らにきせてあげたことです。神様は、アダムとエバに、罪を清算し、ご自身に近づく方法として、いけにえの制度を暗示されました。動物の血で罪を清め、いのちをもって罪を償うことによって、神様の御前にでる道を示されました。創造主である神様が、私たち人間を愛するがゆえに、歩み寄られたのであります。

この神様の愛ある歩み寄りは、イエス・キリストの降誕にも見られます。神のひとり子であられたイエス様を私たちの罪を帳消しにし、私たちが神さまと自由に交わりをもつことができるようになさいました。それだけではなく、エデンの園にいたアダムとエバのように永遠のいのちを得るチャンスをお与えになられたのです。ここに神様の愛、神様の憐れみがあります。ヨハネの福音書3章16節●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

神様は、今でも歩み寄ってくださっておられます。それは、私たち以上に、私たちと交わることを望んでおられるからです。親が子どもたちを自分の元へ引き寄せて、抱きしめるように、神様は、今日も私たちを、「あなたは、どこにいるのか」と呼び求めておられます。

「なぜ、教会に見えないのか」「なぜ、祈りの場に現われないのか」「なぜ、聖書を開いて私と会わないのか」「なぜ、賛美の声が聞こえないのか」「これらすべての事が、天に宝を積むことになるのに、あなたの心はどこにあるのか。」

イエス様は「天に宝を積みなさい」とおっしゃいます。マタイの福音書6章20節21節●「自分の宝は、天に蓄えなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」礼拝をささげること、祈りをすること、聖書を読むこと、賛美をささげること、つまりは私たちの主であるイエス様、そして父なる神様にお出会いし、親しく交わること、これこそが天に宝を積むことであります。なぜなら、神様は、皆さんが思うよりももっともっと親しく交わりたいと願っておられるからです。ですから、あなたが見えなくなると、すぐさま、捜されます。「あなたは、どこにいるのか」と。

神様に「あなたは、どこにいるのか」と捜される前に、「私は、ここにおります」と、聖書をひらき、賛美と祈りをささげ、礼拝を重んじる中で、主にまみえ、宝を天に積みましょう。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにご登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「天に宝を積む」っていのは、買い物したらポイントがついてくるのと同じかもな。

熊: なんやねん、それ。

八: だって、そやろ。祈ったら、天に宝がつまれる。

賛美しても、聖書読んでも、天に宝がつまれるんや。ポイント加算やで。

熊: は~それはええなぁ。せやったら、一生懸命、祈ったり、賛美したり、聖書読んだり、

礼拝守ったり、そうすることで天にポイント加算されんねんから。

八: せやけど、天に加算されたポイントは何に使えるんやろ。

熊: それは、喜びと平安に変えてもらえるんとちゃうか。知らんけど。

八: なんや、知らんのかいな。まあ、天の御国でのことは分からんわな。

けんど、なんかワクワクしてきたわ。

熊: ところで、今日のメッセージの「あなたは、どこにいるのか」って、

天のお父はんは、わてらのこと、いつも気にかけてくれはんねんなぁ。ありがたい話や。

八: 神様は、わてらをいつも捜してくれてはんねんなぁ。

熊: はいな、感謝やで。わてらが神様わすれてても、神様はわてらを覚えててくれはる。

八: 神様は、わてらをお造りになられた方やし、わてらよりもわてらのこと、

よー知ってくれてはる。

熊: 若さん、ゆうてはったけど、神様はわてらと親しく交わりをもちたいんやって。

八: 神様と交わりをもつって、ほんまにえもゆわれへん、幸せ感まんさいやで。

熊: おお、八さん、えらい力はいってるやないかいな。

八: 当たり前や。賛美の歌を歌ってる時、ええこんころもちになる。

それに祈りの時も。とくに一人で祈っている時や、他の人の祈りに心合わせてる時やな。

熊: なんや、皆の前で声出して祈っているときは、あかんのかいな。

八: あ~、あかん、あかん。なんか緊張してもうて。

独りで祈るときは、言葉選ばんでもええさかいな。

わてのは、祈りと言うよりも、神様とのおしゃべりやさかい。

神様としゃべっている間に、ふと気づかされることもあるんや。

けんど、人前で祈るときには、地がでえへんているか、、、、

熊: 周りの人のこと気にし過ぎなんやて。みんな、そんなこと思てへんから。

わてはな、目ぇつぶって、静まって、神様の声を聞こうとするときが、なんか幸せや。

八: ところで、熊。熊は、聖書を読んでるとき、神様とであうか?

熊: お出会いする時もあるけど、すれちがっているときも多いなぁ。

八: わてもや。なんか「聖書よんでるぞ」っていうときには、あかんなぁ。

なんか、降りて来てくれはれへんっていうか。

熊: せやな。聖書の中に心がズ~ンとはいって行くと、お会いできることもあるねんけどなぁ。

八: 神様は、ずっーと聖書の中にいてくれはんねんけどな、わてらが気が付けへんねんや。

神様の方がかくれんぼしてんちゃうかと思うときもあるわ。

熊: 若さんがいうのにはな、そういう時は、「神様とお会いできますように」って願うてから、

聖書読むとええらしいでぇ。ほら、サムエルのように、

「お話しください。しもべは聞いております。」ゆうて、祈ってから、

聖書読むとええんやて。

八: さよか。ほな、さっそくやってみよな。ところで、熊、アダムとエバはん、

知恵の木の実を食べる前は、神様とどんな会話してはったんやろなぁ。

だって、神様、アダムとエバはんをさがして、「あなたは、どこにいるのか」

ゆうてはったんやろ。それまでは、ひょっとしたら楽しい会話

してはったんとちゃうやろか。

熊: 神様と会話なぁ。どんな会話してはったんやろ。

八: 「今日の晩御飯なにする?」とか?

熊: あほ、神様がそんなこという訳ないやないかいな。それにやな、晩御飯やなくて、

エデンの園では、いろんな木に、いろんな実がなっとる。

そやさかい、ゆうんやったら、「今日はバナナにする?、それともマスクメロン?」

ちゅうような会話になってんとちゃうか。

八: なるほどなぁ。イチジクはよう食べられていたみたいやから、「もうイチジクは堪忍して、

あきてもた。それよか、ぶどうがええわ。ジューシーやし。」なんてゆうてはったんかな。

熊: おい、八。どこまで悪乗りするねんな。けんど、わからんはなぁ。

ところで、エデンの園ではみちたりてたんやろ。

ぎゃくに会話なんてないんかも知らへんで。

満ち足りてたら、会話なんていらんやん。目と目を合わして、手と手を握って、、、

八: あほ、どこぞの世界で、神様と道行するねんな。

けんど、どうやったんやろなぁ。神様との会話って。

熊: まあ、これは神様に聞くしかないやろな。

ほな、今からお祈りして、神様とお出会いしましょうや。

若さん、そちらにお返ししますよって、あんじょう、まとめておくれや。

―――――

あんじょう、まとめてって、むちゃゆうたらあかんわ。いろんな話して。けど、八さん、熊さん、ありがとうございます。「神様とお出会いする」ことは大事ですね。まあ、食べ物の話をしているかどうかは疑問ですけど、神様が私たちと会話するために、交わりをするために、私たちを、捜しておられるのですな。「あなたは、どこにいるのか」って。

神様とお出会いさせて頂きましょう。交わりをもたせていただきましょう。

では、黙想いたします。黙想の時にお読みするのは、詩篇19篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書10章9節。

「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」

では、黙想いたします。詩篇19篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:イエスはなれを呼び給う

https://www.youtube.com/watch?v=JVP0XEx4FxQ

讃美⑦:主よみもとに近づかん

https://www.youtube.com/watch?v=OyFexSU11S8

●献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の3月20日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記4章