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メッセージ主題:『神とともに歩む』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.3.27主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年3月27日主日礼拝式を始めます。

賛美①:おおみかみよほめまつれ

https://www.youtube.com/watch?v=HhiuSvMtqys&list=RDHhiuSvMtqys&start_radio=1

賛美②:御腕に抱いて

https://www.youtube.com/watch?v=vV7m1nPNmZA&list=RDHhiuSvMtqys&index=20

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:花も (3月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=nLOKGTBm3ug

賛美④:傷跡

https://www.youtube.com/watch?v=JYOE8Kb8LA0&list=RDHhiuSvMtqys&index=8

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:たたえよ栄光の神

https://www.youtube.com/watch?v=HSqZGerji8k

【YOUTUBE配信開始】

2022年3月27日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記5章(新改訳聖書)

中心聖句:

「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(24)

メッセージ主題:『神とともに歩む』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

聖書中の重要人物で、死んだことが確認されていないのが、エノクです。エノクはアダムから数えて7代目の族長となります。アダムが130歳の時、セツが生まれ、アダムは930歳で死にます。またセツが105歳の時、エノシュが生まれ、セツは912歳で死にます。エノシュが90歳の時、ケナンが生まれ、エノシュは905歳で死にます。ケナンが70歳の時、マハラエルが生まれ、ケナンは910歳で死にます。マハラエルが65歳の時、イエレドが生まれ、マハラエルは895歳で死にます。イエレドが162歳の時、エノクが生まれ、イエレドは962歳で死にます。そして、エノクが65歳の時、メトシュラが生まれ、エノクは365歳の時、「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」とあります。この表を見てもお分かりのように、エノクだけが、短命といいますか、この世からはいなくなりました。5章では、あと、メトシュラの次にレメク、ノア、そしてノアの子どもたちセム、ハム、ヤペテと続きます。6章からはノアの物語となりますから、そのノアの前、レメクまで、エノク以外は長寿であります。まあ、エノクも365歳ですから、私たちと較べると相当長寿なのですが。365という数字は1年間の日数と同じですから、まあ覚えやすいですね。このアダムからレメクまでの族長のたんたんとした記述の中で、エノクとレメクの時だけには補足的な描写が付されています。365年間この世に、比較的短くいたエノクは、「神と共に歩んだ」とあり、また他の族長と同じように長寿、777年間(777というのは、これまた覚えやすい数字ですね。スロットマシーンですと大当たりです)とにかく777年間の長寿を全うしたレメクは、ノアが生まれた時に「この私たちに、この子ノアは慰めを与えてくれるであろう」とありますように、生活苦に疲れていた様子がうかがい知れます。つまり、民は土地を耕し、しかし、なかなか思うように作物がとれない時期が多く、生活の苦しさをいやというほど味わっていたのではないでしょうか。しかし、その中にあって、エノクは違いました。エノクは「神と共に歩んだ」とあるのです。

先週の4章で学びました、セツとエノシュの時代に、「主の御名によって祈ることを始めた」とありましたが、この祈りの積み重ねが、エノクの「神と共に歩む」ということに結実し、またそれは、ノアへと引き継がれていきます。では、エノクは他の族長が味わった生活苦を味わっていなかったのでしょうか。私はそうは思えません。エノクの時代も生活はきびしいものだったでしょう。しかし、エノクは神を第一としたのです。自分の道ではなく、神の道を歩んだ。だからこそ、「神と共に歩んだ」と記録されているのではないでしょうか。では、「神の道を歩む」とはどういうことでしょうか。それは、「神の御声を聞き、それに従っていく」ということです。エノクは、祈りの中に、神の御声を聞こうとしたのです。そして、その声に従いました。その声に従った結果、エノクは「神が取られたので、いなくなった」とあるのです。そのことをヘブル書の著者は次のように述べています。ヘブル書11章5節●「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」とあります。「移された」とは「死を見ることのない」世界、つまり永遠のいのちのある「天にあげられた」ことを意味しています。本来の信仰の基本がこの時点で確立しているとも言えるでしょう。「主である神を認識し」「主の御名によって祈り」「神と共に神の道を歩み」「天の御国での永遠のいのちにあずかる」そして、そこには神の祝福があります。生活が苦しい中であっても、いえ、苦しい中だからこそ、神に拠り頼み、神に期待する。神を信じ、神の御声を聞こうとし、その声に従い、祈りの中に神の平安と喜びを味わう。

(表でもありますように)アダムもセツもエノシュも、まだ存命で、エノクに神のことを語り続けていたのでしょう。信仰は聞くことから始まり、信仰は、神の物語を聞き続けることで実を結び、神に期待することが確信へと変わっていきます。ヘブル書11章1節で、●「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とありますように、『望んでいることがらを、ただただ期待するだけではなく、そのことがらをすでに現実のものとしてみているかのように確信する』ことであります。先取りの感謝、願いは既に聞き届けられたと感謝をささげる事と同じであります。もちろん、このような悟りに近い信仰も、一瞬のうちに生まれるものではなく、御言葉と神の物語を聞き続け、神に期待しつづけ、信じ続けるなかで育んでくるものです。

「信仰の継承」という言葉があります。親から子へ、また先輩から後輩へと、信仰を受け継ぐことでありますが、信仰というバトンを渡していくリレーのようなものではありません。信仰は一人一人の神様からのプレゼントです、恵みです。信仰は一人一人の神様からの招きの応答として、「神を信じる、信じよう」とする決意の結果であります。ですから、信仰は、必ずしも次の世代に渡していくというものではなく、神とその人との一対一での交わり、応答の中で生まれ出てくるものです。アダムからの系図を見てください。アダム・セツ・エノシュによって語られ続けた神の物語は、ケナン、マハラエル、イエレドを、どちらかと言えば、とばして、エノクに語られているように思えます。そして、エノクは、ケナン、マハラエル、イエレドからではなく、アダムやセツやエノシュから直接、神の物語を聞き、そして聞き続けることによって、「神とともに歩む」姿勢をはぐくみました。その意味で、信仰は、すごく個人的であり、代々伝わるお宝のように取り扱うものでもないのです。

さて、このエノクの短い記述●「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」から、私たちは何を学ぶ出来でしょうか。①エノクはアダムやセツやエノシュから、何度も何度も神様の物語を聞いたであろうということです。現代の私たちにとっては、聖書を何度も何度も読む、分からないところがあったとしても、「それは今は分からなくてもいつか分かるときがくるかもしれないから」、読み続けるということでもあるでしょうし、毎回の礼拝メッセージに耳を傾けるということでもあります。私たちは聖書を読み、メッセージを聞くことによって、私たちは少しずつ、主のかたちへと変えられていくのです。②エノクは神の道を歩んだ、ということです。神の道を歩むためには、主の御声に聞き従うということでもあります。「静まって主を知る」つまり、黙想しつつ、主を受け入れるということです。③エノクは主の祝福をうけた、ということでしょう。「神が共にいてくださる」というのは、神の最高の祝福を受けるということです。旧約聖書新約聖書、全巻に「主が共にいてくださる」ことを期待し、主の臨在を望んでいます。「神が共にいてくださる」ことによって、私たちは守られ、励まされるからであります。つまり、この世でも、平安と喜びによって、私たちの心は満たされるということです。④エノクは神に取られた、ということです。「神に取られる」とは、神に天の御国に招かれたということ。それは永遠のいのちにあずかることを意味します。新約時代を生きる私たちにとって、このことは、自力本願ではなく、イエス本願であります。ヨハネの福音書3章16節に表されているように、●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」イエス様はすでに私たちの過去・現在・未来の罪をご自身の十字架の血潮によって贖い、私たちを白い衣によって、私たちを罪なき者として、神の御前に立つことを許されたのです。

その意味で、エノクは、私たちクリスチャンの理想的なひな型でもあります。エノクが神とともに歩んだように、私たちも神を信じ、信頼し、神の御声を聞こうとし、その神に従って生き、神がどんなときも共におられるという祝福と守りによって励ましを得ようではありませんか。

さて、今日も天国長屋の八さんと熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

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八: いやぁ、エノクはんが、天にあげられたちゅうのは聞いてたんやけど、

あん人がわてらクリスチャンの理想的なひな型でもあったなんて、はじめて知ったわ。

熊: アダムはんやセツはんやエノシュはんから、耳タコみたいに神様のお話し聞かされて、

他の人は、ああ、またアダム爺さん、セツ爺さん、エノシュ爺さん、

あの三爺さんの長話が始まったちゅうて、さっさと席立つんやけど、

エノクはんだけは、目キラキラ輝かせて、神様の話聞いてたんやろなぁ。

八: この時代は、荒野を開墾して、畑耕してたりもしてたんやろうし、汗水たらして

一日中働いても、なかなか満足できる作物もでけへん。そんなかで、

アダム爺はんのエデンの園での暮らし、いろんな木の実を自由に食べてもええんやから、

そりゃ、エノクはんにしてみりゃ、夢の国や。

熊: せやなぁ。でも、エノクはん、偉いやないか。だってそやろ、

作物の不作に文句ゆうんじゃなくて、生活苦に音を上げるんやなくて、

神様をもとめはった。

八: それやがなそれ。どんなことでも、主に感謝をささげる。なかなかできることとちゃう。

熊: お天とはんが照ってるときでも、雨ザーザー降ってるときでも、変わらず感謝や。

八: エノクはんは、きっと目線がちゃうんやろな。すべてが神様が行なってる。

だから、ええときも、悪いときも、これは神様が支配してはんねんやと思てはる。

熊: アダム爺はんから、神様がいっちゃん偉いってきいてはんねんやろなぁ。

わてらを土のちりから、お造りになった方なんやて。

八: それにな、セツ爺やんやエノシュ爺やんからは、「弱いときにこそ強いんやぞ」

って教わってたんやろな。弱さを認めたら、そこからやりなおせるさかいな。

熊: けんど、あれやな。族長会議なんてされたら、たまったもんやないな。

八: どういうこっちゃ。

熊: だって、そやないか。アダムはん筆頭に、セツ、エノシュ、ケナン、マハラエル、

イエレド、エノク、メトシュラはんまで、お歴々の集まりや。

引退してても元気やさかい、また、手足が不自由になっても口だけは達者や。

うるそうてしゃぁないでぇ。

八: なるほどなぁ。もう年取り過ぎてるから、年功序列もおかまいなしかも。

熊: ところで、そもそもなんやけど。あんで、あないに長生きやったんやろ。

八: ノアの箱舟、あの大洪水のあと、神様が年齢を120歳前後までって、お決めになられた。

熊: その前まで、長寿も長寿や。900歳なんて、どんな年寄りになるんやろ?

八: いま、アンチエイジングなんて、流行ってるやろ。

900歳までって、どんなに、整形しても無理やろな。

熊: まあ、長生きはしたいけんど、900歳まで生きたとしても、

生きる屍なんて気色悪いわ。

八: せやな。長寿長寿、いうてるけど。

わてやったら、主にあって、「じょうず」に生きたいわ。

―――――

八さん、最後は洒落でっか。ありがとうございます。けれど、すべてを神様が支配してくださっていると信じ、神様は私たちを愛してくださっているから、神様が私たちを必ず良い方向へと導いてくださると確信することができたら、なんてすばらしいでしょう。神様に拠り頼みもん勝ちですね。明日は分かりません。ですから、今、なにがなんでも主に従って行こうと決心すれば、それだけ早く平安と喜びがえられることになるんです。それを今、口に出して宣言してみませんか。

「私は、なにがなんでも主に従っていきます。主とともに歩んでいきます」って。

ありがとうございます。皆さまに神様の祝福がありますように。

では、黙想いたしましょう。黙想の時にお読みするのは、詩篇139篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書12章26節。

「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」

では、黙想いたします。詩篇139篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:叫べ全地よ

https://www.youtube.com/watch?v=6XsSgRQ6OFw

讃美⑦:新しき地に

https://www.youtube.com/watch?v=i-nJikfVbCs

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の4月3日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記6章