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メッセージ主題:『雲の中の虹』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.4.24主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年4月24日主日礼拝式を始めます。

賛美①:谷川の流れを慕う鹿のように&主われを愛す

https://www.youtube.com/watch?v=j0QG7V1fDz4

賛美②:慕い求めます

https://www.youtube.com/watch?v=ofFHpYHlwpI

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:主を仰ぎ見て (4月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=Viar5edeGzU

賛美④:なんと素晴らしい

https://www.youtube.com/watch?v=8BUOZ20-IdU

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:傷跡

https://www.youtube.com/watch?v=JYOE8Kb8LA0

【YOUTUBE配信開始】

2022年4月24日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記9章(新改訳聖書)

中心聖句:

「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう」(16)

メッセージ主題:『雲の中の虹』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

皆さんは雲の中の虹って見たことがおありでしょうか。どんな虹なのかとインターネットで調べてみますと、「彩雲」というのがそれに近いことが分かりました。画像と見てください。

https://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FTabizine%252FTabizine_8704_1.jpg,zoom=600,quality=70,type=jpg

https://tabizine.jp/wp-content/uploads/2015/01/28704-02-640x360.jpg

https://kai-you.net/images/a/2019/10/752x/7fd21ef796d0fe92de7463fec6100178.jpg

https://image.ganref.jp/photos/members/ratoyan/75d67e83d325a619e8b45f5c5c99267b_3.jpg

これらの彩雲は、とてもきれいでもあり、神秘的でもありますね。神様は不思議なことをなさる方だと思わざるをえません。虹は、空気中の水滴と日光によるプリズム現象です。そして、彩雲はその雲の中に虹が現れるのですから、雲も大きな影響を示します。

雲といえば、聖書では、重要な役割をはたしています。モーセが神から十戒を受けられたシナイ山でのことです。主エジプト記19章16節●「三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。」とあります。全世界で山の上には神がいらっしゃるという山岳信仰があります。これは、私たち人間を造られた神が、私たちの無意識的な記憶の中に、神の存在をしる要素を、人類創造の時にすでに埋め込まれているとも言えるでしょう。そして、時として山の頂を覆う雲に神が隠れていると感じるのも当然と言えば当然のことなのでしょう。木々を倒すほどの嵐と山に響く雷鳴、今の私たちでも恐ろしい限りでありますが、モーセの民は、神の威厳をシナイ山とその雲に感じ、恐れたのであります。また、雲自体、ノアへのこの時の約束のように、それ以来、「神の臨在」を現わしていました。モーセの民を、昼は雲の柱となって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、民は昼も夜も平安に進行することができたことを、出エジプト記13章21節22節には記されています。●「主は、昼は途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。」 昼も夜も、神は彼らを守り導いてくださいました。

新約聖書でも雲は神の臨在のしるしでした。ペテロとヤコブとヨハネを連れて、高い山に導いて行かれ、イエス様の変容が始まった時、次のように記述されています。マタイの福音書17章5節●「彼(ペテロ)がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」高い山と雲、ひょっとしたら濃い霧のようなものだったのかも知れませんが、その雲の中から神の声が聞こえたのです。ペテロとヤコブとヨハネは度肝を抜かれ、「ひれ伏して非常に怖がった」とあります。また、イエス様も十字架の死からよみがえって、40日の間、弟子たちに現われ、そして昇天の時、弟子たちに最後の言葉『聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります』と言い残して、●イエス様は「彼らが見ている間にあげられ、雲に包まれて、見えなくなられた。」とあります。(使徒の働き1章8節9節)

ただし、すべての雲に神の臨在があったというのではなく、神の臨在を感じられる時に雲があったということなのかもしれません。

その意味で「彩雲」、虹が中にあるように見える雲は、神の臨在だけではなく、神とノアとその子孫との契約●「すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない」(11節)という契約の覚書のような役目を担うことになりました。神は「永遠の契約を思い出そう」とおっしゃいましたが、神が忘れるわけはありません。これはノアとその子孫に対して、安心を与える、神の優しいお言葉なのです。

この16節の神のお言葉は、神の慈愛に満ちた表現であります。神は私たち人類を土くれからお造りになられました。ですから、このノアの時の洪水のように、私たちをいとも簡単に土に戻すこともおできになるのです。しかし、神はそうはせず、ノアの家族を残し、ノアから私たち人類を増やすことを約束なさいました。全き正しい人であったノアから人類は再び増えますが、その全ての人が正しい人という訳ではありません。なぜなら、神は「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」とおっしゃるからです。この時の神は、次のことを思い出しておられたのかもしれません。初めに土くれからお造りになられたアダムとその妻エバが、食べたら死ぬと言われていた知恵の木の実を食べてしまった罪のことを、またその木の実の知恵のために嘘をつくことを覚えてしまった憐れなアダムとエバのことを、そして、義である神は、罪が入ってしまったアダムとエバをエデンの園から追放せざるを得なかったことを、また、エデンの園を追放されたアダムとエバが生きていくのに苦労するであろうことを、はたまた、アダムとエバが裸では大変だろうと動物の毛皮を着せ、また、これから犯すであろう罪を赦すための動物の犠牲を神にささげることを教えたことを、それらのことを神は思い出しておられたのではないでしょうか。それに、その後(あと)の、カインやアベルやセツ、エノシュに、ケナンに、マハラルエルに、エレデに、エノクに、メトシェラに、ノアの父であるレメクまで、走馬灯のように彼らを思い出し、憐れみをかけられたのではないでしょうか。「この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。そして、ノアたちよ、安心しなさい。救いの契約は、あなたたちと共にあり、虹が雲の中に現われるとき、わたしの憐れみを思い出しなさい。」

全世界をお造りになられた神は、慈しみ深く、慈愛にみちみちたお方であります。「人の心の思い計ることは、初めから悪である」このことを知りつつも、人類を滅ぼさず、逆に人類を救おうとなさいます。その証拠に、神は、御子イエス様をこの世にお送りくださいました。神は霊であり、神のひとり子も霊であり、その霊が人間としての肉体に宿ってお生まれになり、私たちの罪を帳消しにするために、ご自身を十字架に架け、罪なき聖なるいのちをいけにえとしてささげられ、私たちを救われます。また三日目に死を克服してよみがえり、イエス様を信じる私たちに永遠のいのちを得ることができる約束をなさいました。イエス様は次のようにおっしゃいました。ヨハネの福音書6章51節●「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのためのわたしの肉です。」 イエス様を「救い主」と信じる者には、イエス様の平安であり助け主である聖霊様が送られ、私たちの心に宿り、わたしたちにイエス様の教えを思い起こさせてくださり、私たちが罪を犯しにくい性質へと変わる手助けをしてくださいます。ヨハネの福音書14章にそのことが記されています。

さて、ここで、すこし脱線したいと思います。イエス様がご自分のことを「人の子」とおっしゃいます。新約聖書では88回もでてきます。では、「人の子」とは、どういう意味でしょうか。二つの意味があると思います。一つ目は、「人の子」は「メシヤ、救い主」の称号だということです。旧約聖書のダニエル書7章13節14節には次のように記されています。●「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。その方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」メシヤともキリストとも呼ばれる救い主に、永遠の神の国が与えられる、戴冠つまり王としての即位のことが記されております。イエス様が、この「人の子」ということばを使われた時、主権と栄光と永遠の国が与えられる王であることを宣言されておられるのです。

また、「人の子」の二番目の意味は、イエス様が、100パーセント人間の肉体をもった方であるということです。神は、預言者エゼキエルのことを「人の子」と93回も呼ばれたと言うことは、エゼキエルを単に人であることを示しています。イエス様は100パーセント完全に神でありました。ヨハネはその事を福音書の1章1節~4節で、次のように表現しています。●「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」そして、イエス様は100パーセント完全に人間でもありました。神のひとり子であり人間でもあるイエス様。ヨハネの福音書1章14節に次のように記されています。●「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」 メシヤという救い主であり、かつ本当に人間でもあるというというのが「人の子」ということであり、イエス様はそのことをご自身を「人の子」と呼び、まわりの人々に示していたのです。「人の子」であるイエス様だからこそ、十字架にかかり、ご自身の聖なるいのちをいけにえとしてささげ、私たちの罪を肩代わりしてくださり、イエス・キリストを信じる私たちを罪の世界から救い出してくださったのです。

この救いこそが、創造の神の憐れみです。そして、これはノアとの契約、『ノアの時のように洪水では人類を滅ぼさない』という約束と同じなのです。ですから、「雲の中の虹」はノアの時の救いの契約の印でもありますが、今の私たちへの救いの契約の印でもあるのです。神の同じ憐れみの現われなのです。私はまだ、この目で「彩雲」なるものを見たことがないように思います。しかし、先ほどの写真を見るたびに、神様の憐れみと救いを覚え、感謝するのであります。

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/013100136/01.jpg?__scale=w:900,h:675&_sh=0590e0d702

さて、ここで、天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

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八: 彩雲って、めっちゃきれいなぁ。わて、見たことあれへんかもしれへんでぇ。

熊: どんよりの大阪では、彩雲って見えへんのかもしれへんなぁ。残念や。

八: まあ、彩雲じゃなくても、虹にはええイメージしかあれへんやろ。

熊: たとえば?

八: たとえばやな、「明日に架ける橋」とか、

熊: おお、サイモンとガーファンクルやんか。When you’re down and out. When you’re on the street. When evening falls so hard I will comfort you.

八: 熊、気持ちよう歌てるとこ悪いけんどな、虹の話してんねんでぇ。

熊: ごめんごめん。サイモンとガーファンクル好きやってん。で、虹は明日に架ける橋なんやな。

八: そやで、未来へとつなぐ橋でもあるわな。やから、希望とか、神様の贈り物とか、ええイメージばっかりや。

熊: そうか、神様、わてらをお造りになるときに、虹は希望みたいなイメージを植え付けはったんかもな。ほら、山の上に神様がいらっしゃるという感覚と同じやで。

八: それにやな、虹は雨上がりに見えたりするやろ。やから、「止まない雨はない」とか、そこから「明けない夜はない」とか。そんなイメージがでてくるんとちゃうか。

熊: 「明けない夜はない」って、たしか聖書にもそんなところなかったかいな。

八: そりゃ、あれや。ほれ、イザヤ書の21章の12節。

熊: ああ、あそこかいな。

八: あそこかいな、って分かってんのかいな。

熊: あれやんか。ほら、おまわりさんがいいはったとこやろ。

八: あほ、おまわりやのうて、夜回りやわ。「朝が来、また夜も来る。尋ねたければ尋ねよ。もう一度、来るがよい。」

熊: そうそう、その「朝の次には夜も来る」ちゅうやつ。

八: あそこは、イザヤはんが、バビロン捕囚の民に、いつか解放される時がくるちゅうことを預言してんねんやないか。

熊: んで、なんで夜回りなん。「火の用心、マッチ一本火事のもと。サンマ焼いても家焼くな」ゆうて。

八: たしかにそれも夜回りやけど、ここでは預言者のことを指すらしいで。

熊: 何で夜回りが預言者なん?

八: なんでもな。夜回りちゅうのは火事や泥棒の見張り役でもあるんやけど、朝を告げるんや。朝は、いわばGood News や。夜のとばりから解放されるわけや。だから、預言者や。

熊: なるほどなぁ。それで「明けない夜はない」ちゅうんやな。ええことが待ってると。

八: イエス様もゆうてはったやろ。ほら、山上の説教で。

熊: あ、「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」かいな。

八: そや、それや。何事でも辛抱しといたら、神様がええ風にしてくださるちゅうこっちゃ。

熊: なんか、虹からえらい遠なってしもたなぁ。

八: けど、若さんゆうてはったやろ。彩雲みたら、イエス様の恵みを思い起こすんやって。

あれ、虹でもええんちゃうか。そやかて、虹は希望やろ。

熊: ♬「希望と言う名のあなたをたずねて、遠い国へとまた汽車にのる」

八: 熊、今日は好き放題やな。ええ、なんで岸洋子がでてくんねん。

熊: だって、希望やで。希望ゆうたら、岸洋子やろ。

八: わたらの希望は、イエス様やないかいな。それにやで、「イエス様さがして遠い国へ行く」必要あらへんやん。イエス様、わてらの心にいらっしゃるんやから。

熊: せやな。イエス様、いらっしゃーい!

八: あかん! 熊こわれとる。もおええわ。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。でも、熊さん、壊れてますね、お大事に。虹は希望。そして希望は、イエス様。それに、虹はイエス様の恵みである救いと永遠のいのち。ノアの時代に契約された救いは、いまはイエス様によって、新しい契約となっています。ただただイエス様を信じたら救われる。これほどの恵みがありましょうか。私たちはその恵みの時代に生かされています。彩雲はなかなか見れないかもしれませんが、虹はよく目にします。救いは常にあるということです。信じたら何か起きるんじゃないか。はい、起きます。いろんな困難があったとしても、喜びと平安があなたを支配しようとします。「止まない雨はなく」「明けない夜はありません」そして、「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」あなたは必ず力を得、再び立ち上がれるでしょう。

では、黙想いたしましょう。黙想の時にお読みするのは、詩篇119篇49-72節です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様の最後のお言葉をお聞きください。使徒の働き1章8節。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

では、黙想いたします。詩篇119篇49-72節。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:キリストには代えられません

https://www.youtube.com/watch?v=MDR0io7xfrc&list=OLAK5uy_kU2UbaN0Tl9GY6rFJRLaPLGc8TM7fJEYo&index=10

讃美⑦:強くあれ雄々しくあれ

https://www.youtube.com/watch?v=uInTUheBNu4

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の5月1日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記10章