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メッセージ主題:『ひとつとなる』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.5.1主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年5月1日主日礼拝式を始めます。

賛美①:のぞみも消えゆくまでに・神の恵み

https://www.youtube.com/watch?v=t6TA6BC8EMQ

賛美②:主の手にわが手を

https://www.youtube.com/watch?v=0jAf5hkgw4E&list=RDMMZWktcXSPVCY&index=27

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:聖い心 (5月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=jQUDGu4BUZY&list=RDMMZWktcXSPVCY&index=14

賛美④:御言葉なる

https://www.youtube.com/watch?v=v2mChtuJ0K4

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:主は良いお方

https://www.youtube.com/watch?v=Pap_uwrW1hE

【YOUTUBE配信開始】

2022年5月1日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記10章(新改訳聖書)

中心聖句:

「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。」(32)

メッセージ主題:『ひとつとなる』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

創世記10章は、ノアの息子、セム、ハム、ヤペテの系図であります。しかし、順番はヤペテの子孫、ハムの子孫、そしてセムの子孫と聖書的にどんどんと重要になっていく順番に記されています。ヤペテの子孫は、9章でヤペテが酔った父の裸を見たために、「兄弟たちのしもべらのしもべとなれ」と父ノアに告げられます。しもべらのしもべとは、地位的には相当下になります。これは聖書的には重要な民族とはならないことを意味しているのではないでしょうか。

少しの時間、地図をご覧ください。

https://qph.fs.quoracdn.net/main-qimg-db5c775630066f994a0ecf2c108eeca4-lq

https://mathematica.site/wp-content/uploads/2022/01/%E6%95%B0%E3%81%AE%E7%99%BA%E6%98%8E%E5%9B%B3_8-map-new-1024x576.png

ヤペテ族は、肥沃な三日月地帯の北、つまりトルコやギリシャ、イタリヤ以北のヨーロッパの民族となり、聖書の中心から離れています。ただし、ペルシャ帝国やその後のローマ帝国は、強大な勢力をもつ国として、ユダヤ民族の脅威となります。ハム族は、おもにエジプト以西の地域に広がり、アフリカもハム族なのかもしれませんね。聖書的には、エジプトとしてユダヤ民族と密接につながっています。そして、セム族は、三日月地帯以南となり、イスラエルの父と呼ばれたアブラハムの出身地ウルもその三日月地帯の南東部でありましたし、エルサレムは三日月地帯の南西部にありました。バビロン捕囚の新バビロニア帝国は、この三日月地帯全土を掌握していました。つまり、聖書の物語は、ノア以降、セム族を中心とした物語なのです。この創世記10章では、そのことを3種族の系図を通して順序によって明示し、これ以降、聖書はセム族の物語であることを示唆しているのであります。たとえば、次の11章で登場するバベルの町は、バビロンのことであり、三日月地帯を制圧していたセム族の町であります。ちなみに、余談ですが、アジアはどちらかといえば、セム族の末裔なのかもと、私などは期待しております。

さて、ざっくりと10章に描かれたイメージをお話ししましたが、10章の最後には、すべてはノアから出たことを強調しています。今日の中心聖句ですが、「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。」(32) 創世記の著者であるモーセは、ノアというひとつの幹から、すべての枝が伸びていることを強調し、また、神はモーセを用いて、アダムからノアへ、そしてすべての民族に対して、創造の神ヤハーウェのご支配の中にいることを知らしめているのです。

今日のタイトルは「ひとつとなる」です。「人類はみな平等でひとつ」というような博愛主義的なことを言うつもりはありません。もちろん、「人類はみなひとつ」となるべきではありますが、残念ながら、私たちは不平等の中に生きています。まず、貧富の差があります。働けど働けど暮らしは楽にならずという生活苦の中にいる人もいます。私も財産もありませんし、借家で国民年金では生活できませんから、働かざる者食うべからず状態です。別に、私をあわれんでほしいと思って言っているわけではありません。言っておきますが、私はとても幸せです。皆さまご存じのとおりです。また、私の知っている方で、もう80歳ぐらいになりますが、いままでご夫婦とも働いたことがないとおっしゃいます。家が財産家で、働く必要がないのです。私は、そのご夫婦が幸せなのか不幸せなのか、そんなことを推測するつもりもありません。ただ、経済的に不平等であることを言いたいのです。

人生は不平等です。弱さは人それぞれですし、また障害を持っていらっしゃる方もいらっしゃいます。それぞれに、それぞれの苦労を余儀なくされておられます。個人的にも社会的にも手助けできることもあれば、手助けできないこともあります。

この世は不平等です。頭の回転が速い人もいれば、理解するのが遅い人もいます。関西弁だったら、「かしこ」と「あほ」でしょう。スピードが重要視される現代社会では、「あほ」はおいてけぼりをくらうのかもしれません。

しかし、全員、生きていく価値は持っています。なぜなら、全員、神様による創造物で、私たちが生まれる前から、私たちをご存じで、私たちになにがしかのご計画をもっておられるからです。

神様は預言者イザヤをとおして、つぎのように私たちのことをおっしゃいます。イザヤ書43章4節●「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と。また同じ章の1節の最後●「あなたはわたしのもの」であると。富む者も貧しき者も、健康な者も病気の者も、「あほ」も「かしこ」も、神様は、全員、『あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している』そして、『あたなはわたしのもの』であるとおっしゃいます。「わたしのもの」これは、最高の「愛」の言葉です。恋愛感情がそうですね。「わたしはあなたのもの」その人にすべてをゆだねた表現で、もっとも愛する人に伝える言葉です。

私たちは、神様を信じる信じない関係なく、イエス様を信じる信じないも関係なく、全員、神様の創造物であり、神様のもの、神様の愛の中に生かされているのであります。イエス様はこのようにおっしゃいます。マタイの福音書5節45節●「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」神様は、神様を信じる信じない関係なく、太陽を上らせ、雨を降らせてくださいます。私たちは、神の創造物であり、アダムからまたノアから枝分かれした、神のものであると考えたときに、神様を信じるという決断をすれば、神様はどんなにお喜びになることでしょうか。

聖書には、神様のもとに立ち返ると想像以上の祝福があるという、イエス様のたとえ話があります。放蕩息子のたとえ話です。ルカの福音書15章11節~32節です。長いので、少しかいつまんでお話ししますと、、、財産家の父に二人の息子がいて、弟は、「財産の自分の分け前を、前倒しでください」と申し出、父親はそのようにします。弟はその財産をもって家出し、湯水のように使ってしまい一文無しになります。金の切れ目は縁の切れ目で、弟を助ける者はなく、最低の暮らしをし、ふと、父親の使用人の方がまだマシな生活をしていると思い、父親のところで使用人として働く覚悟で家に戻ります。父親はその悲惨な姿の息子を見、息子が戻ってきたことを祝い、相続人としての立派な服装を与え、祝宴を開きます。、、、まだ話を終わっていませんが、物語の流れはこのような感じです。父親は神様で、放蕩息子は、罪を犯した人間、つまり私たち全員です。父親のもとにもどり、創造の神様をみとめ信じることで、神様は私たちを相続人として限りない祝福をお与えになられるのです。

では、相続人として限りない祝福とはなんでしょうか。いや、それよりも前に私たち人間は神の創造物ですが、同時に神の子どもなのでしょうか。相続人とは親の子ども、または相続権利を有する者のことです。神の創造物は、私たち人間だけではなく、この世のあらゆるものです。この世のあらゆるものが神の子どもというのは考えにくいことです。では人間は全員、神の子どもなのでしょうか。パウロは、ローマ人への手紙8章14節で次のように述べています。●「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」では、「神の御霊に導かれる人」とは誰のことでしょう。ローマ書8章全体を通してこのことが何度も何度も述べられていますが、簡単に言えば、イエス・キリストを神の子、救い主と信じた人が、神の御霊に導かれる人です。イエス・キリストが神の子であるがゆえに、イエス・キリストは神の相続人であり、また、イエス・キリストを信じる私たちも神の子どもとされ、神を「アバ・父」と親しく呼べる者とされ、イエス・キリストとの共同相続人とされるのです。神を、またイエス・キリストを信じる信じないは関係なく、太陽や雨という恩恵は人類全員が受けます。また人類全員が神の子どもとされる可能性はもっています。しかし、本当に神の子どもとされるのは、イエス・キリストを信じる人だけなのです。

では、イエス・キリストを信じて、神の共同相続人とされた私たちが得ることができる限りない祝福とは何でしょうか。イエス様は、放蕩息子のたとえ話では、「祝宴」と表現し、パウロは、1コリント書13章、愛の章とも呼ばれているこの章の12節では、●「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔を合わせて見ることになります」と述べていますから、神様の愛の広さ・深さを肌で感じ、はっきりと知覚することができるのでしょう。私は、次のように思っています。「神の愛の一部分として、一つの表現としての、この世が与えることのできない、天の御国での平安と喜びがある」と思っています。それが、イエス・キリストにあって神の共同相続人として得られる祝福の現われの一部だと思っています。そして、それは、皆さんが、イエス様とひとつになってこそ、得られるものだと信じています。「イエス様とひとつになる」ということは、イエス様があなたのうちに生きておられる、あなたを内から守り導いてくださっているということです。そして、そこには必ず神の愛の現われである平安と喜びがあなたの心を圧倒的に満たしてくださいます。パウロはガラテヤ書2章で次のように信仰告白をしています。そして、その信仰告白は、私たちのものでもあるべきです。

20節●「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

神の目に正しく映ったノアは神と共に生きました。そのノアの枝また枝にある私たちは、イエス様がノアに代わって幹となり、私たちはその幹に接ぎ木されています。イエス様はおっしゃいました。●「わたしにとどまっていなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実をむすぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネの福音書15章4節5節)。この教会のなまえはこの御言葉からきています。イエス様に接ぎ木され、イエス様とひとつとなりましょう。

さて、ここで天国長屋の八さん、熊さんにご登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 今日のメッセージの「ひとつとなる」って、そういうことやったんやな。

熊: そういうことって、どういうことや。

八: イエス様に接ぎ木されて、また、イエス様を信じて「アバ、父」と親しみをこめて

神様のことを呼べるし、神様の共同相続人となるちゅうこちゃがな。

イエス様とひとつになるちゅうことやったんや、やられたわ。

熊: 何がやられたんや。

八: わてな、「ひとつになる」ゆうさかい、てっきり、パウロはんの、ほら、

エペソ人への手紙の4章。

熊: ああ、「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、

御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが

一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」

ちゅうところやな。4節5節や。

八: そや、パウロはんが、『心を一つにして、互いに愛し合いなさい』ちゅうてるところや。

熊: そうか、「ひとつになる」って、そやわな。信徒同士が結束するちゅうか。

バラバラやったら、力にならん。

八: ノアはんの系図から、どうやったら、「心一つにして、互いに愛し合いなさい」

ちゅうところまでもってくるのやろ、って思てたんや。

熊: なるほどな。この創世記10章は、説教者泣かせやもんな。まるで、マタイの福音書の

1章のイエス様の系図のところと同じや。

八: マタイの福音書の1章はまだましやで。なんせイエス様の系図やし、

ときどき女子はんも出てくるし。

23節なんて、「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。

その名はインマヌエルと呼ばれる。」って、核心ついたところもあるし。

けんど、創世記の10章はちと、大変やと思うで。だから、

若さんのメッセージ楽しみにしててん。どう聖霊様に導かれはんねやろうって。

熊: んで、タイトルが「ひとつになる」やから、八はてっきり、「心一つにして、

互いに愛し合いなさい」と落ち着くんちゃうかと思てたわけや。

八: はいな。けんど、裏切られてしもた。まあ、ええ裏切られ方かも知れへんけどな。

熊: それにしても、若さんも苦しいつなぎ方やで。だってそやろ、

「ノアはんが幹でわてらがその枝の枝である」、ちゅうことと、

「イエス様がぶどうの木で、わてらがその枝である」ちゅうことで、

「ひとつとなる」ちゅうことつなぎはったんやから。

八: まあまあ、それも聖霊様の導きや。感謝やで。ノアはんの系図のセムはんから、

ずっと後にイスラエルの父と呼ばれるアブラハムはんが生れ出るんや。

アブラハムはんのお孫さん、ヤコブはんがイスラエルという名前をもろて、

12部族が誕生した。そして、その中のユダはんから、後にダビデはん、

ソロモンはんと続いて、ずっとずっと後にイエス様や。

このラインは神様とつながってた、いわば神様と一つとなっていた、

共に歩んだことの証しでもあるんとちゃうやろか。

熊: なるほどなぁ。系図は神様とつながっていた証しか。

けんど、それやったら、わてらは、どうなるんや。

八: この系図は、神様との霊的なつながりの証しや。わてらは、イエス様によって、

霊的に横並びに神様につながってるんや。だってそやろ、イエス様信じたら、

みんな神様の子になるんやから、そしてイエス様と兄弟姉妹や。

熊: そやな。イエス様はひとりひとりに個人的につながってくれはんもんな。

八: イエス様だけやないで、天のお父様である神様も、昔っから、

アダムはん、エバはんの時代から、ずっと個人的につながろうとしてくれてはんねん。

神様のほうから「ひとつとなろう」としてくれはるんや。

神様との個人的なつながりなかなったら、わてらの横のつながりも力がでん。

熊: わてらは、もっともっと、神様と、はたまたイエス様と、イエス様がお送りくださった

聖霊様と個人的なつながりを太~して、

いわば「ひとつとなって」歩ませていただかなあかんねんな。

八: せやでぇ。いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝。これこそが、

イエス様しいては神様とひとつとなる手立てや。

アッ、これ若さんの十八番やったな。若さん、堪忍やで。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。最後には、1テサロニケの5章の御言葉まで出してくれはって、おおきに感謝いたします。イエス様と天の父なる神様と、そしてイエス様がお送りくださった助け主であり平安である聖霊様が、「一つとなりなさい」っておっしゃってくださり、常に手を差し伸べていてくださいますから、心から感謝いたします。どうか私たちも、つねに、どんなことがあろうとも、心を開き、イエス様とお話しし、イエス様のお声に耳を傾けることができるよう、祈り求めましょう。イエス様と一つになることによって、天の財産の一部、平安と喜びを、前倒しで味わえるのですから。

では、黙想いたしましょう。黙想の時にお読みするのは、詩篇86篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書17章23節。

「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたことを、この世が知るためです。」

では、黙想いたします。詩篇86篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:みかみのあいをば

https://www.youtube.com/watch?v=1zZNHOc8r0o&list=PLF5oR1pBfdsQNFhZbqa1WELGnhjikLtEG&index=1

讃美⑦:主はわれらの太陽

https://www.youtube.com/watch?v=ZWktcXSPVCY&list=RDPap_uwrW1hE&index=20

それと礼拝中ですが、4月29日に天に凱旋された小坂忠さんに敬意を表して、忠さんの歌をうたいたいと思います。

追悼賛美:私は奇跡を信じる (これは二回目の手術後、去年の5月にアップされたものです)

https://www.youtube.com/watch?v=QdsPLFZgKXk&list=RDQdsPLFZgKXk&start_radio=1

一緒に歌ってくださって、ありがとうございました。

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の5月8日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記11章