大阪エリム・キリスト教会
木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)
2022年6月3日
担当:若竹孝行
メッセージ:「神を恐れよ」(15分間メッセージ)
今朝の聖書通読箇所:ヨブ記36章~39章
38章を交読。(新改訳2017)
中心聖句:2節
「知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか」
★おはようございます。そして、お帰りなさい。
●メッセージ
ヨブ記の3章から31章までは、ヨブと3人の友人との論争であり、32章では、もうヨブは自分が論破したと思い口を閉ざしました。ところが、その4人のやり取りを聞いていた、若者のエリフは、そのやり取りに我慢ならず、32章から37章にかけて、一挙にまくしたてます。そして、37章の24節で、つぎのようにエリフはしめくくります。●「だから、人々は神を恐れなければならない。神は心に知恵ある者を顧みられないだろうか。」
そして、ヨブがエリフに対して反論することをせず、十分に心砕かれているのを見て、神が突然ヨブに語りかけ始めます。その冒頭句が今朝の中心聖句です。●「知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか」 この聖句の「知識もなしに」とは「悟ることもなく」ということであります。では、何を悟るべきなのでしょうか。それは、神の神秘的な力と御業は、私たち人間の理解をはるかに超えたところにあるということです。ゆえに「知識もなしに」とは「神を恐れることなしに」と解釈できるでしょう。そして、「摂理を暗くする」とは、「神のご計画を妨げる」ということです。実際には、何者をも、神のご計画は妨げることはできません。しかし、神の御心に反発し、人間の浅知恵で神のご計画を変えようと試みることじたい、愚かなことであり、人間は神をもコントロールしようと、むなしくやっきになるのです。それはまことにむなしいあがきだと悟るべきなのですが、それを悟ることのできない、知識レベルにいるのが人間であることも覚えておきたいものです。
「知識もなしに言い分を述べて」とありますように、口数の多さが強調されているような気がします。箴言では、口数の多さに対して、次のように述べています。10:19●「ことば数が多いところには、背きがつきもの。自分の唇を制する者は賢い人。」また、21:23●「自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦難にあわない。」とあります。日本でいうところの「口は災いのもと」でもあるでしょう。また、「沈黙は金」という考えも近いかもしれません。口数が多いということは、心に多くの思いがあるからかもしれません。箴言ではそれに対しても次のように真理を述べています。19:21●「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」
また、伝道者の書では、総じて、人間の知恵や力は大したことないと人間のあがきの虚しさが強調され、先ほどの箴言のように「主の計画こそが実現する」と告白しているのですが、ことば数に対しても次のように言及しています。6:11●「多く語れば、それだけ空しさを増す、それは、人にとって何の益になるだろうか。」日本語でも「黙して語らず」という言葉がありますが、それの根底には「神がすべてにおいての支配者である」ということがあるのであります。
エリフは自分の語りを、●「だから、人々は神を恐れなければならない。神は心に知恵ある者を顧みられないだろうか。」と言って締めくくっています。神を恐れることは、すべての人に要求される最大の戒めであります。箴言1章7節●「主を恐れることは知恵の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」つまり、『愚か者は主を恐れない』『本当の知恵のある者は、自分自身を知り、また神の偉大さを知っているので、神を恐れる』のであります。そして、伝道者の書の著者でもあるソロモンも栄耀栄華を誇ったが、●「すべては空」(1:2)であることを悟り、また、その著書の最後12章13節に、●「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」と、『神を恐れることがすべてである』と告白しています。
人間のはかりごとは空しく、ただ、神を恐れることが、人の責務であるとソロモンは言います。そして、それはソロモンの個人的な知恵や感情ではありません。神はエリフをとおして、真理「だから、人々は神を恐れなければならない。」とヨブだけではなく、私たちに訴えます。そして、神ご自身がそれに応えて、「私たちは、神を恐れず、口数も多く、神に逆らうものだ」と述べておられます。では、そもそも、「神を恐れる」とはどういうことでしょうか。「神を恐れる」とは、単に神を怖がるということではありません。「神を全能の神としてあがめる」と言うことであります。その上で、人間が今存在しているのは、自分だけの力ではなく、神によって生かされているのだということを認め、神を敬い尊ぶことです。全能の神をいつも思い、生かされていることに感謝することです。そして、神の私たちへの命令とは、申命記10章12節で示された通りです。●「ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために私が今日あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。」
これは、私たちの主イエス様がおっしゃっておられることと全く同じであります。マタイの福音書22章37節●「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」そしてイエス様は、もう一つの戒めを告げます。39節●「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」後にこの戒めは、新しい戒めとして再導入されます。ヨハネの福音書13章34節●「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
私たちは戒め通り、神を恐れないといけません。しかし、それは神を敬い尊ぶことであり、怖がり、萎縮することではありません。神は愛の神であり、私たちを愛し、神に従う道が、私たちにとって一番幸せな道だということをお示しになっておられるのです。あがけばあがくほど、私たちは神から離れて行きます。水に溺れそうになったときには、落ち着いて、水に体を任せると体は自然と浮くそうです。これと同じことを、神は私たちに臨んでおられるのです。そして、神は、試練につぐ試練を与えられたヨブに、37章38章39章で、神とはなんたるものかを説き、主は全知全能の神であられることをヨブにあらわされ、ヨブは40章で、ついに主を認め、主にすべてを任せるという選択が残こされていることに気がつくのであります。
神を信頼し、すべてを任せることは、容易ではありません。しかし、私たちが本当の幸せと得るためには、その道がいつでも開かれていることに私たちは知るべきであります。
神を恐れましょう。神をあがめましょう。神を敬いましょう。そして、神を愛しましょう。神の子として、あなたは神から愛されているのですから。
これから黙想の時間をもちます。
神の子
https://www.youtube.com/watch?v=gYKllhoIq0s&list=RDgYKllhoIq0s&index=1
お祈りいたします。
●主のいのり
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。