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メッセージ主題:『祝福と聖霊』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.6.5主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年6月5日主日礼拝式を始めます。

賛美①:主よみもとに近づかん

https://www.youtube.com/watch?v=OyFexSU11S8&t=88s

賛美②:主の約束

https://www.youtube.com/watch?v=cn23KJI73pQ

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:大いなる方 (6月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=NO-udR8H8vw&list=RDNO-udR8H8vw&start_radio=1

賛美④:主イエスを迎えます

https://www.youtube.com/watch?v=zWw6gvvTzIU

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:輝く日を仰ぐとき 

https://www.youtube.com/watch?v=ulZgnN_PdHM

【YOUTUBE配信開始】

2022年6月5日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記15章(新改訳聖書)

中心聖句:

「さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。」(17-18a)

メッセージ主題:『祝福と聖霊』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

創世記15章は、たった1日、しかも大切な1日のことが記されています。時間は分かりませんが、私は夕暮れ時かなとも思っていますが、アブラムに主が望み、●「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい」(1節)と主がおおせになり、アブラムを励まします。アブラムには実子がいませんでしたから、家の奴隷を彼の跡継ぎにしようかとも考えていました。ところが主は、「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡をつがなければならない。さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」(4-5節)とおおせになられます。息子のいないアブラムでしたが、『子孫が星の数ほど増える』、その主のことばを全く疑うことなしに信じました。そして、「主はそれを彼の義を認められた。」(6節)とあります。この6節のことばによって、『信仰義認』というクリスチャン用語が生まれました。ただ神のことばを信じれば、義と認められる、救われるという真理であります。善い行いをしたから、良い物を献げたから救われるというのではなく、ただ主を信じれば救われるという真理が明らかにされた瞬間です。私たちクリスチャンはこの真理をもっとも大切にしています。「信じる者は救われる」 ヨハネも次のように述べています。ヨハネの福音書3章16節から18節、●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでに裁かれている。」私たち全員、裁かれる運命でありましたが、イエス様によって、全員に救われる、永遠のいのちにあずかれるチャンスを与えられました。そして、イエス様を信じる者は、その救いのチャンスを有効にし、天に望みをおくことになります。

神は、アブラムの子孫を繁栄させるという約束を、わざわざ、彼らのしきたりに従って、締結させました。それが、9節10節の記述であります。3歳の雌牛と3歳の雌やぎと3歳の雄羊と山鳩とそのひなを準備させ、鳥以外は、すべて半分に切り裂き、向かい合わせにしておきました。そして、日がとっぷり沈み、暗やみになったとき、●「煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた」とあります。これが、そのときの契約を結ぶしきたりだったようです。そして、神はわざわざ、この見える契約のしきたりによって、見えない神との契約をアブラムに保証したのです。

この時のかまどとは、携帯できる、火つぼのような小ぶりのものですが、潔めのときに使うものです。私たちの不純な思いもこのかまどの火によって潔められます。実際の火ではなく、聖霊の火によって、私たちの不誠実な思いは焼かれます。それはあたかも、かまどの火がゴミを焼いたり、鉱物を溶かして、不純物を分離させ、精錬することに似ています。新約時代の私たちは、悔い改めるべきことを悔い改め、私たちの傲慢や嫉妬、優越感や劣等感など、神に近づこうとする気持ちをじゃまするすべての思いを、そのつど、聖霊の火のるつぼに投げ入れるべきなのです。そうすることによって、私たちは、どんどんの揺るがない神への思いに鍛えられていくのです。その過程において、天の喜びと平安が味わえ、その先に永遠のいのちの希望があります。しかし、私たちには、その変化を起こす力がありません。しかし、私たちの内にお住まいくださる聖霊様には、それ以上の力があり、聖霊様に「変えてください」と願い求めることが必要なのであります。

また、燃えるたいまつの火は、闇夜に赤々と燃えて、恵みの契約をもたらしたもう神の炎であり、私たちを神とのとこしえの契約、永遠のいのちへと導いてくださいます。神が燃えるたいまつの火となって、この契約を締結してくださいました。つまりは、神がこの契約に責任をとってくださった、保証してくださったということであります。

そして、同じことが、今日、ペンテコステの日に行なわれました。ペンテコステとはギリシア語で、「50番目」と言う意味です。イエス・キリストが十字架の死から三日目によみがえって復活されました。これがイースターでありますが、イースターから50日目に、イエス様が天に上げられ、意気消沈していた、弟子たちを含めた120人の信徒たちの上に、炎のような分かれた舌が現われ、ひとりひとりの上にとどまり、一同聖霊に満たされ、めいめい異なった他国のことばで、大胆に語り出しました。これが聖霊降臨とよばれ、教会の誕生した日であり、ペンテコステと呼ばれています。私は、このペンテコステに現れた炎のような分かれた舌は、アブラムの目の前で通り過ぎて行った燃えているたいまつや煙り立つかまどと、ある意味、同じなのではないだろうかと思うのであります。炎は、神のきよめのご臨在を象徴します。また、舌は話すことや福音を伝えることを意味します。聖霊に満たされた証し人としての福音のことばが、炎のような分かれた舌という表現となりました。

しかしながら、舌は不義の世界であり、制御不可能であるとヤコブは言います(ヤコブの手紙3:6&8)。また、ヤコブは続けて、●「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。」(9節)とも言っています。もちろん、舌という器官が自由意志をもってしゃべるわけではありません。イエス様は、口から出る呪いや悪いことばは私たちの心から出てくると説明されました。しかし、心が神の憐れみや愛で満ちあふれている時には、神への賛美と他の人への愛が流れ出てくるのです。 私たちの口から出ることばは、いつも私たちの心にあることを示しています。「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は心に満ちているものを話すからです。」(ルカの福音書6:45)イエス様がこのようにお示しくださっておられますように、舌は制御不能ではなく、私たちの心が神の愛で満たされている時は、また聖霊に突き動かされている時は、神の愛を、福音を語ることができるのです。炎のような分かれた舌とは、心が聖霊に満たされている時に、私たちが聖霊に押しい出されて語ることばを象徴しています。もっと簡単に申し上げれば、主の臨在を強く感じる時、または求める時、私たちの心は、●「いつも親切で、塩で味付けされたやさしい言葉」(コロサイ書4:6)をかけることができるのです。そして、それは、アブラムが見た、「燃えているたいまつや煙の立つかまど」と同じく、主の愛によって精錬されたことばなのです。

ペンテコステと言えば、わたしは、イエス様の次の言葉を思い出すのです。イエス様のこの地上での最後の言葉です。使徒の働き1章8節●「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」私は、今日の今日まで、「聖霊が臨まれる時、力を受ける」とありますから、「力強く大胆に、主を証しする者へと変えられる」のだと思っていました。いえ、今でも半分はそのように思っています。事実、ペテロたちは、ペンテコステ後、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊を受け(2テモテ1:7)、大胆に語り始めます(使徒の働き2:14)。しかし、私の中のもう半分の私は、「聖霊が臨まれる時、力をうける」は、ただ単に「力強く」だけではなく、力と愛と慎みとの霊をうけて、いつも親切で、塩で味付けされたやさしい言葉(コロサイ4:6)をかけることができるのではないか、「燃えているたいまつや煙り立つかまど」によって、精錬されたことばを使って、主を証しする者とされるのではないかと思わされています。おそらく、両方とも正しいのかも知れません。大胆でかつやさしい言葉を使える者とさせてくださいと、今は祈るばかりであります。

さて、ここで天国長屋の八さんと熊さんにバトンタッチしましょう。

八さん、熊さんよろしくお願いいたします。

―――――

八: あれ、若さん、きょうは中途半端なところで、わてらにふりはったなぁ。

熊: せやな、若さんも、苦労してはんねんやろな、きっと。

八: 今日は、他の教会やったら、聖霊降臨の、つまりペンテコステの礼拝ささげて

はるやろうなぁ思いながら、うちでは創世記やっとるから、

なんも触れへんのかいな思てたんや。

熊: ところがや、途中で挟み込みはった。ちょっと、無理すぎひんかぁと思て聞いてたわ。

八: せやなぁ。創世記のアブラムの「煙の立つかまどと、燃えているたいまつ」から、

ペンテコステひっぱってきはった。びっくりやわ。

熊: 創世記15章ゆうたら、やっぱり、6節の、信仰で一番大事な、「信じる者は救わる」

ちゅうところやのに、さらって流してしまいはったなぁ。

もうちょっと、語った方がええんちゃうかなぁ、、って心配したわ。

八: ほんまやでぇ、イエス様信じただけで、救われて、永遠のいのちをもらえる。

それもただでやでぇ。

熊: ただほど怖いものはない、ゆうけど、イエス様は別や。イエス様が十字架にかかられて、

イエス様のいのちによって、わてらの罪をぜーんぶ、帳消しにしてくださった。

こんな高価でただなんてものはあれへん。

八: せやせや、世界中どこ捜しても、こんな恵みはあれへんでぇ。

熊: けんど、あれやな、「煙の立つかまど」ちゅうのが、精錬、つまりは、試練によって、

わてらの信仰が鍛えられる、ちゅうことをゆうてはんねんな。

八: 神様とその御子であられるイエス様を信じるなかで、いろいろと練られて、

堅い信仰になていく、不純物がどんどんのうなって、イエス様を信頼し、

イエス様に拠り頼むことが、一番やちゅうことが分かって来る。

熊: 苦労すればするほど、人は腰低くなって、柔らこうなっていくんや。

それと、ほら、コロサイ書の「いつも親切で、塩で味付けされたやさしい言葉」

とひっかけはったんやな、若さんは。

八: せやな。んで、その後で、「燃えているたいまつ」や。

神様が契約を自ら保証してくださった。アブラムもな~んもしてへん。

そやから、あの契約もただでもらいはったんや。

熊: !そやなぁ! いままで気が付けへんかったけど、アブラムも神様を信じただけで、

あの契約をもらいはったんや。イエス様の恵みもただなら、アブラムの契約もただや。

神様、やっぱり太っ腹やわ。

八: そう思たら、あれやでぇ。ペンテコステ、聖霊様も、イエス様信じただけで、

降りてきはって、わてらの心に住んでくださる。これまた、ただや。

熊: 聖霊様も、神様からのプレゼントや。ほら、イエス様おっしゃっておられたやないかいな。

●「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、

あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを

思い起こさせてくださいます。」って。ヨハネの福音書14章26節。

八: わてらが、イエス様の教えを忘れんように、思い出させてくださんねんな。

わてらが、この世で死ぬまで、ずっとや。

●「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。

その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。」16節。

熊: そうか、そういうことかいな。(ガテン)

八: なんや、なにが、そういうことなんや。

熊: 聖霊様って、イエス様と、イエス様を信じたわてらと間での契約の保証

みないな働きしてはんねんて。

八: あの「イエス様信じたら救われる」ちゅう契約の保証かいな?

熊: せやねん。よう考えてみぃ。聖霊様は、イエス様信じたら、わてらの心に遣わされて、

住んでくださる。それも死ぬまでずっとや。

そやから、救いの契約はずっと有効やちゅうこっちゃ。

八: そうか。アブラムの祝福の契約も、神様自ら燃えるたいまつになって保証された。

イエス様との恵みは、神様が聖霊様をお送りくださって保証された。

熊: 神様、さすがやわ。念がいってる。

八: つまり、なにかい。ペンテコステは、イエス様の恵みの契約の保証の日でもあるんやな。

今日は、ペンテコステで教会が始まった日でもあるんやけど、

イエス様の恵みの契約が永遠につづくという保証の日でもあるんやな。

ほんまに感謝なこっちゃで。

熊: せやけど、なんや、若さんとはちがう方向で落ち着いてしもた。若さん、ごめんやで。

―――――

いえいえ、八さん、熊さん、ペンテコステは、イエス様の恵みの契約の保証の日ですか、いいですね。聖霊様が私たちの心の中心にお住まい下さることで、私たちは力を得、かつイエス様の平安に包まれ、また「いつも親切で、塩で味付けされたやさしい言葉」で、主を証しし、常にキリストの香りを放つ者でありたいと願います。また、アブラムは主を信じ、義と認められ、子孫繁栄の祝福を受ける契約を神自ら保証されました。そして、私たちには、聖霊様ご自身がイエス様の恵みの保証であります。そして、保証である聖霊様は、私たちのこの世での生を全うするまで、私たちの助け主として、お働きくださいます。私たちは、今は神の子どもとされていますから、どうか、助け主であられる聖霊様に、私たちをイエス様の似姿に変えていただけるよう、願い求めましょう。内に住み給う聖霊様によって、祝福はわがものであることを確信させていただきましょう。「祝福はわがもの」と主張するということは、私たちはひとりひとり神の子であるという自覚と責任が伴うことも覚えておきましょう。

では、先週に続いて、3回唱えます。先週は「主よ、私を祝福してください」でしたが、今日は、すでに、祝福は得たと思い感謝して、「祝福はわがもの」と唱えましょう。

「祝福はわがもの」、「祝福はわがもの」、「祝福はわがもの」。アーメン。

黙想をいたしましょう。

黙想の時にお読みするのは、詩篇25篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書22章20節。

「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの地による新しい契約です。」

黙想いたします。詩篇25篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:聖いお方

https://www.youtube.com/watch?v=zNMDSBv16W4

讃美⑦:神の子

https://www.youtube.com/watch?v=gYKllhoIq0s

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の6月12日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記16章