メッセージ:「栄光の王が入って来られる」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

2022年6月9日

担当:若竹孝行

メッセージ:「栄光の王が入って来られる」(15分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:詩篇22篇~25篇

24篇を交読。(新改訳2017)

中心聖句:7節9節

「門よ おまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入って来られる。」

★おはようございます。そして、お帰りなさい。

●メッセージ

多くの方が、愛称詩篇としているのが詩篇23篇です。「主は羊飼い」というのがメインテーマです。私たちの主イエス様を賛美する詩篇であります。初めはこの詩篇を選ぼうかとも思っていましたが、私たちの主イエス様を私たちの心に迎え入れる詩篇24篇、特に7節から10節に、今回は目が留まりました。

解説書によりますと、ここでの7節8節、それと9節10節における問答は、礼拝の一部だそうです。礼拝者と祭司が契約の箱を神殿に運び入れる入場典礼の時に、交互に読んだとされています。契約の箱は、神の地上における王座と見なされていました(出エジプト25:10-22)。王を神殿に迎え入れる、つまりは私たちの心に主イエス・キリストを迎え入れる時の賛美なのです。そう思って詠まれると、私たちは本当にイエス様をきちんと受け入れているのかという反省にも導かれます。

7節と9節は同じですから、7節だけ見てみますと、●「門よ おまえの頭を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入って来られる」大いなるお方を受け入れるためには、門が大きく開かなければなりません。私たちは本当に、心をまったく解放してイエス様を受け入れているでしょうか。心をまったく解放して受け入れるとは、イエス様を心の中心に招き入れるということです。イエス様をこころの中心ではなく、隅っこに追いやっていませんでしょうか。つまりは、自分中心的になって、なんでも自分の利益や都合が優先され、イエス様にそれの後追い承認、事後承認を願い求めていませんでしょうか。これでは、心の門が大きく開いている状態でイエス様を受け入れたとは言えません。

私は、よく結婚式の司式をしておりまして、新郎や新婦が入場するとき、扉を全開にし、新郎や新婦を喜びをもって招き入れるのでございます。私たちも、イエス様を始めて、私たちの心に招き入れたときには、おそらく扉全開だったのではないでしょうか。しかし、時が経つにつれ、その感激や感動が薄れ、ついにはイエス様がいらして、働いてくださっておられることすら忘れてしまうのではないでしょうか。それこそは、信仰の堕落であります。私たちが、心にお招きしたお方は、●「強く、力ある主。戦いに力ある主。そして万軍の主。栄光の王」であることを、私たちは再確認し、できるなら、朝ごとにディボーションをしつつ再確認をさせていただくべきであります。そして、主を受け入れた時の喜びを朝ごとに新たにさせていただきましょう。

イエス様は、エルサレムに入城するとき、民は口々に、「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と声をあげ、イエス様をほめたたえ、都中が大騒ぎになりました。ホサナは、ヘブライ語の「どうか救ってください」ホーシアー・ナが、ギリシア語で短縮され、ホーシャ・ナーとなったものだそうです。それが、もともとの意味が失われ、神を賛美する言葉となりました。民が待ち望んでいたメシヤ救い主がやってきたということで、歓喜の声を上げたのであります。また、ダビデも、聖なる神の箱がダビデの町エルサレムに入ろうとする時、あまりにも喜んで、主の前で力の限り跳ね回り、イスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らしました。主を迎え入れるというのは、このように嬉しく喜びに満ちたことなのであります。(2サムエル記6:14-15)

私たちが、主イエス様を受け入れた時、洗礼にさずかったとき、どうでしたでしょうか。私は、アメリカのインディアナ州の小さな大学町の、小学校のプールで、1983年6月4日に、ザブーンと後ろ向きに倒れ沈み、また起こされた瞬間、喜びがわきあふれ、泣きじゃくっていたことを思い出します。私は、自分が喜びあふれ泣きじゃくるとは想像していませんでした。自分自身でもびっくりしたぐらいです。しかし、あの時の喜びは今でもはっきりと覚えていますし、また、聖霊様が臨んでくださった喜びと平安は今でも続いています。

もちろん、今までに、信仰的な浮き沈みは、何度も何度もありました。しかし、その都度、イエス様は、私にあの年の6月4日のプールでの、イエス様と共に死に、共によみがえらせていただいたことを思い出させてくださるのです。私は、あのプールでの洗礼に感謝しています。私の常に戻ることのできる原点を、主はくださったからです。皆さんの主に救われた喜びの原点はどこにありますでしょうか。どうか、今一度、お一人お一人の原点を思い出してみてください。思い出しつつ、主に心の扉を全開にしてみてみましょう。

これから黙想の時間をもちます。

聖い心

https://www.youtube.com/watch?v=jQUDGu4BUZY&list=RDGMEMMib4QpREwENw3_jAc0YgNw&index=14

お祈りいたします。

●主のいのり

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。