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メッセージ主題:『悔い改めと新たな価値観と平安』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.6.12主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年6月12日主日礼拝式を始めます。

賛美①:いともかしこし

https://www.youtube.com/watch?v=6wLhRC_Grdg&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&start_radio=1&rv=fysfcolcMG0

賛美②:恵み

https://www.youtube.com/watch?v=5iZG5J_pJO0&list=RD5iZG5J_pJO0&start_radio=1

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:大いなる方 (6月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=NO-udR8H8vw&list=RDNO-udR8H8vw&start_radio=1

賛美④:あなたがすべて

https://www.youtube.com/watch?v=GgFab1Gj8eE&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&index=2

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:今日まで守られ 

https://www.youtube.com/watch?v=VDxYOog2O70&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&index=6

【YOUTUBE配信開始】

2022年6月12日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記16章(新改訳聖書)

中心聖句:

「そこで、主の使いは彼女に言った。『あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。』」(9)

メッセージ主題:『悔い改めと新たな価値観と平安』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

神は、アブラムに「わたしは、あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福する」と仰せられ、生まれ故郷のウルからカナンの地へ導かれ、また跡継ぎのないことを悩んでいたアブラムにのぞみ、「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継ぐ」と約束され、神ご自身がその約束の保証となられました。そして、今日の16章では、アブラムの妻が、アブラムに子どもを産めなかったこと悩み、自分の奴隷であるエジプト人のハガルをアブラムに差し出し、子を産ませました。しかし、ハガルは自分がアブラムの子をはらんだことによって、自分の女主人であるサライを見下すようになりました。そのことで腹を立てたサライはハガルをいじめます。ここまでくると、なにか、時代劇大好きな、私には、大奥の女性の嫉妬の争いのように感じてしまいます。ま、大奥はともかくとして、ハガルは所詮女奴隷でありますから、女主人のサライに勝てるはずもなく、サライのもとから逃げ出します。神はそのことを知り、ハガルに「サライのもとに帰り、従順に仕えなさい」と仰せられます。そして、ハガルの子孫も繁栄することを約束されます。それは、アブラムの子孫が星の数ほどに増えることを約束された神が、母は違えど、アブラムの子孫にちがいないので、アブラムとの約束を守ったかたちとなりました。ちなみに、ハガルの生んだ男の子は『イシュマエル』(『神は開かれる』という希望と慰めを与える名前)と名づけられ、イスラムを説いたマホメットは自分がイシュマエルの子孫であると主張し、今日、多くのアラブ人が自分たちをイシュマエルの子孫であることを自負しています。

さて、私たちは、ここで、何を学ぶべきでしょうか。私は、主が直接ハガルに、「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」という言葉に導かれました。ハガルは、女主人のサライを見下したために、サライから辛い目に遭います。自分がまいた種だから仕方がないとあきらめて、サライから逃げてきたところで、主が、サライのもとに帰りなさいと告げます。それは、悔い改めの道です。人生にはいろいろ辛いことも多くあります。自分の犯したことで、非難され、それに耐えかねて逃げてしまうこともあるでしょう。しかし、主は、「まず謝りなさい、心からの謝罪をし、和解しなさい」とおっしゃいます。「謝ってすむ問題ではない」とおしかりをいただくこともあるでしょう。しかし、まずは謝罪すべきです。

私は、私たちの罪は、アダムとエバがまず神に謝罪しなかったことから始まっていると思っています。アダムとエバは、神から「食べたら、必ず死ぬ」と忠告された「善悪の知識の木」の実を食べてしまって、自分たちが裸であることに気がついて、神から隠れてしまいました。そして、神が「善悪の知識の木」の実を食べたのかと問われて、アダムはエバのせいに、エバは蛇のせいにして、神に謝罪することなしに、その場しのぎの言い逃れをしてしまいました。まさしくそれは、「善悪の知識の木」の実を食べたゆえに、ついてしまった悪知恵でした。あの時、アダムとエバが、心から謝罪していたら、神は赦してくださったかもしれないと、私は思うのであります。もしも、謝っていたら、神から離れるという原罪(さまざまな罪の大元の罪)は、私たちに遺伝していなかったかもしれません。神は、ハガルを通して、私たちに、「悔い改める、素直に謝る」大切さをお教えくださっておられるのです。

そして、また、神はハガルに「身を低くしなさい」とおっしゃられました。新共同訳では、「従順に仕えなさい」とあります。高ぶることなく、また傲慢にならず、仕えるとは、少なくとも、その仕える人を尊敬し、または愛さなければ、従順に仕えるということにはならないような気がします。忍耐だけでは仕え続けることができないのではとも思えます。ハガルにとって、見下していた女主人のサライに、従順に仕えることができるのか。身から出た錆とはいえ、ハガルをいじめ追い出したサライのもとに帰って、本当に身を低くして仕えることができるのか。「心を入れ替えて」という言葉がありますが、そうでもしなければ、仕え続けることは難しいでしょう。

「心を入れ替える」というのは、ある意味「悔い改める」よりきびしい要求かも知れません。悔い改めるとは、180度方向転換することです。キリスト者は、イエス・キリストに目を向け直すことですが、「心を入れ替える」とは、今までの考え方をそっくり根底から変えてしまうということではないでしょうか。つまり、イエス様を救い主として信じるためには、日本人の私たちにとっては、まず「心を入れ替える」必要がでてきますが、一旦キリスト者として、信仰告白をしたからには、罪に対して「悔い改める」必要がでてきます。

キリスト教の影響の強い文化圏の人には「悔い改める」ということがピンとくるのかもしれませんが、日本のようにキリスト教の影響があまり強くない文化圏では、「悔い改める」のではなく、「心を入れ替える」というテコ入れが、まず必要なのではないのかと、私などは思わされるのであります。その場合の「心を入れ替える」とは、「価値観を変える」ということなのかもしれません。世界を創造した神を信じるという価値観、その神から背くという罪を知るという価値観、罪はいのちをもって償うという価値観、私たちは、アダムとエバによって罪がDNAのように引き継がれ、根っからの罪人であると悟る価値観、私たちの罪をぬぐうために動物のいのちで代用してしまう価値観、イエス・キリストが聖霊によって生まれ、生まれながらに罪なき人間であり、神のひとり子であることを信じる価値観、そのイエス・キリストの命によって、私たちの罪が帳消しにされたことを信じる価値観、イエス・キリストの死後三日目によみがえり、永遠のいのちを得たことを信じる価値観、イエス・キリストの死とよみがえりによって、すべての人々が永遠のいのちを得るチャンスを与えられたという価値観、イエス・キリストを信じれば、救われ、永遠のいのちにあずかれることを信じる価値観、イエス・キリストを信じれば、聖霊が私たちの心に下り住み、私たちを罪を犯しにくい性質へと変えてくださることを信じる価値観。もっともっとあるでしょうが、これらの「心を入れ替える」「価値観を変える」ことが、私たち日本人には必要なのかもしれません。しかし、これらのことが私たちの力だけでできるとは信じがたい。少なくても私にはそんな能力も知恵もありません。はやり、神の霊である聖霊が、私たちの心を入れ替える、価値観を変えることにかかわってくださる、いえ、その主導権をにぎってくださらなければならないのではないかと思わされるのであります。一見不可能に見えるかもしれませんが、不可能を可能にするのが全知全能の神の業です。

ハガルが「身を低くする」「従順に仕える」ことを続けるには、やはり私には「心を入れ替える」「価値観を変える」必要があったのではと思うのであります。ハガルは、サライの信じる神を信じなければ、サライに従順に仕えることはできなかったのではないのでしょうか。しかし、それはそんなに容易なことではなかったでしょう。あまり快く思っていない、いえ恐らく大嫌いだったサライに仕えるのですから。しかし、ハガルは、サライと同時に、信仰の父と呼ばれたアブラムの信仰を、アブラムが信じる神を、その神に従順に仕えているアブラムをみて、彼女の価値観を変えることに成功したのかもしれません、いえ、神がそのようにハガルを導かれたと考えた方がよいでしょう。創造の神を信じることは、価値観を変える手始めであり、また必然的なことであるでしょう。ハガルは、アブラムが信じている神を信じるように導かれ、価値観がかわり、神にあって、自由に、いえ自由という言葉がそぐわないなら、神にあって無理なく、女主人サライに仕えることができたのではないでしょうか。

しかし、サライに世継ぎのイサクが生まれ、その14年後にハガルの息子イシュマエルがイサクをからかうようになり、アブラハムは不本意ながらハガルとイシュマエルを追放します。そして、ベエル・シェバで、水も食糧もなくなり、途方にくれたハガルはイシュマエルが死ぬのを見たくないと、息子を木の下に隠し、離れて、ひとり嘆きます。そこに御使いが現われ、ハガルを励まし、神がハガルの目を開き、井戸を見つけさせ、生きのびることができます。イシュマエルの子孫は、神の約束どおり繁栄していきます。このことは創世記21章に述べられています。この時にハガルの身におきたのは、「悔い改め」のすすめです。荒野でひとりぼっちで水も食糧もなく途方にくれ、神を見失っていたハガルに、神に目を上げ、心を神に向けよとつげられました。「悔い改め」の時は、私たちの人生で何度もおこる、いえ、毎日でも起こることです。いったん神を信じれば、神に価値をおけば、それでいいという問題ではありません。私たちは日常生活において、神から目を離すことが多々起こります。その時々に置いて、悔い改めが必要となります。そしてその悔い改めは、心の内にお住まいくださる聖霊が導いてくださいます。

さて、これまでのお話しでお分かりのように、イエス・キリストを信じるということは、私たちの価値観が変わるとうことであり、また信じることで価値観を変えなければいけない、いえ、変えていただかなくてはいけないということです。この価値観が変わらず、ただ「イエス・キリストを信じます」と言うのであれば、ただ頭でそう思っているだけで、心は、イエス・キリストを自らの主として受け入れていません。ですから、日ごろの生活は変わりません。イエス・キリストを心から受け入れれば、必ずその人に聖霊の働きによる平安があります。また、平安と喜びが同時に現われることもあるでしょう。もちろん、私たちの心は不安定な時もあります。いえ、不安定な時だらけかもしれません。ですから、その平安を感じない時もあるでしょう。しかし、すでに聖霊は心の中に住んでくださっていて、決して離れません。ですから、あなたの心は、必ず平安に戻れるのです。どうか、心からイエス様を受け入れ、あなたの持っている価値観を変えてもらってください。ハガルは、アブラムの信じている神を受け入れ、価値観をかえていただき、苦手なサライに平安をもって仕えることができたのです。

さて、ここで、天国長屋の八さんと熊さんにバトンタッチしましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 神様を信じるちゅうことは、価値観を変えるちゅうことなんやなぁ。

熊: つまり価値観が変わってなかったら、

神様を本当に信じたことにはならんとちゅうこっちゃな。

八: ハガルはんは、アブラムはんの信仰から、神様を信じて、サライはんに仕えよった。

熊: 敵みたいなサライはんに仕えるちゅうのは、並大抵のこっちゃないでぇ。

八: せやなぁ、けんどイエス様は、「敵を愛しなさい」ゆうてはる。(マタイ5:44)

熊: せやねん。イエス様もむちゃ言いはるわな。なぁ!「敵を愛せ」やなんて。

八: いや、けんど、それ、無茶とちゃうねんな。

熊は、「敵を愛せ」って「敵を好きになれ」ちゅうことやと思てないか?

熊: え?ちゃうんかいな。そやろ。

八: 若さん、前ゆうてはったやんか。「敵を好きになれ」ちゅうのはなかなかでけん。

けんど、敵のために祈ることはできる。敵をのろう代わりに祈るんやって。

ほら、さっきの「敵を愛しなさい」という御言葉の続きがあるやん。

熊: たしか、●「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」

八: それや、それやがな。敵とは迫害する者のこっちゃ。

やから、「敵のために祈りなさい」って、イエス様はおっしゃってはんねん、

わてらにな。

熊: ほな、なにか。ハガルはんも祈りながら、サライはんに仕えたちゅうことかいな。

八: わては、そう思てる。

熊: じゃあ、今日の御言葉の、「あなたの女主人のもとに帰りなさい」ちゅうのはどうなん。

八: あれは、若さんがゆってはったやんか。悔い改めて、180度クルっと回転して、

サライはんのところに行って、『ごめんなさい』ゆうて謝って、

サライはんと和解することなんやろな。

熊: まあ、サライはんにも初めは嫌味言われるかもしれへんけど、じっと我慢の子やねんな。

『じっと我慢の子であった』か。

八: それって、シトシトピッチャンの子づれ狼のテレビドラマでくるセリフやないかいな。

だ~れも、分からんチャチャ入れんといて。ややこしなるわ。

熊: かんにん。けんど、サライはんもえらいなぁ。よう仕えはった。

八: せやな。けんど、もしもサライはんが、ハガルはんの謝罪を受け入れへんかったら、

こんどは、サライはんが罪を犯すことになる。

まあ、それはアブラムはんも許せへんかったやろけどな。

熊: たしかに。相手が謝ってるねんから、許さんとあかんわな。

サラ・イはんだけに、「そら違反」やゆうて。

八: 熊、口がかわかんうちに、またやるか。その洒落、ねろてたやろ。

熊: わかった? いつか使おうと思てたんや。あー、すっきりした。

八: かなわんなぁ。こんな時にダジャレつっこんできて。

けんど、悔い改めによって、心に平安が生まれるやろ。それに、神様を信じて、

価値観を変えていただくことで、祈りに導かれて、これまた平安が生まれる。

熊: ハガルはんは、アブラムはんが信じている神様を受け入れ、

その神様に従おうとされたんやな。

八: なんか、ここ、思い出すワァ。

熊: また、なにおうな?

八: ルツはんの言葉やがな。●「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」ゆうて

(ルツ記1:16)ルツはんも、価値観をかえはったんな。

ナオミはんの神様を信じるやなんて。

熊: ナオミはんの日ごろからの信仰を見てはって、

「わたしもああなりたい」と思ってくれはったんかもしれへんなぁ。

八: ハガルはんは、アブラムはんの日ごろの信仰をみて、

アブラムはんの信じている神様を信じてみようと思いはった。

また、ルツはんも、ナオミはんの日ごろの信仰をみて、

ナオミはんの信じている神様を信じてみたいと、価値観を変えはった。

いや、聖霊様によって、変えられはったんや。

熊: それがほんまもんの主の証し人ちゅうやっちゃろな。

八: 礼拝時だけの信仰やったらあかん。四六時中、神様と祈り会話せんとな。

まあ、金太郎飴みたいにどこを切っても、主の証し人でないとあかんねんやろな。

熊: いつでもどこでも主の証し人ちゅうのは、だれか、言うてたは、

「疲れるんとちゃうか」って。けんどな、わてゆうたってん。

わてらの心にお住まいくださる聖霊様によって、主の証し人とされるんや。

わてらの力やないでぇ。聖霊様によって喜びも与えられる。いつも平安に満たされて、励ましと勇気を下さる。そやから、「主の証し人」が疲れる訳ないねん。

わてら日本人や、日本人やってること疲れるか? 疲れる訳ないやん!

八: そやな、そやで! ありがたいなぁ。パウロはんもテモテはんへの手紙に次のように

書いてはった。●「神が私たちに与えてくださったものは、臆病の霊ではなく、

力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:7)って。わてらの心にお宿りくださる

聖霊様は、力と愛と慎みと、そして平安と喜びの霊であるんや。

熊: なんか、燃えてきたな。若さん、今日はここまでにしておきまっさかい、

あとは、よろしゅうお願いいたします。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。ルツさんの「あなたの神はわたしの神です」。こう言われたナオミさんは、嬉しかったですやろなぁ。「あんたが気に入った。あんたの信じている神をわても信じてみるわ」って言われたら、ほんまに主の証し人として嬉しい限りです。これは、証し人の力やありません。証し人の心にお住まい下さっている聖霊様の働きです。イエス・キリストを信じるちゅうことは、価値観を変えていただくということです。価値をこの世におくのではなくて、イエス・キリストに置くちゅうことです。言いかえらば、この世に宝を積むんやなくて、天の御国に宝を積むちゅうことです。この世に目を向けている自分を180度回転させて、神様に目を向ける、つまりは悔い改めるちゅうことですけど、そうして、価値をイエス様、天のお父様である神様において、どんなときでも、どんなことがあっても、心の内に平安を取り戻させていただきましょう。それには祈ることです。祈りには、力があります。声に出す祈り、声に出さない祈り、会話のような祈り、なんでも結構です。イエス様に祈ることによって、天のお父様とお話しすることによって、神様にいろいろな問題の解決へと導いていただきましょう。主は必要な時に、もっとも適切な助け手をお送りくださいます。それを信じて祈り続けましょ。

先週、先々週と、私たちは、礼拝中に宣言いたしました。礼拝は神様に献げるものですが、神様から元気をいただくものでもあります。礼拝で、なにも励まされなければ、神様の力を受け取っていないことになります。それは、大変もったいないことです。このような方がいらっしゃいます。「牧師先生ありがたいメッセージ感謝します。恵まれました。」ありがたいお言葉です。しかし、その方の生活は何も変わらなけえばどうでしょう。もちろん、一回の礼拝のメッセージで変わる部分もあれば、変わらない部分もあります。いえ、変わらない部分のほうが多いでしょう。しかし、メッセージを聞き続けることで、皆さんはじょじょに神様によって、また内なるキリスト様によって変わっていきます、励まされていきます。私のようなものであっても、メッセージを取り次がせていただく準備をするところで、その事に気をつけ、祈っています、私が皆さんの受取を邪魔しないようにと。聖霊様に導かれますようにと。私も、これまでもそうでしたが、これからも、神様の邪魔をせず、聞いている皆さんに、神様の励ましがあるようにと元気になりますようにと、祈り願いつつ準備をしますので、どうか、皆さんも神様から元気を励ましを受け取ってください。いえ、受け取る宣言をしてください。先週は、「祝福はわがもの」という宣言をいたしました。今週は、「主こそわが価値」と宣言し続けてみてください。これは、『私は、主イエス・キリストに価値をおく』という意味と『私の価値は、主イエス・キリストである、他に何物もない』という意味とを兼ねています。

では、「主こそわが価値」と三唱いたしましょう。私の後について宣言してみてください。

「主こそわが価値」「主こそわが価値」「主こそわが価値」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇9篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書14章23節。

「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

黙想いたします。詩篇9篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:主の宮 

https://www.youtube.com/watch?v=Oydp_fevMFQ&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&index=8

讃美⑦:主の愛に生かされて

https://www.youtube.com/watch?v=CzMeFio4Kt4

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の6月19日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記17章