ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2022.6.19主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2022年6月19日主日礼拝式を始めます。
賛美①:主われを愛す
https://www.youtube.com/watch?v=lr-xT4tXoGc
賛美②:いばらの冠
https://www.youtube.com/watch?v=f7S7aRLoQ10
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:大いなる方 (6月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=NO-udR8H8vw&list=RDNO-udR8H8vw&start_radio=1
賛美④:愛の絆
https://www.youtube.com/watch?v=5MDECId8lpI
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
讃美⑤:父の涙
https://www.youtube.com/watch?v=mP53Y7LRqDQ
【YOUTUBE配信開始】
2022年6月19日 主日礼拝メッセージ
メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
●聖書拝読:創世記17章(新改訳聖書)
中心聖句:
「あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。」(11)
メッセージ主題:『心を見られる主』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
●メッセージ
創世記17章は、「契約と割礼」がタイトルです。神は、アブラムが99歳で、再び神からの契約が生きていることを強調されます。神との契約は、子孫の繁栄でありました。神が初めてアブラムに契約を明示したのは、12章1節2節●「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」この時、神はアブラムに故郷ウルを出て、神の示すカナンの土地を目指すことを要求されました。次には13章16節●「わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」この時には、神は契約の代償を求めませんでした。三番目は15章5節●「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」ここでも、神は契約の条件を求めませんでした。しかし、この17章では、神ははじめてアブラムに契約のしるしをお求めになりました。それが、割礼、つまり男性自身の包皮の肉を切り捨て、祝福を受ける子孫としての印を求められたのであります。11節●「あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。」それまで、神はアブラムにたいする祝福の印はもとめませんでしたが、今回に限り、12節●「あなたがたの中の男子はみな、代々にわたし、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。」と定めました。そして、99歳のアブラムもこの時に割礼を受けました。ここで、私には二つの疑問が生まれます。一つ目は①契約はアブラムの故郷ウルの時代から始まっていますが、どうして、何回もその契約を更新しなくてはいけなかったのか、ということ。二つ目は②どうして男性自身の包皮を切り取るという契約の更新のしるしを、神は要求されたのか、ということです。では、この二つを見て生きましょう。
なぜ契約の更新は必要だったのか。
初めの契約の提案は、アブラムを故郷ウルから約束の地カナンへ向かわせることが必要でありました。なぜなら、このアブラムから始まるイスラエルの民の歴史はカナンの地を中心に展開されるのであって、最終目的の救い主イエス・キリストを誕生させることが必要であったからであります。また13章の2番目の契約の更新のときは、ロトとの別れの時で、美味しいところにロトが遠慮せず移り住んだからであり、アブラムは恐らく、荒野に残され途方に暮れていたのではないでしょうか。アブラムの家族だけではなく、使用人たちや家畜も含めて、養わなくてはならないのですから。アブラムは「責任」という重い荷物を背負っていました。ですから、神はアブラムをはげますつもりで、子孫の繁栄という明るい未来を、再度、アブラムに確認させたのです。15章の三番目の契約の再確認は、アブラムは跡取りに悩んでいたときに、実子は必ずできると励まし、その実子から星の数ほどの子孫が増えることをアブラムに促したのです。そして、17章の割礼の実施徹底を求めた、契約の更新でありました。アブラムに実子が与えられると告げられ、女奴隷ハガルとの子が生まれてかられ、早、13年。いまだに妻サラとの間に子がなく、子孫繁栄の約束も疑わしいと、主の契約を疑問視していたことでしょう。そこに、アブラムから始まる一族のしるしとしての割礼。子孫の繁栄を割礼という見えるかたちで、年老いた99歳のアブラムをはげましたのです。神の契約の更新は、迷いのあるアブラムを力づけよう、はげまそうと神が臨まれた結果なのです。
なぜ割礼を求められたのか。
割礼は見える契約のしるしとしてでした。見えない神との契約を、目に見えるかたちとして、アブラムたちに要求しました。この割礼により、イスラエル民族と他民族の差別化を、主はうながし、また選ばれし者としてイスラエルの民への誇りをもたす役割をはたしていたのではないでしょうか。しかし、ここで考えなくてはいけないことがあります。それは、男性の男性自身は、割礼を受けていようがいまいが、見せ合うものではないということです。洪水後のノアの事件を思い出してみてください。ノアは農夫となり、ぶどう畑をつくっていました。ある日、ノアがぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっているところへ、次男のハムがそれと知らずに、天幕にはいり、ノアの男性自身を見てしまいました。そのことで、ハムはほかの兄弟たちに仕えるようになれ!と、神はノアに言わせしめます。男性自身は人に見せるものではないのです。しかし、その見せるべきでない男性自身の皮を切り取るのであります。人は見ないのでありますから、切り落とすことは無駄ではないかと、私などは思うのであります。では、どうして、神は見せることのない男性自身の皮を切り取ることを契約に盛り込んだのでしょうか。この割礼の有無を明確に知っているのは、本人とすべてをご存じの神だけであります。ここに、神の割礼の要求の意図があるのではないでしょうか。
この割礼は、イスラエルの民のアイデンティティ、イスラエルの民であるという目に見える証拠であるのですが、人に見せない割礼の証拠は、本来は神との一人一人における契約に重きがあるのではないでしょうか。神の意図には、体の割礼を通しての、真の何かがあるように思われます。
実は、神は『心の割礼、心の包皮を切り捨てること』を旧約聖書中、さまざまなところで、それを民に要求しています。つまりは、これが神の真の目的であると私は確信しております。
学びのために、少し列挙してみましょう。
●申命記10:16「あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。」
「うなじのこわい者」とは「強情な人、傲慢な人」のことです。「心の割礼をうけた人」は「柔和な人」です。
●申命記30:6「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きる方にされる。」
「心を包む皮を切り捨てた人」は「神を愛し、神とともに生きる生き方をする人」です。
●エレミヤ書4:4「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行いのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」
「心の包皮を取り除かれた人」は、「神の裁きを受けない人」です。
●エレミヤ書9:25-26「見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、すべて包皮に割礼を受けている者を罰する。エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する。すべての国々は無割礼であり、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ。」
「心の割礼を受けていない者」は「無割礼の者」神の民ではないと、神はおっしゃいます。
このように神は、本来肉体的な割礼は、その人自身が神に対して誠実であり恐れかつ心から愛しているかの印として要求したものでありましたが、残念なことに、見える肉体的割礼をほどこせば、見えない心はどうでもよいと考える民が多くなり、聖書の著者たちを通して、「心の割礼」という表現で、神の真意を現わされました。また、詩篇では、「心の割礼」を「砕けた心」「悔いた心」という表現が使われています。34篇18節●「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」51篇17節●「神へのいけにえは、砕かれた霊、砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
神は、人々の罪を明らかにし、神への心を整えるために、律法を置きました。しかし、その律法さえ守っていれば、神への心はどうでもいいと、民は神を軽んじるようになりました。また、生活は律法の細則によってがんじがらめにされ、神の真意を無駄にしてしまいました。そこで、神はひとり子であられるイエス様をこの世にお送りくださり、律法の完成者として、人々の心を神に向けさせ、悔い改めさせるため、救い主となられ、イエス様ご自身の聖い血潮によって、人々の罪を帳消しにし、十字架での死から三日目によみがえらせ、全世界の人々に永遠のいのちを得させるチャンスをお与えくださいました。
神は行ないではなく、心を最も重視するお方であり、常に悔い改めによって、常に心を神に寄せることによって、神はお喜びになられるのです。肉体的な割礼は、一度限りですが、心の割礼は、悔い改めることですから、心の高ぶりを覚える時、傲慢な気持ちがわき上がってきた時、神の御前にひざまずき、心を新たにしていただけるのです。神は私たちの心を見られる方でありますから、見えないからと言って神を軽んじることなく、常に恐れをもって、神に語り、神をご自分の心の中心にとどまりくださり、私たちを導いてくださるよう、求めましょう。
さて、ここで天国長屋の八さんと熊さんに登場していただきましょう。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: 若さん、今日は何の日か知ってんのかいな。
熊: え? 何の日や?
八: なんや、熊も知らんのかいな。父の日やがな。
熊: あ、そやったな。けんど、母の日は大きく宣伝しはるけど、父の日は、影薄いなぁ。
八: まあ、しゃぁない。世間は、日ごろから「かかあ天下」やから。
熊: けんど、聖書は違うで。神様のこと、天のお父様って呼ぶぐらいやから。
八: せやな。わてらには、もう実のおやじ殿はおれへんし。
父の日は、わてらにとっては、天のお父様の日や。
熊: んで、なんかプレゼントとか用意してんのかいな、八は?
八: 当たり前田のクラッカーやんかいな。
熊: んで、何用意したん?
八: 今日も若さん、ゆうてはったやろ。砕かれた魂、悔いた心やんかいな。
熊: なんや、それやったら、父の日やなくても、毎日、ささげてるやないか。
砕かれた魂、悔いた心、ちゅうのは、要するに、神様にお祈りするちゅうことやろ。
八: いや、それだけないで。「賛美のいけにえ」もあんでぇ。
熊: なんや、父の日には、子鹿もささげなあかんのかいな?
八: なんで、そこで子鹿がでてくるんや。
熊: だって、「バンビのいけにえ」やろ。バンビゆうたら子鹿やんか。
♬“子鹿のバンビは、かわいいな”って。
八: あほぅ。「子鹿のバンビ」やのうて、「子鹿のさんび」いや、ちゃうちゃう、
「賛美のいけにえ」やないかいな。熊がしょうもないこというから、調子狂うわ。
熊: けんど、あれやで。「子鹿のバンビ」の歌の最後はな、
♬“今、に、おお、きく、なっ、た、なら、すて、きな、ぼく、らの、王様だ”
ゆうてんで。
八: (あきれて)熊ほど、この歌似合わんのおれへんかもしれへんなぁ。
熊: おほめにあずかりまして。
八: ほめとらんわ!子鹿のバンビは、森の王様になるかもしれん。
そやけど、熊も森におるわな。熊は、「ぼくらの王様」やのうて、
「ぼんくらの王様」や!
熊: おほめに、、、
八: ほめとらんで!「賛美のいけにえ」神様をあがめる、ほめたたえる。
それに天のお父様を賛美する歌をささげるちゅうことやがな。
熊: それやったら、わてら、いっつもささげているやないか。
なんか特別なこと、せんでもええんかいな、天のお父様である神様に。
八: それやがなぁ。わてもなぁ、それずーっと考えてたんやけどなぁ、
神様がお喜びになることって、なんやろ?
熊: 物やないしなぁ。昔やったら、香ばしい香りのする全焼のいけにえやったり
するんやろうけど。あれも、心がともなってなかったら、
受け取ってもらわれへんみたいやし。献金はどうやろうか。
八: 神様、お金みたいなもの必要ないがな。献金は教会に必要なんや。
教会は、この世と天の御国をつなぐ役目をしてるからな。
けんど、それも天のお父様がみんな必要を満たしてくださるから、心配あれへん。
熊: さよか。けんど、八、いま言うてたわな。
「教会は、この世と天の御国をつなぐ役目をしてる」って。どこぞに隠し扉があって、
天の御国に行ける、エレベーターか、エスカレーターかあるの?
階段はいややで。息切れるさかい。
八: あほぅ。そんなもんあるわけないやないかいな。
わてが「教会は、この世と天の御国をつなぐ役目をしてる」ちゅうたんは、
心の問題やがな。教会で、みんなで神様を賛美して、神様のメッセージを聞いて
励まされて、んでまた、1週間、神様とずっ~とつながっとこうと思わされる。
教会ちゅうのは、神様から、また他の兄弟姉妹から元気をいただくところやがな。
だから、教会で大事なのは、賛美とメッセージと食事と交わりや。
熊: ちょっとまって、食事も大事なん?
八: 当たり前やがな。「腹が減っては戦さもでけん」っていうやろ。
あっ、「戦さ」するわけやないで、念のため、
また熊がしょうもないこと言うかも知れんから、予防線はっとくは。
熊: あの~貼るんやったら、サロンパス貼ってくれへんか。ここ背中のところ、
自分で貼られへんねん。
八: 誰がシップ薬の話をしてんねん。ややこしいなぁ。わては食事の話をしてんねん。
イエス様も食事の最中に、よう弟子たちにお話しくださってた。
それに、話しを聞きにきた会衆に、お腹減ったやろうな、思うてくださって、
弟子たちに食事を用意させたりしてはったんや。
熊: そうか、食事も大事なんやな。んで、それは分かったけど、父の日の、
天のお父様のプレゼントは? どうすんの?
神さまが喜んでくださるようなこと、何かないん?
八: 特別なことは思いつかんなぁ。やっぱり、若さんがいっつも言ってはることかいなぁ。
●「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」
(第一テサロニケ人への手紙5章16-18節)
熊: なんでまた、それなん?
八: 18節の続きにはな、「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに
望んでおられることです。」ってあるんや。「望んでおられる」ちゅうことは、
「それをしたら、喜ばれる」ちゅうことやからな。
熊: なるほどなぁ。それやったら、父の日に、天のお父様に喜ばれることちゅうのは、
特別になにかすることやなくて、日ごろからしていることをしたらええちゅう
ことかいな。
八: まあ、そうなるなぁ。
熊: わては、それやったら、今日の父の日に、大好きな天のお父様に、特別に、
新しい歌をプレゼントしたいわ。
八: 熊、なんや、即興で新しい歌つくったんかいな。
熊: まあ、新しい歌ちゅうか、古い歌なんやけど、心を新しくして作ったちゅうかな、、、
八: 熊がそんな才能があったとは、知らんかったわぁ、聞かせてぇな。
熊: いやぁ、人に聴かせるようなものやないからなぁ、、、
八: あ、そうか。、、、せやったら、ええわ。
熊: いやいや、八、聴いてぇな、せっかくやから。
八: 素直にそうゆうたらええねん。天のお父様かって、素直な心を喜びはんねんから。
熊: ややこしくて、かんにんな。ほな、いくで。
♬“イェス、さま、おお、くり、くだ、さあった、すて、きな、わて、らの、王様だ”
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。熊さんも古いけど心新しくした歌を披露してくださり、感謝いたします。「子鹿のバンビ」の歌が、神様を賛美する歌になるとは、父の日に感謝でございます。割礼とは、本当は、肉体的な割礼ではなく、心の割礼でありました。神様は、私たちの心を常に見ておられます。心ですから、隠そうとしても隠しきれません。神様は、私たちの心の動きを「全部すべてまるっとスリっとゴリっとエブリシングお見通しだ!」とテレビドラマ「トリック」の山田奈緒子さんなら、そう言うでしょう。天のお父様がすべて見ておられ、隠し事ができないのなら、逆に全部見ていただきましょう。心を全開にして、良いところも悪いところも、きれいなところも、きたないところも、ぜんぶお見せして、「こんなものですけど、あなた様が愛してくださることに、感謝します」とお父様に申し上げましょう。天のお父様は、あなたの心がお父様に向いていること、心をわざわざ全開にして見せてくれたことを、必ずお喜びになられます。そして、おっしゃいます。「おかえり、わが子よ。」
黙想をいたします。神様に心のすべてをお見せください。
黙想の時にお読みするのは、詩篇51篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書6章20-21節。
「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」
黙想いたします。詩篇51篇。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑥:驚くばかりの
https://www.youtube.com/watch?v=dkzeDsJ21Ts
讃美⑦:聖い心
https://www.youtube.com/watch?v=jQUDGu4BUZY
●礼拝と献金の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の6月26日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書:創世記18章