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メッセージ主題:『平安のある時、ない時』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.7.3主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年7月3日主日礼拝式を始めます。

賛美①:主はあなたを呼ばれる

https://www.youtube.com/watch?v=59azEiY4c0E

賛美②:神はひとりごを

https://www.youtube.com/watch?v=O3ukdPvYoI4

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:愛の絆 (7月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=TaIUDJUsvYU&list=RDZWktcXSPVCY&index=20

賛美④:慕い求めます

https://www.youtube.com/watch?v=ofFHpYHlwpI&list=RDZWktcXSPVCY&index=18

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:主の手にわが手を 

https://www.youtube.com/watch?v=0jAf5hkgw4E&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&start_radio=1&rv=O3ukdPvYoI4

【YOUTUBE配信開始】

2022年7月3日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記19章(新改訳聖書)

中心聖句:

「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前にたったあの場所に行った。」(26-27)

メッセージ主題:『平安のある時、ない時』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

創世記19章は、1節~28節までは、ソドムの滅亡、29節~最後の38節までは、ロトの娘たちの近親相姦のことが記されています。しかし、全体的にはロトが中心となっています。今日のメッセージは、19章の前半のところからです。

18章で、アブラハムは神にソドムの町に、主の目から見た正しい人が10人いれば、ソドムの町は滅ぼさないという約束にまでこぎつけました。私は、このところを初めて読んだ時、神が50人から10人にまで減らした交渉をアブラハムとしたことに驚かされました。また、アブラハムは神と交渉し、10人にまでこぎつけましたが、神のソドムを滅ぼすというご計画は揺るがなかったことにも、すべてをご存じの神の偉大さに恐れを感じました。結局、ソドムは滅ぼされることとなり、19章で、そのことが語られています。

二人の御使いが、夕暮れにソドムに着き、ロトの家にやっかいになることになりました。その夜、町の良からぬ者たちが、ロトの家に旅人が泊まっていることを知り、その旅人に悪さをしようと、ロトの家にやってきます。しかし、その御使いたちが、ロトたちを家の中に連れ込んで、戸をしめ、外にいた者たちに目つぶしをくらわせ、そのすきに、安全な場所へと誘導します。彼らは、ソドムを滅ぼすためにやってきた主の御使いであることを、ロトに告白し、いち早く逃げなさいと告げます。15節●「さあ立って、あなたの妻とここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さまないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼしつくされてしまおう。」しかし、ロトたちが戸惑っていると、17節●「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」結局、ロトたちは、山ではなく、ツォアルという小さな町に逃げ込み、難を逃れます。そして、日の出とともに、主はソドムとゴモラの町の上に、硫黄の火を降らせ、滅ぼされます。その朝、ロトの家族とアブラハムの様子を記したのが、今日の中心聖句、26節と27節です。

26節●「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」

「振り返ってはいけない」と言われたのに振り返ってしまったロトの妻は、塩の柱になってしまいました。ロトの妻の塩柱は、今では、観光名所になっていまして、死海のほとりのソドムの山にあります。この観光名所の塩柱の真偽はともかくとして、死海に生物が生息できないように、塩柱にもいのちはありません。ではなぜ、ロトの妻は振り返ってしまったのでしょうか。また御使いはなぜ「振り返ってはいけない」と忠告したのでしょうか。「振り返る」とは、その振り返るところに未練がある愛着があるからではないでしょうか。体はそこから遠ざかろうとしているのですが、心はそこにある。愛する人、気になる人と一時的に別れなければならない、その別れを惜しんで振り返る。または、進んで行く前方に不安があるので、振り返って安堵したい。はたまた、怖い物事から逃げているにもかかわらず、追って来ていないかを確信するために振り返る。

一目散に逃げていたロトたちが、もうここまでくれば大丈夫と思ってしまったのでしょうか、ロトの妻は、自分たちが住んでいたソドムという町がどうなってしまうのか確かめたい気持ちもあったのではないでしょうか。ひょっとしたら、ソドムの暮らしに戻りたいとも思っていなかったかもしれません、また、ただただ興味があって、振り返ったのかもしれません。しかし、「振り返ってはいけない」という忠告を無視したかたちとなり、ロトの妻は塩の柱となってしまいました。ロトや彼の娘たちは、驚き、畏れ、神の力の偉大さを思い知ったことでしょう。しかし、ロトはそこで、感謝をささげたとは記されていません。彼らは山の穴倉生活をします。人目をさけて、自暴自棄に陥ったような生活だったかも知れません。救われた感謝を神にささげず、前を向いて、生活をしないなら、神と共に歩んでいるとは言えません。ロト一家の姿は私たちにも言えることではないでしょうか。イエス・キリストを信じ、救いにあずかったにもかかわらず、感謝もささげず、生活に追われる人生であれば、心の豊かさも平安の微塵もありません。イエス・キリストにお出会いして、心豊かにならないなら、癒され励まされることがないなら、私たちの信仰はないのと同じであります。パウロが次のように証ししているのは真実です。●「あなたがたは、私たち主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(2コリント8:9) これはパウロが献金のことについて話しているものでありますが、金銭的な富のことではなく心の富のことを説いているところです。イエス様を信じて、しかし、心が豊かにならないのなら、平安がないのなら、イエス様の死は、その人にとっては無駄だったことになります。主に感謝をささげることの大切さを忘れてはいけません。

一方、ロトたちが命からがら、ツォアルの町に逃げ込んでいた時、アブラハムはまた違った思いを持って、ソドムが滅びるのを見ていたのではないでしょうか。27節●「翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前に立ったあの場所に行った。」「あの場所」とは、どこでしょうか。18章で、三人の御使いたちがアブラハムに現われたのは、マムレの樫の木のそばに立てた天幕の入口でした。そこで、アブラハムは、御使いたちをもてなし、御使いたちは、アブラハムとサラに「来年の今ごろ男の子が誕生する(つまり、イサク)」と告げました。そして三人の御使いたちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った、とあります(18:16)。アブラハムもいっしょについて行きました。御使いたちはその場所で、アブラハムにソドムとゴモラを滅ぼす予定であることを告げます。アブラハムは甥のロトの家族がソドムに住んでいることを知っていましたから、御使いたちはソドムの方へと進んでいこうとするところで、アブラハムは彼らの前に進み出て、ソドムを滅ぼさないようにと懇願し、メッセージの初めに申しました、正しい者の人数の折衝が始まります。折衝の後、御使いたちはソドムに、アブラハムは自分の天幕に帰って行きました。

この19章27節で、アブラハムが立っていた「あの場所」とは、あの御使いたちと折衝をした、ソドムを見おろすことのできる場所でありました。この時、アブラハムは何を思っていたでしょうか。甥のロトの家族のことではなかったでしょうか。ソドムを滅ぼさないようにと懇願し折衝したのも、ロトの家族がソドムに住んでいたからでした。しかし、アブラハムは、「ロトの家族だけでも助けてあげてください」とは、御使いたちに願い出ませんでした。それは、あまりにも自分勝手な願いだと思っていたからかも知れません。そして、「ロトの家族を助けてあげてください」と、御使いたちに直談判した方がよかったのかもしれないと、あの場所に立って、悔やんでいたかもしれません。この時、アブラハムはまだロトたちがソドムから逃れたとは知る由もありませんでしたから。ロトたちはソドムの町といっしょに滅ぼされてしまったと考えるのは当然でしょう。かまどの煙のように煙が立ち上っているソドムを見おろしながら、アブラハムは、ロトが生まれ故郷ウルからいっしょに旅してきた道中での出来事を、またロトがアブラハムと別れて、ソドムの低地に下っていった時のことを走馬灯のように思い出していたのかもしれません。または、燃えるソドムを見ながら、ロトの家族を救ってくださいと、神に祈り願っていたのかもしれません。私は、この時のアブラハムの、さまざまな感情の入り混じった表情を思い浮かべると胸が痛くなります。また、それと同時に、主のご計画の前に、私たちはほんの小さな蟻のような存在であることをひしひしと感じます。しかし、その中でも、蟻のようにちっぽけな私たちですが、神は、私たちの思いを知っていてくださる事実に励まされます。アブラハムはその事実はその時知りませんでしたが、29節に神の憐れみが記されています。●「こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。」神はアブラハムの思い、あの神と折衝をした真の動機をご存じで、ロトに憐れみをかけてくださいました。

私たちは、近年、大きな地震や自然災害を経験し、多くの人が亡くなり、また、今だに生活に不自由を感じておられる方々がいらっしゃいます。神のご計画は私たちにははかり知ることはできません。どうしてですかという問いに対して、私たちが答えをもっていないことははるかに多い。しかし、神は私たちひとりひとりの思いをご存じです。私たちの思いが、神のご計画に沿うもの、神のご計画を邪魔しないものであれば、神は憐れみをかけてくださいます。私たちは、神のご計画に従うしかないのですが、祈りを積むこと、祈り続けることはできます。ひょっとすれば、その祈りは神のご計画に沿うものかもしれませんし、またご計画の邪魔をしないものかもしれません。また、そのように願いながら祈りをささげるわけであります。アブラハムの神との折衝は、成功しませんでしたが、アブラハムの思いを神はくみ取ってくださいました。そして、結果的に、ロトの家族はソドムの滅亡から逃げることに成功しました。その意味でアブラハムの目的は主によって成し遂げられたと考えられるでしょう。

さて、ここで天国長屋の八さんと熊さんにバトンタッチいたしましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: いやぁ、ロトの奥さんの気持ち、なんとなく分かるような気がするわ。

怖いもの見たさってあるよなぁ。

熊: せやなぁ。ソドムの町がどのようにして滅びるのか見届けたい気もせんでもない。

けんど、神様が「振り返ってはあかん」って言い張ったんやから、そうせなあかんわな。

八: そこやがな、そこが人間の弱さちゅうもんやろ。「あかん」って言われたらやりとうなる。

熊: まあ、エバはんも、「食べたら死ぬ、食べたらあかんでぇ」って言われたから、

余計に食べとうなった。ソドムの生活に戻りたいと思ってたかもしれんけど、

しかし、やっぱり興味本位やったんやろなぁ。

八: そう、けんど、その興味本位の行動には、ソドムを憐れむという気持ちはない。

そこにひょっとしたら、罪があったかもしれへんなぁ。

ソドムに住んでる友人もいたやろうし、使用人もおったやろうし。

命からがら逃げてきたのに、安全なところまで来て、振り返るちゅうのは、

その友達や使用人に対する憐れみではあれへんなぁ。

熊: せやなぁ、そこに罪が潜んでいて、ロトの妻は塩の柱にされたのかもしれんな。

八: それと、若さん、ロトの家族が、ソドムの滅びから逃げおおせたことに対する、

神様への感謝がないちゅうことから、わてらもそうなってはあかん、ゆうてはったな。

熊: わてらが、神様への感謝の気持ちを忘れたとしたら、

わてらはもう信仰がのうなったと言われても仕方がないなぁ。

八: わてな、そこで思い出したんやけど、イエス様の10人の皮膚病の癒しや。

熊: ああ、それって、10人の皮膚病患者がイエス様によって癒されたけど、

感謝のお礼をイエス様に伝えに帰ってきたのはたったの1人、それもサマリヤ人。

っていうところやな。ルカによる福音書の17章。

八: 10人の皮膚病は癒された、けんど本当の救いにあずかったのは、

その感謝を告げにイエス様のもとにもどってきた人だけやった、ちゅう話やな。

熊: 神様への感謝、イエス様への感謝は、どれだけ大切かちゅうことや。

神様への感謝の気持ちが、救いに導くともいえるんとちゃうか。

八: ロトの奥さんも、感謝がなくて、興味本位で振り返った、そこがあかんかったんやろなぁ。

熊: ところで、八。わては、ちょっと気が付いたことがあるんやけど、ええか?

八: なんや、ゆうてみぃな。

熊: 18章のところでは、3人の御使いがアブラハムはんに現れはった。

そして、ソドムを見下ろすところで、アブラハムはんと正しい人の人数のことで

折衝しはった。ところが、19章でソドムについた御使いは2人や。

もう一人はどこいったんやろ?

八: あ、熊気ついてた、初めは3人やったよな。1人どこいったんやろ。

ひょっとしたら、ゴモラやほかの町を滅ぼしに行ったのかもしれんな。

熊: わて、なんか気になってしぁーないねん。

八: 熊、横丁のご隠居のゆうとったでぇ、あまり細かいことに気とられてたらあかんでぇ、

って。御使いの3人が2人になるのも、御使いが見えてること自体不思議なんやから、

もう1人は見えんかっただけかもしれん、てな。

熊: そうか、御使いは見えなくてもいはる。そう思たらええねんな。

八: ところで、熊、アブラハムはん、御使いと別れたところまで行って、

燃えているソドムを見下ろしていたやろ。アブラハムはん、何してはったんやろな。

熊: よう、聞いてくれた。わて、映画好きやんか。あそこのシーン、

めっちゃ撮影しがいがあるねん。こうや。、、、ロトの家族がやっとこさ、

小さな町に逃げ込む。そして、突然、後ろにはソドムが滅ぼされる大火や。

煙ももうもうと出とる。大音響や。安堵していたロトたちに襲いかかる大音響。

ドドーン!それにつられて、ロトの後ろにいた妻が振り返ってしまう。

ロトは何か妻に異変が起きたのを悟るが、ふりかえられへん。

そして、パッと状況が変わって、

カメラアングルは、山からソドムを見下ろしているアブラハムの姿がアップや。

アブラハムの顔の表情が大事やで。神を恐れる顔、ロトたちの安否を思う顔、

けんどいろんな感情をこらえて、じっと燃えるソドムを見つめている。

無言で見つめながら祈ってるんや。そして、またロトと娘たちが町をでて、

人里離れて山に暮らすシーンとつづくんや。あのアブラハムはんの、

ソドムを見下ろす場所で立ち尽くしてのアブラハムはんの顔のアップが

この物語の流れを引き締めとる。この映画を観る人は、あのシーンが

アブラハムはんとロトはんの今生の別れを示していることに気づくんや。

それと、ロトたちの神に身をゆだねないあがきと、それと対照的な、

アブラハムはんの平安が描き出されてて、観客は、自分の思いやなくて、神に信頼し、

身をゆだねることの大切さを知るんや。、、、どや、八!

八: 語るなぁ、熊がそれだけ映画好きやとは、はぁ、たまげたわ。

熊: 神様がこの19章のロトはんの物語の中に、27節と28節の中にアブラハムはんの姿を

はさみはった。それもアブラハムはんは、あの場所から立ってソドムを見下ろしている

だけや。神様はすごいでぇ。これだけで、主に従うことの大切さを表されるんやから。

大した脚本家や。

八: もう、映画の話はええねん。若さん、熊、映画の話が止まらんようになってます。

そっちにお返ししますさかい、よろしゅうおたのもうします。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。熊さん、映画好きだったのですね。けれど、熊さんの興奮度、ようわかるような気がします。あの熊さんが描いたアブラハムの姿、あれこそが、主に従順に従う者の姿なのでしょうね。平安がある時とない時の私たちの姿が、ロトとアブラハムによって浮き彫りにされた形です。そして、その平安も、神を恐れる気持ちと生かされているという感謝と人を思う祈りとによって、私たちの心にとどまってくださるのでしょう。私たちの心にとどまってくださっておられる助け主であられる聖霊様が、その平安の泉であります。聖霊様はどんなことがあろうとも、私たちの心にとどまり、皆さんを平安で包もうとされます。どうか、聖霊様の働きを感じ、感謝と賛美をささげましょう。ロトとアブラハム、あなたの今はどちらでしょうか。

では、宣言をしたいと思います。今日は、「主はわが平安」です。この言葉によって、主の御名をほめたたえましょう。

「主はわが平安!」「主はわが平安!」「主はわが平安!」

黙想をいたします。神様に心のすべてをお見せください。

黙想の時にお読みするのは、詩篇33篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書14章38節。

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

黙想いたします。詩篇33篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:愛を伝えるために

https://www.youtube.com/watch?v=2JMvurLCEjw&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&index=6

讃美⑦:キリストには代えられません

https://www.youtube.com/watch?v=MDR0io7xfrc&list=RDGMEMh4ho32HRiKMrIgi8ns9a9w&index=15

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の7月10日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記20章