ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2022.7.10主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2022年7月10日主日礼拝式を始めます。
賛美①:カルバリ山の十字架
https://www.youtube.com/watch?v=zF_b6fz_6R8
賛美②:神の国と神の義
https://www.youtube.com/watch?v=Yr4jKz_7usg
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:愛の絆 (7月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=TaIUDJUsvYU&list=RDZWktcXSPVCY&index=20
賛美④:わが心の目を
https://www.youtube.com/watch?v=JCzDsZF8lUw
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
讃美⑤:罪重荷を除くは&マジェスティ
https://www.youtube.com/watch?v=R8binzr4T24
【YOUTUBE配信開始】
2022年7月10日 主日礼拝メッセージ
メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
●聖書拝読:創世記20章(新改訳聖書)
中心聖句:
「神は夢の中で、彼に仰せられた。『そうだ、あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。』」(6)
メッセージ主題:『聖霊の声に聞き従う恵み』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
●メッセージ
アブラハムは、やっちゃいました。アブラハムは、創世記12章の時のように、つまり、飢饉のときにエジプトに下った時と全く同じ罪を犯してしまいました。妻であり、母の違う妹でもあるサラを、自分の身を守るために、「妹」としてだけしか紹介せず、12章の時にはエジプトの王パロに、そして今回は、ゲラルの王アビメレクに、多大なる迷惑をかけました。パロもアビメレクも全く悪くないにもかかわらず、神は彼らに忠告し、サラを妻として迎えることを阻止されました。その上、彼らが神を恐れるがゆえに、家畜や奴隷や金銭もアブラハムに持たせて、厄介払いをしました。聖書は、ここに、二つのことを示されています。
一つは、信仰の父と呼ばれたアブラハムも、自分の命が危険にさらされると、保身のためのウソをついてしまう、それも2度も同じ手口で。1回目のときに全く学んでいないことを示しています。いえ、1回目が結果的に、おいしい汁を吸ってしまったので、2回目も、となったのかもしれません。ここに人間の根源的な弱さが映し出されています。人間は命の危機にさらされた時、保身のためのウソをつく、可能性があるということです。こういう時、いつも使徒ペテロを例に出すので、ペテロに申し訳ないのですが、ペテロは、イエス様に次のように言いました。●「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33) これは、本心でありました。しかし、本当にイエス様が祭司長たちにつかまり連れて行かれた時には、そんな強気はどこ吹く風。近くにいた人に「この人も、イエスといっしょにいました。」と訴えられた時、ペテロは「いや、違います」と三度もイエス様の弟子であることを否定してしまいました。人間は弱いものです。ペテロの汚名返上のために申し上げますが、ペテロは、そのことで激しく泣いて悔い改めました。一方、アブラハムが、ウソをついたことで悔い改めたとは記されていません。が、しかし、17節に●「アブラハムは神に祈った」とありますから、ここで悔い改め、そして、アブラハムのウソのゆえに迷惑のかかっている、アビメレクやその妻、および、はしためたちの癒しを祈ったのでしょう。
もう一つのことは、「神は約束を必ず守られる」ということです。神はアブラハムに「子孫を星の数ほど増やす」と約束されました。その約束を守るためには、息子イサクを誕生させる必要があります。そして、後々の救い主イエス様を誕生させるご計画を成就させるためにも、アブラハムとサラを守らなければなりません。いえ、アブラハムだけではありません、イサクやヤコブ、ずっと後のダビデやソロモンもみんな罪を犯しますが、神は彼らを志し途中で滅ぼすことはしませんでした。それもこれも、イエス様を誕生させ、十字架に架け、全人類の罪を、イエス様のいのちによって贖い出す、神の愛のご計画を成就させるためであります。私たちは、その恩恵にあずかっていることを覚えておかなければなりません。ヨハネの福音書3章16節はまことに真実です。●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」神のこのご計画のために、アブラハムがあり、イサクやヤコブ、ダビデやソロモンがあるのです。これが、私たちに対する神の約束です。そして、神は約束を必ず守られる方であります。
さて、何かもう今日の説教はこれで終わらせてもいいのではという感じなのですが、この創世記20章の、罪まみれのアブラハムの姿、いえ、最後の方の17節だけは、「アブラハムは神に祈った」とありますから、ちょっとだけいいところもあるのですが、今日、私が示されたのは、アビメレクの主を恐れる正しい態度です。3節●「神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。『あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。』」それに応えてアビメレクは、4節5節●「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」と主張します。まことに、まっとうな意見です。それに対して神は、次のようにおっしゃいました。6節●「そうだ、あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。」アビメレクはアブラハムとサラの間に何か不自然なもの、兄と妹という関係以外の何かを感じていたのかもしれません。それが、ひょっとしたら聖霊の働きだったのかもしれません。そして、それがアビメレクに罪を犯さないようにした神の恵みなのです。
私たちは、ふだん、「悪い予感がする」とか「いい予感がする」とは言います。また「第六感」というものあります。もちろん、これがすべて聖霊の働きかどうかは分かりませんが、それを感じるところに聖霊が働いていることもあると考えるのは間違いでしょうか。あながち、間違いとも言い切れないのではないのでしょうか。もちろん、予感や第六感を重視しすぎると、間違った方向に行ってしまう危険ははらんでいます。祈り込んで、事にあたらないといけないのでしょう。鍵は、その予感や第六感に平安が伴っているか、祈り込み平安が与えられるかでしょう。
アビメレクは、「神がアビメレクに罪を犯さない(ここでは、アブラハムの妻サラと婚姻関係になること)ようにした」ことで、災いを回避するという恵みが与えられました。これは、夢の中で神がアビメレクに語りかける前のことですから、アビメレクに何らかの不都合が生じて、婚姻関係が遅れたのでしょう。アビメレクは、無理強いをせず、その不都合に合わせた、つまり状況に従ったのでしょう。
ここに私たちが学ぶべきことがあるような気がします。聖霊は常に私たちに働きかけてくださっています。後押しをしてくださることもあれば、ストップをかけることもあります。聖霊が後押しをしてくださっている時に、気おくれして、無理にブレーキをかけてしまうことにならないように、また聖霊がストップをかけているにもかかわらず、無理強いしてしまうことにならないように、することが大切です。では、それをどのようにして見分けるのでしょうか。私の場合は、祈り込む中で、平安があるかどうかで判断します。しかし、その判断が正しいかどうかは、残念ながら、結果によってでしか確認できません。
例えば、この小阪チャペルですが、まずは、どうして、まったく知らない土地である東大阪の小阪で、開拓伝道しないといけないのか、自分ではまだまだ納得いかないまま、教会の場所を探し始めていました。ある事情がその起因となっているのですが、祈りの中で小阪が導かれました。しかし、それは確信ではなく半信半疑でした。とにかく、予算内で場所が見つからなければみ旨ではなかったのだと思おうとしていました。しかし、ある場所が候補地として与えられました。いえ、与えられてしまいました。今の小阪チャペルの場所ですが、もともとカラオケ喫茶で防音設備がなされていました。祈る中で、平安が与えられたので、主がここで始めなさいとおっしゃるのだなと思いました。ここで覚悟がきまりました。しかし、このことに気をよくした私は、大家との折衝の中で、自分の理想的な教会堂にしようと思ってしまいました。この時、私は、主がここを示されたのだからと思い、祈り込むことを忘れて、改築の計画を進めていました。ところが、改築は大家さんと折半することになっていたのですが、改築の費用が予想をはるかにこえ、大家さんの方から、この話はなかったことにしてくれと、賃貸の契約が途中でキャンセルされました。「え!主よ、この場所ではなかったのですか」この時点では、小阪での開拓伝道は、場所を探し始めたときよりは、はるかに、このことが主の御心だろうと思い始めていましたので、ショックではありましたが、平安があり、再び場所を祈りながら探し始めました。しかし、3か月経っても一向に、適当な場所が見つかりません。そして、その3か月の間に、私が改築の計画をしたとき、祈り込んでいなかったことが、まったくの傲慢、つまり「主に導かれたのだから何でもできる」という傲慢であったと示され、悔い改めました。その時に示されたのが、「そのまま使いなさい、大家の負担を最低限にしなさい」という聖霊様の声でした。それからすぐに大家さんが再びカラオケ喫茶の場所を貸し出すという情報を得て、連絡しました。大家さんは、床の張替え、壁紙の張替えと天井のペンキ塗り、そしてカウンターの撤去などを申し出てくださいました。私は、主から「そのまま使いなさい」という声に従って、床や壁の張替えや天井のペンキ塗りだけをお願いし、カウンターやソファーやテーブルはカラオケ喫茶の時のまま使わせていただくことで、大家さんの撤去費用を軽減することにしました。この合意は、まったくの平安の内に進められました。そして、すべての費用は大家さんが出してくださることになりました。
そして、主がなぜ小阪に私を導いたのかは、小阪チャペルを開き3か月が経とうとしていた12月、私が結婚を決めた時に分かりました。今では私の愛する妻である恵子さんは、20年間、この小阪に暮らしていたことが分かりました。また、今年になって礼拝を夕拝にしたことで、皆さんがいらしてくださるようになり、新居も与えられた今、主が今後どのように導いてくださるか、祈りつつ楽しみにしております。
アビメレクは、聖霊の導きに従って、いえ従うというよりは身を委ねて、救われました。聖霊の働きに意識的に従うということもあれば、無意識的に身を委ねるということもあるでしょう。聖霊の働きを邪魔しないことです。それには、祈って祈って、祈り込んで平安に導かれることです。
さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: やらかしましたなぁ、アブラハムはん。
熊: ほんまやで、2度目やで。学びはれへんなぁ。
八: 八、あんたも偉そうなことは言われへんでぇ。
熊: たしかに。人のこと言われへんわ、わても。
けんどな。ちょっと腑に落ちんことがあるねん。
八: 腑に落ちんこと? いったいなんなん?
熊: サラはんって、えらい別嬪さんやったんやろ。
八: そやでぇ。エジプトのパロはんも一目ぼれやさかいな。
熊: まあ、パロはんの時はええわいな。けんど、アビメレクはんはおかしいんとちゃう。
八: 八、ちょっと失礼とちゃうか、アビメレクはんに。
熊: だって、そやないか、90歳のおばあちゃんサラやでぇ。しわしわのサラはんと結婚しようやなんて。物好きにもほどがあるで。
八: まあ、蓼食う虫も好き好き、ゆうからなぁ。けんど、サラはん、若返ってるかもしれんでぇ。
熊: サラはんは、魔女かい!そんなはずないやろ。いや、少なくても美魔女かもなぁ。
八: いや、きっと若返ってるにちがいあれへん。
だって、もうすぐイサクはん生まれはんねんでぇ。
恐らく、30歳ぐらいに戻ったんとちゃうやろか。
熊: げげっ、アブラハムはんが100歳で、サラはんは30歳かいな!そんなあほな!
八: あほぅ! 神様は無から有をお造りになられるかたや。そんなん、おちゃのこさいさいや。
熊: まあ、そりゃそうやろうけど。はぁ、サラはんが30歳なぁ。
ほんなら、恐らく、ハガルはんとどっこいどっこいの年やろ。
ハガルはんもびっくらポンや!
八: サラはん、青春とりもどしたでぇ!ちゅう感じなんちゃうか。
熊: いやぁ、それにしても、アビメレクはん、命拾いや。
八: そやなぁ。神様が夢の中で忠告せえへんかったら、死んでるかもしれへん。聖霊様の働きにさからわんと、サラはんを嫁はんにせぇへんかったんやからな。
熊: いや、わての言うてんのは、そことちゃうねん。
八: じゃあ、なんで命拾いなんや。
熊: 30歳のサラはんと一夜共にして、朝起きてサラはんみたら。
八: みたら、どうしたちゅうねん。
熊: 横に、90歳のおばあちゃんや。
八: うあっ、なんか鳥肌たってきた。
熊: 同じ鳥肌立つんやったら、ええことで鳥肌立ちたいなぁ。
八: ほんまや。鳥肌もんは、聖霊様の働きだけでええ。
わてらを自己中心から遠ざけてくれはる。
熊: 傲慢や、強欲や、高慢から、わてらを引き離してくれはんねんから、ありがたいなぁ。
八: アビメレクはんかてそうや。聖霊様が働いてくれはったからこそ、素直な気持ちで夢のお告げを受け入れはった。アビメレクはんが、夢のお告げを素直に聞き入れたのも、聖霊様が働いてくれはったからや。聖霊様がアビメレクはんを変えはったんや。神様の声が聞こえるように、変えはったんや。
熊: ということはなにかえ、アビメレクはんは、知らず知らずのうちに聖霊様によって、神様を受け入れるように変えられはったちゅうんか。
八: そうやろうなぁ。ほら、パウロはんもゆうてはるやないか。1コリント12章3節●「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」 わて、あれはな、もう聖霊様によって、すでに変えられつつある証拠やと思てるねん、信仰告白ってな。
熊: ほな、わてらが願うていてもいなくても、聖霊様によって変えられつつあるちゅうことか。
八: せやがな。「求めよ、さらば与えられん」ちゅう御言葉があるけんど、「求めなくても、それが神様の御計画であれば、くださるねん。そして、求めれば、より一層、あたえられるんや。
熊: そうか。せやから、求める前でも、わてらは変えられていくんや。
八: せやで。アビメレクはんは、神様の声に聞き従ったんやけど、その以前から、じょじょに変えられていってはったんや。
熊: それはうれしいなぁ。わてらはすでに救われるために、イエス様を受け入れる準備を、聖霊様がなさってくださっているちゅうことなんやな。
八: ありがたい話やないか。なあ、若さん、若さんはどう思いはりますか?
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。本当に八さんのいう通りやと思います。私たちは、イエス様を信じる信じない以前に、神様からの恵みを受け取っています。神様は、この素晴らしい地球を与えてくださり、信じる者にも信じない者にも、太陽の光をあびせ、雨をふらせてくださいます。この神様の恵みの中で、私たちは聖霊様によって、神様を信じるようにと整えられてきているのではないでしょうか。そして、救い主であるイエス様を受け入れる準備を、聖霊様がしてくださっています。そして、イエス様を信じ受け入れると決心した時点で、聖霊様が私たちに目を開かせてくださいます。まるで、パウロの目を見えなくしていたウロコのようなものがポロっと落ちるのと同じように、私たちは、神様の恵みの中に行かされていることが分かるのであります。そして、神様に悔い改めることこそも恵みであると気づくのであります。聖霊様の働きによって、神様の恵みを知る者とさせていただきましょう。
では、宣言をしたいと思います。今日は、「私は聖霊の声に聞き従う」です。これは聖霊の声を聞こうとすることが前提であります。これは神様からの恵みでもあります。この言葉によって、主の御名をほめたたえましょう。
「私は聖霊の声に聞き従う」「私は聖霊の声に聞き従う」「私は聖霊の声に聞き従う」
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇92篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書10章41-42節。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
黙想いたします。詩篇92篇。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑥:恵み
https://www.youtube.com/watch?v=5iZG5J_pJO0
讃美⑦:いつも喜んでいよう
https://www.youtube.com/watch?v=A7xvMST4fIk
●礼拝と献金の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の7月17日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書:創世記21章