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メッセージ主題:『完全なる救いが目の前に』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.7.17主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年7月17日主日礼拝式を始めます。

 

賛美①:雨を降り注ぎ

https://www.youtube.com/watch?v=GZNRdYKE7RA

賛美②:栄光イエスにあれ、主は良いお方

https://www.youtube.com/watch?v=h75j00LVVWE

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:愛の絆 (7月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=TaIUDJUsvYU&list=RDZWktcXSPVCY&index=20

賛美④:主イエス神の愛

https://www.youtube.com/watch?v=mKsz4brSJvg

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:ホザナ

https://www.youtube.com/watch?v=J3p9mDBOCAs

【YOUTUBE配信開始】

2022年7月17日 主日礼拝メッセージ

メッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記21章(新改訳聖書)

中心聖句:

「神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた。」(19)

メッセージ主題:『完全なる救いが目の前に』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

●メッセージ

サラは、主の約束通り、イサクを生みます。しかし、エジプトの女ハガルの生んだイシュマエルがイサクをからかい、いじめるところを見てしまったサラは、アブラハムに言って、ハガルとイシュマエルを追い出させました。アブラハムにとってはどちらも自分の子でありますから、悩みました。しかし、神がアブラハムに、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」と告げ、また、イシュマエルも一つの国民とするとアブラハムに約束され、アブラハムは彼らを追放することを決心し、そのようにします。ハガルは、アブラハムの神を信じ、14年間忍耐をもってサラに仕えましたが、結局追放されてしまいます。ハガルは、パンと水の皮袋だけを渡され、アブラハムと別れます。14年間忍耐してサラに仕えた結果が、パンと水だけを持たされての追放でした。べエル・シェバの荒野をさまよい歩くハガルとイシュマエルは失意のどん底にありました。14年前に一度はアブラハムの元を去ろうとしたハガルでしたが、神に思いとどまるよう促され、その神を信じることで、身を低くしてサラに仕えていましたが、とうとう追い出され、それもおそらく無一文で、わずかな食糧と水を与えられただけでした。これは、奴隷が自由の身となるときのしきたりでもありました。いくら奴隷の女とその子が自由の身となるとはいえ、不本意な追放であり、ほとんど何も持たされずに荒野に追放された現実に対して、悲壮感しかハガルにはなかったでしょう。しかし、そのハガルに神は臨みます。神は御使いを通して次のようにハガルに告げました。●「ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。」アブラハムの信じる神を信じていたハガルは、そこで目が開かれます。そして、井戸を見つけ、九死に一生を得ます。

さて、今日の核心にふれていきましょう。神はハガルのために井戸を目の前で造ったのではありません。あらかじめ、ハガルのために用意していた井戸を、ハガルの目を開いて、そこにあることを気づかせました。そして、その井戸は、命を長らえさせ、生きる気力を取り戻すのには十分でした。まさに、その井戸の水は、ハガルとイシュマエルにとっては、いのちの水でした。

私たちにも同じことが言えます。神のひとり子であるイエス・キリストは、私たちの救いのために生まれ、十字架につけられ、三日目に死を克服して、天に上り、永遠のいのちを再び与えられました。そして、全人類のために、全員が救いにあずかり永遠のいのちにあずかることのできるチャンスを整えられました。イエス・キリストを信じる者には、その永遠のいのちのチャンスが確実なものとなり、イエス・キリストとともに神の共同相続人となり、神によって造られた創造物である私たちが、神のすべてを相続する者とされるのです。神によるイエス・キリストを通しての救いと永遠のいのちは、すでに整えられています。それは、あたかもハガルには最初は見えなかった井戸のようなものです。神はすでに、私たちの目の前に、イエス・キリストという救いの井戸、永遠のいのちの井戸をご準備くださっておられるのです。ハガルは神によって目が開かれました。私たちも同じです。聖霊という神によって、目が開かれ、イエス・キリストを信じることができるのです。パウロは1コリント12章3節で、●「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」と唱えている通りであります。また、先週のメッセージの中のアビメレクも聖霊の働きによって神の声を聞ける者に変えられました。聖霊は、信じる者にも今だ信じていない者にも、常に働きかけておられます。それは、神の自然的な恵みが、信じる者にも信じない者にも降り注がれているのと同じであります。ただ、違いは、その人その人それぞれに信じる時があるということです。信じるのは私たちの努力ではありません。主の憐れみでしかありません。そして、それは聖霊の働きです。ハガルのように目が開かれ、主の憐れみに触れることができるのはいつなのか、私たちにはわかりません。そして、すでに心の目が開かれている人が、いつ、信仰の深みへと目が開かれていくのかも、聖霊の働きであり、私たちの努力ではありません。イエス・キリストの証人として、たくさんの人に証しをしたからといって、信仰の深みに導かれるものでもありませんし、聖書をたくさん読んだから導かれるというのでもありません。もちろん、証をすることも、聖書を読むことも、とても大切なことですし、なによりも主が喜ばれていることでしょう。しかし、だからと言って、信仰の深みはご褒美ではありません。また、同様に、イエス・キリストを信じるということも、教会に足しげく通い、礼拝メッセージをたくさん聞くから、そのご褒美として信仰が与えられるものでもありません。すべては、主の憐れみです、聖霊の働きです。ですから、私たちにはわからない主の時がございます。

では、私たちは何をすべきなのでしょうか。もちろん、聖書を読むことも、礼拝を守ることも、メッセージに耳を傾けることも、祈ることも、主にあって喜ぶことも、すべてに感謝することもとても大事です。これらに加えて、私は、主に求めることだと思っています。「求めよ、さらば与えられん」と言われていますが、私たちは本当に真剣に求め祈っているでしょうか。または、しつこく求め続けているでしょうか。イエス様の小犬の話を思い出してみてください。いのちのパンくずの話です。マタイの福音書15章21節~28節です。カナン人の女の娘が悪霊に取りつかれていたので、イエス様に癒しをお願いしたのです。しかし、イエス様は、イスラエルの人々の救いのために遣わされていることを理由につれない返事をしました。しかし、その女は引き下がらず、なおもひれ伏して願います。イエス様は、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです」と告げたのに対して、女は、「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と返します。イエス様は彼女の信仰に感心し、その女の娘を癒されます。このように求め続ける姿勢、あきらめない姿勢がとても大切だと思うのです。

また、私たちはイエス様を、いつも心を開いて迎え入れる必要があるのではないでしょうか。イエス様がエルサレムに入ったとき、●「多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。『ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。』」(マルコ11:8-10)民はイエス様をいままで期待してきた救い主として「ホサナ:どうぞ救ってください」と迎え入れました。彼らは、イエス様がローマの圧政から救い出してくれるものと期待していました。しかし、イエス様がその数日後にローマ兵によって拘束され、彼らの勝手な期待は裏切られたかたちとなり、イエス様を「十字架につけろ」と叫ぶようになってしまいます。民衆は、ローマ軍からの解放を願っていましたが、イエス様は、罪からの解放、たましいの自由を全人類に与えるために来られたのでした。そして、私たちもその恩恵をうけています。それですから、私たちも「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。」とイエス様を喜びをもって、心から受け入れなければなりません。私たちは、当時のエルサレムの民衆のように、目の前にある具体的な状況からの解放を願うのではなく、どんな状況下にあっても、変わらない、邪魔されない、罪からの解放、たましいの自由を望むべきであり、それでなければ、エルサレムの民衆のようにイエス様を呪ってしまうことになりかねません。

神の救いは完璧です。詩篇18篇30節ではそのことが記されています。●「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾」神は、欠けの多い私たちと違って、すべてにおいて完全であり、神の救いはゆらぐことはありません。御子イエス・キリストによって、救いは完成されました。しかし、イエス様のミッションは、聖霊という形で、まだまだ続いています。聖霊の働きによって、私たちは、心を開き、「ホサナ。祝福あれ。」と日々唱えつつ、主を受け入れ、イエス・キリストの似姿に変えられていくのです。

さて、ここで、天国長屋の八さんと熊さんに登場していただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: ハガルのべエル・シェバでの井戸は、ハガルとイシュマエルを救い励ますために、

あらかじめ用意されていた。これは、励みになるなぁ。

熊: わてらにもイエス様の完成された救いの御業が、わてらの目の前に用意されている。

けんど、その御業が見える時こそが、わてらがイエス様に心を開かせていただく

ときなんやな。

八: そや、ハガルの目が開かれたように、わてらの目が開かれた時が救いの時やし、

わてらが、もう一歩イエス様に近づくことができる時なんやろうな。

熊: けんど、ハガルはんは、神様の声が聞こえた。わてらも神様の声聞こえるんやろか。

八: ほら、先週若さんがゆうてはったやないかいな。聖霊様が働いてくださって、

神様の声を聞こえるようにしてくださるんやて。

熊: そやなぁ。聖霊様が働いてくださらんと、わてらには聞こえへん。

けんど、わてらはなんもせんでもええんか。

八: そやな、なんかせんと悪い気がするなぁ。

熊: ボーっと待ってるちゅうのもなぁ。

八: ほら、詩篇にこんな聖句があるやんか。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」って。

熊: ああ、詩篇46篇10節やな。新改訳聖書やったら、「やめよ。わたしこそ神であることを

知れ」ちゅうところやな。「やめよ」ちゅうのは、「無駄な企てをやめて、静まれ」

ちゅうことやゆうてはったで、横丁のご隠居はんは。

八: そうや。無駄な考え休むに似たり、ちゅうこっちゃ。人間の知恵であれこれ考えんと、

神様の知恵を求めるために、神様の前で静まっていなさい、ちゅうことや。

熊: それが、神様の御声を聞くちゅうことかいな。

八: 熊、人の話を聞くときは、その人の話に耳を傾けるちゅうこっちゃろ。

しゃべってたら、人の話、ちゃんとは聞けんわな。また、しゃべってなくても、

いろいろと考え事してたら、人の話、あたまに入ってこえへんやろ。

熊: やから、神様の前で、静まれと。じゃあ、座禅くんでたらええんとちゃうか。

八: んん、、、座禅のことはようわからんけど、己をなくして、無我の境地にいたるちゅうのと、

静まって、神の声を求めるちゅうのとでは、ちょっと違う気がするなぁ。

けんど、座禅に近いことは、神様の声を聞きやすくするのかもしれんなぁ。

熊: 神様の声を純粋に聞こうとする誠実な態度が必要やねんな。

八: それが、わてらのできる最大のことかもしれん。

熊: けんどハガルはんは、なんで神様の声が聞こえはったんやろ。

八: それは、必死やったからかもしれんけど、神様の憐れみやわな。

だって、イシュマエルはんを死なすわけにはいかんやないか。

神様は約束を守るお方や。イシュマエルはんは、アブラハムはんのお子や。

そのお子の子孫は、星の数ほど増えるという約束やから。

熊: そやから、神様は井戸をご用意されてた。そして、聖霊様の働きによって、

神様の声が聞こえるようになり、また目の前にあった井戸が見えるようになった。

八: そやで。わてらも同じや。イエス様という井戸はもうわてらの目の前にご用意されてる。

これは神様の約束や。ヨハネの福音書の3章16節「神は、実に、そのひとり子を

お与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、

ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

この約束を神様は一方的にしてくださった。

熊: 恵みやなぁ。この恵みは全員にチャンスがある。

けんど、神様はひとつだけ条件を出しはった。

それが、「御子イエス・キリストを信じる」ちゅうことや。

八: そのために神様はイエス様をこの世にお送りくださったんや。救いの井戸はもう、

わてらの目の前や。永遠のいのちの水は、もうちょっとで飲めんねん。

けど、その井戸の場所は、聖霊様の働きで、分からしてもらわなあかん。

熊: ハガルはんは神様の声を聞いて、その声に聞き従いはった。2度も。

1度目は14年前。シュルへの道にある泉のほとりや。そして2度目は、

ベエル・シェバの荒野や。どっちにも水があった。生ける水や。

その水を飲むものは生きるんや。

八: 熊、なるほどなあぁ。水か。たしかに、イエス様もおっしゃってはったなぁ。

ヨハネの福音書7章38節●「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、

その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

熊: その生ける水って、聖霊のことやろ。次の節でゆうてはった。

八: そやで。結局、わてらの心にお住まいくださる聖霊様は、

わてらの心の生ける水でもあるし、泉でもあるんや。

熊: ええな、ええなぁ。その聖霊様の泉は枯れることがあれへんねんから。

八: さあ、もうこの辺で、若さんにバトンタッチしよ。若さんよろしくお願いいたします。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。私たちには、ハガルと同様、完全なる救いが、イエス様を通して、私たちの目の前に備えられています。聖霊様によって、目を開かれ、イエス様という救いの井戸を見つけられる人は幸いです。また、イエス様を信じる人たちにとっては、聖霊様が信仰の深みへと私たちをいざなってくださいます。どうか、主の声に耳を傾けるべく、静まって主を求め、主のご臨在を確信しましょう。

では、宣言をしたいと思います。今日は、「静まって主を求めます」です。求めれば必ず主は、何らかの答えを出してくださいます。そして、その答えは、私たちにとって最上のものであります。主への求めは必ず答えられることを確信しましょう。勇気をだして、宣言しましょう。

「静まって主を求めます」「静まって主を求めます」「静まって主を求めます」

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇46篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書14章27節。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

黙想いたします。詩篇46篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:静まって知れ still

https://www.youtube.com/watch?v=cF8vUKQAhwM

讃美⑦:主イエスの十字架の血で

https://www.youtube.com/watch?v=0HDeZ6KnlNM

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の7月21日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記22章