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メッセージ主題:『主の仰せのとおり』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.8.7主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年8月7日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもって主にささげましょう。

賛美①:神の国と神の義を

https://www.youtube.com/watch?v=WjA6HfhG9qg

賛美②:主は今生きておられる

https://www.youtube.com/watch?v=EvCLEk74JU8&t=43s

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:慕い求めます (8月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=ofFHpYHlwpI

賛美④:大いなる方に

https://www.youtube.com/watch?v=NO-udR8H8vw

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

讃美⑤:主と共に歩む、わが心の目を開いてください

https://www.youtube.com/watch?v=Dn4YQCjX4G0

【YOUTUBE配信開始】

2022年8月7日 主日礼拝メッセージ

神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記24章(新改訳聖書)(34節~61節)

中心聖句:

「するとラバンとベトエルは答えて言った。『このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。』」(50-51)

メッセージ主題:『主の仰せのとおり』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

創世記24章は、アブラハムのひとり息子イサクとリベカの結婚です。アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべ、恐らくエリエゼルのことでしょう、そのしもべに、イサクの嫁探しを命じました。しもべは、その大役を果たすべく、アブラハムの弟ナホルの住んでいた町ハランまで来ます。そこで、主に祈ります。その祈りはそのしもべの知恵からでたというよりも、聖霊様がそのように祈ることを導かれておられる感じです。そして、その通りにリベカが現われ、そのしもべの一行をもてなします。そして、しもべは祈りの通りに事が進んでいることが、主の導きであることをさとり、ひざまずき、主を礼拝します。そしてリベカの兄ラバンのところに行き、これまでのことをラバンに説明します。もちろんしもべは、ラバンの妹、リベカをイサクの嫁として迎えたいことを申し述べているのですが、神の御業を興奮をもって伝えていると言ったほうがよいような感じで、初対面のラバンに主を証ししています。まずは、自己紹介をし、アブラハムがしもべを遣わした目的を述べます。そして、これが主が導いてくださったと証ししているのです。44節●「そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。」しもべは確信をもって、ラバンに伝えます。そして、ラバンもこれは主の導きであると確信します。

50節●「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」

このことでお分かりのように、この24章は、イサクの嫁とりの物語ではありますが、信仰による勝利の証しなのであります。

アブラハムは、しもべにイサクの嫁探しを託したとき、二つの条件を出しました。条件①嫁はカナン人の中ではなく、アブラハムの故郷に行き、親族の中から選ぶこと(3,4節)。つまり、同じ神を信じる信仰をもつ者との婚姻。条件②イサクを約束の地カナンへ連れ戻すこと(6-8節)。継承者イサクを信仰から離れさすようなことのないようにすること。これは、現代の教会においても同じことがいえるのではないでしょうか。婚姻関係だけのことではありません。交わりも同じです。同じ神、そして同じ御子イエス・キリストを信じる人たちとの親密なる交わり。そして、イエス・キリストを頭とする教会、教団教派を超えた大きな意味での教会、使徒信条にでてくる聖なる公同の教会での交わり。これらは、私たちの信仰の成長にはとても欠かせないことです。神は、アブラハムを通して、私たちに信仰の問題を提示しておられるのです。

さて、そして、アブラハムは、しもべに、「あなたが私の親族のところに行き、もしも彼らがあなたに娘を与えない場合、そのとき、あなたは私の誓いから解かれる。」(41節)と告げました。では、もしも結婚の条件にかなった女性が見つからなかったなら、イサクは独身のまま過ごすこととなるのでしょうか。そうなれば、イサクから星の数ほど子孫が繫栄するという神様の約束は反故となるのでしょうか。いいえ。アブラハムはすでに信仰によって解答を与えられていました。22章です。イサクを神にささげよとの神の御命令において、私たちの知恵では理解できないことであったとしても、神に従うことによって、すべては解決することを、アブラハムは確信をえたのです。「アドナイ・イルエ」(主は常に見ておられ、すべての必要を前もって備えてくださり、満たしてくださる)このことを確信してアブラハムは、イサクの嫁とりの条件は、主の前に正しいことであり、その条件を満たした女性は、必ず与えられる、神は必ずその女性をすでに備えておられると信じたのであります。アブラハムは、主にあって次のことを確信したのであります。『いつでも、どんな状況下におかれていても、人は神のご命令に信仰をもって服従するだけでいい。「もしも」という心配は、いっさい取り越し苦労である。あとのことは神がなさること、神が必ず解決してくださる。』最愛の息子イサクにおける、試練を通して、アブラハムは、信仰によって勝利を得たのであります。

そして、アブラハムという主人をつぶさに見てきたしもべは、信仰の勝利者の証人となり、イサクの嫁探しに忠実にその任をまっとうすべく、アブラハムの故郷を目指すのです。そして、ついに、リベカに出会い、この人こそ主が導かれた方であると確信し、リベカの兄のラバンと父のベトエルに、興奮をもって、主の導きの証し、またラバンもベトエルも、主の御名をほめたたえつつ、その証しに聞き入るのであります。

さて、わたしたちはどうでしょう。聖霊様を通して、主に導かれた証しを、興奮をもってしているでしょうか。また、そのような証しをワクワクしながら聞き、主の御名をほめたたえているでしょうか。この24章での証しは、救われた証しではなく、日常における聖霊様の働きを証しするものです。イサクの嫁探しがミラクルなら、私たちの日常もミラクルです。平凡な一日だと感じても、その中に主のミラクルが行われていますし、明日のために備えられています。それこそが、「アドナイ・イルエ」(主は常に見ておられ、すべての必要を前もって備えてくださり、満たしてくださる)のであります。私は、聖霊様の働きを、みなさんの証しとして、ワクワクしながら、愛餐の時にでも、お聞きしたいと思います。

その前に、八さん、熊さんに登場していただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 今日、若さんのメッセージを聞きながら、All or Nothing という言葉おもいだしててん。

熊: それって、以前、ご隠居が教えてくれたことばやな。

八: そうや。「ぜんぶもらうか、いっこももらえへんかや」「もらうんやったら、

全部もろて、もらえへんねんやったら、全くうけとるな」ちゅうこっちゃ。

熊: そやった、そやった、中途半端はあかんちゅうてな。で、なんで、それ思い出したん?

八: 神様の祝福もおんなじやなぁと思て。イエス様に「はい、従います」ってゆうた瞬間から、

神様の祝福がわてらに降り注がれるんや。ある人には、小出しに。

またある人には、どどっと。

熊: 小出しに祝福してもろても、ありがたみが薄いちゅうか。

八: 熊、ちゃうで、神様の祝福はひとりひとりに、100パーセントなんや。

つまりは、その人にとっては完全やちゅうこっちゃ。小出しの祝福もドバっとの祝福も

その人にとっては100パーセントなんや。アブラハムはんが、神様の声にしたごうて、

故郷のウルを出てから、神様はアブラハムはんをずっと祝福してこられた。

アブラハムはんが従いつづけはったからな。

熊: そうか、神様は、「祝福はぜんぶあんたのもんや、受け取るか、受け取らんか。

中途半端はないでぇ」って。そして、「受け取るんやったら、

なんも心配せんでええから、従いや」ちゅうてくださってるんやろな。

八: 若さん、今日ゆうてはったやろ、『いつでも、どんな状況下におかれていても、

人は神のご命令に信仰をもって服従するだけでいい。「もしも」という心配は、

いっさい取り越し苦労である。あとのことは神がなさること、神が必ず

解決してくださる。』って、アブラハムはん、確信を得たって。

熊: 神様は、「なる」言いはったら、「なる」し、「する」言いはったら、「する」し。

「武士に二言はない」言いはるけど、神様にこそ二言はないんやな。

八: 「もしも」ちゅうて、神様をうたごうたらあかん。うたごうて、従えへんかったら、

神様の祝福が逃げていきよる。それも、波が引くように、さぁーっと祝福がのうなる。

熊: つまりは、神様の声に聴き従い続けなあかんちゅうこっちゃな。

八: そや、「神様、従います」と宣言しただけで、アドナイ・イルエや。すべてが、備えられ、

整えられていくんや。未来の必要まで、すでに神様ご存じやからな。

なんも心配することないんや。

熊: そやな。イエス様もおっしゃってるもんな。「神の国とその義をまず第一に求めなさい。

そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

だから、あすのための心配は無用です。」(マタイ6:33-34)

八: 「神の国」ちゅうのは天の御国だけやない、今のこの世でも、神様の支配を求めなさい

ちゅうことやし、「神の義」ちゅうのは、神様との正しい関係や。

熊: そや、神様の支配に素直に従って、神様をあがめ、ほめたたえ、感謝する生活、つまりは、

イエス様を信じる信仰に生きるちゅうことや。そうすれば、すべてアドナイ・イルエや。

100パーセントの祝福が用意されてるねん。こんな素晴らしいことないで!

八: そして、そのすべては、神様の声に聞き従う。神様の声を聞く準備ができてるか、

それにかかってんねんな。

熊: アブラハムはんも、神様に呼ばれたとき、「はい、ここにおります」ゆうてはった。

この応答で、100パーセントの祝福が決まったんやなぁ。

八: そやでぇ。モーセはんも、サムエルはんも、イザヤはんも、おんなじや!

あの「はい、ここにおります」ちゅう、神様の声に聞き従う気まんまんの本気の返事で、

祝福が決まったんや!ハレルヤ!

熊: あのう、ところでな。もりあがってるとこ悪いんやけど。ひとつ質問があんねん。

八: なんや、改まって。

熊: 24章の最後のところなんやけど、●「イサクは、母のなきあと、慰めを得た。」

ってあるやろ。

八: あ、熊。それ、「イサクはんはマザコンやったんとちゃうか」と思てんのとちゃうか。

熊: ピンポーン。

八: なにが、ピンポーンや。マザコンはイサクはんだけとちゃうでぇ。男はみんなそうや。

多かれ少なかれ、みんな男はマザコンなんや。けんど、それだけ、

サラはんに溺愛されてたちゅうことかもしれへんなぁ。

熊: まあ、年取っての子はかわいいゆうからなぁ。

八: 年取って、ゆうても90歳やから、取りすぎやけどな。けんど、イサクはんは、

それだけ、母思いやちゅうことや。

熊: なんや、マザコンゆうてみたり、母思いゆうてみたり。

八: どっちも同じや。悪いようにとるか、ええ風にとるかのちがいや。

けんどな、イサクはんは、リベカはんだけを愛したんや。

熊: お妾はん、たくさんおって、当たり前の時代やのになぁ。

八: さあ、そこやがな。わてはなぁ、密かに、神様とイサクはんとの関係が隠れているん

とちゃうかと思ってんねん。

熊: なんや、どういうこっちゃ。

八: イサクはんはリベカはん一人を愛した。つまりは、イサクはんは、父のアブラハムはんの

信じている神様だけを愛して、偶像礼拝に陥らんかったちゅうことや。

そして、「慰めを得た」んや。神様との平安な交わりがあった、ちゅうこっちゃ。

熊: あ、それやったら、石が腑に落ちた。

八: なんや、その「石が腑に落ちた」って。

熊: 石は英語でストーンやから、ストーンと腑に落ちた。

八: なんやそら。ひどいダジャレやな。それは、ともかく、何が腑に落ちたん。

熊: アブラハムはんが、イサクはんを神様にささげようとしたときに、イサクはんも

従順やった。父であるアブラハムはんにも、神様にも。イサクはんは、

アブラハムはんの信仰を継承したんや。

八: やっぱ、信仰は勝利や。神様をいちずに信じることで、神様の声に聞き従うことで、

神様からの祝福を100パーセント受けることとなる。All or Nothing の神様に感謝や!

では、若さん、このへんで終わります。

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八さん、熊さん、ありがとうございます。All or Nothing ですか。たしかに、私たちの神様は、「わたしの祝福をぜんぶ受け取りなさい」とおっしゃってくださっています。八さん熊さんが、イエス様いのちのように、私たちも、「イエス様、仰せの通りに」と従うことができれば、また、イエス様を心から愛することができれば、神様からの祝福は、確実に備えられています。どうか、主を恐れ、主を敬い、主をホサナとほめたたえる者とさせていただきましょう。

では、いつも通り、宣言をしたいと思います。

今日の宣言は、「信仰は勝利」です。三回宣言します。

「信仰は勝利」、「信仰は勝利」、「信仰は勝利」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇119篇1節~16節です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書14章27節。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」

黙想いたします。詩篇119篇1節~16節。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:主は私を守る方

https://www.youtube.com/watch?v=UydF7FM8hSY

●聖餐式

讃美⑦:鹿が谷川を慕うように

https://www.youtube.com/watch?v=vlztidzqiPA

●礼拝と献金の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の8月14日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記25章