ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2022.8.15主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2022年8月15日主日礼拝式を始めます。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもって主にささげましょう。
賛美①:御手の中で
https://www.youtube.com/watch?v=6Jatal3F0KM
賛美②:どんな時でも
https://www.youtube.com/watch?v=64er54gdx2E&list=RDGMEMMib4QpREwENw3_jAc0YgNw&start_radio=1&rv=GgFab1Gj8eE
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:慕い求めます (8月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=ofFHpYHlwpI
賛美④:いのちの木
https://www.youtube.com/watch?v=etqLrZLdkGw
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
讃美⑤:主の手に我が手を
https://www.youtube.com/watch?v=0jAf5hkgw4E
【YOUTUBE配信開始】
2022年8月15日 主日礼拝メッセージ
神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
●聖書拝読:創世記25章(新改訳聖書)
中心聖句:
「ヤコブはエソウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エソウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエソウは長子の権利を軽蔑したのである。」(34)
メッセージ主題:『子としての権利』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
創世記25章は、目まぐるしく、歴史が動いていきます。アブラハムの妾のケトラ、アブラハムの死、イシュマエルの子孫、イサクの双子、エソウとヤコブの誕生、エソウからヤコブへの長子の権利譲渡。今日はこの中で、エソウが長子の権利を軽蔑したところから、メッセージを語らせていただきます。
リベカはイサクに、双子を生みました。兄のエソウと弟のヤコブです。彼らの性格を、間違いを恐れず、わかりやすく表してみますと、兄のエソウは、野性的であり、無分別で、無責任、肉的でありますが、弟のヤコブは、ずるがしこく利己的である一方で、宗教的で穏やかでありました。その二人の性格は正反対とも言えます。そして、父イサクはエソウを、母リベカはヤコブを偏愛していました。
ある日、弟のヤコブが煮物を煮ていますと、そこに兄のエソウが飢え疲れて、野から帰ってきます。
―――――
兄: あ~、疲れた疲れた。おっ、なんかええ匂いがしてんでぇ。
弟: あ、兄さん、おかえりなさい。ええところに帰ってきました。
いま、レンズ豆煮てますねん。ちょうど、おいしく出来上がったところですねん。
兄: おお、うまそうやないか。ちょっとそこの赤いの、おれにくれんか。
もう、腹ペコで死にそうなんや。今日は、野山かけめぐったけど、なんにも収穫なしや。
弟: 赤いのんて、レンズ豆のことでっしゃろ。兄さん、今、言いはりましたな。
「腹ペコで死にそうや」ゆうて。
兄: そうや、腹ペコで死にそうなんや。そやから、その赤いのん、はよ食べさせよ!
弟: あげてもええんですけどな、兄さん、一度死んでくれまっか。
兄: あほぅ。死んだら食べられへんやないか。
こんなにおいしい臭いしてんのに、もったいない。
弟: ほんまに死んだらあきませんやん。「死んだと思うて、長子の権利、譲っておくれやすな。」
兄: 長子の権利。なんやそれ、それって食べられんのか?
弟: そんなもん、食べられへんのに決まってますやん。
兄: 今、赤いのん食べられんで、死んでしもたら、長子の権利なんて、無用の長物やな。
あげる、あげるさかいに、その赤いのん、くれ!
弟: ほんまでっか?
兄: あほう! おれを誰やおもてんねん。みんなが「ええそうなん」とおどろくエソウやぞ。
エソウに二言はない。長子の権利なんて、くれてやるさかい、
はよ、赤いのん、食べさせろ!
弟: 兄さん、約束しましたで。長子の権利いただきや。兄さん、パンもつけまっさかいな。
兄: なんや、長子の権利が手に入ったとたん、調子ええなぁ。
弟: はい! ヤコブよろこぶ、キュン!
―――――
こんな会話になったかどうかは定かではございませんが、こうして、エソウは、長子の権利を放棄し、レンズ豆の煮物とパンとに交換してしまいました。長子の権利とは財産のことだけではありません。系図などに見られる、直系のことでもあり、まさしくアブラハム―イサクと続き、今後の子孫繁栄に大いに貢献する栄誉が与えられることでもあります。エソウは、その長子の権利を軽視し、1回の食事と交換してしまいました。エソウが、長子の権利を放棄したということは、神様からの祝福を放棄したのと同じなのです。もちろん、万人が受ける神様からの恵みは、エソウも同じように受けることができます。太陽の恵みも雨の恵みもそうです。しかし、神が選ばれた信仰の人、アブラハム、そして、神を一途に思い従順の人、イサクの直系にあたる神からの特別な祝福を、エソウは軽視し、放棄したのです。神からの特別な祝福とは、神の守りであり導きであります。そして、ゆくゆくは神の家族の一員に加えられ、永遠のいのちを得て、天の御国で平安に、かつ喜びに満ちた生活を送るという特権です。それをエソウは、腹を一時満足させるために放棄したのです。
では、私たちは、どうでしょうか。こうは考えられないでしょうか。私たちの主イエス様は、全人類の救いのために、ご自身を低くし、十字架にかかり、聖なる命を、全人類の罪の赦しの犠牲としてささげられました。そして、三日目に死を克服して蘇られ、私たちにも永遠のいのちを受けるチャンスを下さったのです。つまりは、天においての永遠のいのち、そして、天における平安や喜びを今うける特権をくださったのです。私たち人類には、イエス様によって、全員もれなくその権利が与えられているのです。ある人は、その権利を、神などいないと放棄します。また、ある人は、この世の楽しみと交換して放棄寸前まできています。またある人は、その権利をしっかりとつかんだはずなのに、日ごろの忙しさゆえに、その権利を軽視してしまい、神に礼拝を献げることから遠のいてしまっています。また、ある人は、日曜の礼拝を守り、献金もし、教会奉仕にも熱心です。しかし、礼拝を守っているだけで、礼拝を主にささげていません。礼拝中にほかのことを考えてみたり、人の目がきになったり、これであれば、礼拝中に寝ている方がまだましです。寝ている時には、神様が憐れみによって守ってくださるはずですから。救いを得、平安や喜びに満たされる権利をもっているのに、それを権利と思わず、手放しかねない危機的状況にあることすら、気付かないことこそ、神がもっとも悲しまれることではないでしょうか。
こういう方がいらっしゃいました。ご両親がクリスチャンゆえに、幼少の頃から教会に通い、時期がきて洗礼を受け、教会生活も熱心でした。しかし、イエス様の目には、『なんとなくクリスチャン』として映っていたのかもしれません。イエス様はこうおっしゃっておられたのではないでしょうか。「私のもとに、ひとりで来なさい。あなたは、気付いていないでしょうが、疲れています。あなたの重荷をわたしにも背負わせなさい。あなたには、わたしの安らぎが必要です。」その方は、のちに、聖霊様に導かれ、イエス様の愛にふれ、イエス様を自分の救い主として、心から受け入れ、喜びに満ちています。 実は私も熱心な『なんとなくクリスチャン』でした。しかし、ある時、イエス様が「重荷を下ろしなさい。そして、わたしに従って来なさい」とささやかれ、本当の意味で、イエス様を自分の主(あるじ)とさせていただきました。それまで、私は、そして恐らくその方もそうではないかと思うのですが、イエス様からの恵みを、そして祝福を100パーセント受け取る権利を、知らず知らずのうちに軽視し、教会活動という大義名分に交換してしまいつつあったのです。教会活動や教会奉仕は、それ自体尊いものです。しかし、「主が大好きだから、主に感謝しているから、主に期待し、主に従っていきます」という思いがないなら、それらの活動に熱心であっても、イエス様は悲しまれるだけです。
どうか、主から与えられた、主を喜ぶ権利、主の祝福を100パーセント受ける権利をしっかりと握りしめて歩みましょう。そのためには、いつもイエス様と会話し、イエス様に導いていただくことです。聖書の御言葉を心にたくわえることも大事です。しかし、それを実践しなければ何の意味もありません。もう、みなさま、耳タコかもしれませんが、1テサロニケ5章16節~18節の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」このことが、ご自身のライフスタイルになるならば、皆さんは、父なる神様からの子どもとしての権利をしっかりと握りしめていることになるでしょう。
さて、ここで、天国長屋の八さん、熊さんに登場していただきましょう。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: 主の祝福を受ける権利かぁ、わては恵みやと思てたけど、権利となると、
手放してしもたら損やな。
熊: 八の言う通りや。神様の子どもとなる権利、子どもとして相続する権利、
イエス様と共同相続人となる権利、それを放棄するやなんて、もったいのうてでけん。
八: その権利を「いらん」ゆうて放棄して捨てんねんやったら、
わてが、ほうきで集めて、もらっとくわ。
熊: 八、八が珍しくダジャレ言うやなんて。
八: わてかて、ダジャレぐらい言うがな。ま、若さんのダジャレほどひどくはないけどな。
熊: ダジャレはダジャレや、50歩100歩や。ところで、エソウはん、長子の権利って、
あまり気にせえへんかったんやな。
八: いや、本当は気にしてはったとおもうで。だって、創世記27章の36節では、
エソウはん、えらい剣幕やった。●「彼の名がヤコブというのも、このためか。
二度までも私を押しのけてしまって、私の長子の権利を奪い取り、今また、
私の祝福を奪い取ってしまった。」そして、41節では、●「エソウは、父がヤコブを
祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。それでエソウは心の中で言った。
『父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。』」
殺すなんて穏やかではないわいな。エソウはん、相当怒ってんで。
熊: そうか。それやったら、エソウはん、気のゆるみやったんかもしれへんな。
八: 熊、気のゆるみはこわいでぇ。そこに悪魔の誘惑が入ってきよるさかい。
熊: たしかにな、アダムはんとエバはんが、善悪を知る木の実を食べてしもたんも、
気のゆるみともいえる。エソウはんかて、そうや。疲れて帰って来て、
おいしいにおいがする。いくら何でも、弟のヤコブが、長子の権利を本当に
奪い取るとは思わんやろうから、軽く「ええよ」ゆうて返事してしもたんかも
しれへんな。
八: わてらも注意せんとな。気がゆるんで、天の父さんの子どもになりそこなったら
えらいこっちゃ。
熊: 気がゆるまんようにするには、やっぱり、若さんの口癖やないけど、「いつも喜び、
たえず祈り、すべてに感謝する」しょっちゅう、イエス様とお話しするこっちゃろうな。
八: いや、それだけやないで。聖書の御言葉を蓄えるちゅうのも大事や。
ほら、パウロはんがゆうてはる。コロサイ人への手紙3章16節。
●「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして
互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から
神に向かって歌いなさい。」聖書の御言葉は、わてらの霊的な武具となるんや。
だから、パウロはんは、「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ
なさい」っておっしゃるねん。
熊: せやなぁ。神様のことば、聖書の御言葉は、基本中の基本や。その御言葉によって
わてらは、キリストの似姿にも変えられていくんやから。ほら、ペテロはんも
こうゆうてはる。1ペテロ1章23節。●「あなたがたが新しく生まれたのは、
朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、
神のことばによるのです。」
八: イエス様も、荒野で40日40夜、断食されたとき、悪魔が誘惑してきよった。
しかし、イエス様は悪魔の誘惑を、御言葉をもって、けちらしはった。
わてらもそうでないとあかんな。
熊: よっしゃ! わて、ええこと考えた。わてらで「御言葉クラブ」つくれへんか。
八: 御言葉クラブ?って、御言葉を暗記するんか。
熊: そや。けんど、わてら覚えるのん苦手やろ。やから、短いのんから覚えたらどやろ?
八: それやったら、わては、「神は愛なり」(1ヨハネ4:16)。(ヨンイチロク)
熊: あ、八、ずるいわ。それ、わてが言おうと思てたのに。
八: 熊、このさいや、さっきのコロサイ覚えたら?
熊: また、だれも拾てくれへんようなダジャレゆうて、、、決めた、わては、ここからや。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)道、真理、命や。
(ヨハネのイチヨンロク)わては、まずイエス様のお言葉覚えるわ。
八: その覚えた聖句の場所をついでにおぼえることにせんとな。
若さん、今日はちょっと短いけど、これで堪忍して。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。あ~あ、はやく済ませたかったんは、ひょっとして冷えたスイカがあるからですか。もう、礼拝は献げるものやって言うたところやのに。かなわんな。八さんも熊さんも気がゆるんでるんとちゃいますか。
エソウは、気のゆるみによって、一時的に満足する食べ物と主の祝福とを交換してしまいました。私たちも気をつけないといけません。一時的に満足するこの世のものと、主の祝福とを交換することのないように、気のゆるみをなくし、いつも、心を主にささげていきましょう。そして、イエス様との共同相続人の権利を、そして救いの権利を、しっかりにぎりしめて、歩ませていただきましょう。
また、私たちの霊的な武具として、聖書の御言葉を覚えるようにしましょう。八さん熊さんのように、短いものから。御言葉は力であり、命でもあるのですから。
では、いつも通り、宣言をしたいと思います。
今日の宣言は、「私は救いの権利を手放しません」です。三回宣言します。
「私は救いの権利を手放しません」、「私は救いの権利を手放しません」、「私は救いの権利を手放しません」アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇21篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書19章9-10節。
「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
黙想いたします。詩篇21篇。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑥:御腕に抱いて
https://www.youtube.com/watch?v=vV7m1nPNmZA
讃美⑦:あなたがすべて
https://www.youtube.com/watch?v=mdWO2c2zDAI
●礼拝と献金の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献金は教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の8月21日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書:創世記26章