· 

メッセージ主題:『神のご計画にまさるものなし』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.9.18主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年9月18日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:罪重荷を除くは

https://www.youtube.com/watch?v=DxoG-vO1xFk

賛美②:主は道を造られる

https://www.youtube.com/watch?v=ZvjuibW1yuU

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:主の宮 (9月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=UlGwD10RZc8

賛美④:人生の海の嵐に

https://www.youtube.com/watch?v=IDj7uFkIqRY

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:ガリラヤの風かおる丘で

https://www.youtube.com/watch?v=rfd5LgTPDEU

【YOUTUBE配信開始】

2022年9月18日 主日礼拝メッセージ

神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記30章(新改訳聖書)

中心聖句:

「ヤコブはラケルに怒りを燃やして言った。『私が神に代わることができようか。おまえの胎内に子を宿らせないのは神なのだ。』」(2)

メッセージ主題:『神のご計画にまさるものなし』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

この30章は、29章の最後の方からつづく、ヤコブに子をうむという、レアとラケルの間のドタバタ劇、それとラバンとヤコブの駆け引きとが記されています。この両方の物語の根底には、神のご計画はゆるがないということがあります。つまりイスラエル12部族を誕生させ、その12部族のなかなユダ族から、救い主イエス・キリストを誕生させるという計画であります。

29章の31節から見てみますと、主がレアを憐れまれて、ルベンを産み、続けて、シメオン、レビ、ユダを産みました。そして、姉レアに嫉妬した妹ラケルはヤコブに文句を言います。これが30章1節です。30章はレアの愚痴からはじまります。●「私に子どもをください。でなければ、私は死んでしまいます。」しかし、ヤコブは、『子を宿す宿さないは神であって、人ではない』とラケルを𠮟りつけます。ラケルは私の胎を神が閉じられておられるならと彼女の女奴隷ビルハをヤコブにあてがいます。まるで、不妊を苦にしていたサラがアブラハムにハガルをあてがったように。神はここでも憐れみを示し、ビルハはダン、そしてナフタリを産みます。それを見ていたレアは自分の女奴隷ジルパをヤコブに差し出し、ジルパはガドとアシェルを産みます。これらすべてのことは、神の憐れみによるのでありますが、彼女たちの目にはもう神は写ってはいません。彼女たちの目には、ヤコブの第1子であるルベンが見つけて来た、恋なすびでありました。恋なすびは性欲増進、受胎力増進のくすりのようなものでした。彼らは神のことなど眼中になく、いかにしてヤコブの子をどちらがおおく産むかに終始していました。そして、駆け引きにおいて、レアは、イッサカル、そしてゼブルンを産みます。また、ラケルにもヨセフがうまれ、のちにベニヤミンも生まれます。こうして、レアとラケルとの間の子産み競争、ドタバタ劇にも終止符が打たれます。このような、女性の争いには、ヤコブもはたまたアブラハムもほとんど静観しているだけです。ま、いつの世もそうなのかも知れません。

このドタバタ騒動で、レア側に8人、ラケル側に4人、合計12人の息子がヤコブには与えられます。人数的には、レア側に圧倒的に有利でありますが、神は量ではなく質を重要視するお方です。ラケルの息子ヨセフは、エジプトに売られて行ってしまいますが、のちに王に認められ宰相となり、ヤコブ一族を飢饉からすくい、エジプトに定住させます。それから長い年月がたち、こんどはレアの息子レビの子孫からモーセが出現し、ヤコブ一族をエジプトの奴隷の立場から解放し、約束の地カナンへと導きます。また、レアの息子ユダからは、ダビデ、ソロモンとつづき、イエス様へとつながります。神は、イエスを誕生させるために、ヤコブの息子や子孫たちを導くのだと私は考えます。

さて、まだヤコブとラケルの間に最後の子どもベニヤミンは生まれていませんが、ヤコブに十分な息子が与えられたので、神は次にヤコブを故郷の地へと帰すために、ヤコブに「望郷の念」を抱かせます。23節●「ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。『私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。』」ラバンはヤコブの羊飼いとしての手腕をかっていましたし、彼のおかげで裕福にもなりましたから、ヤコブを手放したくはありませんでした。それを勘づいているヤコブは、わざと自分にとって不利な条件をつけます。山羊の中で、ぶち毛やまだら毛のもの、そして羊の中で、黒毛のものをヤコブのものとし、その他の大多数をラバンのものとし、ヤコブの群れとラバンの群れは3日間の道のりの距離におき、ヤコブはラバンの群れを飼い、ヤコブの群れは、ラバンの息子たちが飼うこととしました。しかし、ヤコブは、37節から42節までにあるように、まじないのような策略をたてて、結局43節●「それで、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようになった。」と記述にあるように、ヤコブは富むのであります。ヤコブがとったまじないのような策略は、この創世記の物語を聞いている羊飼いたちにとっては笑わざるを得ない、またはほくそ笑むようなことなのかもしれません。どれだけの確立で、たとえば、白の羊が、白でないものを産むのかを、インターネットで調べてみますと、約80パーセントが白の羊が生まれるそうです。つまり、ラバンがヤコブの提案を聞いて、「そうか。あなたの言うとおりになればいいな。」(34節)と安堵したのもわかります。ヤコブが裕福になったのは、ヤコブの策略が功を奏したのではなく、主がヤコブを祝福したのです。ラバンも神の介在を認めています。27節●「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださったことを、まじないで知っています。」ラバンは、アブラハム、イサク、ヤコブの神を信じているわけではありませんでしたが、なんらかの神の存在を信じていたのでしょう。主は、不可能と思えることでも可能にされるお方です。

この30章は、二人の妻の子作り合戦とヤコブの奇妙な羊や山羊の増やし方という、ドタバタ劇と言いましょうか、喜劇の章のように思えます。まあ、この創世記30章を聞いている民衆には、エンターテインメントの物語なのかもしれません。さて、ここのところで、私たちは何を学ぶべきでしょうか。私は、神が、この非常に人間的などろどろとした中にでも、イスラエルの12部族のもととなる息子たちを誕生させ、ヤコブを祝福し、カナンの地へ戻す、そのような主のご計画をこのドタバタ喜劇から進めていくという、神の恐ろしいまでの計画性におののきを感じます。なぜなら私たちの一挙手一投足の行動をも神のダイナミックなご計画の中に組み込まれていくようで、ありがたいやら申し訳ないやら、うれしいやら恐ろしいやら、まことにいろいろな感情が入り混じってくるのです。

私は、この30章を何回も読んでは、黙想している中で、中島みゆきの「糸」という歌を示されました。礼拝中、不謹慎かも知れませんが、この「糸」という歌を聞いてみましょう。歌詞に注目してください。

中島みゆき「糸」

https://www.youtube.com/watch?v=jOegTv3a2h4

『歌詞』

なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない 

いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない 

どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語 

縦の糸はあなた 横の糸は私 

織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない 

なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ 

夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ 

こんな糸が なんになるの 心許なくて ふるえてた風の中 

縦の糸はあなた 横の糸は私 

織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない 

縦の糸はあなた 横の糸は私 

逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます

この30章に限って言えば、縦の糸はレア、横の糸はラケル。また、縦の糸はヤコブ、横の糸はラバン。そして、その縦の糸と横の糸を織り合わせていくのは、神さまです。

皆さん、お互いが縦の糸ともなり、横の糸ともなり、どんな布が出来上がるのか、どんな絵柄ができあがるのか、糸である私たちにはわかりませんが、織り手の神さまは、すべてご存じです。

レアやラケル、ヤコブやラバンの糸の織りなす延長に、ヨセフやモーセの糸も織られ、ダビデやソロモンの糸も継がれ、そしてヨセフとマリアの糸によって、イエスという救い主の絵柄が誕生するのです。しかし、その布はそれで終わりではありません。今も神さまによって、糸である私たちが織り込まれて行っています。織り手が神さまなら、私は喜んで糸となりましょう。神さまの壮大な計画は私には見えませんが、その布のほんの一筋でも、私が担当するなら感謝であります。喜びであります。神さまのご計画は私たち全員を救うことにあります。そのためにイエス様は誕生し、十字架にかけられ、私たちの罪を死をもって帳消しにしてくださいました。私はこの神さまのご計画に私を用いてくださいと願い求めるものであります。

さて、今日も、天国長屋の八さんと熊さんにご登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 中島みゆきの糸でっか、あれもええ曲でんなぁ。

熊: ほんやまなぁ。もう30年前になるんやなぁ。ええ曲は色あせん。

八: 色あせん、ゆうたらやっぱり、聖書の御言葉やろ。

熊: なん千年とたってるのに、神様が生きて働いてくださってるから、

今でも御言葉がわてらの心の糧、心のささえとなっとるさかい。

みことばもスルメと同じや。

八: なんや、スルメと同じやゆうて。

熊: 噛めば噛むほど味が出る。

八: なるほど、といいたいところやけど、スルメよりもはるかに上等やでぇ、御言葉は。

スルメといっしょにしてどうするねん。

噛めば噛むほど、奥が深いことがわかんねんから。

熊: そやなぁ。おんなじ箇所でも、前読んだ時には分からなかったことが分かるようになる。

ま、分からんことのほうが多いんやけんどな、わてらには。

八: ところで、話かわるけど、この創世記の30章って、ほんま、昼メロの世界やなぁ。

熊: 「昼メロ」ちゅうことば自体がが、死語やけど、今、お昼にやってる韓国ドラマと同じや。

イスラエルのお人は、どんな顔してきいてはったんやろ。

結構ニヤニヤしてたかもな。

八: この30章の中に、なかなか信仰的なものはでてこえへんけど、

神様が、子どもがでけへん女の人に憐れみをかけてくださるちゅうのはようわかる。

熊: まあ、憐れみなのか、ご計画なのかは、分からんけどなぁ。

若さんの言うように、すべてが神様のご計画やねんから、

この章で、ベニヤミンを除いて11人の息子が現われて、

またヤコブも裕福になって、故郷に錦を飾ることができるのも。

神様のご計画ははかり知れんわ。

ところでは、八。わてな、ちょっと残念に思てることがあるねん。

八: なんや、残念に思てることって、この30章のところでかい。

熊: そやねん。27節でな、●「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださったことを、

まじないで知っている。」ちゅう、ラバンの言葉や。

八: また、どうして?

熊: だって、そやないか。「ヤコブのおかげで、主が私を祝福してくださった」というのは、

ヤコブの献身的態度で分からなあかんのに、「まじないで知ってる」って。

ラバン、どやねん。

八: なるほどなぁ。たしかにそやわな。ヤコブの14年間も献身的に働く態度で、

ラバンも、ヤコブの信じている神様の祝福を感じてあたりまえやのになぁ。

まあ、わてらも、「キリストの香りを放つ者とさせてください」と祈ってるけど、ほんまにそうなってるかどうかは、相手が気が付けへんかったら分からんこっちゃもんな。

熊: 相手が気が付かんでも、イエス様が知ってくれてはるから、それでじゅうぶんやて。

八: ま、そりゃそうなんやけど。でも、ちょっとさびしいな。

熊: 人の気づきに期待したらあかんて。パウロはん、こう言ってはるやないか。

人に仕える時には、●「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、

キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、

主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」(エペソ6:5-7) ちゅうて。

八: そやな、人に仕えるんやなくて、神に仕える気持ちでないとあかんわな。

相手がきがつかなくてもな。神様は知ってくれてはる。そう思お!

熊: まあ、ヤコブはんの場合は、神様に仕えるように、ラバンに仕える

ちゅうことになるんかなぁ。

八: ヤコブはんはラバンはんによう仕えたとおもうでぇ。

けんどヤコブはんの一生懸命は、神様に仕える一生懸命とは、

ちょっとちがってたんやろなぁ。

熊: そや、そこがもったいないなと思わされるんや。

けんど、そんなヤコブはんでも祝福されてる。

ラバンはんが言うようにな。

八: 熊、わてな、ええ御言葉思い出したでぇ。箴言19章21節や。

●「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」

熊: 「主のはかりごとだけが成る」か。ほんまにそやなぁ。わてらが、あーやこーやゆうて、

ジタバタしたって、結局は神様のご計画どおりや。

ほら、この30章のレアとラケルかって、ヤコブとラバンやって、

神様の御手の中でジタバタしてるだけやったんやろな。

八: 神様の御手の中でジタバタかぁ。御手の中でジタバタしてんねんやったら、

それもええんとちゃうか。神様に守られてるちゅうことなんやから。

熊: そうか、レアもラケルもヤコブもラバンも、みんな守られてたんやな、神様に。

八: さ~ってと、若さん、若さんのように、わてらを用いてくださいって、神様に

お願いしたいんやけど、わてらやっぱり、ジタバタしてしまうと思うわ。

けんど、そのジタバタも神様が守ってくださるから、感謝や。

若さん、あとはよろしく。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。「主のはかりごとだけが成る」ですか。ほんまに、そうですね。私たちは、いろいろと計画をねって、ジタバタしてしまいますが、そのジタバタの中で、ベストを尽くすしかないのかもしれません。レアもラケルもヤコブもラバンも、神様の大きなご計画の中でそれぞれが守られ役割を果たしているのでしょう。ある人は将棋の駒のような表現をするかもしれませんし、またある人は、時計の歯車という表現を、また、織物の糸と表現するかもしれません。駒にしろ、歯車にしろ、糸にしろ、そこに積極的にかかわって希望をみいだすかどうかが問題であるような気がいたします。私は、私自身を主の働きに用いてくださいと願うばかりであります。皆さんもそうであってほしいと願っています。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、主の守りと導きを感じつつ、「主よ、私を用いてください」です。三回宣言します。

「主よ、私を用いてください」、「主よ、私を用いてください」、「主よ、私を用いてください」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇27篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書5章13節。

「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」

黙想いたします。詩篇27篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:主はわれらの太陽

https://www.youtube.com/watch?v=4Y3_IW99NR0

賛美⑦:祈ります求めます

https://www.youtube.com/watch?v=GRFbvWaGn5M

●礼拝と献げものの感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の9月25日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記31章