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メッセージ主題:『人を恐れず、主に信頼する』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.9.25主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年9月25日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:丘に立てる荒削りの

https://www.youtube.com/watch?v=HUY54RuEOdU

賛美②:いのちの光

https://www.youtube.com/watch?v=ppZtn5tGs5Q

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:主の宮 (9月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=UlGwD10RZc8

賛美④:強くあれ雄々しくあれ

https://www.youtube.com/watch?v=6Ub60pQpGCI

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:いちど死にしわれをも

https://www.youtube.com/watch?v=kD4gIzI4aAU

【YOUTUBE配信開始】

2022年9月25日 主日礼拝メッセージ

神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記31章(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。『あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。』」(24)

メッセージ主題:『人を恐れず、主に信頼する』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

この31章は、ヤコブのラバンからの脱走、ラバンの追跡、ラバンとヤコブの主張、ヤコブとラバンの契約からなっています。ヤコブは、ラバンに20年間仕え、主の祝福を受け、大いに富みました。そして、主がヤコブに仰せられました。(3)●「あなたが生まれた、あなたの先祖に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」そこで、ヤコブは妻のラケルとレアにいままでのいきさつ、ラバンとの関係を今更ながらに説明しました。それも、どちらかといえば、自分に有利なように、そして、それらのことをすべて主が仰せになったかのように。ラケルとレアは、自分の父ラバンに不信をいだきます。そして、ラバンが羊の毛を刈る作業のため3日間留守をするのを好機と考え、ヤコブ一族は家畜と奴隷ともども、ラバンのもとを離れます。その時にラケルはだまって父ラバンの所有しているテラフィムを無断で、そして誰にも内緒にして持ち出してしまいます。テラフィムは、小さな偶像で、長子の権利の象徴とされていました。つまり、ラケルは、ラバンから長子の権利をうばって、ヤコブに渡そうとしたのかもしれません。20年間、ラバンに仕えてきているのを見てきているラケルですから、そのぐらいしてもらってもと思ったのかもしれません。ひょっとしたら、ヤコブがエサウから長子の権利を奪い取ったことも、ラケルは知っていたかもしれません。ヤコブがこのことを知っていたら、ラケルを叱っていたでしょう。いくらヤコブが自己中心的な信仰の持ち主だったとしても、偶像は神の最もきらうものだということは分かっていたでしょうから。しかし、ヤコブはラケルがテラフィムを持ち出していたことは全く知りませんので、そのまま、ラバンから逃げようとします。しかし、戻ってきたラバンがヤコブたちがいないことと、テラフィムがないことに気づき、ヤコブたちの後を追います。そして、7日目にして、もうすぐヤコブたちに追いつく前日、神は夢にラバンに現われ、「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」と忠告します。つまり、ヤコブの行動を激しくとがめるなと、ラバンを諭します。ラバンは、ヤコブの神を恐れていましたので、ヤコブに「どうして、逃げ隠れて、ラバンのところをこっそり抜け出したのだ」と責めますが、残念だという感じに感情を押さえています。しかし、ことテラフィムに関しては、徹底的にヤコブ一族の持ち物を調べ上げます。しかし、ヤコブはまったく知らぬことでしたので、ウソの尽きようがありません。また、ラケルは自分が乗って来たラクダの鞍の下にテラフィムを隠し、その上にラケル自身がすわり、生理中で、自分は穢れているので、動かずに失礼しますと、父ラバンに告げます。ラバンも自分の娘が父を裏切ってテラフィムを持ち出し、尻の下に隠しているとは、つゆほどにも思わなかったでしょう。ラバンがテラフィムをヤコブたちの天幕から見つけられないのを知って、ヤコブはここぞとばかり、ラバンを非難し形勢逆転となります。今まで幾度となく報酬をかえられてきたヤコブでありましたから、うらみつらみが爆発します。そして、ラバンの見た夢の中の神からの忠告を、ヤコブは不誠実なラバンに対する神のさばきであると告げます。そして、ヤコブは自分がラバンから逃げ出したことにはふれず、ラバンとの契約、つまりは和平条約を結び、その証拠として石の柱を、また、ヤコブの群れとラバンの群れの行動の境界線として、石塚を作りました。ヤコブはラバンのもとから財産を持ち逃げされたと非難されてもおかしくないのですが、見つからないラバンのテラフィムによって、反論できなくなっていました。神はラケルのテラフィムを持ち出した目的がなんであれ、テラフィムが見つからないことによって、ヤコブを優位に立たせました。そして、神が、二人の間に石塚を作らせることによって、裕福なまま、また平安の内にラバンと縁を切らせることに導きました。

神は、神が嫌う偶像礼拝のテラフィムでさえ、ヤコブを守るために使われました。また、ラバンがヤコブに追いつく前夜に、ラバンに、『ヤコブとは平和を保て、ヤコブの神がヤコブとともにいる』ことを夢によって忠告しました。そうまでして、神はヤコブをまもり、イサクのいる生まれ故郷までつれもどそうとします。なぜでしょう。ヤコブが神に全幅の信頼を寄せる、祖父アブラハムや父イサクと同じように信仰深い人だったからでしょうか。いいえ、ヤコブの信仰はまだまだ、自分中心の信仰であったと言わざるを得ないぐらい未熟なものでした。いわば、私たちと同じであります。私たちは、神を忘れてしまうと、自分の努力でなんとかしよう、今までもそうしてきたのだからと、自分の力を過信し、誇ってしまうことがあります。ヤコブは、エサウから逃げるようにして、カランへと旅立ち、心細く、ベテルで一夜を過ごした時、夢をみました。そして、主が次のように夢の中でヤコブに仰せになりました。●「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13-15)ヤコブはこの時、はじめて信仰に芽生えたのではないかと私は思っています。しかし、その信仰はまだまだ稚拙なもので、主の祝福によって富んできたと思うのではなく、自分の知恵や策略、努力と忍耐によって、裕福になったと思ってしまっていました。繁栄は、アブラハム、イサクを通しての主の約束を主がはたしただけだったにもかかわらず、ヤコブは自分自身を誇ってしまっていました。そして、ラバンの留守中に逃げるように出て行きました。ヤコブは主を恐れたのではなく、ラバンを恐れました。まったくエサウの時と同じであります。主に信頼せず、人を恐れ、自分の知恵に頼ってしまう。私たち人間の愚かさがここにあります。

モーセの民がエジプトから約束の地カナンに入る前に、モーセは、イスラエルの民は神に選ばれた特別の民であることを強調していました。そして、申命記8章では、モーセは次のように述べました。●「気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。――主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。あなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ。』と言わないように気をつけなさい。あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。」(11-18)

神はモーセを通して、傲慢になるな、おごるな、自分を誇るな、そうではなくて、すべては主の憐みであり主の恵みであり、それは主のご計画にそったものであることを、私たちに、くちすっぱくおっしゃっておられます。箴言10章でも、「主の祝福そのものが人を富ませ、人の労苦は何もそれに加えない」(22)と語られているとおり、人が富むのは、人間の努力ではなく、神の祝福であることが強調されています。また、エレミヤを通して主は次のように仰せられます。●「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。」(9:23-24)まさしく、パウロの言うように、「誇る者は主を誇れ」(1コリント1:31)であります。そして、ヤコブのように人を恐れるのではなく、私たちは主を恐れる、つまり主に全き信頼をよせることが大切なのです。

「いやいや、頭ではわかってんねんけど、なかなかできんねや、神さまに全き信頼することが、ゆだねることが。」、、、まったくおっしゃる通りであります。私たちは揺れる振り子みないなものです。神さまの方に心を寄せたかとおもうと、自己中心になってしまったり。これは、恐らくこの世に生ある限り、私たちの心は揺れているのではないかと思うのであります。では、どうしたらよいのでしょうか。どうしたら、神さまの方に心を多く寄せることができるのでしょうか。

ねぇ、八さん、熊さん?

―――――

八: おいおい、若さん、急にこっちにふるなんて、反則やで。熊さん、どう思う?

熊: 八、わてにかって分かれへんがな。けんど、そもそも心を寄せるって、どういうこっちゃ。

八: 「心をよせる」かぁ。、、、辞書には「好意を抱く」とか「関心を持つ」とからしいなぁ。

熊: 「好意を抱く」か、まあ、神さまのことを好きになるちゅうことやわなぁ。

それやったら、わてら、「イエス様いのち」やから、大丈夫やわな。

けんど、「関心を持つ」ちゅうことはどういうこっちゃ?

八: 「関心を持つ」ちゅうことは、なんやなぁ、神さまのなさることやおっしゃることに

関心をもつ、と言い換えたほうがわかりやすいなぁ。

わてら神さまにはもうすでに関心もってんねんから。

熊: 「神さまのなさることやおっしゃること」ねぇ。わてらには、「神さまのなさることや

おっしゃること」は、そんなにはっきりとは分からへんけど、

「神さまのなさったことやおっしゃったこと」は分かるわな。聖書にぜんぶ書いてある。

八: たしかに、聖書は「神さまのなさったことやおっしゃったこと」のオンパレードや。

けんどそれだけやないでぇ。神さまが、わてらにしてくださったことを振り返っても、

いっぱいある。そんときは気が付かんかってもな。

熊: せやなぁ。昨日のことを振り返ってみただけでも、神さまに守られ、導かれたこと、

また癒されたり励まされたりしたこといっぱいや。

八: そうか!「神さまに関心を持つ」ちゅうことは、振り返ってみて「神さまがわてらに

してくださったこと」を思い出してみるちゅうことでもあるわな。

さっきの出来事でも、昨日の出来事でも、ずっと昔の出来事でも。

熊: 思い出したら、きりないなぁ。あれもこれもと。それに、わてらにだけなやない。

「ほかの人にもしてくださったこと」も思い出したら、いっぱいや。

八: そやなぁ。それにやな、さっき熊が言ってたやろ。聖書に書いてある、ゆうて。

「神さまのなさったことやおっしゃったこと」が聖書に書いてあるちゅうて。

それも、あたり!や。わてら聖書は一応読んでんでぇ。けんど、ぼーっと読んでる

ことも多い。特に旧約聖書なんか、訳わからんちゅうところもたくさんある。

けんどな、パウロはんが言うてはったやんか。「イエス・キリストのことを

いつも思いなさい」ちゅうて。

熊: 第2テモテ2章8節のところやな。たしか●「ダビデの子孫として生まれ、

死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい」

八: あれは、イエス様がわてらの罪のために十字架にかかって、イエス様の聖い命で、

わてらの罪を帳消しにしてくださって、三日目に死を克服して甦って、イエス様を

信じるものは、救われて永遠のいのちを約束された。

そのイエス様をいつも思っていなさいちゅうことなんやけど。

イエス様をお送りくださった天の父である神さまのことをもいつも思っていなさい

ちゅうことでもあると思うねん。パウロはんは、『イエス様だけやのうて、

神さまのことも関心をもっていつも思っていなさい』と言いたかったんとちゃうやろか。

熊: つまりは、熱心に「神さまのなさったことやおっしゃったこと」が書いてある聖書を

読みなさい、また、神さまが、わてら一人一人になさったことを深く覚えなさい、

ちゅうて、パウロはんは言ってはるんやな。

んで、八は何がいいたいねん。その聖書を読むちゅうことで。

八: わては今まで、聖書をぼーっと読んできてたかもしれん。けんど、「神さまのなさった

ことやおっしゃったこと」に関心をもって聖書を読むことが、神さまをいつも思ってる

ことになる、しいてはイエス様をいつも思っていることになる。んで、もって、

それが神さまに心を寄せていることにもなる。そう思うと、聖書の読み方も

変わって来るんとちゃうやろかと、今しがた、気が付いたんや。

熊: 聖書を何の気なしに読むのやのうて、神さまに心を寄せるために聖書を読む、

「神さまのなさったことやおっしゃったこと」に関心をもって聖書を読む、

なんか大事なことのように思えるなぁ。

八: もちろん、その日その日の「神さまのなさったことやおっしゃったこと」を思い出して

感謝をささげることも大切や。「すべてのことについて感謝しなさい」って

言われてんねんからな。

熊: 両方ともやって、神さまに心を寄せるちゅうことになるんやなぁ。

八: 若さんに、急にふられて、どうなるかと思たけど、聖霊様が導いてくださったわ。感謝や。

けんど、若さん、もう急に振らんといてや、お願いしまっせ。

―――――

八さん、熊さん、急にふってごめんなさい。けれど、ありがとうございます。今後のことは約束できませんけどね。けど、八さん熊さんの黙想のおかげで、「主に心を寄せる」ということが、少しはっきりと見えてきました。「神さまのなさったことやおっしゃったこと」を思い出して感謝をささげる、聖書を「神さまのなさったことやおっしゃったこと」に注目して読み進める。たしかに大切なことです。そして私は、「神さまに期待する」ということも「主に心を寄せる」ことに付け加えたいと思います。私は、私たちが未来の事について神さまに期待してこそ、クリスチャンやと思っています。そして、「主にできるだけいつも心を寄せる」ことによって、人を恐れず、主を恐れる、主に全き信頼することが、また一歩前進できるのではないでしょうか。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、主に心を寄せつつ、「私は、人を恐れず、主に信頼します」です。三回宣言します。

「私は、人を恐れず、主に信頼します」、「私は、人を恐れず、主に信頼します」、「私は、人を恐れず、主に信頼します」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇16篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書15章17-18節。

「口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」

そのようなことのないように、心をイエス様に寄せましょう。

黙想いたします。詩篇16篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:山々が生まれる前から

https://www.youtube.com/watch?v=oCBaJ8sqW0U

賛美⑦:天国にあるもの

https://www.youtube.com/watch?v=xAAmZXV22xQ

●礼拝と献げものの感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の10月2日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。聖餐式を行ないます。

聖書:創世記32章

また、小阪チャペル1周年です。記念の交わりを持ちたいと思います。