· 

メッセージ主題:『信仰の原点に立ち帰る』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.10.23主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年10月23日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:ハレルヤ神の聖所で

https://www.youtube.com/watch?v=-tXGzBHA1Lg

賛美②:歌いつつ歩まん

https://www.youtube.com/watch?v=YoEewB_n424

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:天国にあるもの (10月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=xAAmZXV22xQ

賛美④:God Bless You

https://www.youtube.com/watch?v=C-gOhqZkcZg

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:栄光から栄光へと

https://www.youtube.com/watch?v=n5n4HgpNYB0

【YOUTUBE配信開始】

2022年10月23日 主日礼拝メッセージ

さあ、神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記35章(新改訳聖書)

中心聖句:

「そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(3)

メッセージ主題:『信仰の原点に立ち帰る』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

創世記35章は、34章でのヤコブ一家の体たらくに、業を煮やしたような感じで、神のヤコブへの仰せから始まります。●「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」ヤコブに対して、まず「立ちなさい」と仰せになりました。ヤコブは、自分自身のふがいなさと子供たちの罪の振るまいに対して、自暴自棄に陥っていました。神はそのヤコブに対して、「しっかりしろ」と尻をたたくのであります。神が選ばれたアブラハムの子孫であります。アブラハムの子孫は星の数ほどに増えると約束されたのですから、神が責任をもってヤコブをこの窮地から救い出そうとされるのであります。私たちにも神は同じようになさいます。いったん救いにあずかった私たちは、神さまは責任をもって導いてくださいます。落ち込んでいるときに「しっかりしなさい、立ちなさい」と励ましてくださいます。しかし、その声に耳を傾けて、従って行かなくてはいけません。それが、私たちの責任となります。神が責任をはたすなら、私たちも責任をはたさなければなりません。

窮地に陥っているヤコブは、神の声に耳を傾けます。「ベテルに上りなさい。」この時の「上りなさい」とは宮もうでに使う言葉です。ベテルは、神がおっしゃるように、ヤコブが兄エサウからのがれて、ひとりで旅をし、心細い夜を過ごしていた時に、神ご自身が現れ、ヤコブを励まされた場所です。創世記28章12節から15節までにその記述があります。夢の中に現れた『天と地をつなぐはしごを神の使いが上り下りしている』のは、神への祈りや願いは聞き届けられることを意味し、『アブラハムの神、イサクの神』とご自身を表されたのは、今までもそしてこれからも神の約束は守られ、それはヤコブにも及ぶことを意味されました。そして、「あなたの子孫は地のちりのように多くなり、、、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される」(14)と、神の一方的な恵みを、アブラハムやイサクと同様ヤコブにも伝えました。神は私たちにも同じように、一方的な恵みをお与えくださいました。それは、救い主イエス・キリストです。罪の泥沼の中にあえぐ私たちを、永遠の死から救い出すために、自らの聖い命を十字架にかけ、いけにえとしてささげ、私たちが永遠のいのちを得られるようにしてくださったのです。

ヤコブはベテルで請願をたて、神への信仰の始まりとしての、石の柱を立て、神の家「ベテル」と呼びました。神は、ヤコブにそのベテルに帰りなさいと、自暴自棄となっているヤコブに申し付けるのです。そして、信仰のはじまりであった石の柱であったところに、信仰の成熟としての祭壇を築きなさいと仰せられました。祭壇は、祈りと賛美と感謝と喜びと平安の場所です。ヤコブはその祭壇の意味を理解し、自らのいましめも含めて、家族やヤコブ一族すべての者に、身を聖めるように伝えます。●「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。」(2)彼らが隠し持っていた偶像礼拝の品々や、シェケムの町で略奪した物、もちろんラケルが持ち去ってしまっていたラバンのテラフィムもシェケムの近くにある樫の木の下に隠しました。そして、「身をきよめ、着物を着替えなさい」とは、偶像礼拝とは決別し襟を正すという意味でしょう。これは、私たちにおける礼拝の心構えでもあります。礼拝では、賛美とともに私たちの悔いた心、悔い改めと祈りを神にささげる時間と場所です。

ヤコブがベテルに戻って来て、祭壇を築いた時に、神は再びヤコブに現れ、彼を祝福して仰せられた。●「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」(10)イスラエルとは「神は争われる」や「神の王子」という意味ですが、その名は、32章の28節で告げられていました。●「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」神との闘いとは、神との激しく格闘するような祈りであり、人と戦うとは、肉的な考えを神によって排除していただく葛藤でありました。その祈りをしてこそ、イスラエルと呼ばれたのです。そして、このペヌエルでの改名を、ベテルにて再確認されました。神に選ばれし者としての自覚を促されたのです。私たちも、イエス・キリストを信じた時点でイエス様の弟子とされたのです。私たちにその自覚があるでしょうか。イエス様は、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを弟子としてえらんだとである」とおっしゃいます(ヨハネの福音書15:16)。そして、それは私たちがイエス様を思うときに常にその選びの確認はついてくるのです。パウロは次のように私たちに迫ります。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。、、、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。」(2テモテ2:8&10)私たちは、聖霊様を通して、つねに「あなたはイエス・キリストに弟子(しもべ)として選ばれた者であるのだから、その自覚をもちなさい」と迫られます。では、イエス・キリストの弟子はどういう人なのでしょうか。私は、イエス様がおっしゃった次のところを思い出します。マタイの福音書11:28-30。●「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」イエス様がおっしゃったくびきは、二頭の牛が並列になって引っ張る時に使われるものです。右がイエス様で左が私たちです。右がリーダーの牛ですから、イエス様が私たちの人生をリードしていただけると、私たちの生きる労苦は軽くなり、安息が与えられるのです。キリストの弟子とは、まずそのような者ではないでしょうか。イエス様から安息が得られなくて、なにがキリストの弟子でしょう。なにがキリストに選ばれし者でしょう。へりくだりがなくて、どうしてキリストに従えるでしょう。ヤコブは、神にあって、その安息とへりくだりを身に着けることを許されたものなのです。それが、選ばれし者の自覚ではないでしょうか。

ヤコブは、長い20年間、ラバンに仕える間に、信仰の原点であるベテルを忘れていってしました。兄エソウから逃げ、ひとり孤独に過ごす夜に、天からのはしごとそこを上り降りする御使いの夢を見ました。いえ、神が見させてくださいました。罪ゆえに孤独にさいなまれるヤコブに、神は「わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」と告げ、力強くヤコブを励ますのであります。そこでヤコブは祖父アブラハムの神、父イサクの神は、生きてヤコブにも働きかけてくださるとこを確信し、神への信仰が生まれます。しかし、長い年月、異教徒でもあったラバンのもとで働き、また4人の妻という複雑な家庭環境のゆえに、ヤコブは、信仰の原点でもあったベテルを忘れてしまったのです。私たちも、そのようなことがあるのではないでしょうか。キリスト・イエスを信じさせていただいたという感謝によって喜びいっぱいの日々は、やがて知らず知らずのうちに色あせ、教会活動は熱心にしていても、その教会の奉仕は、主にささげているという意識が薄れ、マンネリ化、感動も感謝も喜びを薄れた単なる仕事いえボランティアとしての意味合いが強くなってしまいます。信仰を持った時の感動や感謝や喜びを忘れてしまうのです。ヤコブのように、神が直接語りかけて、大切な私たちのベテルを思い出さしてくださることもあるでしょうが、それは非常にまれかもしれません。多くは、いろいろな人を通して、また事がらを通して、ベテルへの気づきが与えられるのでしょう。また、その意味では、先ほどのパウロの言葉のように、「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」つまり、イエス・キリストがご自身の命と引き換えに、私たちの罪を帳消しにし、私たちを永遠の死から救い、よみがえって、私たちに永遠のいのちを約束された、そしてそれはすべて預言通りで、天の父の神のご計画のうちにあることで、このことに常に感謝をささげることにつきるのだとうと思います。私たちは、神の声を聞こうとし、聖霊によってまわりの事柄から神の導きを理解しようと試み、また、自分自身の意志によって、イエス・キリストの恵みを思うようにするべきでしょうし、またそれらの導きを素直に受け入れる心の準備が必要です。

ヤコブは、シェケムの地で、息子たちの犯した残虐な罪のため、窮地に追い込まれていました。ヤコブは神の導きを求めたに違いありません。そして、神はヤコブにシェケムを離れ、ヤコブの信仰の原点であるベテルに向かいなさいと指示を出されました。ヤコブは、その神の指示に素直に従いました。いえ、従うしかなかったのでしょう。ヤコブは完全に主により頼んでいました。今までのヤコブのように、知恵を働かせて、策略を練るようなことはしませんでした。これまでのヤコブなら、押収した金銀の偶像の細工を溶かして持ち歩くことをしたかもしれませんが、家族や使用人たちから集めたそれらの品物を、シェケムの近くにある樫の木の下に隠しました。それは、ヤコブ一族が偶像礼拝との完全なる決別を意味しています。そして、神はそのことをよしとして、ヤコブたちを外敵から守られました。5節●「彼ら(ヤコブたち)が旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。」義理の父ラバンがヤコブを追いかけようとしたときもそうでした。31章24節●「神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。『あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。』」怒り心頭していたラバンに、ヤコブと争うなと告げられたのです。神は「わたしはあなたとともにいて、守り導く」という神の約束を守られました。神は私たちにも同じようにおっしゃいます。イザヤ書41章9-10節●「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」13節●「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、恐れるな。わたしがあなたを助ける。」また、イエス様も次のようにおっしゃいます。マタイの福音書28:20●「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」これほど心強いことはありません。人生は私たち自身の戦いではありますが、全能の主が戦ってくださいます、加勢してくださいます。主が不可能を可能にしてくださいます。そのためにも、ヤコブが信仰の原点であるベテルに導かれたように、私たちの、それぞれの信仰の原点に、いつも立ち帰ろうではありませんか。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきます。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 信仰の原点かぁ。大事やねぇ。わては洗礼受けたときは、あんまりなんもわからんと

洗礼受けたような気がする。まあ、半年ぐらい、聖書学んだんやから、

修了証書ぐらいに思てたわ。これでやっとクリスチャンになれるちゅうて思てな。

熊: へぇ、そうなんかいな。わてとは大違いやな。わて、洗礼受けたとき、聖書の学びなんか

あんまりしてへんかった。けんど、イエス・キリストというお方が、わての罪のために

十字架にかかりはって、わてが死ななあかんのに、わての身代わりとなってキリストが

死んでくださった。そう思たとき、わてはキリストはん信じます。

これからも信じていきまっさかい、洗礼受けさせてください、ちゅうてな。

八: そうそう、わて何も悪いことしてへんのに、罪人や、ゆうてゆわれて、わての罪が死に

価する、まあ死罪やちゅうって言われたときは、ゾゾっとしたこと覚えてる。

神様の目には、永遠に生きるか死ぬかどっちかしかないんやて言われたわ。

わてな、洗礼うけたとき、ザブーンゆうて後ろ向きに倒れて、水から顔上げたとき、

涙が出て、泣きじゃくってた、なんで泣いたか今でも分らんねん。それからやな、

ゆっくりとわての中でイエス様が育っていってくださったんや。

熊: 洗礼の時、八が泣きじゃくったんか。たこ入道が水から上がって暴れるような

感じやったんかな。

八: あほぅ。あんときはまだ髪の毛ふさふさやったわ。んで、熊もザブーンの洗礼かいな。

熊: わても、ザブーンや。けんどな、水から顔だすとき、鼻に水がはいって、

咳き込んでおうじょうしたわ。

八: 熊の原点も大変やったんやな。ところで、熊、わて、今日の35章で気になってる

ところがあるねん。

熊: お、わてもあるでぇ。八つぁんからゆうてみいな。

八: 8節のところやけどな、●「リベカのうばデボラは死に、ベテルの下手にある樫の木の

下に葬られた。」とあるやろ、なんで急にリベカのうばのデボラの死んだことが

出てくるんやろ。

熊: それもそやな、リベカゆうたらイサクの嫁さんや、ヤコブにとってはおばあさん。

そのおばあさんの乳母のデボラが死んだことが、やぶからぼうに。

嫁のラケルのうばやったらまだ分からんでもないけど。

八: いやいや、ラケルのうばやったとしても、分らん。なんで、乳母の話を急に挟むねん。

乳母がなんかしたんか?

熊: ひょっとしたら、樫の木つながりかいなぁ。シェケムの樫の木の下に偶像や分捕りものを

埋めたやろ。それで、ふと思い出して。そやそや、デボラはんも樫の木の下に葬った、

まあベテルの近くの樫の木に葬られはったんやけどな。思い出したんやから、

ちょっと付け足しとこか、みたいな。

八: 創世記を書いたんは、モーセはんやろ。まあ、神様がモーセはんに書かせはったんやけど、

そんなちゃめっけのあること、神様せぇへんやろ。なんか意味があるんやろうけどなぁ、

今のわてには分からんわ。

熊: まあ、そやな。聖書も分からん事だらけやし。そのうちのいくつかは、

分かって来るんやろうな。

八: んで、熊の気になってるところがどこや?

熊: わての気になってるのは二つあるんやけどな。一つ目はヤコブはんがベテルを旅立って、

エフラテ、まあ今のベツレヘムやわな、そのエフラテに行こうとしたことや。

八: ヤコブはんは、シェケムからベテルに南下して、そして、そこからまた南下して

ベツレヘムや。そして、ついには父イサクはんの住んでるキルヤテ・アルバ、

今のヘブロンまで南下や。

熊: 何回、南下するねんちゅうことなんやけどなぁ。

八: なんや、シャレ言いたかっただけかい。何回、南下するって。

熊: ちゃうちゃう。神様は「ベテルに上り、そこに住みなさい」ゆうてはったのに、

ヤコブはん、ベテル通りこしてベツレヘムそしてヘブロンまで行きはった。

まあ、お父はんのイサクはんに会いたかったのは分かるでぇ。けんど、ず~っと旅して

るさかい、身重のラケルはんには負担になったんとちゃうかな。ベニヤミンを産んで、

ベツレヘムで亡くなってしもた。神様のいうとおり、ベテルに腰を下ろしてたら、

ラケルはんも助かったかもしれん。

八: かもな。けんど、ラケルはんが父親ラバンはんから持ち出した偶像テラフィムを、ずっと

隠し持っていて、偶像礼拝をしていたということから、ヤコブ一家がグダグダになって

しもた。神様はその責任をラケルはんに取らせたのかもしれへんなぁ。しかし、神様は

ラケルの子のヨセフとベニヤミンに特別な役割を憐れみとして課せられはった。

ヨセフは、のちのちイスラエルであるヤコブ一族を飢餓から救うことになるし、

ベニヤミンからは、イスラエルの最初の王サウル王を出しはった。

熊: なるほどなぁ。それで、ラケルはんは、後にイエス様が誕生するベツレヘムの

入り口付近に葬られはったちゅうことか。今もあるらしいからなぁ、ラケルはんの墓は。

八: んで、熊。もう一つの気になるところは?

熊: イスラエル一家がミグダル・エデルから離れたところに住んでいた時、長男のルベンはん

が、父親のそばめビルハはんにちょっかいかけたやろ。イスラエル、つまりヤコブはん

のこっちゃな、そのイスラエルはんがそのことを聞いた、ちゅうところや。

イスラエルはんは、聞いただけかい!って思うんや。まだ、だんまりヤコブかえ!って。

八: 確かになぁ。この時はなんにもいわれへんかったけど。長子の権利を祝福するときに、

この聞いたことが、つながってくるねん。創世記の48章にそのことがでてくるんや。

ヨハネの息子二人、長男マナセと次男エフライムは孫にあたるんやけど、ヤコブはん、

それを自分の子とするんや。そして、その弟のエフライムにヤコブはんは長子の祝福を

するんや。ヤコブはんの長男ルベンは、ビルハはんにちょっかいかけたから、

長子の祝福を受けられへんかったんや。

熊: ほな何かい、長男が長子の権利を受けられへんかったんは、イシュマエルはんに代わって

イサクはん、エサウはんに代わってヤコブはん、ルベンはんに代わってエフライムはん。

三代続けてなんやなぁ。えらいもんや。ヤコブはんは、聞いただけとちゃうかったんや。

長子としてルベンはんは失格やったちゅうこっちゃな。調子にのったんが悪かった。

八: また、シャレかいな。ところで、何でヤコブはん、エサウはんとの約束守らへんかったん

やろなぁ。後からすぐ行くゆうといて、おやじさんのイサクはんの葬儀まで会わへん

かったやろ。なあ、なんでやろ、若さん。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。なんでやろぅって言われても、分からんものは分からへんわ。聖書は、そこんところほったらかしのところもあるさかいね。ところで、この35章もさまざまな情報がちりばめてあります。それを八さん熊さんがひろってくださいました。神はあたかもそのいろんな情報から、私たちがどの情報を心に留めるかによって、私たちの信仰や神への思い、聖書への思いをはかられておられるような気がするのです。私たちは、今日、その中で、「私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう」とするヤコブの『信仰の原点に立ち帰ろう』とする力強い決意に重きを置きました。神はそのヤコブの、そして私たちの決意を喜ばれるでしょう。そして、主は私たちに問われます。「あなたの原点とするわたしのことばは何ですか」

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、メッセージのタイトルと同じ「信仰の原点に立ち帰ろう」です。三回宣言します。

「信仰の原点に立ち帰ろう」、「信仰の原点に立ち帰ろう」、「信仰の原点に立ち帰ろう」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇63篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書7章21節。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」

黙想いたします。詩篇63篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:主の愛が今

https://www.youtube.com/watch?v=xspdCatpaSs

賛美⑦:御手の中で

https://www.youtube.com/watch?v=SG57vYDGlv8

●礼拝と献げものの感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の10月30日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記36章