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メッセージ主題:『心に留める』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.11.6主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年11月6日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:栄光主にあれ、主は良いお方

https://www.youtube.com/watch?v=h75j00LVVWE

賛美②:祈ります求めます

https://www.youtube.com/watch?v=GRFbvWaGn5M

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:主イエスの十字架の血で (11月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=0HDeZ6KnlNM

賛美④:あしあと

https://www.youtube.com/watch?v=wRlX461_0kA

https://www.youtube.com/watch?v=SJXZqckChnM

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:目を開けて

https://www.youtube.com/watch?v=up7U1LQFV9E

【YOUTUBE配信開始】

2022年11月6日 主日礼拝メッセージ

さあ、神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記37章(新改訳聖書)

中心聖句:

「ヨセフはまた、他の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、『また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです』と言った。ヨセフが父や兄たちに話したとき父は彼をしかって言った。『おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。』 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。」(9-11)

メッセージ主題:『心に留める』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

創世記37章は、ヤコブの最愛の妻ラケルの息子ヨセフの物語の序章であります。ヨセフが17歳の時の出来事が記されています。母ラケルはすでに亡くなっており、ラケルのもう一人の息子、ヤコブにとっては12人目の息子、ラケルの忘れな草、ベニヤミンがいるはずですが、その名前はでてきません。ヨセフ以外の息子たちの中で名前が記されていますのは、長男、レアの息子ルベンと四男のユダです。レアの息子たち①ルベン、②シメオン、③レビ、④ユダ、⑨イッサカル、⑩ゼブルンは羊の群れを飼っていました。また、奴隷ビルハの息子たち⑤ダン、⑥ナフタリ、そして奴隷ジルパの息子たち⑦ガド、⑧アセルは、ヨセフといっしょにいて、手伝いをしていました。兄たちは悪いことを繰り返していたようで、(彼らはシェケムの町での強奪のようなことを繰り返していたのかも知れません)、ヨセフはそのことを、父ヤコブに言いつけ、兄たちの反感をかいます。また、父親ヤコブも、ヨセフも最愛のラケルから生まれた子で、年を取ってできた子ですから、可愛くて仕方ありません。愛する妻ラケルを亡くしていますから、余計に彼女との息子たち、ヨセフもベニヤミンも可愛がったのでしょう。そして、あろうことか、ヨセフにだけ、そでつきの長服をつくってやっていました。そでつきの長服とは、手足がほぼほぼ隠れるもので、もちろん作業には向いていません。今で言ったら、上等なスーツというところでしょうか。もちろん、兄たちが、やっかむのも無理はありません。そして、兄たちの怒りが頂点に達する出来事が起こります。無邪気というか、まあ17歳ですから無邪気ではないですね。天然で空気の読めないヨセフは、自分が見た夢を兄たちに語ります。それは、兄たちがヨハネにひれ伏すというものでした。そして、続けて同じような夢を見て、そのことを兄たちだけでなく、父ヤコブにも伝えます。今度は、ヤコブも兄たちもヨセフに伏し拝むというものでした。さすがのヤコブもこれには、ヨセフをたしなめました。

兄たちは、いつかヨセフを殺してしまおうとたくらみます。そして、その恰好のチャンスがやってきます。場所は、あの忌まわしい殺人強奪事件のシェケムであります。兄たちは羊の群れをシュケムまで移動していた時でした。ヨセフが父ヤコブの言いつけで兄たちを探しにひょこひょこ一人でやってきたのです。飛んで火にいる夏の虫とはこのことでございます。しかし、長男ルベンが、実の弟ヨセフを手にかけるのはよくないと兄弟に殺害を思いとどまらせ、ヨセフを自力では、はい上がることのできない穴に投げ込みます。その時にヨセフのそでつきの長服をはぎ取っておきました。それは、後に父ヤコブに、ヨセフは猛獣に殺された証拠の品にするためでした。ルベンは、ひそかにヨセフを父のもとに返そうと思っていたのですが、彼の留守中に、商人たちが通りかかり、ユダが、『ヨセフを殺すより、奴隷として売ってしまおう』と提案し、その商人たちにヨセフを奴隷として売ってしまいます。父ヤコブは、ヨセフが猛獣に殺されたかのような証拠の品を見せつけられ、それを信じ、嘆き悲しみます。ヨセフはエジプトに連れて行かれ、エジプトの大臣の侍従長に売られてしまいます。さて、ここまでが、創世記37章のあらましです。

ヤコブとヨセフはどこか似ています。臆病でそれでいて人を蹴落としてまではい上がろうとするヤコブは、20年間ラバンに仕え、人間的にも信仰的にも成長していきます。天然で空気のよめないヨセフは、エジプトの地で練られ、そして夢を解き明かす力を発揮していきます。どちらも神がかれらを神のしもべとして長い年月をかけて整えられ、祝福を通して、神のご計画に用いられます。

ヤコブは父イサクの住むヘブロン、エルサレムの南にある土地に戻ります。しかし、エジプトに送られたヨセフは、エジプトで夢の解き明かしの能力がかわれ、エジプトの宰相となり、度重なる飢饉で苦しんでいるヤコブ一族を助け、エジプトで一緒に暮らすこととなります。そのヨセフ物語の序章として、37章があります。この37章では、「神」の記述や神の指示は一つもでてきません。しかし、神のご計画の片りんは、示されています。それは、ヨセフの夢であります。ヨセフの夢の中身、兄たちがヨセフにひれ伏すということもそうですが、ヨセフが夢で神がご計画されたことだとは気がつかないではいますが、神はヨセフに夢を解き明かす能力をお与えくださっている兆しがあるというところです。それを父ヤコブは感じ取っていました。ですから、11節で、「父はこのことを心に留めていた」と記されているのではないでしょうか。ヤコブは、ヨセフの夢は神がお見せくださったのかもしれないと思い、心に留めていました。しかし、それだから、ヨセフを溺愛したという訳ではなかったかも知れませんし、また逆に、ヨセフにそでつきの長服を着せたのも、その神から授かった夢の解き明かしの能力を思ってのことかもしれません。とにかく、ヨセフには何か神からの能力を授かっているのかもしれない、ヨセフは特別な子なのかもしれないと父ヤコブは思いをはせ、神に祈りをささげたのではないでしょうか。

「親が子どものことで心に留める」という記述で、思い出されるのが、イエス様の母、マリヤであります。ルカの福音書2章41節から51節までに、そのエピソードが記されています。あらましは次の通りであります。子どもイエスが12歳のとき……ユダヤ人の男子は13歳で成人を迎えます。ちなみに女子の成人は12歳であります。その前年はその成人式(バル・ミツバ)の準備の年であり、イエスは両親とともに過越しの祭りの巡礼に初めて同行し、都エルサレムへと向かいます。町の人々や親戚縁者が一斉にエルサレムへ向かいますから、道には長い行列ができます。また、その道中も楽しからずやといったところなのでしょう。さながら、日本で言うところのお伊勢参りのようなものであるのかもしれません。弥次喜多珍道中のたのしい話がそれを物語っています。さて、過越しの祭りの期間を過ごしてから、帰路についたヨセフとマリヤは、途中で、息子イエスが旅の一行の中にいないことに気がつき、エルサレムへ引き返します。(参照:エルサレムの地図)エルサレムの町中を捜しても見つかりません。残るは神殿であります。この神殿は大きな要塞のように丘に位置しています。(参照:エルサレム神殿模型)まさかと思い神殿に行きますと、はたして、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしているのを、両親は見つけます。群衆は、12歳のイエスの知恵と答えに驚いていました。母マリヤが「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」とイエスをたしなめると、イエスは両親に、あやまるどころか「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」と答えられました。そして、51節では、●「母(マリヤ)は、これらのことをみな、心に留めておいた」とあります。これらのこととは何でしょう。エルサレム神殿での出来事というのは分かりますが、そのほかのこととは? 同じ51節では「イエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた」とありますが、イエスがその後約18年間両親に仕えられた、というようなことではないようです。それは、イエス様の誕生秘話ではなかったでしょうか。マリヤが聖霊によって身ごもったときも、ヨセフにもマリヤにも、御使いが現われて、これから起きることを伝えられました。またイエス様がお生まれになった時、羊飼いたちや東方の博士たちが祝福にやって来ました。また、両親が幼子イエスを神にささげるために、エルサレムに行き、つまり日本でしたら、赤ちゃんの初宮もうでと言ったところでしょうか、そのエルサレムで、幼子イエスを抱きかかえたシメオンが、この幼子が特別な子であると告げ、神をほめたたえ、両親を祝福しました。これらのことを母マリヤは心に留めておいたのです。母マリヤも父ヤコブもそれぞれの息子たちが、いったいどのように神に用いられていくのかは、全く分かりませんでしたが、神が選ばれた特別な子である、いや、子ではないかと思い巡らせていたのではないでしょうか。

私たちも、私たちに対する神のご計画はわかりません。もちろん、確信していることはございます。主イエスを救い主キリストと信じ告白すれば、私たちに聖霊が降りて来て、私たちの心にとどまって、キリストの教えを思い出させてくださり、私たちをキリストに似る者へと造りかえてくださいます。そして、キリストが再び来られる時、イエス・キリストを信じる私たちは、天へと引き上げられ永遠のいのちを授けられます。しかし、この世での個々における神のご計画は、なかなか分かりません。母マリヤも父ヤコブも同じでした。しかし、母マリヤが、そして父ヤコブが、ある時期にそれまでのことを振り返ってみたときに、その時点に心に留めておいたことが、「ああ、やはりそうであったか」と納得したのではないでしょうか。私たちもそうではないでしょうか。私たちも私たちの人生を振り返ってみたときに、ここかしこに、主の導きが、確かにあって、その事がって、今の私たちがあることに気づかされるのではないでしょうか。そして、その心に留める行為によって、その時の感謝、また振り返っての感謝と、感謝が積み重なっていくのではないでしょうか。主の御業を心にとどめ、主に期待し、主に感謝をささげる人生とさせていただきましょう。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきます。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 神様のわてら一人一人の「ご計画」はわてらみたいな『軽薄』なものには分からんわな。

熊: 八、のっけからシャレかい。ええ、軽薄には計画分からんって?やってくれるやないか。

けんど、アホはアホなりに、神様によりたのむと楽やということだけは

分かってるさかい、アホのほうが生きやすい。

八: せやなぁ。カシコは、神様によりたのむのどうやったらええんやろか、って

頭で考えようとするさかい、生きづらいわな。

熊: 若さんの言うように、イエス様の恵みは感謝して受ける、それだけでええねん。

ただこでいただくの悪いから、なにかお返しせなあかんか、とか、

ただより高いもんあれへんから、もらったら、後から訳の分からん請求書が送りつけられるんとちゃうかとか。カシコの考えそうなこっちゃけど、イエス様の恵みに対しては、わてらは乞食同然やと思わなあかん。

八: なんや、乞食同然って。

熊: 乞食が何か物恵んでもらったとするやないか。な。その乞食がお返し考えるか。

それとも恵んでもらうために何か芸でもするか。せんやろ。

もろたら、「おありがとうございます」や。それでええねん。

感謝のしるしの「おありがとうございます」それだけでええねん。

八: そうか、じゃわてら、霊的には乞食やったんや。

熊: そや。それがやで、イエス様がお通りになって、イエス様の霊である聖霊様をわてらに

恵んでくれはったんや。わてらが求めたからな、「イエス様、おめぐみを~」ゆうて。

八: イエス様は救いのお恵みをくださったんやな。

永遠に渇くことのないいのちの水みたいなもんやな。

熊: せや、サマリヤの女もそやったようにな。それに中風の男もそやったやろ。

目の不自由な男もや。みんな、心にも体にも障害があったんやけど、

それ以上に霊的に飢え乾いてたんや。

イエス様のお恵みによって、両方とも癒されはった。

八: わてらも、そのイエス様の恵みにあずかってるんやから、感謝や。

ところでな、今日の「心に留める」ちゅうタイトルなんやけど、

これって、「覚えとく」ちゅうこっちゃろ?

熊: そや。神様のわてらにしてくれはったことを覚えといて、「あ~あの時のあのことは、

今のこのことに通じてるんやな。感謝や」と、神様のわてらに対するご計画が、

ちょっとでも見えた時、感謝をささげる。そのために、過去の守りと導きを、

ようよう忘れんと、心に留めとかなあかんちゅうこっちゃ。

八: ヤコブはんも、息子ヨセフが生きていてエジプトの偉いさんになって、

一族を飢餓から救い出してくれて、エジプトに呼び寄せられはった、

その事が分かって、ヨセフはんも今までの経緯をヤコブはんに語ったんやろな。

それで、「あ~、あの時の夢は、これのことやったんか」と

神様に感謝したにちがいあれへん。

熊: それにイエス様の母マリヤはんも同じや。弟子を引き連れて、救いと癒やしの不思議を

起こして、ガリラヤ湖を回りはったイエス様といっしょにいて、

「あ~、あの時の御使いのことばや、小さい時のイエスの不思議な行動は、

今のキリストになるためのものやったんや」と神様に感謝したにちがいあれへん。

八: 神様のしてくださったことを、振り返ってみることも大切やな。

熊: わて、メッセージ前に賛美した、「足あと」っていう曲、それとその曲のマーガレット

Fパワーズさんの物語、感動もんやった。神様のご計画はわてらには分からん。

けんど、今、わてらがこうして生かしていただいているのには、

神様のご計画が働いているからや。昔っからの不思議なことは、

ぜんぶ神様のご計画のうちにあること、そのことにほんまに感謝せなあかん。

八: そのためにも、いろんなことを心に留めておくことは、大事や。な、若さん!

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。私たちには、主のご計画が分からないからこそ、主の御業を、主の不思議を、主が恐らくしてくださったであろうことを、心に留め、振り返ってみたときに、そこに主が働いてくださっていたと気づかされ感謝をささげる者でありたいと思います。振り返っての気づきや感謝は、遅すぎることはありません。どんなときでも、主の御業に気づけば、素直に感謝をささげるようにいたしましょう。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「心に留めて主に感謝をささげます」です。三回宣言しましょう。

「心に留めて主に感謝をささげます」、「心に留めて主に感謝をささげます」、「心に留めて主に感謝をささげます」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇118篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書17章17-19節。

「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」

黙想いたします。詩篇118篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:主と共に歩む+わが心の目を開いてください

https://www.youtube.com/watch?v=Dn4YQCjX4G0

聖餐式

賛美⑦:どんな時にも

https://www.youtube.com/watch?v=64er54gdx2E

●礼拝と献げものの感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の11月13日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書:創世記38章