ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2022.11.13主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2022年11月13日主日礼拝式を始めます。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:生ける限り主を
https://www.youtube.com/watch?v=r-M4O5Xr0Kc
賛美②:いともよきものを
https://www.youtube.com/watch?v=V2kd3VLQ8wI
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:主イエスの十字架の血で (11月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=0HDeZ6KnlNM
賛美④:望みも消えゆくまでに
https://www.youtube.com/watch?v=4zmCipMXN6Q
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
賛美⑤:主がそばにいるから
https://www.youtube.com/watch?v=ikdWPBdaqd0
【YOUTUBE配信開始】
2022年11月6日 主日礼拝メッセージ
さあ、神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
●聖書拝読:創世記38章(新改訳聖書)
中心聖句:
「彼女(タマル)の出産の時になると、なんと、ふたごがその体内にいた。出産の時、一つの手が出て来たので、助産婦はそれをつかみ、その手に真っ赤な糸を結びつけて言った。『この子が最初に出て来たのです。』しかし、その子が手を引っ込めたとき、もうひとりの兄弟のほうが出て来た。それで彼女は、あなたは何であなたのために割り込むのです』と言った。それでその名はベレツと呼ばれた。そのあとで、真っ赤な糸をつけたもうひとりの兄弟が出て来た。それでその名はゼラフと呼ばれた。」(27-30)
メッセージ主題:『破れを修復されるイエス』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
創世記38章は、ヨセフ物語の間に挿入されたユダの物語であります。なぜ、突然ユダの物語が挿入されたのかは、不明ですが、ヨセフとユダは、イスラエルの中で2大勢力として成長していきます。のちの北イスラエル王国と南ユダ王国です。創世記の著者であり編者でもあるモーセが、そのことを予感しての記述かどうかは分かりませんが、神がそのように導かれたと考えます。
では、なぜユダだったのか。長子のルベンは、父ヤコブのそばめビルハと不義密通をしたため、ヤコブの信頼を失い、長子の権利はヨハネに移ります。また、次男のシメオン、三男のレビはシェケムでの殺人強奪の首謀者として、ヤコブ一族を窮地に追い込んだ張本人であり、その時点でヤコブの悩みの種ともなっていました。そして、四男のユダであります。思い出してみてください。38章で、ルベンはヨセフを父のもとに戻すように考え、他の兄弟たちが殺そうとするのをとどまらせ、穴の中にヨセフを落とします。しかし、ルベンの留守中に、兄弟たちは再びヨセフを殺そうと企みますが、ユダが兄弟たちを説き伏せ、ヨセフを奴隷として売り飛ばします。ルベンとユダがヨセフの窮地を救いました。ここで、この「ルベンの留守中に」というところが、ひっかかります。すでにルベンはビルハとの不義密通の件で、兄弟たちの間では、肩身の狭い思いをしていたのかもしれません。また、シメオンとレビも、あの忌まわしい殺人強奪の首謀者として、兄弟たちからも疎まれていたかもしれません。そうしますと、この時点で、11人の兄弟のリーダー的存在はユダということになります。ヨセフを奴隷として売ったとはいえ、ヨセフがエジプトに連れていかれた、いわば功労者は、ユダということになります。ですから、ヨセフ物語の間に、ヨセフのエジプトでの物語の前に、ユダの物語が挿入されているのではないでしょうか。
さて、そんなこんなで、38章はユダの物語でありますが、ユダもふしだらと言えばふしだらです。ユダは、道徳的にあまりよくないカナン人のシュアという人の娘を妻とします。その妻との間に、ユダは、3人の男の子、エル、オナン、シェラをもうけます。ユダは、エルに異邦人であるタマルを妻にめとらせます。しかし、そのことで神を怒らせ、エルは死にます。そして、ユダは、やもめとなってしまい跡継ぎのないタマルを次男のナオンにとつがせ、長子の跡継ぎを得ようとします。しかし、それを嫌ったナオンは、タマルに対して自慰行為で拒否します。ちなみに、自慰行為の名称は、そのナオンという名から生まれたそうです。そして、そのことが神の怒りをかい、ナオンも死にます。規定でいえば、三男のシェラがタマルを妻としないといけませんが、ユダには、シェラまで死んでしまってはという思いがあり、またシェラが若かったので、シェラが成人するまで待ちなさいと、タマルを実家に戻します。本当は実家に戻す必要はなかったそうですが、ユダはタマルとシェラをくっつけようとはさらさら思っていませんでした。月日が流れ、ユダの妻も死んでしまいます。喪があけて、ユダは羊の群れの毛を切るために、でかけます。タマルは、ユダが近くを通ることを知り、まったく音沙汰のないユダに業を煮やしたタマルは、神殿娼婦の恰好で、ユダの通り道にたっていることにしました。「神殿娼婦」とは、五穀豊穣を願いに神殿に来る人達に、その願いを聞き届けるための特別な娼婦であり、その娼婦は顔を覆っていました。普通の遊女は、顔は覆っていなかったそうです。ユダは、タマルにまんまと騙され、タマルと寝ます。「神殿娼婦」へは、神殿への捧げものをしないといけませんから、ユダは「子ヤギ」を送ることを約束します。その約束の印として、首にかけた印章とひもと、杖をタマルに渡します。印章やひもや杖は、その人を表すものであり、権威の象徴でもあったようです。まあ、いわば水戸黄門の印籠のようなものであります。そのような大切なものを約束の印として「神殿娼婦」に渡してしまったことは、ユダがユダ族の族長としての権威を軽んじてしまったことを意味しているのではないでしょうか。このことが後々問題となっていきます。ユダは、その権威の象徴である印章とひもと杖を返してもらおうと、子ヤギを送りますが、誰もその「神殿娼婦」を知りません。ユダは「神殿娼婦」を買ったことを誰にも知られたくありませんでしたので、それ以上、なにも事をおこしませんでした。
さて、3か月が過ぎ、タマルが身ごもっていることが、周りの人々にも判明し、「嫁にもかかわらず売春婦」というレッテルがはられ、そのことがユダの耳にもはいります。「嫁の密通」は、死罪です。タマルは約束の印章とひもと杖をユダに見せ、すべてのことが明るみにされ、死罪をまぬがれ、おとがめなしということになりました。当時、その土地では、息子に先立たれ、息子の妻に子どもがない場合は、その義理の父親とその息子の妻がいっしょになって跡継ぎを設けなければいけないという慣習もあったようで、ユダが、26節にある「あの女は私よりも正しい」と言ったのは、そのことを指して言っているのではないかと、ある解説書にありました。
人間ユダには、すぐれた指導者という一面と、女性に関してはだらしないという一面があったのかもしれません。
さて、月がみち、タマルは双子ゼラフとベレツを産みます。先に手がでたのはゼラフで兄となりますが、けっきょく先に出てきたのはベレツです。なにか、リベカの出産、エサウとヤコブの時とよく似ています。事実、旧約の系図では、ゼラフではなく、ベレツが長子として認められています。イエス様のお言葉、「あとの者が先になり、先の者があとになる」(マタイ20:16)という言葉が思い出されます。これはユダヤ人と異邦人の天国への導きを表したものですが、この言葉を思い出しました。
さて、タマルとベレツで思い出すのが、マタイの福音書1章のイエス・キリストの系図です。3節にある「ユダに、タマルによってパレスとザラがうまれ、パレスにエスロンが生まれ」と続いていきますが、このパレスとはベレツのことであり、ザラはゼラフのことです。ベレツは「破る」とか「飛び出す」という意味だそうです。また、ある解説書では、「破れ口」となっていました。創世記38章29節では、「割り込む」とあります。イエス・キリストの系図で、初めての女性の記載がタマルであり、その息子がベレツ。そして最後の女性の記載がマリヤであり、その息子がもちろんイエス・キリストです。なにか不思議を感じます。
どうしてかと申しますと、アブラハム、イサク、そして、ユダヤ人の祖であるヤコブ、彼の名は「人を押しのける」という意味でした。そしてユダ、その名の意味は「主に感謝する」、そして「割り込む」とか「破れ」とか「飛び出す」という意味のベレツ。何か人の営みを感じさせる名前です。一方で主に感謝をしながら、他方で、人を押しのけ、割り込み、関係、特に罪によって神との関係を破ってしまう。しかし、それを創造主である神は、その破れを修復するために、ひとり子であるイエス・キリストをこの世にお送りくださいました。キリストは神でありながら、人間の肉体をもって、痛みも苦しみも悲しみも喜びも、私たちと同じように味わえるように生まれ育ち、時が満ちて、私たちの罪を帳消しにするために、自ら十字架にかかり、ご自身の尊い命をいけにえとしてささげられました。そしてイエス・キリストを信じる者に永遠のいのちの希望をお約束くださいました。私たちは、その恵みの只中に生かされています。
信仰の祖であるアブラハムも命ほしさに嘘をつき、またイサクも同じ過ちを犯してしまいました。ヤコブは神を意識していない時期もあり、野心家でもありました。またユダは指導力はあっても、ふしだらな面もありました。それぞれに欠けのある人たちでしたが、神はそれでも愛されました。神はノアの洪水のときに、「人の心が思い図ることは、幼い時から悪である」(創世記8:21)と憐れみをかけられ、「生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない」とおっしゃられ、神の愛を示されました。
この38章のユダに限って言えば、彼は妻なきあと、欲情を遊女でみたそうとしたふしがあります。ユダヤ民族は、神殿娼婦や神殿男娼は禁じられていました。ユダの物語でこの神殿娼婦を買うというところがでてくるということは、ユダは、この時点で道徳的に堕落していたのかもしれません。死罪となるような、やもめのタマルの妊娠が、実は自分のせいであったとわかり、ユダはタマルをさばく資格のないことを悟ります。「あの女は私よりも正しい」 そして、あえて申し上げるなら、ユダに限らず、人には人をさばく資格などありはしないのです。イエス様の「罪赦された女」のエピソードが、それを如実に表しています。
ヨハネの福音書8章にあります。律法学者とパリサイ人がイエスを陥れようとして、姦淫の現場で捕まえられた女を、イエスの前に連れ出し、イエスにこの女を裁かせようとした。しかし、イエスの答えは、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」と言われたのでした。群衆はそれを聞くと、ひとりひとりと去っていき、イエスひとりが残され、イエスはその女に、「わたしもあなたを罪にさだめない。」とおっしゃられました。「わたしは人を裁きません」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。人の悪口を言ったり、告げ口したり、また噂を流したり。それは、裁きのひとつです。また、そのようなことを口に出さなくても思うことも裁きのひとつです。そう思えば、私たちは全員、根っからの罪人であり、人を裁く資格などないのです。神がノアにおっしゃられたように、「人の心が思い図ることは、幼い時から悪である」のです。私もそうです。口に出さなくても思っている時もたくさんあります。本当にじぶんが嫌になることだってあります。しかし、そんな私でもイエス様は愛してくださる。イエス様のいのちによって、血潮によって、私の罪ゆえの神さまと私の間の破れは、毎回の悔い改めの時に、修復されてきているのです。
私は、聖書はすごいなと思わされているところのひとつに、もちろん、み言葉の力が、霊的なマナとして私たちを生かしてくださっているのですが、それとは別に、アブラハム、ヨセフ、ヤコブ、ユダ、そしてタマルとベレツのように、人間臭いドロドロとした部分も包み隠さずおもてにだし、かつドロドロ人間の彼らから救い主イエス・キリストが生まれ、ドロドロ人間の私たちを救おうとされているというところです。その意味で、主イエス・キリストは、まことに世の光であります。十字架上のイエスの正面に立っていた百人隊長のことばを借りれば、「この方は、まことに神の子であった」と、主をほめたたえることしかできません。神と私たちの間の破れを修復してくださるイエス・キリストに栄光あれ!
さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきます。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: いやぁ、なんでヨセフ物語の間にユダの物語がサンドイッチされてんのか、
分かったような気がするわ。
熊: せやなぁ。ヨセフ族は北イスラエル王国に属したし、ユダ族は南ユダ王国に属したからな。
八: そや、けんどそれだけやない。ユダ族からダビデとソロモン、そしてず―っと後には、
我らがイエス様の誕生や。せやから、ここに、『ユダ族も忘れんといてや』、
ちゅう感じで、ユダはんサンドイッチや。囲碁でゆうところの、布石を打ったんやな。
後からきいてきよる。
熊: しかし、このユダはん、遊女を買うて、その遊女が自分の息子の嫁はんのタマルやったて、
それが妊娠をきっかけに公になってしもて、族長としての面目まるつぶれや。
八: ほんまや。「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、
知られず、また現われないものはありません。」
熊: それって、イエス様のことばやなぁ。
八: せや、ルカの福音書8章17節や。明かりのたとえや。
熊: けんど、八、それ、使い方まちごうてるで。隠れているものは、イエス様の福音や。
イエス様の福音を自分だけのものにしてはあかん。
秘密にしとってはあかんのや。イエス様の福音は、みんなに知ってもらわなあかん。
周りの人に伝えなあかん。イエス様の福音を伝えることによって、伝える人は、
イエス様の光を輝かせることになるんや。
イエス様が世の光なら、福音を伝えるわてらも、世の光なんや。
もうすぐ、クリスマスや。若さん、ちょっとずつ、クリスマスの飾りつけしとる。
クリスマスに向けてだけやないけど、イエス様の愛と恵み、お伝えせんとな。
八: そやな。けんど、熊、さすがやなぁ。ええ、わて勘違いしてたわ。
熊: いや、わても熊と同じように勘違いしてた。
「悪事はいつかばれる」という意味やと思てた。これ、横丁のご隠居はんの受け売り。
偉そうにゆうて、かんにんな。
八: いやいや、教えてもろてよかったわ。恥かくとこやった。
熊: けんど、悪いことはでけんなぁ。ユダはんもえらい大恥や。それ以来、ユダはん、
タマルはんを避けてたゆうから、バツも悪かったし、懲りたんやろなぁ。
タマルはんだけに、たまらん、ゆうて。
八: また、ダジャレかいな。安っぽいなぁ。
熊: ほっといてんか。それよか、若さん、タマルとベレツから、イエス様の系図に
もっていきはったやんか。
八: さすがやなぁ。
熊: いやいや、さすがなことあるかいな。鉄板やがな。新約聖書読んでたら、
マタイの福音書の第1章のイエス様の系図に、四人の女子はんが出て来るのは、
みんな知ってるところや。タマルに、ハラブに、ルツに、ウリヤの妻、
つまりバテ・シェバやね。
八: また、つまんねぇダジャレはさみよる。かなわんなぁ。
熊: 八もやないか、それに急に江戸っ子みたいになりよってからに。
八: まあ、たしかに、あの四人の女子はんは、有名やわな。
若さんが出してくるのも、まあ鉄板かもしれん。けんど、わてわな、
あのイエス様の系図、名前ばっかりでてきて、あんまりおもろないんやけど、
まあ、さっきまではそう思てた、、、、けんど、イスラエルの人たちにとっては、
あの一人一人の名前に物語がある、そこんところが思い出されて、めちゃんこ、
ワクワクするところかも知れへんなぁ、、、と、さっき、つくづく思わされたわ。
熊: まあ、イスラエルの人々にとっては、多かれ少なかれ先祖やからな。
八: わてら、ずーっと毎週、創世記1章ずつやってるやんか。だから、マタイの福音書の
イエス様の系図読んでてもな、アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダ、タマル、パレスと
ザラ、ここまでで、ほんの1節と半分しか、まだ来てへんけど、名前の背後にある
物語が思い出されるから、なんとなく嬉しいねん。
なんか、ちょっとイスラエル人になったみたいな気になるわ。
熊: そやなぁ、けんど、これからヨセフ物語やから、イエス様の系図からは離れてしまうで。
八: そら、大丈夫や。聖書のどこの章を読んでも、イエス様の恵みを伝えてくれはるやろ、
そんで、イエス様のこといつも思てられるわ。わてらと同んなじ、「イエス様いのち、
イエス様バカ」やから、若さんは。な、若さんそやろ。
―――――
嬉しいことゆうてくれますねぇ。「イエス様いのち、イエス様バカ」。この称号を超えるものはありません。八さん、熊さん、ありがとうございます。わてら三バカトリオですから。ユダもちょとふしだらで、また異邦人であるタマルもちょとふしだらで、けれどそれを神様、逆手にとって、ずっと後に聖なるお方、イエス様をこの世に誕生させてくださった。神様のご計画は、計りしれません。主の御名を賛美するしかありません。
では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、神と私たちの破れの間に立つイエス様を思い、「十字架のイエス様をいつも思います」です。三回宣言しましょう。
「十字架のイエス様をいつも思います」、「十字架のイエス様をいつも思います」、「十字架のイエス様をいつも思います」アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇20篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書9章31節。
「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」
黙想いたします。詩篇20篇。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑥:とうとき十字架
https://www.youtube.com/watch?v=rkv8w7icMYs
賛美⑦:土の器
https://www.youtube.com/watch?v=THYEz10LphM
●礼拝と献げものの感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の11月20日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書:創世記39章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/