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福音落語「パラダイス」

出囃子:バナナボート

「パラダイス」

まくら

人間は「おぎゃあ」と生まれてからには、いつかは死んでしまいます。

生まれた時には、たいていだれでも、「おぎゃあ」と言って、この世にポコリンと現われてくるわけでございますが、この世から消えるときには、人それぞれでございます。

「アッ」とこと切れる人もいれば、「フッ」と息を吐き終わって逝ってしまう人も、

「さよなら」という人もおれば、「愛しているよ」と、また「おかあちゃん!」と言って幕を閉じる人もいらっしゃいますでしょう。

「おぎゃあ」と生まれた時には、物心も何もついておりませんから、どこから来たなんてことは分かりません。後から「おまえは、お母さんのおなかの中から生まれて来たんだよ」と写真や映像を見せていただくことで、なるほどと納得するのでございます。

しかし、死んだ後は、どこに行くのかってことや、どうなってしまうのかってことは、こうじゃないかと信じていることはあっても、だれも検証できないのであります。

死んでいたのに生き返って、死後の世界はあぁだったこぉだったと、言ったところで、写真や映像があるわけでもございませんから、その人を信じるかどうかっていうことになります。

ですから、死後の世界が見えないから、死が恐いのでございましょうね。

この世で死んでも、必ずよみがえることが分かっていれば、少しは死が恐くないのかもしれません。

わたくしどもの信じているお方は、死からよみがえり、約40日間この世にいて、神さまからの教えを、生きておられる時とおなじように弟子たちに伝え、天にもどっていかれました。そのお方をイエス・キリストと申します。

ところで、今は2022年でございますが、西暦とは、イエス・キリストが誕生した年、皆さん、クリスマスでご存知のお方が生まれた、その年を西暦1年つまりキリスト元年と定めたのでございます。

今日のお話しは、その西暦33年ごろの、ことでございまして、この西暦1年に生まれたイエス・キリストというお方が、33歳の時に、エルサレムの町にありました、ゴルゴタと呼ばれた処刑場で十字架刑に処せられた時のお話しでございます。

イエス・キリストが一人で十字架にかかったのではございませんで、イエスの右と左に一人ずつ、十字架にかけられておりました。

十字架刑とはローマの極刑でございまして、半日ぐらいたって死に至るという、なかなかむごい処刑方法でござます。

両手を五寸釘よりも大きい釘でコーンコーン打たれ、また足も固定するためにコーンコーンと釘を打たれます。

当たり前の話ですが、釘を打たれるだけでも激痛が走りますが、バキバキっと骨を砕きながら釘を打つのでございますから、もう言い表せないような痛さでございます。

また、釘を打ってから、十字架が立てられます。

そうしますと、体重によって、打ってある釘が骨と肉を裂くのであります。

痛みが持続します。手の方が痛いからと、手に体重をかけないようにと、足を踏ん張りますと、足の釘が足の骨と肉を裂きます。

もう「いい加減に早く殺せ!」と言いたくなるぐらいなのですが、ローマ軍はそんな簡単に殺しはしません。

じっくりといたぶるわけでございます。あげくの果てに、死が近づいて来ますと、足の脛を打って、折るということをいたします。極刑中の極刑でございます。

イエス・キリストの左右には、極悪人が二人も立てられておりました。

名前は知られておりませんので、今日は、こちらで名前を勝手に付けさせていただきます。

いつも私の落語で登場していただいております、天国長屋の「八」と「熊」に、迷惑ではございましょうが、ここでは登場していただくことにいたしましょう。

 

←熊: いでぇ! いでぇよ! バラバはいいよなぁ。 あいつだけ助かりやがって。

もとはと言えば、あいつが首謀者じゃねぇか、今回の暴動にしてもよ。

あいつだけ、どうしてご赦免になったんだ。

→八: 熊の言うとおりだ。あいつにそそのかれて、おれもお前も、ローマ兵士、

やっちゃったんだもんなぁ。あいつは、今ごろ何してやがんだろうなぁ。

←熊: 祝い酒でもあびてんじゃねぇか。あ~、イデェ!

あの酸いぶどう酒を口にちょいと浸しただけだから、余計に喉が渇くぜ。

→八: そうだな。もう口ん中、からっからだよ。水が欲しいや。

←熊: おい、横のあんた、イエスとかいったよな。おいら、聞いたことがあるんだ。

あんたがよ、サマリヤの女に、なんて言ったか。

あの女に、「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがない。

わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出る」って言ったそうだじゃねぇか。

おいらにも、その水分けてくれよ。今すぐにだ! 

けっ!もう喉が渇いて、つばも出て来やしねぇや。

→八: 熊、無理いうんじゃねぇよ。この人も、俺たちとおなじで、手も足も、

身動きがとれねぇんだ。

←熊: そうさな、手も足もでねぇか。まあ、手も足も出てるから、

釘うたれちまってんだから。ハハハ、笑えるねぇ、ハハ、イデ、

「イデデ、イデデ、デエエオ!えらいこっちゃ、わてかなわんわ」ってか!

→八: 熊、とうとう頭おかしくなったか、ボーット、してきたか。何言ってんだよ、

「イデデ、イデデ、えらいこっちゃ、わてかなわん!」って! 

関西弁になってるぞ!「ボーっとしてんじゃねぇよ!」チコチャンに叱られるぞ。

そういう時は、ほんとうは、甘いもんでも喰やいいんだけどなぁ。

おめえ、バナナ好きだったよな。バナナ喰ってボーットしてんの直せば、、、

って、俺たちに喰うもん、くれるわけねぇか。ローマ兵が。ハハハ、イデデデェ

←熊: 八、おめぇが、バナナの話をするから、よけい腹ぁへってきたじゃねえか。

おい、そこのイエスさんよ、おれ、もうひとつ思い出したぞ。

おめぇが5000人にパンと魚(うお)を配ったこと。なんか、パン5つと、

小魚2匹をお祈りして配ると、みんなに与えられたってやつ。

俺たちのその中にいたんだよ。末席にな。なあ、八!

→八: おお、熊。あん時はおったまげたね! どうやったら、あのパン5つと

小魚2匹が増えるんだって。おれたち、腹いっぱいになったもんさ!

そして、聞いたことがあるんだ。

後で弟子たちのみんなに、「わたしがいのちのパンです。

わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、

決して渇くことがありません。」って言ったって。

←熊: そんなこと、言ったのか、こいつ。やい、イエス!おれ、腹減ってんだ。

おめぇ、なんか、かじらせろ! 

→八: 熊、ばかいってんじゃねぇよ。このお方は、

「わたしを信じたら、飢えることも渇くこともないって」言ってんだよ。

←熊: バカはおめぇだよ、八。こいつは、いんちきやろうだ。たしかに、

パン5つと小魚2匹で、5000人を満腹にしたかもしれねぇ。

いや、女子供あわせれば、10000人はくだらねぇかもしれねぇな。

でもよ、おれに、バナナはだせねぇじゃねぇか。

→八: おめぇ、とことん、バナナにこだわるなぁ、死に際によ。

←熊: 「イデデ、イデデ、デエエオ!腹がへったぜ、バナナくれ!」 

腹減って怒って動いたら、痛くなってきやがった。なんだ、なんだぁ!

やい! イエス、おめぇはほんとうにお人好しのバカだなぁ! 

おめえぇの着物をくじ引いて分けている連中がいるっているのによ、

やつらに向かって、「父よ。彼らをお赦しください。

彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ってか?! 

ヤハハハハ、やつらは、ちゃんと分かってるよ。

くじ引いて、おめぇの着物を分けてんだよ!金にするためにな。

→八: 熊、バカは、おめぇだよ。この人の頭の上にあるお札を見ねぇよ。

「これはユダヤ人の王」って書いてあるだろ、

これは、ピラトの直筆(じきひつ)だぜ。祭司長たちじゃなくて、

ピラトが言うんだ。この人はほんとうに正しい人なんだよ、

王さまなんだよ。キリストなんだ。

←熊: 八、とうとう、痛みが頭までまわって、しびれてきたか。

こいつが、王でもキリストでもあるわけねぇじゃねぇか。

キリストは死なねぇんだよ!みんな、そう言ってらぁな!

それに、本物のキリストは、ローマ軍の支配を終わらせて、

俺たちは、晴れて自由の身となる。ところが、当のキリストさんは、このざまだ。

やい!ナザレのイエス!あんたが、ユダヤ人の王なら、自分を救ってみろてんだ!

 

→八: おい、熊、口が過ぎるぞ。俺もお前も、ワルだ。いっぱい悪いこともしてきたし、

人も殺めちまった。罪深いんだ。だから、十字架という報いを受けてんだ。

けどよ、このお方は俺たちのように悪いことはこれぽっちもしちゃぁいねぇ!

本当に正しい人なんだよ。

←熊: イデェ! ちくしょう! もうがまんできねぇ。早く殺せぇ!

イエス!あんたがキリストなら、自分とおれたちを救え! 

なんとか言ってみろよ! だまってねぇでよ!

→八: だまってろ、熊!いいかげんにしろ! イエスさま、お願いがあります。

おれっちは、あなたをキリストと信じます。

あなたが、御国の位にお着きになるときには、わたしを思い出して下さい!

わたしは、この後(あと)、どうなりますか。

◎イエス: まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、

わたしとともにパラダイスにいます。

→八: え?! パラダイスですか。

だけど、おれっちは、やっぱり死んじまうんですね。

死ぬのは怖ぇ! 死なずに生きるようにしてくださるのではないのですか。

◎イエス: いえ、わたしは、よみがえりです。いのちです。

わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

→八: 死んでも生きる? イエスさまと一緒に死んで、一緒によみがえるんですかい。

信じます、信じますとも、イエスさま。

ですから、あっしをお連れ下さい。そのパラダイスへと。

◎イエス: テテレスタイ! ことは成就した。父よ、わが霊を御手にゆだねます。

←熊: 「テテレスタイ!」終わったって?どういうこった、やい、勝手におわらすな!

オレまだこころにいるじゃねぇか。オレもつれていけぇってんだ!

ところで、そのパラダイスってとこには、バナナはあるかい!

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いつまでたっても、この世と縁の切れない、熊でありますが。

八は、もうすでに天の御国をみつめて、平安につつまれております。

「後悔先に立たず」と申します。また、「ボーっとしておると、後の祭り」ともなりかねません。ほんの少しの勇気をもってイエス様を信じ、「イエス様はわが救い主」と告白するかどうかで、パラダイスに行くか、そうでないかが、決まります。

イエス様はおっしゃいます。「だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:46-48)

イエス様を信じる人は、永遠のいのちが約束されます。みなさんも勇気をだして、

「イエス様、信じます、信じたいと思います」と心を決めてみませんか。

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今、この場にいらっしゃる方々は、あなた様に招かれた方々です。どうか私たち全員を永遠のいのちに導いてください。

「私はイエス・キリストを信じます、信じ続けます」と告白する信仰と勇気をお与えください。主イエス・キリストのお名前によって、お祈りいたします。アーメン。

主に栄光あれ。

(バナナボートの曲で去る)