ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2022.12.11主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2022年12月11日主日礼拝式を始めます。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:もろびとこぞりて
https://www.youtube.com/watch?v=eBJzfLsxtC8
賛美②:荒野のはてに
https://www.youtube.com/watch?v=ga9tbLmRTK4
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:主の愛がいま (12月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=eV4pAbUFoGA
賛美④:驚くばかりの
https://www.youtube.com/watch?v=2MjZ7DBAgI4
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
賛美⑤:悩む世人のために
https://www.youtube.com/watch?v=clr9jKCeavs
【YOUTUBE配信開始】
2022年12月11日 主日礼拝メッセージ
さあ、神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
●聖書拝読:創世記41章(新改訳聖書)
中心聖句:
「ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」(16)
メッセージ主題:『謙遜と栄光』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
献酌官長が嫌疑を解かれ、監獄を出てしまうとヨセフのことを忘れてしまったので、ヨセフはそれから2年間、牢獄にて、監獄の長のもとで囚人の世話をしていました。しかし、神はパロに解き明かすには難解な夢を見させます。そして、その夢の解き明かしをエジプト全土にお触れを出しますが、誰もその夢を解き明かせません。その時、献酌官長は、ヨセフのことを思い出し、パロにヨセフのことを伝え、ヨセフはパロのもとへ呼び出されます。そして、ヨセフはみごとにパロの夢を解き明かします。そのパロの夢は、7年間の大豊作と7年間の大飢饉のことであるという国益に大いなる影響をもたらすものであることが明らかになり、パロはヨセフの神がかりの知恵を重んじ、ヨセフをエジプト全土を管理するように命じます。つまり、パロの次に権威ある者に任命されました。
奴隷の身であり、囚人の身でありながら、いわば、一夜にして、大統領とか首相になったような、立身出世であります。人は、立身出世すると驕りやすい生き物ですが、ヨセフは、ヨセフの知恵や夢の解き明かしは、神の業、神のものだと主張します。これは、クリスチャンがよく言う、「神に栄光をお返しする」「神をほめたたえる」ということです。
最近、私はテレビを見ていませんので、ネットニュースで知ったのですが、10日前の、サッカー日本チームがワールドカップカタール大会にて、スペインを破って、グループリーグ突破を決めたそうですね、おめでとうございます。しかし、リーグでは残念ながら初戦敗退でしたが、日本チームよく頑張りました。さて、海外のサッカー選手がゴールを決めたとき、よくする仕草に、天を仰ぐ姿や、ネックレスにキスを姿や、胸に十字を切る姿があります。恐らく、この選手たちは、クリスチャンで、「このゴールは私の力ではなく、あなたの栄光が現われるためのものです」と「神に感謝をしている」姿でしょう。
私たちは、ここに神に対する謙遜をみます。そして、その謙遜は特別な出来事の時だけではなく、日常生活においても求められます。謙遜は、その人の資質とならなければいけません。聖書では、それを「へりくだる者」として表します。
●ヨブ記22章29節
「あなたが低くされると、あなたは高められたと言おう。神はへりくだる者を救われるからだ。」
また、へりくだって、主を求める者を「貧しい者」とも表します。
●詩篇25篇9節
「主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の実を教えられる。」
イエス様も「平地の説教」とか「山上の説教」とか言われる聖書の箇所で、まず初めにこの「貧しい者」を出されています。
●ルカの福音書6章20節
「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。」
●マタイの福音書5章3節
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
神に対してへりくだる者、謙遜を身につけている人が、もっとも神に喜ばれるのです。
箴言には次の言葉があります。
●箴言1章7節
「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」
●箴言15章33節
「主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。」
神からの知恵とは、「神が創造主であり、人間はその創造物であり、それをわきまえ知らなければいけない」ということであり、それには「主を恐れる、主を敬う」ことからはじまるということであります。また、その神からの知恵が謙遜の原点であり、謙遜な者が、神に喜ばれ、神からの祝福を大いに受けるといことも、私たちは知っています。
アダムとエバも、はじめは「神が創造主であり、人間はその創造物である」ということを知っていたはずです。しかし、なぜかそのことにあぐらをかいてしまったといいますか、気持ちにゆるみがでてしまいました。その心の隙を悪魔にねらわれ、人間的な「善悪を知る木の実」を食べ、自分たちが裸であることに、神の守りである祝福がなくなってしまったことに気がつきました。その時点で、悔い改めて神の守りを求めることをすればよかったのかもしれませんが、アダムとエバは、自分自身の知恵で、すぐに干からびてダメになってしまうイチジクの葉で身をくるみました。つまり人間的な知恵は、神の目から見れば一時しのぎのものでしかないのです。そして、アダムとエバが、善悪を知る木の実」を食べたのを人のせいにしてしまいます。アダムはエバのせいに、エバは蛇のせいに、一時しのぎの言い訳。このほんの些細な罪が、次の世代では、兄カインが弟アベルを殺してしまうという、取り返しのつかない大きな罪へと発展してしまうのです。神を恐れぬ自己中心の罪、神に対する謙遜を忘れてしまった結果でした。
しかし、神は、神と人間の関係が元通りになり、人間を大いに祝福したいがために、モーセをとおして、十戒、律法を民に与えました。その真意は、「神が創造主であり、人間はその創造物である」ということ、謙遜、神への恐れを知らせるためでした。律法を守っただけでは、神との関係を回復できないこと、またそれ以前に律法を守り切ることは不可能だということ、神と人間の間には、人間から近づくには限界があることを、気づかせるためのものでした。
その上で、神は、ご自身のひとり子であられるイエス・キリストをこの世に誕生させ、神の方から、人間に手を差し伸べ、天に引き上げるために、ひとり子の聖なる命を私たちの罪のあがない、罪の赦しのために捧げ、そして、そのイエスを生き返らせ、私たちを罪のない新しい人として生れ返らせる計画を実行しました。ヨハネの福音書にある次の言葉は真理なのです。
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(3章16,17節)
神は、この世界を神の恵みであふれるように造り、人をその管理者としておきました。しかし、人に、神ではなく自分を中心に置くという罪がはいり、この世界の平和を乱すようになりました。そこで、神は人を愛するがゆえの「しつけ」としての律法を授けましたが、人は神でなく、律法を絶対視し、いわば律法を神としてしまいました。イエス・キリストはその律法の完成者として来られ、自らの命をもって私たちの罪を帳消しにし、イエス・キリストを信じる者は救いにあずかることができるようにされました。イエス・キリストを信じると聖霊様が私たちの心に宿り、私たちに、イエス・キリストのへりくだり、謙遜を身につけるように訓練し、キリストに似る者へと導いてくださるのです。
ヨセフは、その謙遜を身につけた人でした。「わたしの力ではなく、神が、ご計画通り、神の祝したいものを祝し、裁きたいものを裁く」ただ、ヨセフはそれをお伝えしただけのこと。そのお伝えする能力も神からさずかったもの。神のみをほめたたえる姿勢をヨセフは、聖霊によって身につけ、監獄の中でも希望を失いませんでした。私たちも謙遜を身につけさせていただき、常に主に栄光を帰し、主をほめたたえましょう。
さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきましょう。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: ヨセフさんの謙遜って、すごいなぁ。だれも解き明かされへんかった、パロの夢を
解き明かして、それもパロを納得させたにもかからわず、自分の力やない、
神様の力やゆうて言いはって。
熊: せやなぁ。パロがヨセフはんの解き明かしを納得せえへんかったら、ヨ
セフはんは処刑されてるかもしれへん。やから、ヨセフはんは、ちょっとは
胸張ってもええぐらいやのに、神がパロの繁栄をお知らせになっただけ、
自分はただの使い走りにすぎませんぐらいのへりぐだり。なかなかできることとちゃう。
八: けんどな、こうも考えられるで。パロを納得させたのも、神様や。やっぱり、
神様の働きなしでは、ヨセフはんの神様からいただいた能力を
認めさせることはでけんねや。
熊: たしかにな。いくら神様に秀でた能力をいただいていたとしても、謙遜がなかったら、
神様働いてくれはらへん。神様の栄光やのに、あたかも自分の栄光やとして
しもたんでは、神様も怒りはるちゅうか、悲しまれる。
次からは、その能力も取り去られるかも知れん。
八: 能力もその能力を生かすチャンスも、すべて神様が与えて下さる。それを自分のもの、
自分が称賛を浴びるためのものとしてしもうては、なんにもならん。
ほれ、イエス様もゆうてはるやん、
●「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないように
しなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で
見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:3-4)
熊: ああ、人前で善行しないように、善行をするなら隠れた所でしなさい、
ちゅうところやわな。けど、なんで人前でええことしたらあかんの?
八: あほやなぁ、人前でしてしもたら、まわりの人から褒められる。
熊: 褒められたらあかんのかいな。褒められたらええこんころもちになって、
この次もええことしょ、ちゅう気持ちになるで。
八: それはそれでええかもしれん、けんどな、人から褒められるちゅうことは、
もういっぺん褒められたんやさかい、神様から褒められることはない。
熊: え、人から褒められたら、神様からのお褒めのことばはないのかいな。
八: そうなんとちゃうか、もったいない話やろ。神様からのお褒めの言葉は、祝福の約束や。
まあ、例えば、人の命をすくって、人から褒められたとしたら、良くて警察からの
感謝状や、腹の足しにもならん。けんど、神様からお褒めの言葉をいただいたら、
それは祝福の約束や。わてらの必要を必ず満たしてくださる、そんなお約束やったら、
神様に褒められた方がものごっついええやろ。
熊: そいでか、隣の定吉がな、時々、いいよるんや。
「また褒められてしもた、残念や」ゆうて。
定吉がなんかええことしたんやろうなぁ。神様に褒めてもらいたかったのに、
先に人にほめられてしもた。やから、残念や。ゆうて。
八: そう考えたらあれやなぁ。わて、ふと思いついたんやけど、「天に宝を積む」
ちゅうことがあるやんか。若さん、前、ゆうてはったな。喜んだり、祈ったり、
感謝したりするのも、天に宝を積むちゅうことやて。
つまりは、神様に喜んでもらうことをすることが、天に宝を積むちゅうことなんやって。
謙遜もその宝を積むちゅうことになるんやろうな。けんど、人に褒められようとして、
何かええことしても、もう褒められてしもてんねんから、天に宝を積むちゅうことには
ならんわな。「天に宝を積む」ちゅうことは、神様からの祝福の約束を受けるちゅう
ことなんかもしれんな。
熊: 八、ちょっと思いついたんやけど、こう考えたらあかんのかな。
最近、「ポイントを貯める」ちゅうのがあるやんか。やから「天に宝を積む」
ちゅうのは「天にポイントを貯める」ちゅうこととして考えたらあかんのか。
八: ポイント貯めて、どうするねんな。ポイント貯めて、何かに換えてもらうんか。
「ポイント貯めて天国行こう!」なんて考えたら、それはイエス様の十字架の死を
無駄にしてることになるんやで。わてらは善い行いで天国行けるわけやあらへん。
まず、イエス様が十字架におかかりになって、イエス様を信じるわてらの罪を
ぜんぶ帳消しにしてくださったんや。努力で天国に行けるわけやあれへんし、
天に宝を積んで、天国に行けるわけやあれへん。
それは、めちゃんこ危ない考え方や。そんなポイントはいらんねん。
熊: じゃあ、どうして「天に宝を積む」っていうてはんのんな?
八: イエス様は「自分の宝は、天にたくわえなさい。」(マタイ6:20)の次に、
●「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」とおっしゃってはる。
つまりは、「天に宝を積む」ちゅうのは、行いの結果やないんや、
天を仰くわてらの心の置き方やと思うねん。この世で、仕事しているときでも、
食事しているときでも、お風呂入っているときや、はたまたテレビ見ている時でも、
どんなときでも、イエス様に心を向けていること、これが「天に宝を積む」
ちゅうことなんや、とわては思うねん。
熊: じゃ、なにかいな。あのパウロはんがゆうてはった、「十字架におかかりくださった
イエス様をいつも思っていなさい」ちゅうのが、「天に宝を積む」ちゅうことかいな。
八: そういうことになるやろうな。2テモテ2章8節やな、それは。
●「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえった
イエス・キリストを、いつも思っていなさい。」
熊: いつもイエス様を思っていたら天国に宝を積むちゅうことになるんやな。
八: そや、けんど、それだけやあれへんで。「いつも思っていたら」どうなるか、
11節に言ってはる。●「もし私たちが、彼(イエス様)とともに死んだのなら、
彼(イエス様)とともに生きるようになる。」
熊: つまり、あれか。イエス様とともに古い自分が死んだら、イエス様とともに
新しく生まれ変わった自分として生きるちゅうことかいな。
八: せやで。ローマ書には、次のように言ってはるな。
●「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、
私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、
私たちは知っています。」(6:6)
わてらは、イエス様を信じて、信仰告白して、洗礼をうけた。ザブーンと水につかって、
罪の奴隷は死んで、水から上がったとき、新しくされたんや。
熊: けんど、洗礼けてクリスチャンになっても、ちゃんと罪はおかしよる。
八: なんやねん、ダジャレか。ちゃんと罪はおかしよる、って。おかしなやっちゃな。
熊: お、ダジャレをダジャレでかえしよった。
八: 当たり前や。売られたダジャレは買わんとな。ま、それはええねん。
まったく罪をおかさなくなるのは、わてらがこの世から去ったときや。
いくら、イエス様に新しくされても、罪の性質は残っとる。
やから、毎回悔い改めて、毎日わてらは新しくされんとあかんねん。
熊: なるほどなぁ。そのためのイエス様の十字架での贖いやし、血潮の力でもあるねんな。
八: せやでぇ。で、話をヨセフはんの謙遜に戻さなあかんねんけど。
結局は、わてらの能力も神様からの預かりもんやし、その能力を発揮するチャンスも
神様からの導きやし。
熊: 神様はわてらをお造りになられたお方で、わてらは神様の創造物。その立場をわきまえ
知るちゅうことが、「神を畏れる」ちゅことやし、謙遜になる秘訣やね。
八: けんど、それがなかなかでけん。そこに罪がはびこっとる。
熊: 一朝一夕にはでけん。せやから、「主とともに歩む」という賛美があるやんな。
主と共に歩む その楽しさよ
主の踏み給いし 御跡をたどる
ひと足ひと足 主にすがりて
絶えず絶えず 我は進まん
八: 熊、ようゆうた。それが、謙遜の秘訣や。その歌詞に謙遜の秘訣が隠されとる。
熊: それって、どこや。
八: なんや、分からんとゆうたんかいな。
「主の踏み給いし 御跡をたどる」やないかいな。
主の足跡に従って、主を見上げて歩む、それやがな。謙遜って、なあ、若さん。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。
「主の踏み給いし 御跡をたどる」謙遜の極意かもしれませんね。いえ、極意でしょう。
今回も八さんと熊さんに、教えられました。いや、八さん熊さんを導かれた聖霊様に感謝いたします。
では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、主を恐れ謙遜を覚えつつ「主の御跡をたどります」です。私たちの救い主イエス様のご降誕を感謝しつつ、三回宣言しましょう。
「主の御跡をたどります」、「主の御跡をたどります」、「主の御跡をたどります」アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇51篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書5章5節。
「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」
黙想いたします。詩篇51篇。
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑥:主と共に歩む
https://www.youtube.com/watch?v=MVgG3l34ONQ
賛美⑦:主の手にわが手を重ね
https://www.youtube.com/watch?v=XYj6mcSpcn4
●礼拝と献げものの感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の12月18日 午後5時から小阪チャペルにて、主日特別礼拝。
聖書:
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/