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メッセージ主題:『悲しむ者は幸いです』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2022.12.18主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2022年12月18日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

さあ、私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:静かに眠れるベツレヘムよ

https://www.youtube.com/watch?v=LnhlWUkpacE

賛美②:わが喜びの理由

https://www.youtube.com/watch?v=HYt6r1TywiE

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:主の愛がいま (12月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=eV4pAbUFoGA

賛美④:天には栄え

https://www.youtube.com/watch?v=PeVevtfACqA

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:新しい命

https://www.youtube.com/watch?v=QY9QiHX1ITQ

【YOUTUBE配信開始】

2022年12月18日 主日礼拝メッセージ

さあ、神様からのメッセージの前に2022年の年間聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記42章(新改訳聖書)

中心聖句:

「ヨセフは兄弟たちを見て、それとわかったが、彼らに対して見知らぬ者のようにふるまい、荒々しいことばで彼らに言った。『あなたがたは、どこから来たのか。』すると彼らは答えた。『カナンの地から食糧を買いにまいりました。』」(7)

メッセージ主題:『悲しむ者は幸いです』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ヨセフはわざと荒々しい言葉を使って、カナンの地から食糧を買いにきた兄弟たちを、スパイ扱いしました。3日間、監禁所にいれたのち、ヨセフはある条件を提示いたします。

スパイでないという証拠に、末の弟ベニヤミンを連れて来るというものでありました。兄弟たちは、悟ります。●「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」(21) 彼らは、悔い改めました。そして、その悔い改めはヨセフの耳にとどいていました。

ヨセフは、シメオンを人質として、エジプトにとどまらせ、残りの兄弟たちに食糧をもたせて帰しました。返る途中の宿泊所で、食糧の袋の中に渡したはずの食糧の代金の銀が返されているのに気づきます。帰って、父ヤコブにすべてのことを話します。

しかし、父ヤコブは、溺愛するベニヤミンを手放したくありません。ヨセフを20年前に失い、シメオンもいない、そして、ベニヤミンまでも失うことには耐えられなかったのであります。そうこうするうちに飢饉がひどくなっていきます。 と、ここまでが42章のあらましです。

私は、この42章で感じたことは、ヨセフの心の揺れと神の摂理であります。

ヨセフは、兄たちを見たとき、一目で兄たちだとわかりましたが、昔、ヨセフをいじめ、ヨセフを奴隷として売り飛ばした兄たちと、今の兄たちとはどこが違うのか。兄たちはどう変わったのか、ヨセフのあの事件に関して、心から悔い改めているのか。

それを見極めるための荒々しい言葉使いでしたし、スパイ容疑でありました。

また、ベニヤミンがあの時のヨセフのようにいじめられてはいないかと心配でもありました。

彼らとの応答で、父ヤコブもベニヤミンも元気であることがわかり、安堵し、初めは、兄たちのうち一人だけを父のもとに返すように決めていましたが、3日間の拘留で、ヨセフは、飢饉で苦しんでいる父と弟と兄たちを不憫に思い、シメオン一人を残し、残りの兄たちを父のもとに返しました、食糧の代金もそっくりそのまま戻して。

ヨセフの心はゆれていました。ヨセフの一見、兄たちに対してきびしい言動は、兄たちへの悔い改めを導きます。神も同じように、私たちが頑なな心であればあるほど、きびしいしつけによって、私たちを、神に対して従順へと導きます。それを試練とも呼びます。そして、神に対して従順であれば、憐みによって、大いなる祝福をうけることになるのです。

兄たちが戻り、父ヤコブにそれまでのいきさつを話し、ベニヤミンを連れて戻らなければならないことを話すと、ヤコブは悲しみにくれます。ヤコブは、飢饉の苦しみもあいまって、不幸のどん底でした。

しかし、このことは、神による試練でもあります。人がどんなに不幸な時でも、幸福な時と同じように、神を信じ、神をあがめ、神の愛を疑わず、神に信頼するように、神は私たちを鍛えてくださるのです。幸福と不幸はこの世の常です。しかし、その幸福と不幸の振り子がふれるときでも、常に神を思い、神に感謝することを、神は私たちに要求するのです。

ヤコブの悲しみは、神に従うことによって、神の憐みをうけ、予期しない祝福がまっているのです。そして、のちのち、ヤコブはエジプトで、失った愛する息子ヨセフを取りもどすという大いなる慰めを与えられることになります。

このことから、イエス様の「山上の説教」や「平地の説教」と言われるところの、●「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)が思い出されます。しかし、イエス様がおっしゃる「悲しむ者は幸いです」は少し異なります。「悲しみ」とは、この世的な悲しみ、例えば愛する人を亡くすことを指しているというよりは、「自分の罪深さに悲しむ」ことを言っていると思われます。

この4節の前後を見てみましょう。

3節●「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだから。」

5節●「柔和な者は幸いです。その人は地を受け継ぐから。」

6節●「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」

3節の「心の貧しい者」とは、『自己中でない人、神を中心とする人』のことであり、5節の「柔和な者」とは、『へりくだった人』のこと、6節の「義に飢え渇いている者」とは、『神を待ち望む人』のことです。つまり、イエス様は、私たちの内面を問われておられるのです。そのことを踏まえますと、やはり4節の「悲しむ者」とは、『自分の罪に対して悲しむ人、自分の罪深さを知る人』のことだと言えるでしょう。

私たちは、罪をにくみます。しかし、それと同時に、自分も罪を犯してしまう者として自己嫌悪に陥ることもあります。罪を憎みながら、罪を犯してしまう醜い自分を、どのように納得させるのか。そのことが解決されなければ、自暴自棄になってしまい荒れた生活を送るか、自ら命を絶ってしまうことにもなりかねません。自分の力ではどうしようも解決できない難題を、神はイエス様をこの世にお送りくださり、ご自身のいのちをもって、私たちの罪をぬぐい、帳消しにして下さるという、大どんでん返しの秘策にうって出られました。その上、イエス様を信じる者には、イエス様の平安であり助け主である聖霊様を私たちの心にお送りくださって、私たちがこの世を去るまで留まり続け、私たちを、罪を犯しにくい性質へと日々変えてくださり、キリストに似る者へと近づけてくださるのです。

日々の生活において、罪の意識を高め、悔い改めに導いてくださる聖霊様を通して、神は慰めと予期しない大きなる祝福とそして平安を与えてくださいます。イエス様の十字架での贖いを思うことによって、罪は赦されたという慰めをいただき、明日もまたイエス様と共に歩ましていただこうと思わされるのです。

●「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるから。」この御言葉を覚えたいと思います。

この創世記42章は、その意味からいえば、ヨセフの兄たちと父ヤコブの悲しみ、過去に犯した罪を悲しみ、悔い改める姿勢が浮き彫りにされ、イエス様のお言葉、●「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」がメインテーマのように感じられます。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「悲しむ者は幸いです」か。自分は罪深い人間やと恥じ入るのは、幸なんやな。

熊: これって、発想の転換やでな。「罪深い人間」やと思えば思うほど、落ち込みがちやけど、

そやないんや。神様からのは慰めをいただくんや。なんか前向きになるから、嬉しいわ。

八: せやからゆうて、罪を犯し続けてええちゅうものでもあれへん。

熊: そりゃ、当たり前田のクラッカーや。悔い改めへんかったら、罪はそのまま残っとるやろ。

八: まあ、罪はそのまま残っとるかどうかは分からんけど、イエス様を信じたんやったら、

罪から遠ざかろうとするのが当たり前や。もちろん、それが一朝一夕にでけんことも

分かる。けんど、パウロはんがローマ書でゆうてはる通りや。

ちょっと長いけんど、読んでみるわな。

●「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対しては

キリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。ですから、あなたがたの死ぬ

べきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。

また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。

むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として

神にささげなさい。というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。

なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから

罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。」

(6:11-15)本当に、回心したもんは、回心前と全く同じように罪深い生活をし続ける

なんてこと出来るわけないねん。イエス様を信じ、回心した時点で、聖霊様がわてらの

心にお宿りくださって、新しい性質へと変えてくださりつつあるんやから。

劇的に変わる人もおれば、ちょっとずつ変わっていく人もおる。

人まちまちやけど、変わっていくことにはちがいないねん。

熊: ほんまやなぁ。もしも、イエス様を信じて洗礼を受けたんやのに、全く変わらん罪深い

生活をしてるんやったら、その人がほんまにイエス様を信じて、

心の中心に招きはったのか、自問自答してみる必要があるわな。

八: それは、そや。けんど、それも他人が言う事やないんや。

わてらは、他人の信仰を裁いてはいかんねん。「裁き」は神様のものや。

そんなことしたら「ちり梁」となってしまう。

熊: なんや、その「ちり紙」って。

八: 「ちり紙」とちゃうがな、「ちりと梁」やがな。イエス様のたとえ話のひとつ。

熊: ああ、マタイの福音書7章とかルカの福音書6章にあるやつな。

八: そやがな。また、ちょっと願いけど読ましてもらうでぇ。

●「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、

あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気が

つかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などと

どうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、

兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:1-5)

熊: まあ、他人様のことをとやかく言うんやなくて、他人様のことは

『人のふり見て我がふり直せ』ちゅうぐらいに思とかなあかんちゅうこっちゃ。

まあ、わては、自分のまわりに飛んでるハエをおっぱらうのに精いっぱいやけどな。

八: まあ、「ちりと梁」はそれでええやん。ところで、「悲しむ者は幸いです」というのは

奥が深いわぁ。わてらに「慰め」という「希望」を与えてくれるんやから、感謝やなぁ。

熊: わてな、この時のヨセフはんって、イエス様みたいやなぁっておもてんねん。

八: ヨセフはんが、イエス様? どういうこっちゃねん。

熊: だって、そやないかいな。ええ、ヨセフはん、お兄さんたちに、わざと荒々しい言葉を

使うて、悔い改めを促しはった。または、悔い改めを確かめはった。

イエス様かて、弟子たちに時折は、厳しい言葉をかけはって、弟子たちの心の目を

醒させたりしはった。ヨセフはんもイエス様も愛があってのしつけ、なんやろなぁ。

八: 八、それに、「ゆるす」ということも同んなじなんとちゃうか。

ヨセフはんは、兄たちに奴隷として売られた恨みもあったやろう。

けんどな、20年という歳月もあって、それに、昔に見た夢のことを思い出して、

ゆるしはった。イエス様は、いうと、ご自分が十字架にかかることによって、

全ての人の罪を赦されはった。

熊: なるほどなぁ、そういうところも似てはるなぁ。「ゆるす」ってことなぁ。

ヨセフはんにイエス様を見ることができるやなんて、まあぁ、感謝や。

八: そやなぁ。創世記からイエス様が見える。

わてら「イエス様いのち」の三ばかトリオとしては、励ましや。

聖霊様が、わてらをそのように導いてくださんねんから。

な、若さん。若さんも三ばかトリオの一人や、そう思うやろ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。そうですね、創世記やほかの旧約聖書を読んでいて、イエス様を感じることができる、思うことができる、イエス様が見えて来る、なんて、幸せなことでしょう。私たちは、いつも「ねぇねぇ、イエス様やったらどうされますか?」と思わされるほど、イエス様としょっちゅう、お話しできればいいですね。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、罪を憎みつつ、その罪を赦してくださる主に感謝をささげます。「罪の赦しを感謝します」です。私たちの救い主イエス様のご降誕をお祝いしつつ、三回宣言しましょう。

「罪の赦しを感謝します」、「罪の赦しを感謝します」、「罪の赦しを感謝します」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇32篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書20章23節。

「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

黙想いたします。詩篇32篇。

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑥:イエスが愛したように

https://www.youtube.com/watch?v=q1CIhWWdx9g

聖餐式

賛美⑦:一緒に

https://www.youtube.com/watch?v=ScePkqzE--4

●礼拝と献げものの感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の12月18日 午後5時から小阪チャペルにて、主日特別礼拝。

聖書: 

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/