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メッセージ主題:『身代わり』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.1.8主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年1月8日主日礼拝式を始めます。

明けましておめでとうございます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:キリストにはかえられません

https://www.youtube.com/watch?v=wGh5-Dq1n88

賛美②:まことの聖所へ

https://www.youtube.com/watch?v=_207BS8nWSs

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:いばらの冠 (1月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=f7S7aRLoQ10

賛美④:神はひとり子を

https://www.youtube.com/watch?v=GCwT51jf-F4

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:栄光から栄光へと

https://www.youtube.com/watch?v=n5n4HgpNYB0

【YOUTUBE配信開始】

2023年1月8日 主日礼拝メッセージ

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記44章(新改訳聖書)

中心聖句:

「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」(33)

メッセージ主題:『身代わり』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ヨセフは最後のテストを兄たちにします。それは、ベニヤミンの持ち帰る食糧の中にヨセフの銀の杯を忍び込ませ、ベニヤミン一人に窃盗の嫌疑をかけ、ベニヤミンだけを残して兄たちには食糧をもって父の元に返すというものでした。ヨセフはそのテストで兄たちの反応をみようとしたのです。20年まえにはヨセフを奴隷として売り飛ばした兄たちがどれだけベニヤミンを大切に思っているかを試したのでした。最愛の妻ラケルの長男であるヨセフが死んだと思わされて20年、父ヤコブにとっては、ラケルの産み残したベニヤミンこそが生きる支えでした。兄たちはそのことを痛いほど分かっていました。

ですから、ユダが18節から、エジプトの監督官であるヨセフに訴えます。●『ベニヤミンがいなくなると父が死んでしまいます。私が、ベニヤミンの代わりに、監督官の奴隷となります。ベニヤミンをほかの兄たちといっしょに父のもとに帰らせてください』と。ユダはベニヤミンの身代わりとなることを申し出たのであります。ユダの自己犠牲をみて、ヨセフのテストは終わります。

ここまでが44章のあらましです。

ユダの自己犠牲をみて、ヨセフはテストを終えますが、なぜユダの訴えを聞いて終えたのでしょうか。思い出してみてください。ヨセフが兄たちに捕らえられ奴隷として売られた時のことを。ルベンは、他の兄たちがヨセフを捉えて殺してしまおうとたくらんだ時、ヨセフを彼らの手から救い出し父ヤコブのところに返そうとして、「ヨセフを殺してはならない」と主張しました。しかし、兄たちはヨセフを捕え、穴の中に投げ込みました。そして、ルベンの留守中に、ユダが「殺すのではなく、通りかかったイシュマエル人に売ろう」と兄弟たちを先導しました。ヨセフはルベンの「ヨセフ救済」の話を聞いてはいませんが、ユダの「奴隷として売り渡す」先導をしたことは心に残っていました。ユダがどのような気持ちでヨセフを奴隷として売り渡したのかは分かりませんが、結果としてヨセフの命を救ったことになります。しかし、ヨセフにとっては、ユダは、自分を奴隷として売り渡すことを提案した「ひどい兄」として記憶されたにちがいありません。ところが、20年後、そのユダがベニヤミンの身代わりとなることを進んで提案しました。少なくとも、ヨセフの心の中でユダは変わったのです。腹違いとはいえ、弟を売り飛ばす「ひどい兄」から、弟の身代わりにもなることを提案した「弟想いの兄」に。

「三つ子の魂百までも」という諺がありますが、私は、ユダは20年の歳月の中で変えられたと信じています。人の子の親となり、また客観的に自分をとらえることができ、主にあって誠実になっていったのではないかと思うのであります。創世記38章では、ユダは妻を亡くしたさびしさゆえに、遊女に手を出すという罪を犯します。また、その遊女は、亡くなった長子エルに与えた妻タマルが変装したものでありました。タマルはユダの三男であるシェラに嫁ぐことになっていたのですが、ユダにその気がないのを知って、遊女に変身し、ユダに近づいたのであります。タマルは身ごもり、そのことを知ったユダは激怒し、「あの女を引き出して、焼き殺せ」と命じます。未亡人が不義密通の末に身ごもったとなれば、死罪であるからです。しかし、タマルが身ごもった赤子の父親がユダであることが判明すると、ユダはそのことを隠蔽せず、自分の二重三重の罪を素直にみとめます。●「あの女は私よりも正しい。私が彼女にわが子シェラを与えなかったことによるのだ。」(38:26)この時のユダには、自分の非を認める誠実さがはぐくまれていました。

そして、43章で、ユダは、父ヤコブの悲しみ、ベニヤミンを父ヤコブのもとに連れ帰ることができなければ、父がどうなるか、その父の悲しみと苦しみを知っていたのです。●「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(43:9)ユダは人の痛みがわかる人物へと成長していました。そして、44章では、その父の心の痛みを分かるがゆえに、ベニヤミンの身代わりとなって、ヨセフの奴隷となることを、ヨセフに訴えます。ユダのこの言動は、父や兄弟に対する家族愛から出たものでありました。

父の苦しみを自分の苦しみとする。相手の悲しみを自分のもとのする。また相手の喜びをも自分の喜びとする。共に喜び共に泣く、そして自己犠牲という身代わりの愛。ユダを通して、私たちは、キリストを見ることができます。

このことから、ユダはイスラエルの指導的存在となっていきます。もちろん、ヨセフがヤコブ一家をエジプトに招いたのですから、ヨセフの一族も指導的立場となるのですが、レビ族から出たモーセ以降、おおむねユダ族が中心となり、ダビデ、ソロモン、そして、私たちの救い主イエス・キリストがユダ族から出てきます。その意味でも、ユダによる自己犠牲は、イエス・キリストの十字架での罪の贖いを彷彿とさせます。いえ、ユダのこの行為そして、その精神こそが、イエス・キリストの十字架の贖いの予表ともいえるでしょう。キリストの十字架から約2000年前に、ユダの自己犠牲の申し出によって、イスラエルは恵みの内に救われ、そして、今から約2000年前に、イエス・キリストによって全人類を救う犠牲がなされ、その恵みの準備が完了されました。私たちはなんと幸いな中に生かされているのでしょうか。創世記44章のユダの「身代わり」という自己犠牲の姿を通して、今、私たちは恵みの真っただ中に生かされている幸いに感謝しようではありませんか。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんに登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: この前は、ヨセフはんの姿からイエス様を思うことができて、今回は、ユダはんから

イエス様を見ることができる。幸いやなぁ。

熊: ほんまや。それに、その前には、イサクはんの従順からもイエス様を覚えることができた。

創世記はイエス様から4000年から6000年も離れていて、イサクはんや、ヨセフはんや

ユダはんとも約2000年も離れているのに、イエス様が見えてくるちゅうのは、

ほんまに恵みや。

八: イエス様ご自身が、わてら人間のひな型ちゅうか、理想形なんかもしれへんなぁ。

せやから、いろんな人から、イエス様の片りんが見えてくる。

熊: 創世記には、人間は、神様のかたちとして、神様に似せて造られたことが書かれてある。

八: ああ、創世記の1章26,27節やな。●「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれの

かたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、

地をはうすべてのものを支配するように。』神は人をご自身のかたちとして創造された。

神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

熊: じゃあ、はじめの人間であるアダムとエバはんたちは、イエス様に近いんかいな?

八: アダムはんは、土の塵で造られはった。たしかに神様のかたちとして、神様と意思疎通

できるものとして造られはったけど、土の塵で造られてるから、弱さをもっとった。

悪魔の誘惑には弱かった。せやさかい、神様から食べたらあかんちゅうて、きつく

いわれてはった善悪を知る知識の木の実を食べてしまいはった。

そんで、結局エデンの園から追放されはった。

イエス様は人間の肉体をもってはいるけんど、霊的には神様ご自身がその

肉体に宿られはった。そやさかい、40日40夜断食して体に弱さがあったとしても、

悪魔の誘惑には、毅然とした態度で臨まれはった。

熊: そやなぁ、そこに大きな差があるんやなぁ。

八: いや、そこにも大きな差があるんや。もっと大きな差は、アダムはんは長寿を全うして、

自然に死んで、土に返って、それでおしまいや。よみがえってはれへん。

けんど、イエス様は、違う。わてらの罪を全部ひっかぶって下さって、十字架で息を

引き取りはった。けんど、三日目に死を打ち破って、よみがえりはって、40日後に

天に戻っていきはった。

熊: それにあれやわなぁ。ヨハネはんは、イエス様によって万物が創造されたこと、そして、

イエス様は、神様を無視したり、神様と親しく会話でけへんようになってしもた人類を

新しく創造するために、人となってこの世に来られはった、ちゅうことを福音書の

初めに書いてはるわな。

八: ああ、ヨハネの福音書の1章のところやな。

●「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。

造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(1-3) 

●「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。

父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。

この方は恵みとまことに満ちておられた。」(14) 

熊: ヨハネはんの「ことば」ちゅうのは「イエス様」のことなんやな。ヨハネはんの証しから

考えると、イエス様によって、アダムはんが生まれたことになる。

創造する側と創造される側、えらい違いや。

八: そう思うと、イサクはんの中に、霊であるイエス様がいはる、ヨセフはんの中にも、

ユダはんの中にも聖霊としてのイエス様が臨んでおられるとも考えられるなあ。

熊: そや、わてらにも聖霊としてのイエス様、キリストがいらっしゃる。

こんなに心強いことはあれへんでぇ。

八: わてらの身代わりとなってくださったイエス様がわてらの内に臨んでくださって、

わてらを内側から新しくしてくださって、イエス様が現われてくださる。

熊: わてらが、ユダはんにイエス様を垣間見たように、他人様の目に、わてらを通して、

イエス様が見えるようになれば、うれしいなぁ。

八: そや、それが、ほんまもんのキリストの証し人なんやろなぁ。

熊: それって、ひょっとしたら、イエス様のおっしゃる第7の幸いに通じるのかもな。

八: 第7の幸いなぁ。

●「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

神様との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人のことやわな。

熊: そや、キリストの証人は、神様との和解がイエス様によって成立した人のこっちゃ。

その人たちは、イエス様を着る人、イエス様に似る人、イエス様の姿が他人の目に

垣間見える人でもあるんや。そして、その人たちは神様の子どもとされる。

八: せやなぁ。それに、神様に対して、イエス様との共同相続人とされるんや。

幸せなこっちぁ。なぁ、若さん。若さんもそう思うやろ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。そうですね。私たちが、ユダを通してイエス様が見えるように、私たちの内からイエス様を見ることができれば、幸いですね。それこそが、他の人たちからみて、イエス様を信じたらどれだけ平安があるか、幸せになるかがわかり、キリストが魅力的に思えるでしょうね。そのためには、私たちが、神様との平和を取り戻し、主を喜んでいないといけません。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、私たちの身代わりとなってくださったイエス様に感謝しつつ、私たちの内からキリストが現われますようにと願いを込めて「私は主を喜びます」です。では、三回宣言しましょう。

「私は主を喜びます」、「私は主を喜びます」、「私は主を喜びます」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇145篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書23章34節。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

黙想いたします。詩篇145篇。

黙想時の曲

⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地にもなさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

 

賛美⑦:大いなる方に感謝捧げます

https://www.youtube.com/watch?v=pldONsvOOwk

賛美⑧:マラナタ

https://www.youtube.com/watch?v=z-tvvE53K_A

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の1月15日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/