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メッセージ主題:『主の民は栄える』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.1.29主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年1月29日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:キリストには代えられません

https://www.youtube.com/watch?v=ojraEX3cvLc

賛美②:わたしの望みは

https://www.youtube.com/watch?v=CeY6VxJGKkA

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:いばらの冠 (1月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=f7S7aRLoQ10

賛美④:いのちの木

https://www.youtube.com/watch?v=etqLrZLdkGw

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:目を上げて主の御顔を

https://www.youtube.com/watch?v=pageJBYyrfA

【YOUTUBE配信開始】

2023年1月29日 主日礼拝メッセージ

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記47章(新改訳聖書)

中心聖句:

「さて、イスラエルはエジプトの国でゴシェンの地に住んだ。彼らはそこに所有地を得、多くの子を生み、非常にふえた。」(27)

メッセージ主題:『主の民は栄える』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

イスラエル一家は、ヨセフの言った通り、ゴシェンの地に住みつきました。そして、ヨセフは、蓄えていた食糧をエジプトの民に銀と交換をし、国中の銀をパロのために集めました。それでも飢饉は収まらず、こんどは、民の土地を買い取って、食糧を与えました。エジプト全土がパロのものとなり、民は五分の一、つまり20パーセントの収穫をパロのものとしなければいけないとおきてを定めました。当時の税金が50パーセント前後であったと考えますと、非常に温情的処置であると思われます。イスラエル一家も食糧が与えられ、牧畜に励むことができたのでした。ヤコブは、幸せな17年をそのゴシェンの地で過ごし、死んだあとは、エジプトから運び出し、先祖たちの眠るマクペラの洞穴に葬ることをヨセフに約束させ、147歳の生涯を閉じます。マクペラの洞穴とは、アブラハムが妻サラのために買った土地であり、そこにアブラハムもイサク夫婦も葬られています。さて、ここまでが創世記47章のあらましです。

イスラエル一家は、ゴシェンの地で、子孫を増やしていきます。子孫が増えることだけが、神の祝福の現れではないですが、神の祝福の根本的なこととも言えるかもしれません。大洪水でノア一家に、神は祝福して、次のように仰せられました。

●「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」(創世記9:1)

そして、ノア以降、人類は増えていきます。人間は増えていき、全地にあふれていきますが、しかし、神に選ばれた民は、イスラエル一家の70人のみ。日本のクリスチャン人口が1パーセントにも満たないと嘆いているところではありません。民が選ばれたのはたったの70名。世界を創造した神を知り、あがめ、礼拝したのは70名。そして、430年後のモーセの民がエジプトを出て、カナンの地を目指すときには、男性が約60万人と記録されています(出エジプト12:37)。女性や子供を合わせると200万人ぐらいはいたのではと言われています。400年以上も時がたっていますが、イスラエルの民は、70人から200万人にふくれあがっていたのです。これは、一民族ですから、神がイスラエル民族を祝福されたとしか言いようがありません。

ところが、モーセの民が40年の荒野のさまよいの末、世代が変わって、目的地のカナンに地にだどりついてからは、このイスラエル民族の中で、主の祝福が変化していきます。つまり、イスラエル民族のだれが、本当の神をあがめ、礼拝しているのかが問われているのです。聖書は、イスラエル民族の歴史と信仰のあり方が語られています。

先日、第二列王記の17章を読んでいまして、聖書はいろいろな角度から次のことを私たちに悟らせているのではと思わされました。35節から39節です。主がイスラエル人と契約を結び、命じて仰せになりました。お読みいたします。●「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝みこれに仕えてはならない。これにいけにえをささげてはならない。大きな力と、差し伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえをささげなければならない。主があなたがたのために書きしるしたおきてと、定めと、律法と、命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。あなたがたの神、主だけをおそれなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」

「主がすべての敵の手から、わたしたちを救い出される」と主は力強くおっしゃいます。敵とは、わたしたちを主から離れさそうとし、わたしたちを誘惑し、迫害し、また攻撃しようとする人であったり、物事であったりします。自分たちの自己中心的な肉の思いも、主は敵であると認識するでしょう。それらの敵から、わたしたちを救い出してくださるのです。そして、主はわたしたちを大いに祝福してくださいます。

私は、主の祝福には、横の要素と縦の要素があると思っています。たとえば簡単に言いますと、横の祝福は、主の民が増えること、縦の祝福は、その人が聖霊の実を結ぶことだと思っています。その両方ともの祝福が「栄える」という言葉で表されているように思います。当然、両方ともの祝福が、アダムとエバの世代から継続的にあるわけですが、モーセの出エジプト前までの時代では、横の祝福が、そして出エジプト以降は、縦の祝福が強調されているような気がするのです。

ところで、聖霊の実とは何でしょうか。ガラテヤ人への手紙5章22節23節にあります。

●「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

聖霊の実は、聖霊様がクリスチャンの生活の中に生きて働いておられることの結果です。聖書は、だれでもイエス・キリストを信じた瞬間にすべての人が聖霊を受けることをはっきり示しています。

●ローマ8章9節「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」

●1コリント12章13節「私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」

●エペソ1章13節14節「この方(キリスト)にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印をおされました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」

イエス・キリストを信じた時点で、聖霊様は私たちの心にお住み下さいます。その第一の目的は、その人の生活を、自己中心ではなく神中心の生活へと変えることです。つまり、キリストに似たものへと変えることが、私たちの究極の幸せであり、平和と喜びにみたされた世界へのいざないです。しかし、その過程には、多くの葛藤、「内外の敵からの攻撃」があります。罪の世界に戻そうとする肉の思いや自己中心と誘惑は絶え間なく襲ってきます。また、それらの内からの「敵」だけではなく、外からの「敵」の攻撃もいろいろとあるでしょう。私たちは、私たち自身では、それに抵抗する力も知恵も術ももっていません。それゆえに、キリストは聖霊様を私たちにお送りくださり、聖霊様は、心に住みついてくださって、私たちの戦いの手助けをしてくださるのです。聖霊様は、別名「助け主」とも呼ばれています。イエス様は、ヨハネの福音書14章16節で次のようにおっしゃいます。

●「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」

イエス様はこうもおっしゃいます。ヨハネの福音書14章26節。

●「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起させてくださいます。」

聖霊様は、イエス様がお話くださったこと、つまり聖書のみ言葉を思い起こさせてくださいます。み言葉には力があること、多くの霊的な戦いの助けとなるのであります。そして、さまざまな戦いと葛藤の末、勝利をもたらしてくださいます。イエス様への信仰、聖霊様への信頼、神様へのより頼みが、勝利へと導いてくださるのです。主が約束通り、敵の手から救い出してくださるのです。

これが、「主の民は栄える」ということです。

さて、いつものように、天国長屋の八さん、熊さんにご登場いただきましょう。

では、八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「栄える」か、ええ響きやなぁ。漢字の「栄」って、会社の名前にもようついとるしなぁ。

熊: 「栄える」って聞くと、お店やったら、売り上げがあがって、店舗が増えるちゅうイメージがあるなぁ。

八: 実は、若さんもな、英語の塾始めるとき、「栄えてほしい」と思て、、、

熊: けんど、若さんの塾には、「栄」ってついてないで、ヴァイン英語センターやから。

八: 「栄」ってつけたら、あまりにも露骨やし、それに英語塾にやの「栄」はダサい。

せやから「ヴァイン」ってつけはった。

熊: ところで、「ヴァイン」ってなんや、「ワイン」となんか関係があるんかぁ。英語の「栄える」ちゅう意味なんかぁ。

八: 「ヴァイン」っていうのはな、「ぶどうの木」のこっちゃ。

熊: それやったら、教会の名前と同じかいな。

八: そや。聖書の、ヨハネの福音書の15章の5節からとりはったんや。

熊: ああ、●「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、

わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」やったな。

八: せや、その中の「多くの実を結ぶ」ちゅうところが、「栄える」ちゅうことや。

熊: けんど、若さんの英語塾、いっちゃぁ悪いけんど、ずーっと低空飛行のままやで。

塾が大きくなったためしがない。逆に、いま縮小してはる。

八: しーっ、あんまり大きな声でゆうたら、若さん気にするでぇ。

熊: まあ、たしかに。人はほんまのことをゆうと、気づつきはるからなぁ。

八: そうやでぇ。けんど、あれは若さんが悪い。儲ける仕組みつくっとらへんから。

いつまでも低空飛行や。

熊: 八、今日はえらい手厳しいなぁ。

八: わてなぁ、若さんの塾の経営をみてると、イラっとくるねん。

あれはほとんどボランティアや。

熊: たしかに、そうやろなぁ。その意味では「栄え」とらんわな。けんど、あの界隈で、

英会話スクールが、できては消え、できては消え、していっとる。

英語スクールの不毛の地や。つまり荒地や。その荒地に、20年間も存続していること

自体、神様の憐れみ以外の何ものでもあれへん。逆にゆうたら、存続していること自体

が、「栄えてる」ことになるんとちゃうか。

八: まあ、えらい消極的な「栄え」やこと。けんど、2歳の子どもから、大学受験まで、

十何年間面倒みてきてはる人も多い。その意味では、実を結んでいる

といえるのかもしれへんなぁ。

熊: それに、「栄える」の中には、「長く続ける」という意味も含まれるんとちゃうやろか。

八: 面白いなぁ、その考え方。「ほそぼそやけど長いこと続けられている」というのも

「栄える」かぁ?

熊: ふつうの「栄える」というイメージとはちゃうやろうけど、たとえば、信仰はどうや。

たとえそれが薄っぺらい信仰であったとしても、生温い信仰であったとしても、

長くその信仰を持ち続けている、それはとても大切なこっちゃないやろか。

八: そやなぁ。そうかもしれへんなぁ。聖書もあまり読まん、礼拝には出席しているけど、

半分以上牧師はんのゆうてることは分からん。けんど、なんとなく気に入ってて

教会とつながっとる。それでも、長い目でみたら成長しとる。

熊: なんや、わてらの昔を見ているようやな。何がよくて教会にいってるのかちゅうたら、

賛美を歌ったり、食事やおやつが出たり、それに皆さんとの交わりも楽しかった。

それにはっきり分からいでも、神様のことやイエス様の話を聞くのは嬉しかった。

たまに、力仕事や掃除を任されるのもまんざらやなかったなぁ。

八: 神様は、その人その人におおたペースで歩んでくださるんやな。牧師はんが、

何年か越しに同じような説教をしはったとき、以前よりわかりやすかったもんなぁ。

熊: それだけ、少しは成長してきているちゅうこっちゃろうな。

それに、今では、詩篇1篇、大好きやもんなぁ。

八: ああ、●「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、

その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」ちゅうところやな。

熊: そや、聖書の御言葉が力や、生きる糧や、ちゅうことが、少しは分かるようになってきた。

ほら、細く長くかもしれんけど、続けるちゅうことに、

神様は祝福してくださるちゅうことや。

八: けんどな、一人だけが、主の祝福をいただいてもあかんわな。教会の皆さんとともに

祝福をうけんとあかん。ともに栄えなあかん。いっしょに笑い、いっしょに泣き、

いっしょに学び、いっしょに励まし合って、信仰生活続けなあかん。

熊: せやはなぁ。共にイエス様から祝福をうけへんねんやったら、教会の意味があれへん。

教会はイエス様を頭とする、キリストのからだなんやから。

若さん、ともに栄えさえていただきましょうね。英語塾の方はわからんけど。

細く長くでもかまへんさかいになぁ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。共に栄える、共に主の祝福を大いにうける、そのためには、やはり、他の神々や自分自身を神とせず、私たちの主だけを恐れる、主だけを思う、主の十字架の贖いに感謝することが大切ですね。

さて、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、主の大いなる祝福を期待して、「主だけを思います」です。では、三回宣言しましょう。

「主だけを思います」、「主だけを思います」、「主だけを思います」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇27篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書12章8節。

「そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。」

黙想いたします。詩篇27篇。

黙想時の曲

⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑦:慕い求めます

https://www.youtube.com/watch?v=Xxa8CrNhY1A

賛美⑧:主の宮

https://www.youtube.com/watch?v=UlGwD10RZc8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の2月5日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.1.29主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年1月29日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:キリストには代えられません

https://www.youtube.com/watch?v=ojraEX3cvLc

賛美②:わたしの望みは

https://www.youtube.com/watch?v=CeY6VxJGKkA

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:いばらの冠 (1月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=f7S7aRLoQ10

賛美④:いのちの木

https://www.youtube.com/watch?v=etqLrZLdkGw

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:目を上げて主の御顔を

https://www.youtube.com/watch?v=pageJBYyrfA

【YOUTUBE配信開始】

2023年1月29日 主日礼拝メッセージ

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記47章(新改訳聖書)

中心聖句:

「さて、イスラエルはエジプトの国でゴシェンの地に住んだ。彼らはそこに所有地を得、多くの子を生み、非常にふえた。」(27)

メッセージ主題:『主の民は栄える』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

イスラエル一家は、ヨセフの言った通り、ゴシェンの地に住みつきました。そして、ヨセフは、蓄えていた食糧をエジプトの民に銀と交換をし、国中の銀をパロのために集めました。それでも飢饉は収まらず、こんどは、民の土地を買い取って、食糧を与えました。エジプト全土がパロのものとなり、民は五分の一、つまり20パーセントの収穫をパロのものとしなければいけないとおきてを定めました。当時の税金が50パーセント前後であったと考えますと、非常に温情的処置であると思われます。イスラエル一家も食糧が与えられ、牧畜に励むことができたのでした。ヤコブは、幸せな17年をそのゴシェンの地で過ごし、死んだあとは、エジプトから運び出し、先祖たちの眠るマクペラの洞穴に葬ることをヨセフに約束させ、147歳の生涯を閉じます。マクペラの洞穴とは、アブラハムが妻サラのために買った土地であり、そこにアブラハムもイサク夫婦も葬られています。さて、ここまでが創世記47章のあらましです。

イスラエル一家は、ゴシェンの地で、子孫を増やしていきます。子孫が増えることだけが、神の祝福の現れではないですが、神の祝福の根本的なこととも言えるかもしれません。大洪水でノア一家に、神は祝福して、次のように仰せられました。

●「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」(創世記9:1)

そして、ノア以降、人類は増えていきます。人間は増えていき、全地にあふれていきますが、しかし、神に選ばれた民は、イスラエル一家の70人のみ。日本のクリスチャン人口が1パーセントにも満たないと嘆いているところではありません。民が選ばれたのはたったの70名。世界を創造した神を知り、あがめ、礼拝したのは70名。そして、430年後のモーセの民がエジプトを出て、カナンの地を目指すときには、男性が約60万人と記録されています(出エジプト12:37)。女性や子供を合わせると200万人ぐらいはいたのではと言われています。400年以上も時がたっていますが、イスラエルの民は、70人から200万人にふくれあがっていたのです。これは、一民族ですから、神がイスラエル民族を祝福されたとしか言いようがありません。

ところが、モーセの民が40年の荒野のさまよいの末、世代が変わって、目的地のカナンに地にだどりついてからは、このイスラエル民族の中で、主の祝福が変化していきます。つまり、イスラエル民族のだれが、本当の神をあがめ、礼拝しているのかが問われているのです。聖書は、イスラエル民族の歴史と信仰のあり方が語られています。

先日、第二列王記の17章を読んでいまして、聖書はいろいろな角度から次のことを私たちに悟らせているのではと思わされました。35節から39節です。主がイスラエル人と契約を結び、命じて仰せになりました。お読みいたします。●「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝みこれに仕えてはならない。これにいけにえをささげてはならない。大きな力と、差し伸べた腕とをもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえをささげなければならない。主があなたがたのために書きしるしたおきてと、定めと、律法と、命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。あなたがたの神、主だけをおそれなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」

「主がすべての敵の手から、わたしたちを救い出される」と主は力強くおっしゃいます。敵とは、わたしたちを主から離れさそうとし、わたしたちを誘惑し、迫害し、また攻撃しようとする人であったり、物事であったりします。自分たちの自己中心的な肉の思いも、主は敵であると認識するでしょう。それらの敵から、わたしたちを救い出してくださるのです。そして、主はわたしたちを大いに祝福してくださいます。

私は、主の祝福には、横の要素と縦の要素があると思っています。たとえば簡単に言いますと、横の祝福は、主の民が増えること、縦の祝福は、その人が聖霊の実を結ぶことだと思っています。その両方ともの祝福が「栄える」という言葉で表されているように思います。当然、両方ともの祝福が、アダムとエバの世代から継続的にあるわけですが、モーセの出エジプト前までの時代では、横の祝福が、そして出エジプト以降は、縦の祝福が強調されているような気がするのです。

ところで、聖霊の実とは何でしょうか。ガラテヤ人への手紙5章22節23節にあります。

●「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

聖霊の実は、聖霊様がクリスチャンの生活の中に生きて働いておられることの結果です。聖書は、だれでもイエス・キリストを信じた瞬間にすべての人が聖霊を受けることをはっきり示しています。

●ローマ8章9節「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」

●1コリント12章13節「私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」

●エペソ1章13節14節「この方(キリスト)にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印をおされました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」

イエス・キリストを信じた時点で、聖霊様は私たちの心にお住み下さいます。その第一の目的は、その人の生活を、自己中心ではなく神中心の生活へと変えることです。つまり、キリストに似たものへと変えることが、私たちの究極の幸せであり、平和と喜びにみたされた世界へのいざないです。しかし、その過程には、多くの葛藤、「内外の敵からの攻撃」があります。罪の世界に戻そうとする肉の思いや自己中心と誘惑は絶え間なく襲ってきます。また、それらの内からの「敵」だけではなく、外からの「敵」の攻撃もいろいろとあるでしょう。私たちは、私たち自身では、それに抵抗する力も知恵も術ももっていません。それゆえに、キリストは聖霊様を私たちにお送りくださり、聖霊様は、心に住みついてくださって、私たちの戦いの手助けをしてくださるのです。聖霊様は、別名「助け主」とも呼ばれています。イエス様は、ヨハネの福音書14章16節で次のようにおっしゃいます。

●「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」

イエス様はこうもおっしゃいます。ヨハネの福音書14章26節。

●「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起させてくださいます。」

聖霊様は、イエス様がお話くださったこと、つまり聖書のみ言葉を思い起こさせてくださいます。み言葉には力があること、多くの霊的な戦いの助けとなるのであります。そして、さまざまな戦いと葛藤の末、勝利をもたらしてくださいます。イエス様への信仰、聖霊様への信頼、神様へのより頼みが、勝利へと導いてくださるのです。主が約束通り、敵の手から救い出してくださるのです。

これが、「主の民は栄える」ということです。

さて、いつものように、天国長屋の八さん、熊さんにご登場いただきましょう。

では、八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「栄える」か、ええ響きやなぁ。漢字の「栄」って、会社の名前にもようついとるしなぁ。

熊: 「栄える」って聞くと、お店やったら、売り上げがあがって、店舗が増えるちゅうイメージがあるなぁ。

八: 実は、若さんもな、英語の塾始めるとき、「栄えてほしい」と思て、、、

熊: けんど、若さんの塾には、「栄」ってついてないで、ヴァイン英語センターやから。

八: 「栄」ってつけたら、あまりにも露骨やし、それに英語塾にやの「栄」はダサい。

せやから「ヴァイン」ってつけはった。

熊: ところで、「ヴァイン」ってなんや、「ワイン」となんか関係があるんかぁ。英語の「栄える」ちゅう意味なんかぁ。

八: 「ヴァイン」っていうのはな、「ぶどうの木」のこっちゃ。

熊: それやったら、教会の名前と同じかいな。

八: そや。聖書の、ヨハネの福音書の15章の5節からとりはったんや。

熊: ああ、●「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、

わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」やったな。

八: せや、その中の「多くの実を結ぶ」ちゅうところが、「栄える」ちゅうことや。

熊: けんど、若さんの英語塾、いっちゃぁ悪いけんど、ずーっと低空飛行のままやで。

塾が大きくなったためしがない。逆に、いま縮小してはる。

八: しーっ、あんまり大きな声でゆうたら、若さん気にするでぇ。

熊: まあ、たしかに。人はほんまのことをゆうと、気づつきはるからなぁ。

八: そうやでぇ。けんど、あれは若さんが悪い。儲ける仕組みつくっとらへんから。

いつまでも低空飛行や。

熊: 八、今日はえらい手厳しいなぁ。

八: わてなぁ、若さんの塾の経営をみてると、イラっとくるねん。

あれはほとんどボランティアや。

熊: たしかに、そうやろなぁ。その意味では「栄え」とらんわな。けんど、あの界隈で、

英会話スクールが、できては消え、できては消え、していっとる。

英語スクールの不毛の地や。つまり荒地や。その荒地に、20年間も存続していること

自体、神様の憐れみ以外の何ものでもあれへん。逆にゆうたら、存続していること自体

が、「栄えてる」ことになるんとちゃうか。

八: まあ、えらい消極的な「栄え」やこと。けんど、2歳の子どもから、大学受験まで、

十何年間面倒みてきてはる人も多い。その意味では、実を結んでいる

といえるのかもしれへんなぁ。

熊: それに、「栄える」の中には、「長く続ける」という意味も含まれるんとちゃうやろか。

八: 面白いなぁ、その考え方。「ほそぼそやけど長いこと続けられている」というのも

「栄える」かぁ?

熊: ふつうの「栄える」というイメージとはちゃうやろうけど、たとえば、信仰はどうや。

たとえそれが薄っぺらい信仰であったとしても、生温い信仰であったとしても、

長くその信仰を持ち続けている、それはとても大切なこっちゃないやろか。

八: そやなぁ。そうかもしれへんなぁ。聖書もあまり読まん、礼拝には出席しているけど、

半分以上牧師はんのゆうてることは分からん。けんど、なんとなく気に入ってて

教会とつながっとる。それでも、長い目でみたら成長しとる。

熊: なんや、わてらの昔を見ているようやな。何がよくて教会にいってるのかちゅうたら、

賛美を歌ったり、食事やおやつが出たり、それに皆さんとの交わりも楽しかった。

それにはっきり分からいでも、神様のことやイエス様の話を聞くのは嬉しかった。

たまに、力仕事や掃除を任されるのもまんざらやなかったなぁ。

八: 神様は、その人その人におおたペースで歩んでくださるんやな。牧師はんが、

何年か越しに同じような説教をしはったとき、以前よりわかりやすかったもんなぁ。

熊: それだけ、少しは成長してきているちゅうこっちゃろうな。

それに、今では、詩篇1篇、大好きやもんなぁ。

八: ああ、●「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、

その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」ちゅうところやな。

熊: そや、聖書の御言葉が力や、生きる糧や、ちゅうことが、少しは分かるようになってきた。

ほら、細く長くかもしれんけど、続けるちゅうことに、

神様は祝福してくださるちゅうことや。

八: けんどな、一人だけが、主の祝福をいただいてもあかんわな。教会の皆さんとともに

祝福をうけんとあかん。ともに栄えなあかん。いっしょに笑い、いっしょに泣き、

いっしょに学び、いっしょに励まし合って、信仰生活続けなあかん。

熊: せやはなぁ。共にイエス様から祝福をうけへんねんやったら、教会の意味があれへん。

教会はイエス様を頭とする、キリストのからだなんやから。

若さん、ともに栄えさえていただきましょうね。英語塾の方はわからんけど。

細く長くでもかまへんさかいになぁ。

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八さん、熊さん、ありがとうございます。共に栄える、共に主の祝福を大いにうける、そのためには、やはり、他の神々や自分自身を神とせず、私たちの主だけを恐れる、主だけを思う、主の十字架の贖いに感謝することが大切ですね。

さて、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、主の大いなる祝福を期待して、「主だけを思います」です。では、三回宣言しましょう。

「主だけを思います」、「主だけを思います」、「主だけを思います」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇27篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書12章8節。

「そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。」

黙想いたします。詩篇27篇。

黙想時の曲

⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑦:慕い求めます

https://www.youtube.com/watch?v=Xxa8CrNhY1A

賛美⑧:主の宮

https://www.youtube.com/watch?v=UlGwD10RZc8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の2月5日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/