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メッセージ主題:『永遠のいのちの始まり』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.2.5主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年2月5日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:主よみ手もて

https://www.youtube.com/watch?v=vUuBdy-_Qak

賛美②:栄光イエスにあれ

https://www.youtube.com/watch?v=Aw1g72Jffd0

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:わが魂の羊飼い (2月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=SUSg_GEgJCA

賛美④:主は我らの太陽

https://www.youtube.com/watch?v=4Y3_IW99NR0

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:主は良いお方

https://www.youtube.com/watch?v=Pap_uwrW1hE

【YOUTUBE配信開始】

2023年2月5日 主日礼拝メッセージ

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記48章(新改訳聖書)

中心聖句:

「イスラエルはヨセフに言った。『私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。』」(21)

メッセージ主題:『永遠のいのちの始まり』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

父ヤコブが病気であることを知らされ、ヨセフはふたりの息子マナセとエフライムを連れて見舞いました。そこで、ヤコブはヨセフに自分の半生を短く語ります。そして、ヨセフの母であり、ヤコブの最愛の妻であったラケルをエフラテの地で葬ったことを、ヨセフに話します。もちろん、ヨセフはこのことを父ヤコブから、また兄弟から何度も聞いていたのかもしれません。しかし、病床にあったヤコブとしては、もう一度、ヨセフに行っておきたかったに違いありません。ヤコブもその墓に葬ってほしかったからです。ラケルの墓の話のあと、ヤコブはヨセフのふたりの息子たちに気づきます。しかし、あたかも初めて会うような口ぶりです。ヤコブの目は老齢のためにかすんでいると記述がありますので、無理からぬことかとも思われますが、老齢のゆえに、ひょっとしたら記憶障害もあるのかもしれません。しかし、次の49章では、しっかりとした口ぶりで話ができていますので、記憶が不安定なときもあったのかもしれません。さて、孫に気がついたヤコブに対して、ヨセフは息子ふたりをヤコブの手の届くところに近寄らせます。ヤコブは手を交差して、右手を弟のエフライムの頭の上に、左手を兄のマナセの頭の上に、手を置いて、祝福しました。弟が兄よりも大きくなることを聖霊によって導かれたからでした。そして、今日の中心聖句●「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。」とヨセフに告げます。ヤコブのこの言葉は、限りある肉体的ないのちが消えようとする描写と、永遠のいのちをもつ神が共にいて、約束のカナンの地にヤコブの子孫を連れもどすという希望の描写とが交差しています。私は、ヤコブが、『肉体の死で終わらない命は、神とともにあって、神が約束の地へといざなってくださる』つまり、『肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠のいのちの始まりである』といっているのではないかとも思わされるのであります。そして、イエス様の次のことばを思い出すのです。ヨハネの福音書11:25-26●「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」「死んでも生きる」とは、この肉体が朽ちてなくなろうが、イエス様を信じれば、永遠のいのちにあずかることができるということです。そして「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがない」ということばの「死ぬことはない」とは、「罪ゆえの永遠の霊的な死」を意味しています。私たちは、やがて、この世を去る時、永遠のいのちか、永遠の死か、いづれかに直面することになります。

使徒パウロは、同じようなことをローマ書で述べています。6章23節です。●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

「罪から来る報酬は死です」のことばの中の「罪」とは、私たちの始祖であるアダムとエバが、蛇に化身した悪魔の誘惑にそそのかされたときに生れたものです。蛇は●「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3:4-5)とアダムとエバを誘導します。「食べても決して死なない」とは、神の言葉「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と言われたことに対する、否定であります。つまり、神を否定したことになります。「神のようになる」と言われているところから、神の存在の否定ではなく、神の権威の否定であり、神に素直に聞き従うことへの否定となります。

この過ちによって、アダムとエバは、「裸」であることに気づかされました。「裸」とは、神の愛、恵み、保護がなくなったことを意味し、その「裸」を覆うために、1日たてば干からびてしまう『いちじくの葉』をアダムとエバは用いました。これが人間の浅はかな知恵です。しかし、神はあわれに思って、動物の命を犠牲にした動物の皮で衣をつくり、アダムとエバに着せました。これは、神がお送りくださった御子イエス・キリストの十字架での私たちの罪の贖い、私たちの代わりに罪を背負ってくださったことの予表であります。

永遠のいのちは、私たちの罪の身代わりとなり、永遠の死からよみがえり、永遠のいのちを取り戻したイエス・キリストを信じることによって与えられます。イエス様は、そのことを次のようにおっしゃいました。●「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)

ヤコブは、この世の肉体的ないのちを全うしようとしています。しかし、希望がありました。それは、神がヤコブとヤコブの子孫とに、共におられ、必ず約束の地へ戻してくださるというものでした。そして、それは私たちにも同じことが言えます。「私たちは、いつか死にます。しかし、神は、イエス・キリストを信じる私たちを、私たちの故郷である天の御国へと必ず戻してくださいます。」

アダムとエバがどこで神様によって造られたかは分かりません。しかし、彼らはエデンの園に置かれました。エデンの園がどこにあるかは分かりません。そして、神様のいいつけを守らず、罪を犯し、エデンの園を追放されました。私は、神様が、私たちをエデンの園にもう一度戻したいのではないかと、漠然と思っているのですが、私たちがイエス様を信じた時点で、イエスさまが聖霊様をお送りくださり、私たちがこの世を去るまで、聖霊様は私たちの心にとどまり続けます。聖霊様が心におやどりくださった時点で、聖霊様によって、私たちは日々新しく造り変えられ、イエス様に似る者へとされていきます。つまり、その時点で、私たちの故郷は、聖霊様の故郷、イエス様のいらっしゃる天の御国となるのです。

そして、この世とお別れしてからは、キリストが私たちを、私たちが帰るべき天の御国、故郷へといざなってくださいます。そして、その故郷は永遠のいのちの場所です。つまり、イエス・キリストを主と信じた時点から、永遠のいのちが始まるということになるのです。

ということは、私たちは、この世にいながら、永遠のいのちを楽しむことが許されているということになります。神様、イエス様、聖霊様との親しき交わりを通して、天の御国での平安と喜びを、前倒しで経験できることが許されているのです。それを味あわなければ、私は、損だと思っています。イエス・キリストを信じてクリスチャンになった醍醐味が味わえないのは、ある意味、不幸だと思うのです。

ヤコブの人生には、山あり谷ありといろいろありましたが、彼は神から選ばれし者であり、それゆえに神と共に歩んできた人生だったに違いありません。神が共にいてくださると、確信できることこそ、幸せなのではないでしょうか。

さて、ここで天国長屋の八さん、熊さんに、バトンタッチをさせていただきましょう。

では、天国長屋の八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: しかし、ヤコブはんの、今日の言葉、大したもんやなぁ。

「私は今、死のうとしている。しかし、神はあなたがたとともにおられ、

あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。」

熊: 何が大したもんなん?

八: だって、そやないかいな。「私は今、死のうとしている」ま、これはええわいな。

病気やし、年取ってはるし、体もちゃんと動けへん。

死を覚悟してるちゅうことやろうかなら。

熊: ま、そやな。「わてにもお迎えがきたようやで」ちゅう表現と同じやわな。

じゃあ、大したことあるのんは、その次の「神はあなたがたとともにおられ、

あなたがたをあなたがたの先祖の地に帰してくださる。」ちゅうことかいな。

八: せやがな。あれな、普通の人やったら、「あなたがたをあなたがたの先祖の地に

帰してくださるだろう」とか「かもしれん」とか言うとことちゃうか。

それを、「神様が帰してくださる」と確信してはるやろ? これはなかなかゆえんでぇ。

熊: そう考えたらそうやわな。死に際に、「あんたは、絶対に金持ちになる」とか

「社長はんになる」ちゅうてんのと同じことやもんな。まぁ、「ゆうたもん勝ち」

ちゅうこともあるわな。死んでしもたら、責任あれへんねんからな。

けんど、それが、自分の息子にやからなぁ。父親としては、励ます意味もあるけんど、

確信はもてへん。わてやったら、「そうなるように祈るでぇ」、しかゆわれへんやろなぁ。

八: せやろ。けんど、ヤコブはん、言い切ってはるねん。これは、ヤコブはんが勝手に

確信してゆうてはる言葉とちゃうでぇ。神様がおっしゃってるんや。

「約束の地に戻したるでぇ。」ちゅうてな。

熊: まあ、神様、一度約束したことは、とことん守りはるさかいなぁ。

アブラハムはんにカナンの地を約束されたんやから。そんでもって、約400年後には、

モーセはんが現れて、イスラエルの皆さんをエジプトから約束の地カナンに

導き戻すんや。

八: ああ、神様、気ぃ長いなぁ。400年やで、わてらの気が長いのんとはけた違いや。

熊: まぁ、しゃあないわいな、神様の時間は、一舜が永遠なんやから。

八: ところでやでぇ。若さんゆうてはったなぁ。

信仰のはじまりが、永遠のいのちのはじまりやって。

熊: わてなぁ、こんな風に考えたことなかったわ。たしかにそうやわなぁ。

わてらがイエス様、信じた時点で、聖霊様がわてらの心にお宿りくださる。

そして、聖霊様は、わてらからぜったいに離れん。

んで、そのまま、遅かれ早かれ天国行きや。

八: そう思たら、こんなええことあれへんでぇ。

熊: たしかになぁ。それまで、生きてるうちは、いろんなことあるやろう、躓きもある、

不信にも、不安にもなることもある、それに誘惑も満載や。

けんど、イエス様が、聖霊様がぜったい共にいてくれてはる。

これも神様の約束やさかいな。わてらが、何があっても、神様見上げてたら、

しがみついてたら、見上げ直したり、しがみ直したりしてたら、

ぜったい見捨てはれへん。それが神様や。

八: そや、神様はわてらをお造りになられたかたや。愛して、愛して、愛しぬいてくれはった

結果、わてらが存在するんや。わてらの存在は、神様の愛のあかしや。

熊: そう思たら嬉しいなぁ。愛し抜かれて、わてらの今があるんや。感謝やないかいな。

八: 神様は、信じた時点から、永遠に交わってくださる。1秒たりとも気ぃぬかれへんお方や。

熊: 気ぃ抜くんはわてらや。情けないことになぁ。

八: ほんまや。あぐらもかくしなぁ。どうしょうもない。

熊: けんど、それでもイエス様は愛してくださる。神様やイエス様の忍耐には感謝や。

聖霊様の励ましにも感謝や。

八: 若さん、神様って、ほんまに、ええ方でんなぁ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。神様の私たちを諦めない愛と忍耐には、涙ちょちょぎれますねぇ。こんなに愛してくださるお方を信じひんなんて、罰当たる。いえ、罰はあたりませんねぇ。けんど、損しまっせぇ。信じひんかったら、永遠の死が待ってるんですから。この世界をお造りになられた父なる神様と、私たちの身代わりとなって、十字架にかかり、私たちの罪を帳消しにしてくださったイエス様を、信じてください。そして、イエス様がお送りくださる助け主、聖霊様との親しき交わりをもたせてもらいましょう。いつも喜び、すべてのことに感謝するのも難しい時もあるでしょう。でも、いつも、私たちの身代わりとなってくださったイエス様の十字架を覚えてください。お父さんである神様とお話させていただきましょう。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、信仰の始まりが永遠のいのちの始まりであることを覚えて、ちょっと長いですが「神様との永遠の交わりを確信します」です。では、三回宣言しましょう。

「神様との永遠の交わりを確信します」、「神様との永遠の交わりを確信します」、「神様との永遠の交わりを確信します」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇73篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書12章36節。

「あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」

黙想いたします。詩篇73篇。

黙想時の曲

⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑦:主の教えを喜びとし

https://www.youtube.com/watch?v=9n1wkt166Nc

聖餐式

賛美⑧:永遠にあなたと

https://www.youtube.com/watch?v=RvvnF2he6_c

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の1月15日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/