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メッセージ主題:『神の力がおおう時』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.2.12主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年2月12日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:歌いつつ歩まん

https://www.youtube.com/watch?v=YoEewB_n424

賛美②:神の子羊

https://www.youtube.com/watch?v=EP2HSx2xMZ8

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:わが魂の羊飼い (2月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=SUSg_GEgJCA

賛美④:見ゆるところによらずして

https://www.youtube.com/watch?v=GkP3E8p7KQ0

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:罪とがを赦され

https://www.youtube.com/watch?v=OY7i6GpypHM

【YOUTUBE配信開始】

2023年2月12日 主日礼拝メッセージ

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:創世記49章(新改訳聖書)

中心聖句:

「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」(10)

メッセージ主題:『神の力がおおう時』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ヤコブは死を前にして、12人の子供たちそれぞれを祝福します。長子のルベンから始まって、シメオン、レビ、そしてユダ。10節の「王権はユダを離れず」とは、諸部族の間で、ユダが支配権をもつことを意味しています。そして、ゼブルン、イッサカル、ダン、ガド、アシェル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミン、とそれぞれに応じた祝福をヤコブは与えます。その後、ヤコブは、自分の亡骸をアブラハムやイサクたちの眠る、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にある墓に葬ってくれるように子供たちに言い渡して息絶えました。これが、49章のあらましです。

病床の身で、もうすぐ息を引き取るというぐらい体力もないヤコブが、息子たち12名に、それぞれ、凛々しく適切なる祝福を与えられました。これは、ヤコブの知恵や力ではありません。神が聖霊を通して、ヤコブに神のご計画を示されたのです。これは、祝福でもありますが、預言です。ヤコブは、神に選ばれし族長ではありますが、これまではどちらかと言いますと、ヨセフを失って以来、陰の薄い感じでした。しかし、神はヤコブに臨まれて、最後にヤコブに族長の威厳を示すチャンスを与えられました。

ヤコブは、神のことばを語ります。ヤコブは、死を直前にして、まったく私利私欲のない心の状態に導かれたのではないでしょうか。ヤコブに神の力が満ちるとき、ヤコブはもはやヤコブではなく、神の代弁者となるのです。ヤコブの上に啓示が現わされています。

啓示とは、神より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいいます。その啓示の最たるものが、この創世記であります。歴代の人々が長寿による、口伝の重複によって歴史が確認されたとしても、どうしてモーセが、神の天地創造を知りえたでしょうか。皆さんは疑問に思いませんか。モーセは思い付きで書き綴ったのではありません。神がモーセに啓示したのです。

同じように、瀕死状態のヤコブにも表され、その通りになります。ユダの子孫からダビデ王がでて、ソロモン王と続き、そして長い年月を経て、全世界を救うイエス・キリストが登場し、私たちの王となられるのです。ヤコブもモーセもキリスト・イエスを知りません。ただ、神のみがそのご計画をごぞんじなのです。●「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」ここで言う「シロ」とは「平和」のことです。神との和解を成立させ、罪深い人間のために神との平和をとりもどせることのおできになる方、イエス・キリストが現れ、そして主の日である最後の審判のときに、キリストを信じる民はキリストに従う者となるのです。ヤコブは、未来がぼんやりしてはっきり見えなかったとしても、ユダにこのことを告げるのであります。あわい期待ではありません、また希望的観測でもありません。主にあって確信をえて、ユダに告げているのです。いえ、神がヤコブの口を通して、そのように告げているのです。

イエス・キリストを信じる私たちは、ヤコブでもなければ、モーセでもありません。そんな聖書に名を連ねる大それた人物ではありません。少なくても私はそのような者ではありません。しかし、どうでしょう。私たちは、ヤコブやモーセのように神に選ばれ、聖霊様の導きによって、イエス・キリストを、また世界の創造主を信じるものとさせていただいています。私たちは取るにたらない虫けらのような存在です。しかし、私たちは、私たち自身を過小評価していないでしょうか。いえ、私たちの力や知恵を過小評価しているのではなく、私たちを通しての神の知恵と力を過小評価していないいでしょうか。どこかで制限していないでしょうか。私たちは、私たちの内に注がれている神の力と知恵を、もっと強く求め、もっと現れてくださいと積極的に祈り願ってもいいのではないでしょうか。私たちは、謙虚ということばに、敏感になりすぎて、あまりにも消極的になってはいないでしょうか。

私は、ここに悔い改めをしたいと思います。私は、これまで、私に注がれている神の力を、器としての私の不完全さゆえに、ある意味、過小評価していたような気がします。もちろん、私自身は欠けの多い大したことのない人間ですから、器の問題だとも思っていたのです。ところが、今回、49章のあのヤコブの姿をみて、器としての欠けの多さを考慮しても、神の恵みや力は、それをまったく感じさせない、いえむしろ圧倒的なものであることがわかりました。これまで、創世記1章から49章まで読んできました、残すところあと1章でありますが、この執筆者モーセも神からの啓示を受け、それをそのまましたためたという感じです。つまり、何が言いたいかと申しますと、私たちは、私たちの願いに制限する必要はなく、神からの祝福をもっともっと祈り求めてもいいということです。もちろん私利私欲や自己満足の求めではいけませんが、そのことに区別がつかないことも多々あります。これは、主が栄光を現わされるものなのか、主の栄光といいつつ、自分の利益を考えてしまっているものなのか、線引きがなかなか難しい時もあるからです。しかし、そんなときでも、臆せず求めればいいのではないでしょうか。栄光を現わすかどうかの判断は主がなさいます。私たちが、変に判断して、控えめすぎて、多くの祝福を求めないのは良くありません。そして、主は私たちが求める以上のもので祝福してくださいます。そのように信じて、主の大いなる祝福や、知恵や力を大胆に求めていいのです。それを、今回、私は今まで控えめすぎたように感じました。もちろん、私たちは忍耐も必要です。私たちの時間と神の時間が違うためです。大胆に、しかし忍耐をもって求め続けなければいけません。わたしは、もう主にある働きで遠慮はしません。この小阪チャペルは、主が導きたもうた所です。この場所は、神によって祝福を受け、神が栄光をあらわされるべきところです。私たちが主にあって誠実であり、主の祝福を求め続ければ、きっと主のご計画がこの地に表されるはずでしょう。

皆さんも同じです。皆さんお一人お一人に、主は祝福のご計画を必ずお持ちです。それを信じて、忍耐強く、主の働きをしつつ、求め続けましょう。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきます。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「大胆に祈り求め続ける」かぁ、よう聞くことやけどなぁ、なんか心の中にブレーキ

かけている自分がいるような気がするわ。

熊: そやなぁ。マタイの7章7節8節にそれは書いてある。イエス様こういいはった。

●「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は

見つけ出し、たたく者には開かれます。」

八: 「だれであれ、求める者は」ちゅうことは、わてでも八でもええっちゅうこっちゃ。

くじ引きやあれへんから、当たりはずれもない。

熊: 神様は、太っ腹なおかたやでぇ。

八: それに「求めなさい」ちゅうことはほんまは、「求め続けなさい」ちゅうことやろうけど、

この求め続けるのに、何を求め続けたらええのかが、一番大事なんやろうな。

マタイの6章33節で、イエス様は、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と

おっしゃった。

熊: 「神の国」とは「神のご支配」、外側の世界の支配もそうやけど、わてらの心の内側の

支配も求めんとあかんわな。それに「神の義」ちゅうのは「神との正しい関係」や。

「創造主と被造物」の関係でもあるやろうし、「父とイエス様を通しての養子」という

関係でもあるやろう。

八: つまりは、わてらが、神様にどのように従おうとするかが問題となってくるんやろう。

熊: たしかに、神様に自分のすべてを任せる、白旗あげて降参する、ちゅうことなんやろう

けんど、これも難しい。イエス様を信じる、信じようと決心するちゅうことは、

一瞬でできるのかも知れへんけど、イエス様に従うちゅうのは、至難の業なような気

がする。

八: 「言うは易し、行なうは難し」やな。そんでもって、今日のヤコブはんの子どもたちへの

祝福でもある預言は、ヤコブはんに神の知恵と力が宿った結果やと思うねん。せやから、

わてらは、神様の知恵と力を求めたらすべてはうまくいくんかも知れへん、

と今日強く思わされたわ。

熊: そんときに、「イエス様の名によって祈る」ことを忘れてはあかんわなぁ。

わてらは、イエス様が、神様とわてらの間を取り持ってくださって、

和解できたんやさかい。

八: そや、それは大切なこっちゃ。イエス様も次のようにおっしゃってはる。

ヨハネ14章13節と14節や。●「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって

もとめることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をおうけになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」イエス様の名によって祈れば、イエス様がお聞き届けくださって、その求めに答えてくださるんや。

熊: え?ちょっとまってよ。ということは、イエス様が、わてらの代わりに、

してくださるちゅうことでもあるんか?

八: そうなるなぁ。わてらは、イエス様の名前によって願い求めるだけで、

後はイエス様が「まかしとけ」っておっしゃってくださるんやて。

それだけ、イエス様の名前には、権威があるちゅことやわな。

熊: わてらは、その意味でも、イエス様の名によって、神様の知恵と力がわてらに覆うことを

願ったら、すべてはうまくいくちゅうことか。

八: わては、今回のヤコブはんの姿をみて、神様の知恵と力がわてらに覆うと、すべてが

うまくいく。まあ、「うまくいく」ちゅうのは、神様の目からみたらの話やけどな。

熊: イエス様がわてらの代わりにしてくださる、ちゅううのはええなぁ。そう思えば、

旧約聖書では、神様が民の代わりに戦ってくださるちゅうのが、

ところどころにでてくる。

八: そやなぁ。たとえばエリコの城の陥落もそうやった。難攻不落と言われたエリコ城

やったけんど、イスラエルの兵士が、町の周囲を1日に1回、角笛ならして回り、

7日目だけは、7回回った。そして、時の声(エイエイオー!ヤー!みたいなやっちゃ

ろうなぁ)をあげるやいなや、城壁がくずれ落ちて、その町を攻め入って、

エリコの町を陥落させた。

熊: ヨシュア記6章にあるやっちゃな。わてら人間には見えへんけど、天の軍勢がいはって、

ヨシュア軍の代わりに、戦こうてくださった。

八: そや、けんどな、その間ヨシュア軍も戦こうてはったんやと、わては思うでぇ。

熊: どういうこっちゃ、ヨシュア軍はエリコの町の周りを回っただけやないか?

八: その町の周りを回るちゅうのはなぁ、ヨシュア軍にとっては、心の戦いや。

いかに神様が言いはったことを信頼するかや。はじめは疑心暗鬼やったかもしれん、

しかし、町を回る度に、どんどん兵士たちの心が一つとなって、神様の言葉を信頼し

切った。そして、最後に「ときの声」や。神様はな、わてらが、いかに神様を信頼する

かをまってはるんやと思うねん。

熊: それが、エリコの町を7回、回らしはったちゅうことかいな。

八: 7という数字は、聖書では完全数や。つまり7回回ったちゅうことは、ヨシュア軍が

完全に神の言葉を信頼したちゅうことなんやろうな。実際に7回回ることが重要や

あれへんのとちゃうやろか。完全に神様を信頼することが重要なんや。

そのために神様は、時間を設けてくださる。

熊: つまりは、わてらに神様の知恵と力が満ちるとき、それらがわてらをおおう時ちゅうのは、

わてらが神様を完全に信頼し切った時、その神様の知恵と力が現れるちゅうことやな。

八: そやろなぁ。「神様を完全に信頼し切る」ちゅうのは、「神様や神様の言葉に疑いを

持たへん」ちゅうことや。少しでも頭の端っこに疑いをもったらあかんかもしれへん。

神様の目には、中途半端はない、All or Nothing やろうな。

熊: なんやねん、その All or Nothing ちゅうて?

八: 若さんがゆうてはったんやけどな、神様もイエス様も All or Nothing やて。つまりは、

「神様の祝福を全部いただくか、全くもらわれへんか」それに「神様やイエス様を全く

信じるか、それとも全く信じひんか」中途半端はあれへん。

熊: なるほどなぁ、信じたら、すべての祝福がいただけて、信じひんかったら、祝福はなにも

ない。ヤコブはんもいろいろ紆余曲折あったけど、最後にはヤコブはんを導いて

くださった神を信じ切った。せやから、最後の最後に、神の知恵と力がヤコブはんをおおいはって、息子たちに、適切な祝福を与えることができたんやろうな。

八: わてらも、「イエス様いのち」やて、言いつつも、肉の弱さゆえに揺らぐこともある。

けんど信じてないわけやない。神様の知恵と力がわてらをおおうように、祈り求め続け

なあかんなぁ。若さん、みなさんといっしょに、求め続けましょな。神様の知恵と力を。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。神の知恵と力が私たちをおおう時、私たちは、神が私たちに願うものが、私たちの願うものとなります。そのためにも、私たちの内に住みたもう聖霊様の助けが必要です。私たちが、一生懸命、つまり自分の力で、神様にそしてイエス様に従おう、とするのではなく、神様の知恵と力が私たちをおおうことを願う、その時に、天の門はひらかれ、天の軍勢が私たちのために働かれるのではないでしょうか。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、私たちの願いが、神のご計画に近づくために、「神様の知恵と力を求め続けます」と宣言したいと思います。では、三回宣言しましょう。

「神様の知恵と力を求め続けます」、「神様の知恵と力を求め続けます」、「神様の知恵と力を求め続けます」アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇19篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書6章29節。

「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」

黙想いたします。詩篇19篇。

黙想時の曲

⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑦:聖霊来たれり

https://www.youtube.com/watch?v=ncujrDVT8eg

賛美⑧:主に賛美

https://www.youtube.com/watch?v=v5V7Ay1ogNQ

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の2月19日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/