· 

メッセージ主題:『神に栄光、地に平和』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.3.5主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年3月5日主日礼拝式を始めます。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:丘に立てる荒削りの

https://www.youtube.com/watch?v=HUY54RuEOdU

賛美②:どんな時にも

https://www.youtube.com/watch?v=64er54gdx2E

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

賛美③:御国と力と栄光 (3月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=VVm_HykNNsw

賛美④:主をほめよ高らかに

https://www.youtube.com/watch?v=UcnwxW_SGY0

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

賛美⑤:生ける限り主を

https://www.youtube.com/watch?v=r-M4O5Xr0Kc

【YOUTUBE配信開始】

2023年3月5日 主日礼拝メッセージ

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

●聖書拝読:ルカの福音書2章(新改訳聖書)

中心聖句:

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(14)

メッセージ主題:『神に栄光、地に平和』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

「ルカの福音書」第1章も非常に長かったですが、第2章はほんの少し短い。しかし、この第2章には、4つのエピソードが含まれています。

一つ目は、もちろんイエス様の誕生です。人口調査のための登録のために、ヨセフと身重のマリヤは、ガリラヤの町ナザレから、ダビデの家系であるヨセフの出身地、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行きました。そこで、イエスを生みます。馬小屋というのが通説になっていますが、実は、横穴をあけて、そこに家畜、馬と豚以外の家畜を飼っていたところで、マリヤは出産しました。馬は、戦い用ですし、ユダヤ人は豚は食べませんので、それ以外の家畜だったと思われます。マリヤたちは初子を布にくるんで、飼葉おけ、つまり家畜のえさ入れに置きました。

二つ目は、御使いが羊飼いにのぞみ、「きょうダビデの町に、救い主キリストがお生まれになった」ことを告げます。そして、天の軍勢が現れて、神を賛美します。今日の中心聖句です。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」この賛美は、みなさんがクリスマスの時に歌ったり耳にしたりする歌「グロリヤ・イン・エクセルシス」(いと高き所に、栄光あれ)であります。余談ですが、あれは、ラテン語ですね。その後、羊飼いたちは、御使いが言っていた、幼子を見に行くことにします。そして、ヨセフとマリヤにそれまでのことを伝えます。そして、羊飼いたちは、神をあがめ、賛美しながら帰って行きます。

三つ目は、出産後、汚れの期間、裏をかえせば、出産という命がけの大仕事からの休息の期間でもありますが、その期間が終わり、8日目に、男の子であれば、割礼を受けます。それから、33日後に、母親は社会生活に戻ることが許されます。清い生活に戻るために、犠牲をささげます。おそらく、マリヤたちは、その後に、律法には「初めて生まれた男の子は、神のものである」とされていますので、イエスをエルサレムに連れて行き、神に献げるという儀式をします。さしずめ、日本でいうところの、「ひと月めのお宮参り」でしょうか。当然、意味と意図はちがうでしょうが、同じような時期にお参りをするのは興味深いです。そこで、救い主を待ち望んでいたシメオンという老人と出会います。シメオンは、幼子を抱き、祝福し、また予言します。また、アンナという老女も同じように、幼子イエスのことを証しします。

四つ目は、イエスが12歳になったときのことでした。ユダヤでは13歳の男子は成人、女子は12歳で成人と見なされる、バルミツバという儀式をうけますが、その準備期間が約1年間あり、息子イエスが12歳になったことで、両親はイエスを過越しの祭りに参加するためにエルサレムに連れて行きます。この過越しの祭りへの旅は、各地域や家族や親族で団体行動です。帰りの旅で、両親はイエスを見失います。イエスは、エルサレムの神殿に残って、学者たちと話をしていたのです。通常はあり得ないことでした。そして、そこで、12歳の少年イエスが、エルサレムの神殿を「父の家」と呼ばれたことも、不思議なことでした。

マリヤは、羊飼いたちが、御使いが告げられたとおりのことが、起こったことの証人となったこと、そして、エルサレム神殿での出来事を、心に留めていました。

この福音書の執筆者であるルカは、マリヤにもインタビューしたのではないでしょうか。第1章と第2章では、マリヤが心に止めていたことを中心に記述されていたような気がします。

さて、今日の御言葉ですが、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」これは、イエス・キリストがお生まれになったことへの、神様への賛美です。神の栄光とキリスト者の平和とが、並列的に記されていますが、実はこれは、神の世界の創造の業を示しているような気がするのです。創世記1章31節には、次のようにあります。創造を終えたときのことです。●「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」無から有を創造された主の力と権威が現われ、それこそが栄光であり、地上のすべてのものが良かったとは、調和している、平和がある、といった表現に匹敵するでしょう。そして、第七日目を祝福して、その日を聖であることとされました。(2:3)安息日です。

そして、この後、アダムとエバに罪がはいって、エデンの園を追放され、神との調和がこわされました。しかし、神はもう一度、ご自身の世界創造の時の力と権威を、イエス・キリストの誕生にお現わしになりました。御使いたちが、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と神を賛美したのも、イエス・キリストの誕生が、世界創造に匹敵ものであるという証拠になりうるのではないでしょうか。神は、アダムとエバをエデンの園から追放した時点から、いえ、それ以前の世界創造から、ご自身の栄光を現わす計画をたてていらっしゃったのです。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように」と「地の上に平和が御心にかなう人々にあるように」とは、二つで一つといいましょうか、コインの表裏にように、くっついて現れたのが、天地創造の時であり、イエス・キリストがお生まれになった時なのでは、ないでしょうか。

さて、そもそもの質問ですが、神の栄光とは何でしょう。ある方は、神の栄光とは、神の霊の美だということです。なにか余計に分からなくなる感じがします。私は、神の栄光とは、神が神であることを現わす業であり、力であり、知恵であると思っています。もっとも分かりやすいのは、奇跡でしょう。それは、神の業です。世界の創造も神の業です。しかし、神の栄光は、常にいろいろなところに隠れているとも言えます。あることで、「これは神の業である」、とか「神に感謝します」と認識することで、そのことは神の栄光となるのです。いえ、神の栄光が現れた、神の栄光が明らかにされたと表現したほうがいいかもしれません。

クリスチャンは、よく「神に栄光をお返しする」ということを口にします。それは、私たちが何かで「褒められた」とすれば、それを、神に感謝する、神がそのことを、私たちを通して、私たちのために、してくださった、神の栄光を現わしてくださったと思うからです。

そう思いますと、神の栄光は、あらゆるところに隠され、恐らく、神は、そのことに私たちが気づくことに、喜んでくださるのではないでしょうか。もちろん、神は神であるがゆえに、「私たちが神に栄光をお返しすることを必要とはしていません」。しかし、神の造られた私たち人間が神を認識すること、神を覚えること、そのことを神は望んでおられるのではないでしょうか。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきます。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「いと高き所に、栄光あれ」って、「ゴロリヤ・イン・エクセルシス」っていうんやなぁ。

クリスマスの時によう歌ってたけど、意味考えんと歌てたわ。

熊: 八もか、よかった。わてもや。わては、「神に栄光あれ」やと思てた。

それに、あれって、ラテン語やってんなぁ。ちっとも知らんかったわ。

八: わてら、横文字には弱いなぁ。まあ、縦文字もあんまり強ないけど。

熊: 読まれへん漢字いっぱいあるけど、聖書はええわ。ぜんぶルビふってくれてはるから。

八: せやなぁ。せやけんど、「神に栄光あれ」と、「地に平和が、御心にかなう人々にあれ」

というのとは、コインの表裏のような関係にあるんやなぁ。

若さんそんな風にゆうてはったやろ。この二つは一つやって。

熊: 「神に栄光がある」ちゅうことは「イエス様を信じるわてらに平安がある」、

「わてらに平安がある」ちゅうことは「神に栄光がある」ちゅうこと。

八: つまりは、わてらがイエス様を心から信じた時点で、わてらにはイエス様の平安である

聖霊様がお宿り下さる、そして、その信仰の始まりこそが、神に栄光があらわれる時や。

熊: けんど、なんで、信仰の始まりが神に栄光が現れんねん?

八: 神様は、アダムはんとエバはんがエデンの園から追放されたときから、神様の目には、

わてら人間は罪によって死んだものと映るんや。ところが、御子イエス・キリストを

信じる者となったとき、神の目には、生き返ったと思われるんや。

生き返ること、よみがえることは、神に栄光が現れるときなんや。

熊: ほんでか。マリヤはんとマルタはんの弟、ラザロはんが病気で死にそうになってたとき、

イエス様は、●「この病気は死で終わるだけのものではなく、

神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」

(ヨハネ11:4)と言いはった。わて、ここだけ読んだとき、何が何かさっぱり

分かれへんちゅうか、イエス様何をゆうてはんねんやろ。

さっさとラザロの病気をいやされたらええのにと思てたんや。

八: あ、そこな。わても同じや。そんでや、イエス様がもたもたしてはって、まあ、

これもわざとやねんけど、ラザロはんのところに着いたときには、ラザロはんが

死にはって、4日もたってた。ふつうやったら、もう死体の腐敗が始まってるから、

どうあがいても生き返ることはあれへん。しかし、イエス様はその時をまって

はったんやなぁ。●「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、

とわたしはいったではありませんか。」(11:40)って、マルタはんに言いはって、

次に大声で●「ラザロよ。出て来なさい。」って叫ばれはった(11:43)。

神の栄光が現れるちゅうのは、死んだ人が生き返る、そんな普通ではありえへんことが

おこる、つまりは奇跡やわな。

そんときに、神が全能の神であることを現わしはんねんや。

熊: そうか。神が全能の神であることを現わしはんのが、神の栄光が現れるちゅうねんな。

よみがえることが、神の栄光でもあるんや。

あ、分かった、いや、分かったような気がする。

八: なにがやねん。

熊: イエス様のたとえ話や、ほら、放蕩息子の話。

八: ああ、次男が、父親の財産を生前相続しはって、その財産、湯水のように使いはって、

すっからかん。どうしょうもなくなって、父親のもとに、奴隷としてでもええから

と思って、帰って来る。

熊: それを、遠くの方から見つけた父親が、大喜びで、そのアホ息子を迎えにいく。

そこで父親がゆうた言葉が、これや。●「急いで一番良い着物を持って来て、

この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、

死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのがみつかったのだから。」(ルカ15:22-24)

八: アホな子どもほど可愛いちゅうけど、神様もそうやったんかなぁ。

熊: 失礼なことをゆうたらあかんわ。ちゃうがな、道に迷った小羊が、もどってきたんや。

喜ばへん羊飼いはおらん。捜し回ってた、小羊が見つかったんやから、大喜びや。

それと同じや、わてらが神様を信じたら、神様は、「よう、帰って来た。おかえり」

ちゅうて、喜んでくれはるんや。神の栄光が現れるちゅうのは、全能の神であることが

現れるちゅうことなんやけど、神の栄光が現れるときは、神様もめっちゃ喜んで

はるんや。大喜びで、天ではファンファーレがなってるんとちゃうか。

角笛がなってるんと同じや。

八: わてらは死んでたのに、または死んでいく運命にあったのに、聖霊様によって、

イエス様を神の御子であり救い主キリストと信じさせてもらって、イエス・キリストと

共によみがえったんや。それは神の選びでもあるけんど、神の御業や。

全能の神のお力の現れや。神の栄光の現れや。そんでもって、天の御国では、

大喜びの大宴会や。

熊: ええな、ええなぁ。聖霊様のある時、(バンザーイ)。ない時、(シューン)。

ある時(バンザーイ)。ない時、(シューン)。

八: 熊、けったいなことせんでええねん。そんな大阪人しか分かれへんような、、、。

熊: アホかいな、あれはもう全国区やでぇ。

八: わかった、わかった。けんど2個食べたら、胃もたれするさかい、気をつけんとな。

熊: あれは、2個食べたら胃もたれするかもしれんけど、聖霊様に満たされたら、やっぱり、

ダビデはんの踊りやな。まわりが引くぐらいに、踊る阿呆に、見る阿呆、同じアホなら

踊らなソンソン。

八: あかん。若さん、熊壊れてしもた。どうにかしたって。

―――――

八さん、熊さんが壊れたらだれも手が付けられません。ほっときましょう。その内、ねじがきれたらとまりはるでしょう。

けんど、八さん、熊さん、ありがとうございます。私たちが、イエスキリストを信じれば、私たちに平安が臨み、天では大喜び。そして、その業が、神の栄光の現れ。聖霊によって身ごもった処女のマリヤから、救い主であり、私たちの王イエス・キリストがお生まれになったことは、全能の神でしかなすことのできない業であり、神の栄光が現れた瞬間でした。そして、神の恵みで満たされているはずなのに、罪がはびこるこの世界に、神との和解、平和、平安をもたらすようにと、御子イエス・キリストを、神はこの世にお送りくださいました。それは、神の愛の現れでもあり、まさしく神の栄光の現れでもあります。先に救われた私たちは、救われたこと自体が主の栄光の現われです。私たちは、まだ救われていない方の上に、主の栄光が現われますようにと祈り、そのために私たちを用いてくださいと祈らせていただきましょう。

では、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、主が私たちを用いて、救われるべき方に主の栄光が現われますようにと、「主の栄光のために用いられます」と宣言したいと思います。では、三回宣言しましょう。

「主の栄光のために用いられます」、「主の栄光のために用いられます」、「主の栄光のために用いられます」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇24篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書17章1-3節。

「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」

黙想いたします。詩篇24篇。

黙想時の曲

⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑦:悔いた心

https://www.youtube.com/watch?v=HHA6WPhBIao

聖餐式

賛美⑧:栄光の輝き

https://www.youtube.com/watch?v=41gHV1xbaw8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の3月12日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書3章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/