ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.3.12主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年3月5日主日礼拝式を始めます。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
角笛
賛美①:罪重荷を除くは、マジェスティ
https://www.youtube.com/watch?v=R8binzr4T24
賛美②:なんと素晴らしい
https://www.youtube.com/watch?v=FwnJPpRlwvY
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
賛美③:御国と力と栄光 (3月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=VVm_HykNNsw
賛美④:今もなお注がれる、小羊イエスよ
https://www.youtube.com/watch?v=QrbCixZQvck
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
賛美⑤:イエスに栄光あれ、栄光イエスにあれ
https://www.youtube.com/watch?v=9bLnSPZmXBQ
【YOUTUBE配信開始】
2023年3月12日 主日礼拝メッセージ
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
神様からのメッセージの前に礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
●聖書拝読:ルカの福音書3章(新改訳聖書)
中心聖句:
「ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを説く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(16)
メッセージ主題:『水のバプテスマ、聖霊と火とのバプテスマ』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
「ルカの福音書」第3章では、バプテスマのヨハネが、洗礼を授けているところと、その授けているところに、イエス様が現われ、洗礼をヨハネからあえて受けること、そして、イエスの系図、アダムまでさかのぼる記述が記されています。イエス様の系図は、マタイの福音書の1章にもありますが、少し異なっています。その事は、私はあまり問題視していませんし、今日ここでとりあげようとは思いません。この章での大事なところは、バプテスマ、洗礼です。
洗礼者ヨハネは、水のバプテスマと聖霊と火のバプテスマのことを述べています。
水のバプテスマとは、簡単に申しますと、「私たちが自分自身に死ぬことの宣言」です。ペテロはそのことを「正しい良心の神への誓い」であると述べています。1ペテロ3章20節21節です。
●「昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた時代、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」
ですから、当時のヨハネの水のバプテスマは、神様を信じ、悔い改めで、神様中心とする生活を行なう宣言であり、その儀式でありました。その儀式では、いったん水の中に体全身を沈め、今までの生活から離れ、水から体を起こすことで、新しい自分、神を中心とする生活をする決意表明でありました。バプテスマは、もともと「沈める、浸す」という意味だそうです。自分自身を水に浸し、体ではなく心の汚れを洗い流し、新しい気持ちで神に従うという「洗い」の儀式です。
ヘブル人への手紙6章2節では、ヨハネのバプテスマ洗礼のことを「きよめの洗い」としています。
では、「聖霊と火のバプテスマ」とは何でしょう。まず「火」を考えてみたいと思います。火ですぐに思い出すのは、モーセに現れた火です。モーセが神の山ホレブにやってきた時のことです。出エジプト記3章2節には次のようにあります。●「すると主の使いが彼に、現れた柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は燃え尽きなかった。」そして、4節●「神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ』と仰せられた。」とありますように、この時の火は、神の臨在の火であります。そして、モーセの民は、昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれます。出エジプト記13章21節22節●「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、彼は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。」とありますように、主の臨在の象徴である雲や火は、民を守り導くのであります。
また「火」で思い出すは、「焼き尽く火なる神」であります。イザヤ書33章14節では、次のように、イザヤは言います。●「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。私たちのうち、だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」主がイスラエルの民の敵であるアッシリア軍を、火のように臨在されて打ち滅ぼされたのですが、イスラエルの民の中にも、神を敬わない者がいて、同じ主の聖さによって、自分たちも滅ぼされるのではないかと恐怖に取りつかれたのです。
また火は金や銀の鉱物を精錬するときに使います。火によって、不純物を取り除いていくのです。主は、火のように、自らの完全なる聖さによって、神を敬わない者、従わない者を取り除いていきます。火は、守りと導きでもありますが、精錬、純化、そして裁きでもあるのです。
いけにえで、全焼のいけにえ、というのがあります。それは、いけにえを焼き尽くし、すべてを灰にするということでありますが、主に対する全くの服従を意味します。焼き尽くすことによって、主への服従を意味しました。
ルカの福音書にもマタイの福音書にも記されています、バプテスマのヨハネの言葉には、続きがあります。17節●「また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」火のバプテスマは、もみ殻である罪を完全に焼き尽くします。しかし、火であるがゆえに、私たちは、試練という「信仰的ゆさぶり」も通されます。簡単にいえば、「火のバプテスマ」は試練だということもできます。
また、聖霊のバプテスマとは、イエス様がバプテスマのヨハネからあえてバプテスマを受けられたとき、聖霊が臨みました。21節22節●「イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』」イエス様は、私たちに、聖霊のバプテスマの見本を示されたのです。聖霊のバプテスマを受けるということは、天の神様の喜ぶことなのです。
パウロはバプテスマのことについて次のように説いています。ローマ人への手紙6章4節5節です。●「あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」イエス・キリストの名によってバプテスマを受けるということは、自分ではどうしようもない罪の奴隷であった者が、キリストとともに十字架にかけられて死に、死を通して罪から解放され、キリストの復活とともに、いのちをあずかって新しい歩みをするのです。もちろん、新しい歩みは、まったく平安で喜びいっぱいのものかといえば、そうではありません。火のバプテスマが試練ですから、私たちは、罪との葛藤としての痛みを伴います。しかし、聖霊のバプテスマを同時に受けていますから、聖霊様、つまりイエス様の平安である助け主から、私たちがその試練に打ち勝てるように勇気と励ましをいただくのです。イエス様はそのことを、ヨハネの福音書14章で示されています。26節●「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」そして、その助け主は、16節●「いつまでもあなたがたと、ともにおられる」とイエス様はおっしゃいます。
イエス・キリストの十字架での罪の贖いと死を克服しての復活を信じる者にとっては、洗礼を受けるとき、水のバプテスマで、神中心の生活をするという決意表明を表し、それと同時に、聖霊と火のバプテスマを受け、古い肉の思い、罪から脱却するための試練とそれに打ち勝つ勇気と知恵と力を受け続けるのです。
さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきます。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: いやぁ~。洗礼か。懐かしいなぁ。わての時は、灌水(かんすい)ちゅうて、
頭の上に水を垂らすやり方やったけど、熊はどうやった。
熊: わてな、わての時は、お風呂場やったわ。あれ浸水(しんすい)ちゅうねんてな。
八: 風呂場って、銭湯かいな。
熊: いや、信徒の方で大きな湯舟があって、そこで、ザブーンや。
ザブーンの方は、いっぺん、水の中に頭まで浸かって、それで死んで、また、
水から顔を出した時に、よみがえるちゅうか、新しいいのちの歩みが始まる
ちゅうらしいなぁ。
八: 灌水は、皆さんの前で、膝まづいて、牧師さんから頭に水かけてもらうんやけど、
あんまり感動はなかったなぁ。
熊: わての場合は、ザブーンやろ。なんやプール入っているような感じやったわ。
八: プールか、プールゆうたら、若さんは、アメリカの教会の近くの小学校のプールで
ザブーンしはったそうやで。なんかこう後ろ向きに倒れて、すべてを神に委ねる
ちゅう意味があるらしいわ。そして、沈んでから起こされるんやけど、そんときに
ちょっと鼻に水はいっておうじょうしたらしい。感動したのと、むせたんとで、
涙と鼻水いっぺんに出たちゅうてたわ。
熊: そら、たいへんやったな。
八: けんど、できるものやったら、ザブーンの方が心に残りそうやなぁ。
この次するときには、ザブーンがええわ。
熊: この次って、二度も三度もするもんやあれへんでぇ。バプテスマを受けたら、
もう聖霊様は、わてらの心にお宿りくださってるんやから。
八: まあ、それもそうやなぁ。
熊: けんど、それよか、聖霊のバプテスマや。わてな、ある人に「聖霊のバプテスマは
もうお済ですか」ちゅうて聞かれた。
八: 水のバプテスマを受けた時点で、聖霊と火のバプテスマも同時に受けてんのとちゃうんか。
熊: わてもそう思てた。けんど、その人は、「水のバプテスマと聖霊のバプテスマはちゃう」
いいはるねん。
八: あ、それって、異言のことちゃうか。
熊: 異言って、神様となんやわからん言葉でしゃべるちゅう、あれかいな。
八: そやがな。けんど、異言は神様からの賜物やちゅうてたでぇ、若さんが。
賜物やさかい、もらう人もおれば、もわらん人もいる。異言をせえへんかったら、
クリスチャンでない、ちゅうのはおかしいでぇ。
熊: まあ、その人は、そこまでいわへんかったんやけどな。その人はちょっと勘違いして
はるんとちゃうかな。洗礼を受けた時に、同時に聖霊のバプテスマもうけて、聖霊様が
わてらの心のうちにお住まい下さる。そして、わてらを罪をおかさんように、
誘惑に負けんようにお手伝いしてくださるんや。それを、洗礼を受けた後で、
聖霊のバプテスマを受けて、異言をかたるステップをふむ、
ちゅうのは、間違いやろうな。
八: 異言をしてもせんでも、聖霊様はわてらの心にお住まい下さる。
熊: ほんなら、なんで異言なんてあるん?
八: 異言は、神様との直接の会話や、天国の言葉での会話やな。その会話をして、
神様とより親しくなれるちゅうんやと思うでぇ。わても、若さんも、八もその賜物
もろてへんから、わからんけんどな。まあ、異言をしたから、その人は神様により
近づいているのとは、また別個の話や。イエス様に似る者となるには、
火のバプテスマによって、つまりは試練によって、信仰が堅くされていくんや。
異言をしたから、イエス様に似る者になっていくとは、まあ、限らんわ。
熊: 若さんなぁ、「神様からもらえるもんは、思いっきりもらったらええねん。
遠慮せんでええ。神様はしみったれとちゃう、豪気なお方や、太っ腹や。」
ゆうてたの思い出したわ。
八: せやな、御言葉にも、「もとめよ、さらば与えられん」ちゅう言葉があるさかいな。
な、若さん、そうでっしゃろ。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。洗礼は、私たちが神様とイエス様と聖霊さまを信じますと告白し、これからは神様中心の生き方をします、という決意表明の儀式です。いわば、信仰の始まりです。ここからスタートです。洗礼式をクリスチャン修了書と勘違いして、もう「救われた」し、聖霊様は死ぬまでいっしょやし、天国行きのチケット予約したし、で、クリスチャン生活がおざなりになって、信仰がなくなってしまうぐらいまで、落ちてしまったとしたら、とても残念なことで、また神様もイエス様も悲しんでおられるでしょうね。
私は、個人的には、そのような方は、むちゃくちゃ、人生で大損をしていると思っています。クリスチャン生活は、神様と会話して、恵みを感じられる時間です。天の平安と喜びを先取りできる時間でもあります。もちろん、火のバプテスマのように試練はつきものです。しかし、その試練をも喜ぶ信仰がはぐくまれ、すべてのことに感謝ができる人生となっていくのです。
試練はそそり立つ絶壁のように、私たちの目の前に立ちはだかっているように思える時があるでしょう。しかし、私たちには、内に住み給う聖霊様、それに神様との仲を取り持つイエス様がいらっしゃいます。第1コリントの10章の13節では次のように言っているではありませんか。
●「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
試練が火のバプテスマであれば、脱出の道は、聖霊です、イエス様です。ゆえに、神様はあらかじめ、火のバプテスマと聖霊のバプテスマとは二つで一つのバプテスマを、私たちが信仰の決意表明をした時に、ご用意くださっておられるのです。
さて、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、洗礼バプテスマが信仰の始まりであることを確認しつつ「洗礼を受けた限りは振り返りません」です。振り返るなと言われたのに振り返った、ロトの妻は、塩の柱、つまり永遠の死を迎えてしまいました。私たちも、いつも神様を仰ぎ、前をむいて歩みましょう。では、三回宣言いたします。
「洗礼を受けた限りは振り返りません」、「洗礼を受けた限りは振り返りません」、「洗礼を受けた限りは振り返りません」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇136篇です。
皆さんは、「その恵みはとこしえまで」と応答してみてください。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書4章17節。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
黙想いたします。詩篇136篇。
黙想時の曲
⑥[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑦:主イエスと歩く道
https://www.youtube.com/watch?v=e1goBIMoaFY
賛美⑧:栄光から栄光へと
https://www.youtube.com/watch?v=Bj4M0CPSrPU
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の3月12日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: ルカの福音書3章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/