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メッセージ主題:『きよくするイエス』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.3.26主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年3月26日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:慕いまつる主の

https://www.youtube.com/watch?v=y9jpLGs4i9s

賛美②:慕い求めます

https://www.youtube.com/watch?v=ofFHpYHlwpI

賛美③:御国と力と栄光 (3月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=VVm_HykNNsw

賛美④:小さな祈り

https://www.youtube.com/watch?v=m88_TpS_qNc

賛美⑤:一万の理由

https://www.youtube.com/watch?v=0EOUwUrsne4

賛美⑥: 祈り求めます

https://www.youtube.com/watch?v=GRFbvWaGn5M

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年3月26日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書5章(新改訳聖書)

中心聖句:

「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ、きよくなれ』と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。」(13)

メッセージ主題:『きよくするイエス』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ルカの福音書第5章では、5つのエピソードからなります。①漁師を弟子にする(1-11)、②重い皮膚病患者をいやす(12-16)、③中風の人をいやす(17-26)、④レビを弟子とする(27-32)、⑤古い律法ではなく、新しい救い(33-39)、であります。

この5つのエピソードには、それぞれに、イエス様の注目すべきお言葉があります。①「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」(4)、「こわがらなくてもよい、これから後、あなたは人間をとるようになるのです」(10)、②「わたしの心だ。きよくなれ」(13)、③「友よ。あなたの罪は赦されました」(20)、④「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです」(31-32)、⑤「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。」(38)

イエス様は、重い皮膚病の患者を、「きよくなれ」と癒やされました。そして、中風の人も「あなたの罪は赦されました」とおっしゃって、立つことができるようにしました。この二つの癒しで、注目すべきは、皮膚病の患者も、中風の人も、イエス様に癒しを期待して、いえ、もうイエス様しか頼る道がないと思って、必死の思いでイエス様に近づきました。そして、ひれ伏してお願いした皮膚病の人に対して、「わたしの心だ」と伝え、また、中風の人に対しては、「友よ」と呼びかけられました。イエス様は、必死に癒しをもとめ近づいて来る人を「友よ」と呼ばれました。

ここで思い出されるのは、もう一つのイエス様のお言葉です。●「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)イエス様が友と呼ばれるのは、●「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」(14) では、イエス様のご命令とは何でしょう。●「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(12) そして、イエス様は、●「わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じ」(10)ように、「わたしの愛の中にとどまりなさい」(9)とおっしゃいます。

イエス様は大きな愛をお示しになられました。私たちの罪のために、私たちの身代わりとなって、十字架におかかりになり、私たちの過去現在未来の罪を帳消しにしてくださいました。神は、私たちのことを大切に思い、愛するひとり子であるイエス様をこの世にお送りくださり、罪の赦しのいけにえとされました。「友のためにいのちを捨てるという愛」がここにあります。しかし、私たち人間は、その大きな愛はなかなか実行できません。しかし、イエス様が父なる神に祈りをささげ、父と常に交わりをもっておられたように、私たちも、お互いを友として大切に思い、友のために祈りをささげる、友のために神様と常に交わることが、私たちに課せられた戒め「イエス様がわたしたちを愛されたように、互いに愛し合う、つまり互いに祈り合う」ことを守ることとなるのではないでしょうか。

祈りは必ず聞き届けられ、主は、主が最も良いとされるタイミングで、私たちの祈りは答えられます。そして、私たちは、祈り、つまり、父なる神との交信によって、私たちは強められ励まされ、また勇気を与えられます。まことに祈りは力、私たちの生きる力なのです。

イエス様のこの地上でのミッションは、「罪人を招いて、悔い改めさせる」ことですが、罪のない人間はいませんので、すべての人間を招かれています。しかし、イエス様の招きにはタイミングがあります。私たちが、何らかの理由で、また何らかのかたちで、それを自覚しようとしまいと、主を求めている時が、そのタイミングとなります。その理由の一つに、「疲れ」があります。「疲れ」には、肉体的な疲れや、精神的な疲れ、霊的な疲れがあるでしょうが、その「疲れ」をイエス様はいやすために、イエス様は「わたしのともに来なさい」と招かれるのです。

●「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)では、どのように休ませてくださるのでしょうか。●「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」イエス様のくびきとは、イエス様から学ぶ、弟子としての指導や訓練のことです。弟子としての指導や訓練で欠かせないことは、イエス様への信頼と祈りであると、私は考えています。もちろん、聖書の御言葉は、私たちの心のビタミンでも武具でもあります。

そして、イエス様を中心とした救いの恵みは、新しい生命力に満ち満ちており、律法主義という規則にがんじがらめであったことから解放され、主にあって自由に、つまり、精神的、霊的に健康であり、それによって、心から主を賛美し、主を喜び、主に仕えることができるというものであります。それをイエス様は、●「新しいぶどう酒は、新しい皮袋にいれなければならない」とおっしゃるのです。

また、私たちが、イエス様の救いの恵みを受けるということは、イエス様の「わたしについて来なさい」とおっしゃっていただいているというのと同じことで、「イエス様について来る」とは「イエス様に従う、イエス様に仕える」とおっしゃっておられるのと同じなのです。従い方、仕え方はいろいろあるでしょうが、主の証し人として、福音宣教を中心とするということです。イエス様はおっしゃいます。●「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37-38)「収穫のための働き手」とは、人的な数のこともありますが、質的なこともおっしゃっておられるのではないでしょうか。そのことがあらわされているのが、ルカ5章4節の「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」ということではないでしょうか。主に全く従い、主の示すところや時に敏感になるということ、それをイエス様は「深みに漕ぎ出して」という表現をお使いなのではないでしょうか。そしてそれを行なうには、常に主と交わりをもつことが大切であるということです。わたしは、そのことは、主がパウロを通して述べられた言葉に集約できるのではと思っています。

●「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16-18)ワンパターンといえばワンパターンかもしれませんが、わたしは、このことに尽きるのではないかと、いつも握りしめるようにしています。そして、それを可能にしてくださるのが、私たちの心の内に住み給う聖霊様の力と働きにほかなりません。ですから19節●「御霊を消してはなりません」が重要となります。もちろん、いったん私たちの心にお入りくださった聖霊様はけっして離れることはありません。では、なぜパウロは「御霊を消してはなりません」とパウロは言うのでしょうか。それは、『御霊があたかも遠くに感じられる』ぐらいに、信仰が落ちてきている状態、なんとなくクリスチャンの状態を描写しているのだと思われます。「御霊が消えてしまう」ような状態とは、心の危機的状況に陥っていると考えられます。やはり、私はこれは、「真剣な祈りの不足」によるものではないかと感じます。そして、「静まりの時」を持たないことも、その「祈りの不足」の原因の一つでもあります。詩篇46編10節●「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」と新改訳聖書にはあります。わたしは、このみ言葉に関しては、口語訳聖書の方が好きです。●「静まって、わたしこそ神であることを知れ」とあります。「静まりの時」こそ、祈りに力が与えられます。また、「祈りの不足」は感謝の不足が原因ともなっているのではないでしょうか。すべてに感謝する、ことはなかなかできることではありませんが、すべてに感謝することで、また、しようとすることで、服従の精神が養われます。神が絶対であることを私たちは試練を通して、また祈りを通して、教えられていきます。

私たちの主イエス様は、真剣に祈り求める者に、「わたしの心だ、友よ、罪は赦され、きよくなりました」とおっしゃって下さいます。祈りましょう、祈り求めましょう。また、友のため、とりなしの祈りを絶えずささげましょう。そして、祈った瞬間、祈りは聞き届けられたと前倒しの感謝をささげましょう。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきます。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: イエス様は、わてらにも、「わたしの心だ、きよくなりなさい」ちゅうて

くださってるんやなぁ。イエス様の十字架の贖いによって、わてらは、

罪赦されたものとなった。きよくされたんや。

熊: それに、わてらのことを「友よ」って、よんでくれはる。ありがたいなぁ。

わてらは、一生涯、未熟者や。だから、ようよう間違いも罪も犯す。

けんど、それでもイエス様はわてらを友として接してくださる。

八: ほんまやなぁ。イエス様がわてらを友と呼んでくれはるからには、わてらも、

「新しいぶどう酒は、新しい皮袋にいれんとあかん」ように、心を一新せんと

あかんわな。ほら、わてらが毎週となえている、礼拝の心構えの聖句、

ローマ人への手紙12章2節●「むしろ、心を新たにすることで、

自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、

何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」と

パウロはんは言いはる。

熊: けんど、心を新たにすることはむずかしいなぁ。自分中心やのうで、

イエス様中心にすることによって、そのことは実現するんやけど。

知らず知らずの内に自分中心となっていることがあるから、情けのうなってくる。

八: そやなぁ、けんど、それはそれでええんとちゃうやろか。まあ、罪を犯し続けるのが

ええわけはあれへんけどな。その情けなさ、惨めさが、成長へとつながんねんて。

熊: そうか、若さんもゆうてはったなぁ。試練があるちゅうことは、神様、まだわてらを

あきらめてない証拠や。のびしろがうんとあるちゅうことや。試練があるから

成長できる。そやから、試練も感謝できる、ちゅうて。

まあ、試練を感謝できるちゅうのは難しいけんどな、やりがいはある、

試練で苦しくても生きている生きがいはあるちゅうこっちゃ。

試練の先に、神様の大いなる祝福がまってると、わては期待してるし。

八: そやでぇ、パウロはんも告白してはるやないか。ローマ人への手紙7章15節

●「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことを

しているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。」19節●「私は、

自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行なっています。」

熊: こう言っている時、パウロはん、惨めやろうなぁ。

八: せやから、その惨めさから救い出して下さる方は、主イエス・キリストしかおらへん

ゆうてはるんや。

熊: そういう意味では、わてらは幸せもんやなぁ。わてらのふがいなさ、みじめさ、

それに弱さをイエス様はご存知で、そこからわてらを救い出してくださる。

だって、わてらマブダチやもん。

八: マブダチか、そうやな、マブダチやな。マブダチやからこそ、いや、イエス様の方から

マブダチになろうとしてくれたさかい、イエス様はわてらのために命をなげだして

くださった。ほんまに、友としてくださる、イエス様に感謝や!

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。私たちは、罪人ですが、イエス様の血潮によって、私たちの罪はまったく赦され、きよくされました。もちろん、私たちはまだまだ、のびしろがあり、そのために神は試練を通して、私たちを成長させてくださいます。そして、パウロのように「試練を喜ぶ」という境地には、なかなか至りませんが、試練の先に、神様の大いなる祝福があると思えば、試練は恵みでもあるといえます。その恵みの試練をありがとうございますと感謝するものでありたいと願います。

では、いつもの通り、宣言をしましょう。今日の宣言は、わたしたちを友とよび、きよくされるイエス様のご愛に感謝し、宣言します。イエス様の弟子として成長させてくださる「試練をも感謝します」です。では、三回宣言いたします。少し長いですが、よろしくお願いいたします。

「試練をも感謝します」、「試練をも感謝します」、「試練をも感謝します」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇46篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書18章11節。

「人の子は、失われている者を救うために来たのです。」

黙想いたします。詩篇46篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:感謝します

https://www.youtube.com/watch?v=DIEkzUplsA0

賛美⑨:罪咎をゆるされ

https://www.youtube.com/watch?v=3BT00TX1bKg

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の4月2日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書6章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/