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メッセージ主題:『信じる者は救われる』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.4.9主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年4月9日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:主イエスの十字架の血で

https://www.youtube.com/watch?v=WaJQjun64WU

賛美②:墓の中から

https://www.youtube.com/watch?v=hewnJmQ-VGg

賛美③:山々が生まれる前から (4月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=oCBaJ8sqW0U

賛美④:いざひとよ

https://www.youtube.com/watch?v=I03rng4MKfA

賛美⑤:主われを愛す

https://www.youtube.com/watch?v=FYptcS91X6M

賛美⑥: 御手の中で

https://www.youtube.com/watch?v=I03rng4MKfA

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年4月9日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書7章(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし、イエスは女に言われた。『あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(50)

メッセージ主題:『信じる者は救われる』

改めまして、こんばんは。イースターおめでとうございます。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ルカの福音書7章には、4つの話があります。1つ目は『百人隊長の僕をいやす』(1-10)、2つ目は『やもめの息子を生き返らせる』(11-17)、3つ目は『洗礼者ヨハネとイエス』(18-35)、そして最後は『罪深い女をいやす』(36-50)ということです。この7章のメインテーマは、「信仰によって救われる」ということではないでしょうか。

この4つの話には、4つの救いの形が現わされています。

★1つ目の『百人隊長の僕をいやす』場面では、百人隊長の主への立派な信仰と、部下の救い。つまりは『とりなしの信仰』であります。部下に信仰はなかったとしても、部下を想う百人隊長の信仰によって、神は、その部下を癒され救われます。ここで私たちは希望をみます。先にイエス様を信じ救われた者が、まわりのまだイエス様を信じていない人々のために、病気の癒しや、たましいの救いを、イエス様に熱心にお願いし祈るということは、主は喜ばれるということです。百人隊長の信仰をみて、イエス様は「このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません」とおっしゃるほどでした。もちろん、私たちが熱心に祈り求めたら、祈りを積んだら、神様は私たちの祈りをお聞き届け下さるという、自動的にそうなるわけではありません。

すべては神のご計画の内にあり、それらが神の栄光を現すものなのです。私たちは、私たちの祈りの神の応答が、いつ、どこで、どんな風に行なわれるのかは分かりません。しかし、私たちは、私たちのベストを尽くしつつも、主に祈り続け、主に賛美をささげるほかに方法はないのです。「祈りは必ず聞き届けられる」と信じ、前倒しの感謝をささげ、主により頼むしかありません。

信仰によるとりなしの祈り、相手のために駆け引きなしで祈る、このことが、この7章の初めに記されていることに大きな意義があり、また感謝いたします。

★2つ目の『やもめの息子を生き返らせる』場面では、イエス様主導でおこなわれた救いであります。しかし、ここではやもめの信仰は記されていません。イエス様の一方的な慈悲あわれみによって、息子は生き返りますが、根本的なイエス様の救いではありません。イエス様の根本的な救いとは、イエス様を信じて、罪赦された者となり、天の御国で永遠のいのちの約束を得ることです。母子がその後、イエス様への信仰をもったかどうかは記されていません。天の父なる神は、慈悲深いお方で、信仰があるなしにかかわらず、神のご計画にそって、癒しがなされます。しかし、主への信仰がなければ、天の御国への招待はありません。ここでは、信仰とは関係なく、『神のご計画にある癒し』が記されているのです。

ここで思い出されますのは、イエス様の10人の皮膚病患者の癒しの場面です。ルカの福音書17章にあります。イエス様がある村にはいって、10人の皮膚病患者を癒されました。そして、祭司に癒されたことをチェックしてもらい、社会生活に戻してもらいなさいとおっしゃられました。この時代、祭司が医者の役割もはたしていて、祭司に、病気が直ったことを証明してもらわなくては、集団生活には戻れませんでした。そして、たった一人、それも異邦人のサマリヤ人だけが、イエス様のところに戻って来て、足もとにひれ伏して感謝したとあります。そして、イエス様はその人に、「あなたの信仰が、あなたを直したのです。」とおっしゃいました。皮膚病はすでに直っています。イエス様の「あなたの信仰が、あなたを直したのです。」とおっしゃったのは、皮膚病のことではありません。その人の人生観です。皮膚病によって、虐げられ、白い目で見られ、村八分にされてきたこの異邦人は、おそらく、精神的にも卑屈になり、ネガティブ思考から脱却できないでいたのではないでしょうか。それを、イエス様への信仰によって、ポジティブ思考へと変えられたのです。神は、神の私たちの計り知れないほどに、ご自身のご計画を遂行されます。しかし、イエス様を信じ感謝する人だけが、信仰によって、人は立ち直り、ポジティブ思考へと変えられ、そして、永遠のいのちを約束される者とされるのです。

★3つ目の『洗礼者ヨハネとイエス』の場面では、獄中のバプテスマのヨハネは、イエス様への信仰が揺らいだかのような「あなたが、私たちが待ち望んでいるキリスト・救い主ですか」というような疑問を投げかけているようではありますが、これは、信仰の揺らぎではなく、イエス様の素晴らしい御業のうわさを獄中で耳にし、救い主キリストとしてのご自身を早く現わしてくださいという、バプテスマのヨハネのイエス様への嘆願であったのではないでしょうか。この時、まだイエス様はご自身をキリストと自称することを避けておられました。まだその時ではなかったからです。イエス様は、ヨハネのこの問いかけに間接的に応答する形で、ヨハネの使いの者が帰ってから、次のようにおっしゃいました。「女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません」(28)とヨハネを称賛しています。つまり、「ヨハネよ、あなたは正しい。わたしこそ、あなたが待ち望んでいるキリストである」とおっしゃっておられるのと同じです。ちなみに、そのすぐあとに、ヨハネのことを、「しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています」(28)と、ヨハネをけなしているようにもとれるこの言葉は、キリストの十字架以前の時代におけるバプテスマのヨハネの偉大さも、十字架と復活と聖霊降臨以後のすべてのキリスト者に与えられたイエス様の恵みにくらべれば、色あせて見えるということです。つまり、イエス様の恵み以上のものはなく、イエス様こそ救い主キリストであることを暗に伝えているのです。

ここでは、キリスト・イエスへの信仰以外、天の御国での永遠のいのちに至らないことが、明示され、『キリスト信仰そのもの』が記されています。まさに、「救いは主のもの」なのであります。

★最後の4つ目の『罪深い女をいやす』場面では、この世での地位や名声、身分とは関係なく、人ひとりひとりが持つ、『イエス・キリストへの信仰こそが、救いの道』であることが示されています。また、イエス様は、ここで、感謝するという結果的行為が愛の、信仰のバロメーターであることをおっしゃっています。47節●「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」彼女は、多くの罪を犯していましたが、それがすべて赦されたことを喜び感謝し、その結果、愛の行動である、イエス様の足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐうという行動にでます。また、イエス様の足に高価な香油を塗り、部屋が喜びのかおりで満たされ、イエス様を歓迎しました。

そして、イエス様はパリサイ人のシモンに向かって、「少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」とおっしゃいました。シモンは、『自分は罪人ではなく、律法を守っていることを自負し、自分の罪はそんなに大したことないと思っている人』でありました。ですから、イエス様を歓迎することもなく、イエス様によって罪を赦していただこうとは思いもつかなかったのです。

さて、私たちはどちらでしょうか。いつも、どんなことでも、イエス様に心から感謝をささげる者でしょうか、それとも、そこそこ感謝をささげる者でしょうか。または、「困った時の神頼み」的信仰で、日ごろは特別感謝をささげない者でしょうか。私は、精いっぱい、イエス様に感謝をささげる者でありたいと願っています。「願っている」ということは、まだまだできていないということを言っているのと同じですが。

今日はイースター、イエス様が復活され、だれでも、「信じれば救われる」新しい時代が開幕した日です。イエス様を受け入れましょう。そして、人生をポジティブに歩み始めませんか。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 若さん、やっと最後にイースターだしてきはったなぁ。やきもきしたわぁ。

今日はイースターや。わては、クリスマスより、イースターの方が大事やと

思てるさかい。

熊: なんでまた、イースターの方が大事なん?

八: そりゃ、そうやないかいな。イエス様の復活がなければ、ただ単に、33歳の大工の男が

無罪やのに十字架で死んでしもただけや。

熊: ま、そうやわな。死からよみがえるちゅうことがなければ、クリスマスも、

一人の赤子が馬小屋で生まれたにすぎんわな。

八: それだけやないでぇ。旧約聖書のキリストの出現の預言が、すべて嘘ぱちやちゅうことに

なる。ひいては、創世記まで、疑わしくなる。

熊: なるほどなぁ。イエス様の復活があるからこそ、この聖書がなりたってるんやな。

八: 聖書が、旧約聖書も新約聖書も、イエス様を証ししてるちゅうのは、そのためや。

熊: そんなに、大事なイースター。けんど、世間もキリスト教会も、クリスマスにくらべて、

イースターのお祝いは、しょぼいなぁ。ゆうたら悪いけど。

八: まあなぁ、世間はともかくとして、教会のイースターも、とくに日本は力がはいってない

ような気がするわ。たまごとうさぎで喜んでる場合とちゃうちゅうねん。

熊: ところで、ちょっと聞きたいんやけど、なんで、イースターにたまごとうさぎなん?

聖書のどこ捜しても、たまごとうさぎ、 出てこえへんねんけど。

八: わても不思議におもて、横丁のご隠居に聞いてみたがな。

熊: んで、ご隠居はん、どういうてたん?

八: なんでも、イースターエッグやイースターバニーが登場したのは、16世紀らしい。

熊: 16世紀って、まだまだ最近やん。そんで、なんでなん。

八: ご隠居も、詳しいことは分からんらしいけど。たまごは命のみなもと、うさちゃんは、

こどもぎょうさん産むかららしい。

熊: こどもぎょうさん産むんやったら、ねずみでもええんとちゃうん?

八: ねずみは、あかんやろ。なにがなんでも、可愛げないやないかいな。

熊: まっ、そら、そうやわな。

八: まあ、イースターエッグもイースターバニーも、こどもの教会学校の楽しみぐらいに

収めとかなあかんなぁ。

イエス様の復活が、たまごとうさぎからは見えてこえへん。

街中で、商売用のイースターのたまごやうさぎを見て、イースターが広まって来たって

言うて、喜んでる場合とちゃうねん。下手したら、クリスマスの二の舞や。

熊: なんやねん、そのクリスマスの二の舞や、ちゅうのは?

八: 世間の人が、クリスマスでイメージする人はだれや。

熊: そりゃぁ、サンタクロースやろ。

八: ほらなぁ。クリスマスも、イエス様そっちのけや。

うまいこと、蚊帳の外に追い出されてしもてんねん。

わてはな、これこそ、悪魔の仕業とちゃうかと思てるぐらいや。

熊: たしかになぁ。クリスマスやのに、イエス様のお誕生、お祝いしていないのは悲しいなぁ。

八: そやろぅ。まだ、あんまり知られてないイースターこそ、ちゃんと伝えなあかん、

イエス様がよみがえりはったことを。

うさぎとたまごで、ごまかされてしもたらあかんねん。

ウサギや玉子のチョコレートを、喜んで食べてる場合とちゃうねん。

あれも、おいしいことはおいしいけどな。

熊: なんや、食べんねんや。

八: あほぅ、おいしいものはおいしいんや。いただいたものを粗末にしたらあかん。

熊: まあ、チョコレートの話はええとして、、、ほんまやなぁ、八の言うとおりや。

イエス様は、わざわざ十字架にかかられて、ご自分の命を、わてらの罪の帳消しとして、

ささげはった。それだけやない、三日目に、死を克服して、よみがえられた。

そして、わてらに天の御国での永遠のいのちを約束された。

八: そう、それも、何かしたから、また、お金たくさんささげたから、救われるんとちゃう。

ただ、単にイエス様を信じて、「イエス様はわてらの王様や、どこまでもついて

行きまっさかいに、あんじょうたのみます!」って告白しただけで、ええんや。

熊: そやなぁ。信じるだけでええんや、イエス様に期待するだけで、ただで、永遠のいのちの

約束してくださるんや。気前がええわ、わてらの神様は。

八: クリスマスもそうやけど、イースターも、ほんまのことを伝えなあかん。

「信じるだけで救われる」

みんなのためのイエス様のいのちがけの訴え、いのちがけの救い。むだにしたらあかん。

なあ、若さん。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。ほんまにそうです。イエス様は、ペテロにもおっしゃいましたが、私たちにも問いかけられています、「わたしを愛するか」。もし、みなさんが「はい、わたしはイエス様を愛します」と告げることができるなら、イエス様はおっしゃいます。「あなたは、わたしに従いなさい」と。(ヨハネ21章)「イエス様を信じます」と告白することは、「イエス様を愛します」、「イエス様に従います」、と告白しているのと同じなのです。イエス様を愛してます、と言いながら、従うことがでけんねんやったら、ほんまに愛してることにはならんのとちゃいますやろか。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、イエス様を信じ、救われたことを確信しつつ唱えます。「私はイエス様を愛します」です。では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。

「私はイエス様を愛します」、「私はイエス様を愛します」、「私はイエス様を愛します」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇145篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書15章13節。

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

黙想いたします。詩篇145篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:ただ信ぜよ

https://www.youtube.com/watch?v=ISVzJupqlAw

賛美⑨:キリストにはかえられません

https://www.youtube.com/watch?v=ojraEX3cvLc

特別:主の教えを喜びとし

https://www.youtube.com/watch?v=GJz9t2dQKDA

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の4月16日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書8章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/